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まわる世界はボーダーレス

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「人権デューデリジェンス」、それって何?

2021-06-27 17:22:32 | ビジネス
シンガポールに「オンランサロン川端会議」という勉強会があり、2020年の10月のスタート時から参加させていただいています。ASEANやアジアの様々な情報を、月に2度ほど、議長の川端隆史さん(元外交官、NewsPicsを経て、現在米国リスクコンサルティングファームのクロールのシンガポール支社のシニアバイスプレジデント)が、いろいろな切り口で、独自の視点で報告してくれる会です。

参加メンバーはシンガポールにいる人だけでなく、日本や、中国や、タイで仕事している方も何人かいます。たとえアジアの中にいても、刻々と変化するアジアの動きは捉えにくいので、こういうところでアジア情報を、マクロxミクロの視点でキャッチアップしていく必要があると感じて、この会に参加させていただいています。興味のある方はこちらをご覧ください。

https://www.oneandco.sg/ja/community/kawabatakaigi/

2021年6月22日(火曜日)の夕方から開催された第18回川端会議の議題は「人権デューデリジェンス」でした。テーマはわりと直前に発表されるケースが多いのですが、今回のこのテーマは、正直、自分にとって関連があるのかどうかよくわかりませんでした。「人権」という言葉と、「デューデリジェンス」という言葉はそれぞれ聞いたことがあったのですが、両社が合体した「人権デューデリジェンス」という言葉を聞いたのはそれが最初でした。

この会議からの学びをベースに、個人的な感想などを付け加えて、まとめたものがこちらの文章です。「人権デューデリジェンス」に関して、これからの企業活動の中で重要な概念になると思ったので、少しでも多くの人に知ってもらっておいたほうがよいのではないかと感じました。私の文章で正確に伝わるのかどうかわかりませんが、とりあえず書いてみたいと思います。またこの中で、川端会議で実際に報告された内容以外の情報も含まれていることをあらかじめお知らせしておきます。

「人権」という言葉について

「人権」に関しては、新疆ウィグル自治区の問題やミャンマーの問題は連日報道されていたので、「人権」が各地で大変なことになっているなというのは感じておりました。

また、私は、香港に2007年から2011年まで住んでいて、その後も数年間は毎年何回か香港に行っていましたので、香港の自由が失われていく過程に、心を痛めておりました。香港では、天安門事件追悼集会が毎年開催されていたし、2014年には雨傘運動などもあり、2019年の民主化デモとその弾圧、2020年には香港国家安全維持法が施行され、そしてつい最近は香港の自由の旗振り役であったApple Daily(リンゴ日報)が歴史に幕を閉じるという悲しい出来事がありました。

香港が1997年に中国に返還された後も、報道の自由を追求していたApple Dailyは個人的にとても好きでした。若者に人気があり、日本企業の広告をこの新聞に掲載したことも何度かありました。巨大な権力に報道の自由が踏み潰されていく瞬間を目撃するのはとても辛い思いがします。

私は、ミュージカルとか演劇が好きで、特にミュージカルの「レミゼラブル」が好きということもあり、心情的には民衆側を応援したくなる傾向があります。民主化運動の中で歌われた、「香港に栄光あれ(願榮光歸香港)」の曲を聞くと、いつも涙が溢れてきました。



「人権」は、ウィグルや、ミャンマーや、香港だけでなく、世界各地で問題化しています。これは現代に限らず、古来から、征服された民族は、差別を受け、排除されるか、奴隷化するのが通例でした。現代でも、人種差別、性差別、児童労働、人身売買、強制労働など様々な形で人権は脅かされています。

こちらにご紹介するのは人権擁護組織、アムネスティの動画です。世界各地の人権に関わる問題が短い映像の中に凝縮しています。



最後の“What we are is up to us”(私たちのあり方は私たち次第です)というメッセージ、印象的です。

「デューデリジェンス」という言葉

「デューデリジェンス」という言葉に関しては、これまた個人的な思い出があります。数年前、私がいた東京の会社が、すでに上場していた会社から出資を受けるということがありました。わかりやすく言えば買収です。その時に身をもって経験したのが「デューデリジェンス」でした。

買収前には、相手側の財務内容だけでなく、あらゆることを徹底的に調べるというプロセスがあります。それを専門用語で「デューデリジェンス」と言います。経理財務などのことだけでしたらいいのですが、買い手側は、我々の仕事のプロセスや、考え方、コスト管理の考え方など、それまで私たちがあまり考えていなかった部分に遠慮なく踏み込んできます。私は当時会社の役員をやっていたので、デューデリジェンスという荒波をもろに被ることになりました。人権的な観点はなかったのですが、経営、財務、人事的な様々な方面からするどい質問を受けることになったのです。

それから何年か後に、今度は自分が買い手として、インドのローカル会社を買収するということも経験しました。インド人はただでさえ妥協をしない感じなのですが、M&Aのような法的交渉事になるとなおさらそうです。今度は自分たちが相手方に対してデューデリジェンスを行うということになりました。インドのローカル会社は、調べてみるといろいろとわけのわからないことが出てきます。ですが、向こうも交渉のプロなので、簡単には実態を開示しません。最終的にはお互いに妥協点を見つけて合意に至るわけなのですが、デューデリジェンスとは、やるほうも、やられるほうも大変だと身をもって感じたわけです。

今回の「人権デューデリジェンス」の話を川端さんに伺っている中で、これはM&Aの時に理解していた「デューデリジェンス」とはちょっと違うのではないかと気付いたわけです。

「デューデリジェンス」は英語の「Due Diligence」のことで、重要なM&A用語の一つです。もともとは、投資用の不動産取引、または企業合併や買収などで把握しておくべき情報、つまり「企業の資産価値」「企業が受けるリスク」「予想される収益性」などを、状況に合わせて適性に査定・評価する一連の義務活動となるのだそうです。企業M&Aや投資取引ではリスクが伴いますが、収益の見込みや正当な価値を含め、企業を総合的に評価することはとても重要なことです。そのための会社の身体検査のようなものなのですね。

これまで過去の経験から、デューデリジェンスというのは、M&Aの時に単発的に行うプロセスだと理解していたのですが、今回の「人権デューデリジェンス」の話を聞いて、それは、M&Aとは関係なく、企業評価を行うことで、「監査」とか、「企業の信用調査」に近い概念なのではないかと理解するに至ったのです。

「人権デューデリジェンス」はこれから日本で話題になる言葉

さて、「人権デューデリジェンス」なのですが、これは、企業の検査を、財務状況とかではなく、人権という観点で行うということなんですね。人権というと国家レベルの話かと思ってしまうのですが、実は、これは、欧米では、法制化されてい国も多く、企業活動としても非常に重要な要素になってきているということでした。

日本ではまだあまり話題に出てきていないのですが、議長の川端さんは「一般化2年説」ということを言われていました。あるテーマが巷でささやかれ初めて、2年経ってやっと一般化するということです。

「人権デューデリジェンス」というのは欧米ではすでに一般化してきている概念なのですが、日本はかなり遅れを取っている。日本は今年やっと「人権デューデリジェンス元年」と言えるかどうかということで、すでにいろいろと動きがあるけれど、これが一般化して、テレビとか週刊誌とかで取り上げられるようになるにはあと一、二年かかるのではないかということでした。

というようなことを聞きましたので、私としては、なおさら、これが一般化する前にこのテーマに関して触れておきたいと思ったわけです。

2021年1月、アメリカの税関当局が、中国の新疆ウイグル自治区での強制労働をめぐる輸入停止措置に違反した疑いがあるとして、日本のユニクロのシャツの輸入を差し止めていたという事件がありました。これも「人権デューデリジェンス」の世界的なムーブメントの中で生じた事象でした。

ミャンマーもクーデター後、国軍傘下の企業との取引を行ってきた外資系企業は、国軍の資金源となってしまうことを避けるため、撤退ないし業務縮小を余儀なくされています。

「人権デューデリジェンス」は実は2011年に国連人権委員会で承認されていて、各国政府や各企業での実質的なガイドラインとなっていたようなのですね。欧米では法制化がすでに進んでいて、英国では「現代奴隷法」という法律が2015年に制定されたそうです。他の国も同等の法制化が進んでいるそうです。「奴隷」というのはすでに死語となっていると思っていたのに、実態としては、人身取引や、強制労働はいまだに存在しているとのことです。

日本政府が対応を考え出したのはつい最近のことのようですが、まだ日本では法制化の動きにまでは至っていません。欧米に比べると日本の対応は周回遅れとのことです。

「ESG」の重要な一部としての「人権デューデリジェンス」

最近、「ESG投資」ということがよく言われるようになりました。E=Environment(環境)、S=Society(社会)、G=Governance(ガバナンス)なのですが、これまで企業は利益の追求を究極の善として考えていたのが、利益ではなくて、ESGが大切、つまりESGにしっかり対応していない企業は投資する価値がないというようなことになってきたわけです。

投資は英語で“investment”なのですが、その反対語が“divestment”というのも初めて知りました。投資家は、企業のESGの対応如何で投資を引き下げることもあるということなんですね。

このトレンドについては何となく理解していたわけなのですが、ESGと聞くと、環境への貢献、ダイバーシティ、インクルージョンのような部分だけを想像していました。しかし、「人権デューデリジェンス」という話を聞き、これもESGの重要な一部だったのだと気付いたわけです。

ESGや、SDGsの概念は、企業やその商品やサービスを超えて、広く地球環境、地域社会、関連するあらゆる国とその人々を包括していて、「誰も置き去りにしない」という「誰も」というのは、直接繋がっている人(従業員、家族、地域住民、ユーザー、顧客、取引先)だけでなく、間接的に繋がっている人(あらゆる末端のサプライヤー、生産地、我々の子孫たち)をも含む広い概念だったんだと気付いたわけです。そんなダイナミックな広がりの中にこの「人権デューデリジェンス」というテーマが浮上してきているというふうに理解しました。

「紛争鉱物」の話

人権デューデリジェンスの背景として、紛争鉱物の話も出てきました。紛争鉱物とは重大な人権侵害を引き起こす内戦や紛争や戦争によって武装勢力や反政府組織の資金源となっている鉱物のことです。このへんあまり知らなかったのですが、コンゴやその周辺のアフリカ諸国での鉱物資源はこの問題があり、欧米では紛争鉱物を製品に使わないようするというのが一般化しており、あるいはもし使っていることが判明した場合はその製品の不買運動に発展することもあったそうです。

『ブラッド・ダイヤモンド』(Blood Diamond)という映画のことも川端さんが話されていました。これは、2006年製作のアメリカ映画で、シエラレオネの内戦(1991年 - 2002年)での、「ブラッド・ダイヤモンド(紛争の資金調達のため不法に取引される、いわゆる紛争ダイヤモンド)」を巡るサスペンスです。レオナルド・ディカプリオが主演していて、2006年のアカデミー賞の数部門でノミネートされた作品です。トレーラーをこちらに紹介しておきます。



これは、シエラレオネ内戦時のダイヤモンドの取引に関連した話なのですが、実際に映画を見てみました。一つのダイヤモンドをめぐって血みどろの殺戮が展開されるのですが、武装勢力、強制労働、子供兵士などの人権テーマが臨場感溢れるタッチで描かれています。

この映画は鉱物と言ってもダイヤモンドだったのですが、本来の紛争鉱物とは、コンゴおよびその周辺国で採れるスズ(Tin)、タンタル(Tantalum)、タングステン(Tungsten)、金(Gold)の4つの鉱物がメインで、武装勢力の資金源となっていることが多いそうです。これら鉱物は、携帯電話や、パソコンや様々な工業製品に使われているので、アメリカでは鉱物供給元開示が数年前から義務付けられているのだそうです。

原料はできるだけ安く仕入れるべしという概念の崩壊

製造業のビジネスの基本として、原材料はできるだけ安く仕入れるというのがありました。許容できる品質の範囲で、より安く調達できる原材料や部品を探して、さらに買い叩くというのが購買部や調達部の腕の見せ所でした。結果的に、商品を競合メーカーよりも安くして、価格競争に勝つというのがかつてのマーケティングの基本でした。

ところが、紛争鉱物や、人権デューデリジェンスが一般化してくると、価格を無理に下げることよりも、これらルールをきちっと守ることのほうが重要になってきます。たとえそれを守ることで、価格的に高くなってしまったとしても、そのほうが社会的には評価されるということになります。単に安ければよい、安いほうがよい、というのは過去の概念になっていくのかと感じています。

しかし、もし世界の大半が人権デューデリジェンスをきちっと守った商品開発、製造を行なっていったとしても、人権デューデリジェンスを全く無視している国があって、その国で製造される製品が圧倒的な価格競争力を持って世界市場に送りだされる場合、市場原理がどのようになってしまうのか心配ではあります。市民が人権デューデリジェンスを理解した上で、不買運動とかで対抗できるのか、それとも安いほうがいいという大衆の力に負けてしまうのかよくわかりません。貧富の差はなかなか無くならないでしょうし、安いほうが歓迎される消費は残ります。その時、金儲けを追求する権デューデリジェンス国ないし、企業はどのような仕打ちを受けることになるのでしょうか?

人権デューデリジェンスが一般化した場合、それに適合しない会社はブランド力や信頼性を失っていくことは考えられます。日本の特にB2C系のメーカーの場合、人権デューデリジェンスの視点を十分理解し、サプライチェーンに関わる調達先の調査、見直しを行い、自信をもって開示できるような体制を目指していかなければいけなくなります。そうしておかないと、世界市場で、日本の携帯電話や家電が負けていったのと同じように、人権デューデリジェンスに対応していなかったからという理由で負け落ちていくメーカーも出てくるでしょう。

今後は、原材料を安く仕入れて利益を追求するというビジネスモデルが崩れ、人権デューデリジェンスを守りながら、価格は適正な価格にしていくということになっていくのでしょう。それを消費者や、顧客に受け入れてもらうためには、情報の開示ということが重要な要素になっていくのだと思います。

率先して人権デューデリジェンスに関しての情報発信をしていくということ

企業は、いろいろなところから叩かれるリスクを持っています。特に、人権デューデリジェンスに関わることだと、サプライチェーン上の調達先のさらにその先の調達先、そして物によっては、さらにその先まで調査し、状況を把握しておく必要が生じます。まったく関係なさそうな国の問題が実は関わっていたというような事態もありえます。

調達先の実態を徹底的に調べていくということが企業に課せられた義務となっていきます。企業は人権デューデリジェンスに関して、マニュアルを整備していく必要があるでしょうし、調達先や取引先に対してもそれを敷衍していくことになるのでしょう。

人権デューデリジェンスだけでなく、ESG全般への対応およびその考え方などは、対投資家や、顧客だけでなく、取引先や、従業員、地域社会に対しても率先して発信していくことが重要な時代になってきています。

ひとつの方法としては、信頼性の高い新聞媒体(およびそのオンラインメディア)を使って、従来型の広告ではなく、記事広告という形で、企業の考え方を開示しておくという方法も考えられます。企業規模によって方法は様々ですが、例えば、Financial Timesのアジアパシフィック版や、シンガポールだとBusiness Times、テレビ系のメディアだとChannel NewsAsiaなどのメディアを使って情報発信をしていくことも考えられます。このへんのアレンジは私のほうで可能ですので、ご興味がございましたら、お問い合わせください。一応こちらがフェイスブックページになります。

https://www.facebook.com/wings2fly.co

国際市場で企業活動をしていく企業は、このように対外的に情報発信していかないと、製品やサービスは評価されていても、企業の信頼性は評価されないという事態になっていく危険があります。そんなリスクを、この「人権デューデリジェンス」というテーマで感じました。ということで、このテーマが一般化していく流れの中で、もっとこれを掘り下げて、勉強していかなければならないと思いました。まとまりのない長文で失礼いたしました。最後までお読みいただき感謝です。何かのヒントになりましたら幸いです。

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