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3月歌舞伎「義経千本桜」

2007-03-30 23:41:58 | 観劇
2月につづいて、通し狂言、じっくり演目の世界にひたれる。
「義経千本桜」
知盛の壮絶な入水を見せ場とする“渡海屋・大物浦”
いがみの権太の人情話“すし屋”
人気のこの2幕目と4,5幕目がさしてつながるお話ではないので、
単独の出し物になることが多いわけですが、
こうして通しでみると、
平家の運命と、名もなき人びとの忠義の哀しさ、に加え,
登場しない頼朝が決して非道な人物ではないことを示すことによって、
義経と頼朝兄弟の悲劇性が浮かび上がってきて、
スケールの大きな人間ドラマとなってくるのです。
2幕目と5幕目がこのドラマの横糸だとすると、
縦糸として忠信狐の親子の情が、人よりすぐれて人間的にえがくことで、
いっそう重層な深みをまします。

惜しみない豪華な配役を揃えてくれて、いいですね。
序幕から大詰をとおして忠信と源九郎狐を演じた菊五郎、義経の梅玉はもちろん、
幸四郎の知盛、立派な最期を見せてくれましたし、
典侍局の藤十郎も芸としてご自分の役をつとめておられたし、
道行の芝翫の静、お人柄のよさが出ていて、
私好きなんです、さっぱりした気性とお見受けするこのお方。
でも、仁左衛門のいがみの権太、文句なしに、今月一番ではなかったかと、思います。
ご贔屓だから、というのでもないこと、友人の感想でも聞いたので、あえて。

ところで、これまでどうもよく納得できなかったこと、
知盛の義経に対する憤怒の念=最期まで武将として戦って果てる(船弁慶の知盛がそうです)→昨日敵は今日の味方と言って、後を託して入水する
この転換があまりにあっけなく、あっさりすぎるということです。
そこが、亡霊を鎮める能と、あくまで人間模様としてえがく歌舞伎の違いともいえますが…。
歌舞伎のセリフをじっくり聞かなくてはならなかったのですね。
「徒(あだ)に思うな」と幼い帝が諭したのですね、
そして「清盛の悪行の報いか」とは、知盛自身が嘆いたことば、
自らの悲劇が外(義経)ではなく内(親)にあるという認識、この人物の知性、そしてこの絶望感、
もう入水の道しかないのですね。

それから、装束や衣装も、古典ですから、華やかで本当に見飽きないですね。
狐忠信の扮装、鬘(菱川というんですね)隈取り(火焔隈という)化粧襷(たすき)源氏紋を付けてます。
正体をあらわしてからのあの衣装は“毛繕い”という。
義経から戴いた小型の鎧、「着せなが」というんですね、初めて知りました。
それから立ち回りなどしやすいようにできている裾の切れた上着、四天(よてん)というんですね。
大物浦で登場した知盛の御注進役の相模五郎が着ていたのがそうです。
道行で桜の枝をもった粋なお兄さんたちが着ていたのは、花四天、
小金吾討死で捕り方の立ち回りをしていたのが、黒四天
すごいです、伝統芸能というものは。
また、軽妙なセリフが飛び交うのは楽しいですね、
さかなづくしに、俳優名、屋号づくし。
これから知りたいと思うもの、教経の役割、わかんなかったですね。
充実した今月、やっぱり止められないですね、歌舞伎は。
月によってはいいかなーと思って、パスしようかと思うこともあるのですが、見逃すと後悔するからやっぱり通います。
2007/03/25観劇のち


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