ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

I've Sung For You

2011-03-18 02:47:30 | Weblog

届かない僕の言葉 届かない君の言葉
暗闇の光の中 手を伸ばし探すような
そばで手を握るような 温もりを分けるような
暗闇の光の中 手を伸ばし握るような

誰かの泣き声が聞こえた気がした
優しき海と風のその向こうで

音も立てずはぐれた空の色
君がくれた色とりどりのmy pictures and missing piece.
涙ならまだここに閉じ込めたまま
I’ve sung for you

空っぽの僕の詩は 空っぽの僕の唄は
暗闇の光の中 横たわる礫のような

君の泣き声が聞こえた気がした
眠らない街のその向こうで

音も立てずはぐれた空の色
君がくれた色とりどりのmy pictures and missing piece.
悲しみならまだここに閉じ込めたまま
I’ve sung for you

暗闇の中で、ポロポロと涙が零れた。

2011-03-18 01:43:35 | Weblog
「地震の夜、東京のあらゆる道路が車で埋まった。事故が起きない。海外のメディアは称賛した。違う。あれはパニック。家に帰りたいという静かなパニックだった。原発事故が露呈して店頭で品物が売り切れた。日本では強盗がない。海外のメディアは褒めた。違う。あれは強奪だった。お金を払った強奪だった。」(twetterへの投稿より)

石原慎太郎はこう言った。「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲。日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」

石原都知事の発言は直ちにバッシングの放火を浴び、都知事は謝罪した。「天罰」という言葉がやり玉に上がったわけだが・・・注視するべき言葉はそこではないのではないか。被災者に天罰がくだったなどと発言する政治家などいるわけがない。揚げ足取りのように、そこをクローズアップして騒ぎ立てるマスコミの知的レベルの低さには問題がある。注目するべきは、日本人のアイデンティティは我欲・・・という発言なのではないか。もし、日本人のアイデンティティが我欲ならば、それは果てしなく悲しいことだ。だがしかし、悲しいかな・・・それは事実だと実感する。

今、国中で物資が不足している。ガソリンも食料も懐中電灯も電池も・・・。国中の中には、もちろん被災地も含まれる。被災地には何もない。被災地は東北。氷点下10度にも届きそうな極寒の土地。被災地にガソリンや灯油や食料が足りないというニュースが毎日のように流れる。暖房の無い避難所で、毛布一枚で夜を明かす被災者。死者が出始めている。。
首都圏では、ガソリンスタンドに延々と車が並ぶ。計画停電が発表されて以来、スーパーやコンビニから食料が消えたという。被災地では、子供が餓死し始めている。
餓死の心配の無い人たちが列を作って食料を買い漁っている。

首都圏の電力が足りない。計画停電では乗り切れないほどの電気需要があるという。理由は、冷え込みによる暖房機器の利用による電力需要の増加。被災地の今夜の天候は吹雪だ。寒いのは誰だ?九死に一生を得て生き残ったのに、避難所で死んでいく人がいる。
多分、こういうことなんだろう。
普段通りの暖かい部屋と温かい食事。明るい部屋でテレビを観ながら、「被災した人たちは本当にかわいそうだね、何か出来ることはないかな?・・・おいおい、また停電するかもって言ってるよ。勘弁してくれよ」

原子力発電所の問題に揺れている。国土の半分以上が、放射能汚染の危険にさらされている。

「ラジオへの投稿で福島の高校生が「発電所のトラブルで、停電になってしまい全国のみなさんに迷惑かけてすみません」って。涙が出たよ。停電?大丈夫!こっちは大丈夫!って伝えたい。(twitterへの投稿より)

心優しき少女に教えてあげて欲しい。その原子力発電所が産む全ての電力は首都圏の人たちのものなんだよと。その原発が生み出す電力は1ワット足りとも、福島の人たちが使うことはないんだよと。原子力の危険は全部地方に押し付けて、都会の人たちが電力だけ吸い取ってしまっているんだよと。だから謝る必要なんて微塵もないんだよと。


日本人のアイデンティティは我欲である。津波でも押し流すことの出来ないほどの我欲である。石原慎太郎も、たまには的を射たことを言う。日本人は礼儀正しく他人を踏みつけにする。時に、死に瀕した人をも踏みつけにする。

旅をしていて一番恐いのは、あからさまに意地悪をしたり差別をしてくる人ではない。一番恐いのは、優しいふりをした優しくない人だ。それは、生きる上での話でもある。

日常まではまだ遠い。いつか被災地の人々からお礼を言われる日が来た時に、恥ずかしい想いをしないで済むような行動を、僕らはしなければいけないのだろう。義援金を送ることも出来る。でも、まずは、被災した人々から、食料を奪わないことだ。燃料を奪わないことだ。
お金を払えば何をしてもいい、法律に従っていれば何をしてもいい・・・そう思うこと、そう思っていること・・・それこそが我欲というものなんだと想う。