ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

安宿の条件。

2019-06-30 03:24:02 | Weblog


安宿に泊まっている。宿代は、1000円と少し。
なぜか、地上7階。

安宿が安宿たる所以・・・。

たとえば、それは・・・地上7階なのに、しっかりと窓が開き、少し身がすくむ。
たとえば、窓を開けると、必ず野犬とノラ猫の姿が見える。
たとえば、向かいの建物はゴミ溜めのようになっている。

1000円と少しで、知らない街の夜のパッドを与えてくれるのだから、文句はない。ありようがない。

たとえば、夜の11時頃に宿へと戻る。
暑い一日だった。滝のように汗をかいて一日を過ごした。
シャワーを浴びて、気分を一新したい。
さぁ、シャワーを浴びよう。

服を脱いで、蛇口をひねる。

たとえば、いつまで経っても、いつまで待っても、お湯は出ない。

裸のまま、しばし呆然とする。

そう、それが安宿が安宿たる所以。

たとえば、フロントへ行って、お湯が出ないと文句を言ったところで、お湯が出るわけではない。今はお湯は出ないのだ。フロントマンにお湯を出す能力はない。ソーリーと言われてお終いだ。

1000円と少しで泊まれる場所に泊まる人間は、そのくらいのことは知っていないといけない。こんなことは日常の茶飯。

「文句があるなら、鍵を置いて他へ行きな。ほら、1000円と少しを返すからさっさと出ていきな」

などと言われたら、こちらの方こそ一巻の終わりだ。

わかるかい?それが世の中の仕組みだ。

さて、お湯が出ない。シャワーを浴びずに眠るのは嫌だ。
どうするか?

待つんだね。お湯が出るようになるまで。
必ず、お湯は出る。

何時間でも待てばいい。お湯が出るまで。

安宿が安宿たる所以。
安宿に泊まるヤツが、安宿に泊まり続ける所以。

わかるかい?
安く泊まれるのもいいが、それ以外のことも・・・また一興。

ライオンくんも暑そうだ。

2019-06-29 12:04:08 | Weblog


何日か前に鉄道で270キロほど南下して、亜熱帯の地域から熱帯の地域へ入った。気温は35度くらいだろうか。もちろん、暑い。湿度が低ければ、「カラッとしていていいよ」などとつぶやけるのだが、生憎、湿度が恐ろしいくらいに高い。暑い。全身、ずぶ濡れ・・・汗で。という状態。

歩いている時は、自分の周りに風が吹く。汗も引く。止まった時がひどい。汗が一気に噴き出してくる。

今日はここから、バスと鉄道を乗り継いで、さらに南下。

あっ、バスが来た!

こんにちは、ハチミツカフェ。2

2019-06-29 01:49:59 | Weblog


我が家に再びニホンミツバチがやってきたという話。の続き。

ミツバチの群れを全滅させてしまったショックから解放され、僕はミツバチちゃんの行動を見守りながら、毎日を過ごす。と。

ニホンミツバチの巣箱を移動させる時は、何日か、巣門を開けずに閉じ込めておく。なぜかは知らない。外に出たいミツバチたちは、巣の中をブンブンと飛び回る。少し可哀想になるのだが、そういう指示が出ているので、素直に従う。

数日後、巣門を開けると、ワーっとミツバチが飛び出してくる。いや、ほんとは、恐る恐るミツバチたちが飛び出てくる。

ミツバチたちが花粉を集め始めるのは、それから数日後。花粉を集め始めるまでの間、巣から出ては戻り、巣から出ては戻りを繰り返す。何をしているのかは、ちょっとよくわからない。

それにしても、ハチは可愛い。

ハチが花粉を集め始めた。お腹の下に黄色い花粉をつけて巣に戻ってくる。花粉を体に引っ付けてくるので、少し大きくなったカラダを巣門から巣箱の中へ入れるのに少し難儀している。そういうところも、すごく可愛い。

雨が降ると、ハチの活動は止まる。雨だと飛べない。だから、ハチは巣箱から出てこない。

何日か連続して・・・四、五日、連続して雨が降った。その間はハチの観察も滞る。ハチは巣箱から出てこないわけだから、巣箱を眺めていても面白くない。

雨が止んで、空が晴れた。
少し暖かくなった。春だ。花がたくさん咲き始めた。我が家の周りは蜜源が豊富だ。

春だ。ハチの季節だ。

ハチの巣箱を観察する。

「あれ?おかしいな・・・」

ハチが出てこない。

次の日も、晴れた。

「あれ?おかしいな・・・」

ハチが出てこない。

次の日も、次の日も・・・。

嫌な予感は、もう何日も前からしている。

嫌な予感がするから、ハチの巣箱の中を覗きたくない。

でも、ずっとそうやっているわけにもいかない。

巣箱の中で何が起きているのか・・・

僕は確かめなければいけない。

「せっかくこんなに晴れてるのに、どうしてハチは出てこないんだろう?」

つづく。

スポンジしんぐくん。

2019-06-28 00:27:14 | Weblog


昔の話。
京都の有名な川を貸し切りの舟で下っていたりして。そうすると、向こう側から別の舟がやってきて、なんやかんやを売りつけに来たりして。
一緒にいた女の子が、「甘酒をください」とか言ったりして。それはそれは寒い日で。隣で甘酒を飲む女の子を見ながら・・・おれ、甘酒は苦手なんだよなぁ・・・と思ったりして。

昔の話。
大晦日に初詣に出かけたりして。午前零時の新年までは、まだ時間があったりして。神社の人たちが、参拝客に甘酒を振る舞っていたりして。
一緒にいた女の子が、「甘酒をください」とか言ったりして。それはそれは寒い日で。甘酒を飲んでいる女の子を隣に感じながら・・・おれ、甘酒は苦手なんだよなぁ・・・とか、思ったりして。

そう、僕は甘酒が苦手でね。もともとアルコールが苦手でね。甘酒にはアルコールが含まれていないとはいってもね、やっぱり、なんとなく、アルコール風じゃないですか?

今年の初めに風邪を引いて、少し辛かったという話は前に書いた。
それ以来、少し健康に気を遣い始めたっていう話は書いたかな?

そもそも、僕の人生に「健康に気を遣う」いう言葉が存在したことはない。一度たりともない。いや、一度だけある。
10年くらい前に、謎の腹痛に襲われた。右だか左だかのお腹が痛くなり、指で押すと激痛が走る。
ちょっと怖くなって、ネットで調べてみると、「肝硬変の疑いあり」と出た。「肝硬変から肝臓癌へ」と出た。激痛に襲われ、激痛に包まれて死ぬ。と出たような気がする。

そういうのは、ちょっと嫌だ。激痛は嫌だという意味だ。

それから、家で使う油をオリーブオイルに替えた。サラダオイルは全部捨てた。それがいいのか悪いのかはわからないが、サラダオイルよりはオリーブオイルの方が体にはいいらしい。
いつのまにか腹部の激痛は消えた。オリーブオイルに替えたのが良かったと、今でも信じている。

それ以外。まったく健康に気を遣ったことがない。ミスター不健康と呼んでくれ。なぜならおれはミュージシャンだから。と思って生きてきた。
そう、ミュージシャンは、不健康なほどミュージシャンっぽい。というステレオタイプ。

さて、風邪を引いて辛かったから、もう風邪なんて引きたくないと思い、毎日歩き始めたという話を書いたという話を、さっき書いた。

そう、風邪を引かないためには、健康でなくてはいけない。そう、人生で初めて、健康を意識した瞬間なのである。感動の瞬間。劇的な変化の始まりの瞬間なのである。

そうなのか・・・こうやって変化というものは訪れるのか・・・。

健康にいいものとか。世の中にはたくさんあるだろうということくらいは、僕も知っている。だがしかし、何が健康に良いのかなんぞということを、僕は何も知らない。何も知らずに生きてきた。

僕は、スポンジボブならぬ、スポンジしんぐくんなのである。なんでも吸収してしまうのである。だって、何も知らないのだから。

さて、甘酒って、体に良いって、知ってた?
みなさん、知ってましてか?
そうなのか・・・みんな知ってたのか。
だから、スーパーマーケットへ行くと、甘酒がたくさん売っているのか。なるほどな。
どうして今まで教えてくれなかったんだい?

甘酒って美味しいよね。そう、甘酒って美味しい。酒粕の甘酒じゃなくて、米麹の甘酒ね。

そう、朝晩、チビコップに一杯、甘酒を欠かさずに飲んでます。

ふふふふふ。甘酒が苦手だった頃の自分に言ってあげたい。

「えっ?甘酒苦手なの?・・・ふーん、美味しいのになぁ」

僕は翼を手に入れた。

2019-06-27 01:22:05 | Weblog


LCCってのがある。知ってる?

格安航空会社。ジェットスターとか、バニラエアとか色々。
すごく安い。たまにセールなんてものをやったりして、そんな時はもう驚くほどに安い。数千円でどこへでも行けてしまう。ような気がする。

ような気がする。ここがポイント。実際は、行けてしまわない。引っ掛け問題みたいなことになっていたりするから、結局は、行けてしまわない。

たとえば、4000円で片道の航空券を買えたとしても、なぜか、結局、10000円になっていたりする不思議があるのである。10000円でも、ほかの航空会社で買う飛行機代よりははるかに安かったりするわけだから、それはそれでいいのだけれど、なんとなく、少し、腑に落ちなかったりもする。

「4000円で買ったはずなのに!」と思ってしまうのである。

プラスされる料金の中には、空港使用料とか燃油のサーチャージとか、どうしようもないものも含まれているのだが、どうにか出来るものもあったりする。たとえば、座席指定料とか、受託荷物料とか。

受託荷物・・・。飛行機に乗る時は、空港で荷物を預ける。これ、普通。LCCでは、これをやると3000円取られる。往復で6000円取られる。これ、取られたくない。取られなければ安くなる。預けなければ安くなる。それなら、預けない。というのはどうだろう?

荷物をコンパクトな大きさにして、重さを7キロ以内にすれば、機内に持ち込んで棚にバコンとぶち込めるというわけだ。

だいたい、海外に行く時の僕のリュックサックの重さは15キロくらいになる。なぜだろう?何を詰めると15キロになるのだろう?そもそもバッグ自体が重い。大きいから。

今回は、小さなリュックサックを持ってきた。重さは6キロ。
ウォーキングの時に背負っているリュックサックの重さとほぼ同じ重さなのである。か、か、か、軽い。驚くほどに軽い。笑えるほどに軽い。

つまり、リュックサックを背負ったまま・・・つまり、全部の荷物を背負ったまま・・・20キロでも歩ける。・・・どこまででも歩ける。

そして片道3000円が浮く。ははは。3000円。3000円を笑うなかれ。

3000円を浮かす努力をした結果・・・僕は、翼を手に入れたのである。

ははは。僕は、どこまででも歩ける。僕はいくらでも歩ける。全部の荷物を背負って。

アルピニストとアルキニストの違い。

2019-06-26 00:36:19 | Weblog


先日、瓦屋の親方が来てこう言った。

「飯を食いに行こう。おごるよ」

僕はこう答えた。

「ライブ前だから、嫌だ。おれは、ダイエッターだって言ったじゃないか」

僕らは近くのホームセンターのフードコートへ出かけた。

親方はラーメンとたこ焼きセットを頼んで、もう一つたこ焼きとコーヒーセットを頼んで、コーヒーを僕にくれた。つまり、親方はラーメンと二人分のたこ焼きを食べていた。


ライブが終わって、また親方が来てこう言った。

「飯を食いに行こう。おごるよ」

僕はこう答えた。

「おらはダイエッターだって言ったじゃないか。次のライブは12月だ!」

さすがに、もうホームセンターへのフードコートへは行かなかった。


ライブが終わって、去年の暮れよりはだいぶ体重が減った。10キロくらい。
五ヶ月もかけて、無理もせずに健康的に減らしたので、十二分に健康ダイエッターだといえると思う。

まぁ、体重のことなんていうのはどうでもいい。太るものを食えば太るし、太らないものを食えば太らない。

ライブが終わっても、毎日歩き続けてる。
なぜか?それは・・・わからない。歩くのをやめたら、きっともう歩かないからかもしれない、すごーく無理をして歩いてる。昨日も今日も、きっと明日も。

近所を歩くのに、僕はリュックを背負って歩いている。
初めは、無人販売所や農産物直売所で野菜を買った時に、荷物を入れるためにリュックを背負って歩いていた。
だがしかし、夜に歩く時もリュックを背負って歩いている。夜に買うものなどない。つまり、意味もなくリュックを背負って歩いている。リュックの中は空っぽである。突然の雨に備えて、傘が入っている。ほぼ空荷のリュックなのである。

ライブが終わって、僕はおもむろにリュックサックのチャックを開き、2リットルの水が入ったペットボトルを詰める。1リットルのコーヒーが入ったペットボトルも詰める。
リュックサックを計りで計ってみる。リュックサックを背負ってみる。リュックサックを降ろして、1リットルのコーヒーを抜いてみる。ちょっと重過ぎる。1リットルを抜いて5.5キロのリュック。

「よし、一ヶ月毎に1キロずつ増やしていこう」

まるで、アルピニストのトレーニングみたいなことを始めたのである。

2キロの荷物がリュックサックに入っただけで、格段に歩きづらくなるという現実。姿勢が崩れて背中が痛くなるという現実。うーん・・・面白い。うーん・・・興味深い。うーん・・・背中が痛い。なるほど、こういうことなのか。

もしも僕が四国八十八箇所巡りをしたならば、10キロ以上の荷物を背負って1200キロを歩かなければならないのである。このくるいで弱音を吐いていては、全然ダメダメなのである。


瓦屋の親方が僕に聞いた。

「四国、行くの?」

僕は答える。

「行かないと思うよ。辛過ぎるだろ?」

まぁ、そういうことなのである。

たとえば、ロゼッタストーンとか。

2019-06-24 17:28:30 | Weblog


ゴールデンウィークに来客が多数あったとあう話を書いた。

高校時代の友人たちが来てくれた。

順風満帆な人生を送っているように見える友人たちも、意外と波乱万丈に生きている現実があり、それを知った僕が「人生とは本当におもしろい」と思ったという話をライブの時に話した。

我が家の庭にて。その日は大雨の一日で、シットリとした濡れた椅子に座ったり、立ったり、薪ストーブで暖まったりしながら・・・。

友人が言う。

「私は、もういつ死んでもいい。もう、やりたいことは全部やった」

それを聞いて驚いた僕は、彼女に問う?

「ほんとに?全部?」

少しだけ考えて、彼女は言った。

「ルーブルを観たら、死んでもいい」

ルーブルねぇ・・・と思いながら僕は問う。

「オーロラは?オーロラは見なくていいの?オーロラを見るまでは、おれは死にたくないな」

少し考えて彼女は言う。

「・・・オーロラねぇ。オーロラ・・・見たいなぁ」


おそらく、彼女は自分の死を意識したことがあるのだろう。死を意識したことがある彼女が、死を意識しながら生きることは、いいことだと思う。
いつだって、生の裏側には死があり、その逆も然り。生は、死があるからこそ輝く。

僕は、ルーブルよりもオーロラが見たい。
オーロラを見るまでは死ねるか!といつも思っている。

でも、彼女が死について語っている時に、僕はこう思っていた。
実は、オーロラのことなんて考えていなかった。

実は、新竹で食べた「糯米餃子」の事を考えていた。

「あの餃子をもう一度食べたい。あの糯米餃子をもう一度食べるまでは死ねないなぁ。死にたくないなぁ」

ははは。


ちなみに、僕がルーブル美術館へ行ったのは、二十歳を少し過ぎた頃。
なんといっても、僕は若過ぎた。モノの価値など分かっていない。今も分かっているとは言えないが、今よりも遥かに分かっていなかった。
そんな僕が見たルーブル。広過ぎて、小走りで観ても観終わらない。「でかすぎるだろ!?」と文句を言いながら・・・。

そう考えると・・・僕も、もう一度ルーブルへ行きたい。一週間くらいかけて、のんびりと周りたい。
今思い出すと、凄まじいものがたくさんあった。

あぁ、もう一度ルーブルへ行きたい。ルーブルへ行っても、死なないけどね。