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紫苑の部屋      

観劇・絵画と音楽・源氏物語      
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八月納涼歌舞伎-野田版愛陀姫、試みの第一歩です

2008-08-20 00:28:49 | 観劇
話題性があったせいか、満員御礼、
期待するに十分ほど、前評判高かったのですが…
いつものカーテンコールも、冴えがなく、
なにか不満が残る客席の雰囲気、俳優さんたちも感じ取っていることでしょう。
新作とは本当はこうしたものでしょう。
蜷川シェークスピア歌舞伎が初演であんなにもすばらしかったのは、まれなことなんだわー、
とつくづく思ったのでした。

なにかがミスマッチ、
はっきり言って、勘三郎濃姫の悲劇性がどうしても希薄になってしまったこと、
橋之助ラメダスの人物像の駄洒落さ加減が中途半端だったこと、
風船の象に乗って凱旋は、笑いはとっても、後半の悲劇性を少しも感じさせない、それは愛陀姫の悲劇性をも奪ってしまった。
大真面目な悲劇でなくてよかったのでは?
いっそのこと、祈祷師福助の路線で通して悲喜劇にすればよかったのに…。
そのなかで、七之助愛陀姫はけなげでしたね。
そして織田信秀*三津五郎の演技だけがこの物語の本筋を明らかにしてくれていました。
この人は何を演じても舞台を引き締めてくれる、すごい俳優さんです。

たぶんひとりひとり人物像の解釈があって、それぞれの役づくりをした結果、
どこかチグハグになってしまったような…、そんなことなんでしょう。
やはり脚本がしっかりしていれば、そういうこともないんでしょうね。
オペラの壮大な悲劇を歌舞伎的手法で日本的に表現する、
その着想はとても面白いし、
何といってもオペラも歌舞伎も音楽劇、
その共通性、
シェークスピアと歌舞伎の成立期を同じくする共通性と同様、
なにか新しいものを生み出してくれる、
そんな期待を抱かせてくれます。
ですから、
これはまだ歩みだしたばかりの試み、
例えば、
オペラのクライマックスの三重唱、二重唱
これを独白だけで乗り切ろうとするのは、
あまりにも芸がないでしょう!
せめて暗転の舞台にスポットで独白させる、とか
素人にも考えつくことですけど…、
スポットライトは、野田演出の早口セリフ劇らしくないのかな?

いずれにしろ、まだまだ洗練していく余地と可能性、
そういうものを期待しましょう。

 2008/08/19観劇 歌舞伎座

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