ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

しゅうちゃん、春だよ!部屋を片付けてね!

2015-03-03 04:16:41 | Weblog
「わたしはネガティヴだから」とか、「おれは人見知りだから」とか、「自分はこういう性格だから」とか・・・ね。よく聞く。

もしそれが全部、自分自身が決めていることだとしたらどうだろう?生きる指針のように、自分が自分に課しているものだとしたら、どうだろう?
そういうものだとするならば、それはいつだって自分次第で変えられる、ということになる。

例えば、ポジティブとネガティヴ。とちらがいいというほどのものでもない。
ポジティブな人間は、楽観的に発作的に事に及んで収拾のつかない状況に陥るだろう。ネガティヴな人間は、慎重に恐る恐る事に及んだりおよばなかったりで、無駄な失策を繰り返すなんてことはないのだろう。そんなものはどちらでもいい。どちらも長所であり短所でもあるのだから、どちらでもいい。

自分は、どちらがいいのか?ということだ。自分はどうありたいのか?ということだ。

いつだって、人は、自分自身に縛られる。自分が決めた自分という存在に縛られる。「枠」だったり「性格」だったり「ルール」だったり。
それは、そこに、自分という人間が「ある」からである。
それは時として不幸なことであり、自分の性格に縛られて、世間の荒波の中で右往左往している人がたくさんいる。目の前にある「幸せ」に手を伸ばすことが出来ない人がたくさんいる。


僕の話。

僕の何が変わったのかを記すのは難しい。僕自身も曖昧にしかわからない。
僕が相変わらず嫌なヤツであるということから、大して変わっていないということも出来る。ふむふむ。
重要なのは何か?というとね、「人は変わる」ということを知ったこと。「人は変われる」ということを知ったこと。

僕は人生を楽しむようになった。そんな気がする。
未来のために生きるのではなく、瞬間を楽しみながら生きるようになった。そんな気がする。
だから、その他の細かいことは、どうでもよくなった。そんなものは、ゴミ箱に捨ててしまった。
どうせ、正解など存在しない世界である。正しきことも、間違ったことも、全部自分で決めていいのである。
目の前にレールが敷いてあるのだと思っていた。レールを踏み外したあとは、荒野の道なき道を行くのだと思っていた。
しかし、まぁ、そんなものさえもないのである。

自由に、やりたいように、やればいいんだ。
その時に、その場所で、一番楽しいように、やればいいんだ。
今日のために。明日のために。時には、昨日のために。
自分のために。大切な誰かのために。時には、まだ知らぬ誰かのために。


僕は確かに変わった。
でも、変わったことが大事なんじゃない。
僕は確かに変われた。
変われたことが重要なんだ。
つまりは、これからも変わっていくということが重要なんだ。これからも変われるということが重要なんだ。

その確信こそが、今の僕の根本である。

明日か明後日かその次の日か・・・また僕は変われるかもしれない。
旅をして誰かに出会ったら、旅をして何かを知ったら、本を読んで心が震えたら・・・また僕は変わるのかもしれない。

僕はワクワクしながら明日を待っている。

また自分に革命が起きるんじゃないかと、毎日ワクワクしながら待っている。

それが、僕がしゅうちゃんからもらった、この世界で一番大切なこと。

おわり。

しゅうちゃん、春だよ。革命を起こそうよ。

2015-03-02 23:48:01 | Weblog
しゅうちゃんを始めて見たのは(会ったのは、ではない)、午前2時の職場の食堂。

ちょっと太っていて、あごひげをながーく伸ばしていた。聖徳太子みたいに、あごひげをながーく伸ばしていた。

「あの人、オウム真理教の麻原彰晃みたいだね?」「ほんとだね、あの人、オウム真理教の麻原彰晃みたいだね」と、知り合いのエムと話していた。

それからだいぶ時間を空けてから、僕はしゅうちゃんと出会うわけなのだが。ある時しゅうちゃんに聞いてみた。
「ねぇ、なんでさぁ、あの頃、麻原彰晃の人間モノマネをしていたの?」

しゅうちゃんは言う。
「ばかやろー、麻原彰晃の人間モノマネじゃねえし。格好いいと思ってやってたんだよ!」

「まぢで!?そうなの?格好いいと思ってたの?うそでしょ?衝撃!ディープインパクト並みの衝撃!」

どう考えたら、聖徳太子のながーいあごひげを伸ばすことが格好いいと想えるのだろうか?と思いながら僕は聞く。

「じゃあさ、なんで、その格好いい麻原彰晃の人間モノマネをやめちゃったの?」

しゅうちゃんは言う。
「それはな、母親に『あんた、麻原彰晃に似てるわね』って言われてショックだったからだよ、ばかやろー」

なんて面白い人なんだろうか。ありえない、ありえない。

キーワードは「変わり身の速さ」である。

あれ?キーワードは「革命」だったような気が・・・。


そんなわけで、僕は変わった、という話。

僕が思うに、僕は大して変わっていない。大して変わってはいないが、革命的な変化を遂げたという話。
なぜなら、しゅうちゃんに「しんぐは変わったな」と言われた時に、『自分が変わった』ことに気づいてしまったから。

変わったね、と言われることはしばしばあると思う。誰しも、しばしばあると思う。でも、それは表面的なことだったり、表面的なことだと捉えてみたり・・・そういう場合、「変わったね」と言われることに深い意味はない。ちょっと意味はあるが、それほど深い意味はない。

そもそも、根本が変わることなんて、そうそうないことだろう。と思う。根本が変わったことを認めるなんてこと・・・根本が変わったことに気づくことなんて・・・。ね。

僕は、ストイックに生きてきた。僕がたどり着きたい場所へ向かう道には、厳しさだけがあればいいと思っていた。
眠らなくても平気だし、金がなくても平気だし、ひとりぼっちでも平気だし、嫌われたって平気だし・・・。
ただただ、自分は自分のためにひたすらに頑張っていればいいんだと、頑なに信じて実践していた。僕は、きっと、ストイックに生きていた。

すぐつづく。




しゅうちゃん、春だよ。はーるーよー!歌って!

2015-03-01 06:33:21 | Weblog
僕が常々思っていることは・・・
「みんな、もっと、しゅうちゃんに感謝すればいいのにな」だよ。
なんのこっちゃ。ってね。誰も彼もが、なんのこっちゃ。ってね。

キーワードは、「革命」。

僕は、気取った嫌なヤツだった。今もまぁ、気取った嫌なヤツではあるのだけど、前はもっと。

気取った嫌なヤツは、格好ばかりつけている。気取った嫌なヤツが格好いいと思っているのだから、仕方がない、こればかりは仕方がない。とても残念。

自分のことばかり考えているから、少しも優しくないし、少しも面白くない。自分のことばかり考えるのは、極々当たり前のことだと思っているのだから仕方がない。自分の人生など、自分で切り拓いていくしかないと思っているのだから、自分のことしか考えないのは極々普通のことである。

友達はたくさんいたけれど、「友達なんていらないね」と心から想える、そんないかしたナイスガイだった。ような気がする。

そんな僕が完成したのは・・・十代の終わり頃か。そんな気がする。

そんな僕も少しずつ成長する。つまり変わっていく。でも、気づかない。そんなことには気がつかない。
いつまでも、自分は自分のままだ、

僕は嫌なヤツだという自覚があるし、嫌なヤツでいいという不動の信念を持って生きているのだから、なんの問題もない。いつまでも自分のままだ。

唐突だが、しゅうちゃんと出会った。
しゅうちゃんとTrash Box Jamというユニットを組んで、路上へ出かけた。路上へ出かけまくった。
毎晩、仕事中に、しゅうちゃんとTrash Box Jamの話をした。
土曜日と日曜日には路上へ繰り出した。
平日も路上へ繰り出した。大宮へ出かけ、柏へ出かけ、吉祥寺へ出かけ、渋谷へ出かけ、原宿へ出かけた。
仕事とTrash Box Jamの掛け持ちは、スーパーが付くほどにハードな日々だった。そして、猛烈に楽しい日々だった。言葉に出来ないほどに、充実した日々だった。

マコ先生以外は、しゅうちゃんに誘われてやって来た面々である。みんな、初めはドキドキしながらついて来て、何もないところから始めて、少しずつ慣れ、少しずつ何かを掴み、少しずつ変わっていく。
その変化を見ているのが、とても楽しかった。

話は戻るが、僕は、気取った嫌なヤツである。
しゅうちゃんが新しい人物を誘ってくるたびに、「面倒だなぁ」とか、「まぁ、シュウがやりたいようにらやればいいけどね」とか。だって、自分のことしか考えていないから、オレ。

ある時、しゅうちゃんが言った。革命的な一言を言った。

「なんだかんだ言って・・・シングが一番変わったな」

えっ?

はぁ?

何言ってんの?

変わってねぇし。

おれはおれだし。

おれのままだし。

えっ?

はぁ?

何言っちゃってんの?

おまえバカ?

・・・

ウソ?

・・・

おれ?

おれ、変わったの?

ほ、ほんとに?

つづく。