まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

2021の世界のクリスマスCM

2021-12-26 07:22:44 | 広告
毎年、クリスマスになると、世界中でクリスマスをテーマにしたコマーシャルが作られています。これに関して、記事を書こうと思っていたら、もうクリスマスが過ぎてしまいました。しかし、英語で“Never too late than never"と言われるように、遅くなっても、やらないよりはいいと思うので、何とか4点ほど印象的だったコマーシャルをピックアップしてご紹介したいと思います。

英国のデパート、ジョン・ルイス&パートナーズの「予期せぬ来訪者」

クリスマス前に少年が近所の森の中に着陸したUFOの宇宙人の少女と出会います。地球人と宇宙人という隔たりを超えて芽生えていく愛情。やがて壊れていたUFOが直り、地球を去っていく宇宙人の少女。映画のようなストーリーですが、プレゼントで心を通わせることの大切さをアピールしている作品です。



ジョン・ルイス&パートナーズとは、1864年創業の英国の老舗高級デパートで、毎年クリスマスの時期には、こういったコマーシャルを作っています。

コカコーラの「本物の魔法」

コカコーラも毎年優れたコマーシャルを作っていますが、今年の作品も感動的です。舞台となるのは、ちょっと寂れたアパート。クリスマスが来るのに住人たちは、みんな孤独で、つまらなそうです。一人で寂しいクリスマスを迎える老人もいます。このコマーシャルでは、母親と二人で住んでいる少年が主人公になるのですが、テレビでサンタクロースが煙突から入ってきてプレゼントを届けるというアニメを見て、あることを思いつきます。煙突のないアパートに、ダンボール箱で煙突を作ってしまおうというアイデアです。一生懸命、ダンボールを集めて、煙突を作るその姿に、アパートの住人も協力します。監視カメラを見ていた警備員も、この出来事を見て驚き、屋上に駆けつけるのですが、空に向かって伸びた煙突の一番上に、警備員が乗せるのがコカコーラの空き箱なんですね。壮大なダンボールの煙突ができるのですが、さてこの煙突で何がおきるかは、こちらの動画でご確認ください。



ダンボールの煙突を使って、老人の部屋に届けられたのは、このアパートで開催されるパーティーへの招待状でした。繋がりがなく、寂しい生活を送る住人たちが、少年の奇抜な夢で一つになり、楽しいクリスマスを迎えることができたというわけです。

ポーランドナンバー1のECサイト、アレグロ社の「本当に重要な事」というCM

アレグロはポーランドでは有名なECサイトなのですが、このコマーシャルも感動的です。娘が彼氏を連れてきて、父親に紹介するというところから始まるのですが、この彼氏が、刺青をしていたり、過激なファッションをしていたりすることで嫌悪感を抱く父親。娘の交際を認めようとはしません。この問題で、家庭内は険悪な状況になってしまいます。実はこの父親は病院で働く医師ということで、病院で懸命に働く姿が映し出されます。その中で患者を笑わせたり、勇気付けたりする一人の青年医師の姿が印象的です。とても人の良いその青年のおかげで病院は明るくなっています。ある日、父親が胸に挿していた万年筆のインクが白衣に溢れてしまいます。それを見て、青年医師はスマホでアレグロのサイトで何かを注文します。何とかもう一度だけ彼に会って欲しいと懇願する娘。そして、雪の降る夜、奇跡が起こります。



プレゼントを父親に渡す彼氏。それは万年筆でした。そして、その彼氏は、病院で働いていたあの青年医師だったんですね。マスクをしているし、腕も覆われていたので、わからなかったのですが、その彼だったとわかり、父親も交際を認めることになりました。人を外見だけで判断してはいけないということなんですね。コロナ禍でマスクを外した顔しか知らない人が多いですが、こういう時代だからこそ成立するストーリーです。

ドイツの通販サイトのメディア・マルクトの「サンタのヘルパー」

メディア・マルクトはドイツを中心にヨーロッパで展開する通販サイトですが、ここのコマーシャルはサンタクロースが主人公。プレゼントを準備するサンタクロースはクリスマス前で大忙し。妖精たちの助けを借りて、その準備はまるで工場のようです。いかにもドイツの工場のような感じで、作業は完璧に進んでいるのですが、一つの意味不明の手紙で作業は緊急停止。クリスマスにプレゼントをもらって喜んでいるという絵なのですが、それを解決するために一人の妖精が、メディア・マルクトに行けば解決するのではとアドバイスします。メディア・マルクトを訪問したサンタクロースおよび妖精たちが見たもものとは。



最先端の楽しいプレゼントの数々。そして、サンタクロースのそりも、最先端の巨大ドローンのような乗り物になり、これまで以上に迅速に効率的にプレゼントを届けられるというメッセージ。面白いですね。

これ以外にも、いろいろとあったのですが、印象に残った4点だけセレクトしました。アップルの雪だるまや、サムスン、アマゾンなどもいい作品を作っているのですが、ここでピックアップほどではないという感じでした。おそらく見落としている素晴らしい作品もあるかと思いますが、来年はもっと早めに準備してみたいと思います。

それではみなさまよいお年を。


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3回目接種を受けシンガポールから日本に帰国した私が感じた違和感

2021-12-21 16:41:00 | 新型コロナウィルス
シンガポールから日本に帰国してから2週間が経過し、自宅での待機期間が先週、無事に終了しました。ここではこの待機期間の実態に関して簡単にレポートするとともに、その期間に感じた日本でのワクチン接種やコロナ対策に関して感じたいくつかの違和感に関して書いておきたいと思います。

水際対策としての日本の待機期間
オミクロン株の世界的蔓延を防ぐため、水際対策が強化され、シンガポールから帰国の場合は、帰国後14日間の自宅あるいは宿泊所での待機が必要になっており、以下の項目を守ることが要請され、入国時、誓約書に署名が必要でした。
1)14日間、宿泊所又は自宅で待機。他者との接触を行わない。
2)14日間、公共交通機関を使用しない。
3)14日間毎日、アプリでの健康状態報告、通知が届いたら位置情報の送信、また指示が来た場合はスマートフォンのカメラをオンにして応答。
4)14日以内に有症状になった場合、「受診・相談センター」に電話連絡。
5)以下の感染拡大防止対策を行う。
  *マスクの着用
  *手指消毒、こまめな手洗い
  *3密を避ける

14日間は、「隔離期間」ではなく、「待機期間」と記載されています。完全な隔離ではなく、食料や生活必需品の調達のため、近所のコンビニなどに行くことは認められております。

シンガポールで経験した隔離

シンガポールでは、過去14日間滞在していた国によって、また国民、永住権保持者、エンプロイメントパス保持者などによって、条件が異なりますが、隔離機関中はホテルや自宅のドアから一歩たりとも外に出ることは禁じられていました。

2021年2月から後半に一時帰国からシンガポールに戻った私たち夫婦は、2週間のホテル隔離が必要でした。当時、隔離にはMOM(人材省)の許可が必要で、隔離施設(ホテル)での滞在費用と隔離終了時のPCR検査の費用の事前支払いが必要でした。PCR検査は、渡航72時間前と、シンガポール到着時にも必要でした。ホテルは自分では選択できなかったのですが、私たちが隔離を行なったホテルは、食事も含めて非常に満足のいくものでした。

その後、何度か条件は変更になりました。一時、日本に帰っていた妻が10月にシンガポールに戻る直前、日本からの渡航者の隔離期間は2週間が1週間に急に短縮されるということがありました。隔離先も、自宅か、自分で手配した宿泊先でよいということになっていました。

渡航者ではない私は自由に出歩けるので、私が1週間ホテルに滞在し、妻が一人で自宅で隔離することにしました。同じ旅程でない限りは、自宅隔離の場合、他の人間が一緒にいてはダメなのです。

妻は空港でGPS装置と、腕時計のようなGPS端末を渡され、隔離が終わるまでGPS端末を付けたまま生活する必要がありました。隔離期間中に一度、指定された場所でPCR検査を受けるための外出は必要でしたが、それ以外は、自宅から一歩も外出はできませんでした。

シンガポールの場合、隔離場所から勝手に外に出てしまったことが判明した場合、ビザの剥奪などの厳しい制裁が課せられる可能性があるので、隔離中はじっとしていないといけませんでした。

日本での待機期間の実態

日本の場合、入国時に誓約書にサインするのですが、待機期間中は、生活に必要な外出は認められています。しかしながら、一日に2、3回、アプリから現在地の確認連絡が届きます。時間はランダムですが、メッセージが届いたら、アプリのボタンを押さなければなりません。もし、待機場所から離れた場所でそれを押した場合、遠く離れすぎているので、待機場所に戻るようにという警告が表示されます。

一日に一度は、ビデオ通話で自分と室内の背景を約30秒間撮影しなければなりません。突然電話が鳴り、アプリの動画機能が自動的に立ち上がります。自分の顔を画面に入れて、30秒経つと自動的に通話は切れます。

この電話を受けそびれると、時間をおいて再度かかってきます。ビデオ通話は14日の間、一日一回必ず必要のようですが、一回以上はありませんでした。午前中のこともあれば、午後や夕方のこともありました。

また、健康状態報告で体温が37.5度以上だったり、発熱や咳などの症状はないかどうかの確認を一日一回アプリで報告しないといけないのですが、これを忘れていると、催促するメッセージが表示されます。

ということで14日の待機中は、この現在地確認やビデオ通話がかかってくるのが気になって、近くのコンビニに買い物に出るのもタイミングも注意が必要でした。いずれにしても、この14日間、アプリでの毎日の確認を何とか無事にクリアーできたので、ほっとしています。

ブースター接種と日本で感じた違和感

シンガポールから日本に帰ってきてから、いろんな点で違和感を感じたのですが、ワクチン対策という点で気になった点を述べてみたいと思います。

シンガポールでは数ヶ月前からブースター接種が始まっていて、私も10月20日に3度目の接種を受けました。二度目の接種が4月26日だったので、6ヶ月も経っていませんでした。日本が前倒しして7ヶ月とか言っていますが、それよりも短い期間です。ちなみにこちらが私のワクチン接種の証明書の一部です。3回ともファイザーでした。



シンガポールは、ブースター接種に対してはいち早く対応していて、60歳以上のブースター接種が始まったのは9月中旬のことでした。12月15日時点で、シンガポールのワクチン接種完了者(2回接種)は87%という世界でも最も高いレベルになっているのですが、3回目のブースター接種を受けた人はすでに31%になったとのことです。

「ワクチン接種完了者」(”Fully Vaccinated”)とは、現在、「二回接種完了者」を意味しているのですが、シンガポール保健省によれば、「三回接種完了者」に変更することを検討しているとのことです。

すでに10月にイスラエルが、世界で初めて、三回接種をもってワクチン接種完了者とするという決定をしたのですが、シンガポールをはじめいくつかの国がこれに追随する動きがあるそうです。

ワクチン接種が未だ行き渡っていない国がある一方で、豊かな国がブースター接種を行っているという批判もあるのですが、オミクロン株を防ぐための唯一の方法がブースター接種ということで、各国はブースター接種を急いでいるのです。

日本は、今月、医療従事者へのブースター接種が始まり、高齢者への接種が来年一月から予定されています。当初の予定から前倒しになっているようですが、シンガポールとかから見ると、ブースター接種に対する対応の遅れが気になります。

日本のマスコミ報道で、未だにワクチン接種は個人の自由であり、「打たない自由」が尊重されるべきで、同調圧力はよくないという論調がよく見られます。ワクチンが感染を防ぐ、あるいは感染しても重篤化を防ぐという効果よりも、ワクチンの副反応への恐怖がいたずらに強調されているのを感じました。

シンガポールでは、ワクチン接種は社会を守るためのものであり、強制力を持つものと考えられています。ワクチン未接種者は、外食もできないし、商業施設にも出入りできない(10月中旬より)のですが、それを差別だ、自由の侵害だという論調はありません。

国のあり方が違うので、単純に比較はできないのですが、日本の論調は、何か偏った思想のように見えてしまいます。

先日、NHKの朝の番組で、ブースター接種の副反応に関しての特集をやっていました。先行接種が始まった医療従事者が、ブースター接種を受けた後、熱が出たとか、倦怠感があったなどと話していたのですが、私はこれを見て、番組の意図に疑問を抱きました。

ブースター接種というまだ日本人が経験していないことを不安視するのはわかります。しかし、世界各国ですでに進んでいるブースター接種の結果を見ても、3回目の接種が、1回目、2回目の接種に比べて副反応の程度が特別であるというデータはとくにありません。

私の場合、2回目の時ちょっと微熱が出て、薬を飲みましたが、3回目は腕の痛みは1回目、2回目と同様にあったものの、それは想定内のもので、熱も出なければ、倦怠感もあまりありませんでした。

ワクチン接種後の副反応はあって当然のものであり、それをことさら強調するのは、ワクチン接種に対する拒否感を増幅するだけだと思います。ワクチンは、コロナ感染を防ぎ、仮に感染しても重症化しないことで命を守るという大目的があると思うのですが、その目的のためならば、副反応として通過すべき発熱や、倦怠感や、腕の痛みは、不安を感じるべきものではなく、むしろ通過すべき当然の事として受け入れるべきものなのです。

NHKの番組では、ブースター接種の副反応の不安が増幅され、結果的にそんな辛い思いをするくらいだったらブースター接種は、積極的に受けなくてもいいと思う人たちを増やすことに繋がっている気がします。テレビ番組で、このような報道をする時間があったら、ブースター接種の意義について論じてほしいと思いました。

日本のマスコミのこういう部分に違和感を感じました。

鼻マスクが許されていることに対する違和感

コロナ感染を防ぐためにマスクが必要だということは世界的な常識になっています。飛沫は防がないといけないし、空気中に漂っているかもしれないウィルスを体内に取り込まないための防御をするためにマスク着用は重要な対策です。

日本では、マスク着用時に鼻が出ている人を多く見かけて驚きました。シンガポールでもたまに鼻を出してマスクをしている人を見かけることはあるのですが、あちこちにマスク着用のルールの表示があり、商業施設などで巡回している監視員に、鼻が出ているマスクを注意されているのを目撃したことがあります。

そもそも、鼻を覆わないとマスクの意味がありません。口だけ覆っているのは、意味がほとんどありません。とりあえず、マスクをしているように見せかけているということでしかありません。

日本では、正しいマスクの付け方を指導したり、注意したりする部署も人もいないので、この問題は放置されています。

ニュースやテレビ番組でも、鼻出しマスクの人がよく映し出されます。喋っているうちにマスクがずり落ちてきてしまうこともあるのでしょう。しかし報道側としては、マスクがずれている場合、きちんと付け直して撮影し直すとか、そのように注意するとかしてほしいと思います。あるいは、マスクがずれているシーンはカットするくらいしてほしいですね。

テレビで鼻出しマスクが映し出されると、それでもいいんだと思ってしまいます。私の場合、正しいマスク着用が徹底しているシンガポールから帰ったばかりなので、鼻出しマスクに対してはとても拒否感を持ってしまいます。何とかしてほしいですね。

検温と手の消毒

シンガポールでは、飲食店や、商業施設、オフィスビルに入る場合、アプリでのチェックインが必要で、ワクチン二回接種の確認できないどこにも入れませんでした。それが日本では、チェックインしなくてもどこでも入れてしまうので、ちょっと不安になってしまいました。

チェックインはないのですが、検温と、手の消毒を義務付けている場所はいくつか経験しました。シンガポールもほとんどの場所で、検温が必要だったのですが、数ヶ月前から検温は姿を消してしまいました。どうしてシンガポールの感染対策から検温が消えたのかはわかりませんが、久々の日本での検温は、何か過去の時代に戻ったかのような気になりました。

手の消毒液は、シンガポールでもあちこちに置いてありましたが、建物に入る際に手の消毒が義務付けられるのはちょっと新鮮でした。ウィルスを室内に持ち込まないために、手についているかもしれないウィルスを除菌するということなのでしょう。

というような感じで、日本での生活が始まりました。マスコミではオミクロン株のニュースなどが叫ばれていますが、コロナ感染が早く収束して、再び経済活動が活性化し、海外への渡航が自由にできるようになることを祈っています。
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ラッフルズホテルのシンガポール・コーヒーと空に帰るエンジェル

2021-12-12 17:15:57 | シンガポール
シンガポールから帰国して10日が経ちました。シンガポールの記憶を整理するために、いろいろと書いておきたいと思いながら、14日間の自宅待機の期間もすでに半分以上が終わってしまいました。

記憶が鮮明なうちに書いておきたいと思っているのは、シンガポールを夜の飛行機で出発するその日にも訪問したSingapore Coffeeというカフェのことです。



そのカフェは、シンガポールのラッフルズホテルの敷地内の一階にあり、ノースブリッジロード側からも、中庭(コートヤード)側からも入ることができました。

私たちが夫婦で最初にその店を訪れたのは、11月5日の昼下がりのことでした。ノースブリッジロードに面した入り口のドアを開けようとしていたら、お店の女性が内側から開けてくれました。

シンガポールでは昨年からあたりまえになった追跡アプリでチェックインをした後、席に案内され、メニューはテーブルについているQRコードから見られることを知らされます。この一、二年で、シンガポールではスマホなしでは生活ができないようになっていました。

コロナ以前はQRコードを使うこともほとんどありませんでした。また、シンガポールでは、2021年10月13日からワクチン接種完了者(二回接種)しか、飲食店での外食も商業施設の利用もできなくなったのですが、スマホの追跡アプリのワクチン表示が必須となっていました。

店内は、ラッフルズホテルの雰囲気を活かしたクラシックでエレガントな雰囲気。天井についている南国のうちわが連なったような扇風機は、ラッフルズホテルのロングバーにもあったのと同じものでした。

たまたま店内でかかっていたBGMがシャンソンだったこともあり、雰囲気はパリのカフェという感じでした。

ラッフルズホテルには、100年以上前、英国の作家のサマセット・モームが滞在していたことがあります。彼はバンコクのオリエンタル・ホテルにも滞在していたことがあり、どちらのホテルにもサマセット・モーム・スイートという部屋があります。

彼が書いた「月と六ペンス」は、ポール・ゴーギャンをモデルとして描かれたと言われていますが、絵を描くために安定した生活を捨て、パリに行き、そしてタヒチに行くのです。

サマセット・モームもパリで生まれ、作家活動以外に、秘密諜報部員としても活動していたらしく、「007」のジェームズ・ボンドのモデルとも言われているのですが、そんな歴史の蓄積がラッフルズ・ホテルを特別なものとしています。

かつて私は、ロンドンやパリに何度も出張で行っていたので、パリのカフェや、ロンドンのティールームも何度も訪れていたのですが、このお店は当時の記憶が蘇ってくるような場所でした。

そこに来ているお客さんも、余裕のある雰囲気の人々が多く、コロナ禍でも、ストレスを抱えているような重苦しい雰囲気が全くありませんでした。それはまるで砂漠の中で遭遇したオアシスのような、蜃気楼のような場所でした。

そのお店をさらに特別な場所にしたのが、その日私たちを接客してくれた女性店員でした。私たちは一瞬で彼女の対応に魅了され、妻はそれ以来、彼女のことを勝手に「エンジェル」と呼ぶようになります。

私は飲食店の店員に過度な期待をしているわけではありませんし、お客さんを神様として対応することを強要しているわけではありません。

しかし、彼女の気配りとホスピタリティーの素晴らしさは、決して接客業という職業上のものではなく、天性のものだと私たちは感じました。声のトーン、話し方、態度、お店の商品知識、すべてが魅力的でした。店員という役割を超えて、一人の人間としての魅力を感じたのでした。

同時に、このようなスタッフを採用できたこのお店を羨ましくも思いました。どうしてこんな優秀なスタッフが、こういうお店で働いているんだろう。経営者がそのような人材を集めることに長けているのだろうか。ここで働くことに魅力を感じるようなモチベーションがうまく引き出せる仕組みとかあるんだろうか。自分の会社も、こういう人材を採用できていたら、どんなに仕事が拡大できていただろうかなどということも感じたのでした。



その日、私は、ローカルのミルクティーのテタレ(Teh Tarik)とバターミルクスコーンを、妻はコピシコソン(砂糖なしのミルク入りのローカルコーヒー)を注文しました。

ローカルのコピやテタレは、屋台街やフードコートでは100円くらいなのですが、ここでは何倍もします。中身はあまり変わらないのかもしれないのですが、容器や雰囲気で特別に美味しく感じられます。

フードコートや、ヤクンカヤトーストやトーストボックスとかのローカルのお店では、コピやテタレはわりと雑に作られます。溢れていてもあたりまえという感じです。

でもこのお店では、カウンターでまるでカクテルを作るかのようにエレガントに作られます。コピに入れる練乳もカクテルを作る時に使うメジャーカップで正確に測っていれていました。そこまでする必要はないかもしれないのですが、何かお店の心意気が感じられました。

ガラスのカップに入れられたテタレは、金色の金属皿に乗せられ、ベーシックなテタレが一気に貴族的な気品を身に纏った感じです。たとえて言えば、マイフェアレディで、卑しい素性のイライザが、外見だけではなく、心も身体も淑女になった感じです。味が通常のテタレとどれだけ違うのかは何とも言えませんが、とても美味しくいただきました。

また、バターミルクスコーンは、クロテッドクリームとストロベリージャムが添えられていて、こちらも素晴らしい味でした。

次にこのお店を訪問したのは、11月11日のことでした。この日もエンジェルが見事な対応をしてくれました。この日、私はお店のおすすめのコーヒーを注文しました。

普通のアメリカーノとかを注文しようと思っていたのですが、お店のブレンドコーヒーをサイフォンで淹れたものを勧められたので、せっかくなのでそれにしました。



フラスコのようなガラス容器にいれられてきて、それをショットグラスのようなガラスカップに注いで飲みます。酸味、濃さ、風味が秀逸で、ブラックでも飲みやすく、コーヒーってこんなに美味しかったのかと思うような味でした。

このコーヒーは複数のコーヒー豆のブレンドなのですが、オークでローストしたカカオとチョコレートの風味なのだそうです。

このコーヒーの名前が「優しい征服者」(Gentle Conqueror)というのも魅力的でした。その名前の通り優しいコーヒーの風味が、心まで虜にするということかと勝手に解釈しました。

私がこのコーヒーを味わっている間、店の片隅にある商品陳列コーナーで妻はエンジェルから商品の説明を受けていたようです。その説明がとても丁寧だったと妻は言っていました。

次にこのお店を訪れたのは、11月17日でした。エンジェルはいませんでした。別の男性の店員が対応してくれましたが、彼の対応も素晴らしかったです。

私は彼に「前、Gentle Conquerorを飲んだ」と伝えると、「前はサイフォンで淹れたのを飲んだのでしたら、今度はフィルターで淹れたのも飲んでみて、違いを確かめたらどうでしょうか?サイフォンよりもちょっと時間はかかりますが」という提案。彼のアドバイスに従って、私はコーヒーをフィルターで淹れてもらうことにしました。

正直あまり違いがわからなかったのですが、ちょっと味が濃いような気がしました。同じコーヒーをサイフォンとフィルターで飲み比べるという経験はなかなかないことでした。



この日、チョコレートロールケーキを注文したのですが、これも美味しかったです。店員の男性は、「本当のこと言うと、自分もこれが一番好き」と言っていました。この男性の対応も非常に好感が持てました。



次に訪問したのは11月23日でした。ランチタイムにはチキンライスや、ラクサなどのローカルフードがコピ、テタレ付きで提供されているというので、一度試してみようと思ったのです。私はシンガポールフライドヌードルを、妻はナシゴレンを注文しました。これもとても美味でした。この日はエンジェルも、前にいた店員もいませんでした。

ナシゴレンは、サテーや、プローンクラッカーもついていて見かけも豪華な上、美味でした。シンガポールフライドヌードルは、焼きビーフンのような感じですが、こちらも上品でとても美味しかったです。

海外で「シンガポールヌードル」というと黄色のカレー味のビーフンを何度か見かけたことがあるのですが、これはカレー味ではなく、中華風の味付けで、美味でした。

最後に来たのは、12月2日の昼下がり。この日の夜の便で日本に帰国するというタイミングでした。最後にもう一度エンジェルに会えるかもしれないと期待してこのお店に来たのですが、残念ながらエンジェルはいませんでした。



別の男性店員がいて、私たちは今日の飛行機でシンガポールを去ることを伝えました。その店員はそんなに親しいわけではないのに、驚いた表情で残念がっていました。

「ところであの女性スタッフは来ていないのですか?」と聞くと、「ああ、Hennyのことですね。今日は休みなんですが、次に来るのは土曜日。今日の飛行機で旅立たれるのでしたら来られないですよね?でも、やがて空の上で会えるでしょう」との彼の返事です。

「え、空の上?」と、私は尋ねました。
「そう、実は、彼女はキャビンアテンダントなんです」
「シンガポール航空のキャビンアテンダント?」
「そう、コロナで飛行機が飛べなくなったので、ここで働いていたんです。コロナが終わって、再び旅行ができるようになったら、彼女は空に戻ることになっているんです。あなたたちのことは彼女に伝えておきます」
という彼の話を聞いて、シンガポールを去る最後の日にすべての謎が解けた気がしました。何というドラマチックなエンディングなんでしょう。
彼女の対応が普通ではなかったのもそういうことだったからなんですね。

再びエンジェルがこのお店で働いている姿を、私たちは二度と見ることはないでしょうが、帰国前の短い期間に、彼女にこのお店で出会えたことは奇跡でした。

たまたまコロナの期間に臨時にこのお店で働いていたエンジェル。帰国前にたまたま数回訪れた私たち。彼女に会ったのはたった二回だけなのですが、彼女にここで出会ったという事実は、私たちにとってかけがえのない思い出となりました。

まるで、かぐや姫が月に帰ってしまうように、空に帰ってしまうエンジェル。シンガポール航空の制服を身に纏い、空の上で嬉々として接客サービスをしている彼女の姿を思い浮かべながら、私たちは彼女のような人に出会えたことに感謝するのでした。


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シンガポールから東京へ

2021-12-06 16:41:22 | シンガポール
長年住んでいたシンガポールから日本に帰国しました。シンガポールに住み始めたのは1997年。2007年に香港に転勤し、2011年に東京、そして2016年に再びシンガポールに戻る。シンガポールには合計で16年弱住んでいたことになります。コロナ禍になってから一度だけ帰国したのですが、今回は一年ぶりの渡航となりました。

オミクロン株の感染拡大を防ぐため、水際対策が強化されたさ中でした。一時、日本に到着するすべての国際線に関しての予約受付が停止されたりしましたが、すぐに撤回されるということもありました。

2021年12月2日の夜のシンガポール発羽田行きのANA便に搭乗。チェックインには、72時間以内のPCR検査の陰性証明が必要だったので、11月30日の午後2時半に検査を受け、翌日中に陰性証明の書類を入手していました。

シンガポールではかなり前から3回目の接種が始まっていて、私も10月に3回目の接種を受けていました。3回目までのワクチン接種証明書も出力して持っていましたが、今回の渡航ではこれが必要となることはありませんでした。

飛行機に乗るまでは、特に変わったことはありませんでしたが、チャンギ空港内の免税店やお店がかなり開いているのを見て、オミクロン株の脅威はあるものの、コロナ収束に向けての動きを感じたものでした。

ANA便に乗る時に、搭乗者全員に30周年の記念品が配られました。シンガポール羽田就航30周年なのか、正確にはよくわからなかったのですが、偶然この記念日に飛行機に乗れたことが嬉しく思えました。



機内で、通常の税関の書類以外に、誓約書などいくつかの書類が配られました。書類は典型的な法律文書の書き方で、読んで意味を理解するだけで頭が痛くなりそうでした。

しかもレイアウトが美しくない。内容がわかりにくい上に、読みにくい。機内では読みたくない種類の文書でした。



誓約書は、いきなり注意義務を怠った場合の警告が列挙してあります。どんなことを守らないといけないのかわからないうちに、これから言うことを守らなかった場合は、処罰を受ける可能性があるということがいくつか書かれています。何か脅迫されているような嫌な気分になりました。

表現が難しくわかりにくい上に、一行の行幅が長すぎる。行間が詰まっていて、読み手に優しくないレイアウトです。さらに無駄にアンダーラインを使っていたりして、さらに読みにくい。急に小さな文字で書いてある箇所があり、老眼の人はルーペを使わずには読めないだろうと思える箇所もあります。

さらに、名前や、パスポート番号、メールアドレスなどを書き入れる欄が小さすぎて、記入するのにとても苦労します。お役所の書類は、こういう書き手の立場を無視したものが多くて、悲しくなります。日本の工芸技術や、建築美術はこんなにも美しいのに、どうして公式文書では様式美や機能美が無視されるのかと泣きたくなりました。

誓約書は詳細を確認したい方は、オンラインでこちらで閲覧できます。
https://www.mhlw.go.jp/content/000836303.pdf

こういうのこそ、デジタル化してペーパーレス化してほしいものです。それ以前に、文章は簡潔に、わかりやすく、読みやすく改善してほしいですね。

これら書類に加えて、日本入国前に、「新型コロナウィルス感染症対策質問票回答受付」という厚生労働省のサイトで、質問に答えておく必要もあります。
https://arqs-qa.followup.mhlw.go.jp/#/
到着日、便名、座席番号、氏名、国籍、性別、生年月日、日本の住所、過去14日間の滞在地域(国)、過去14日間の発熱や咳の状況、体調の異常の有無、到着後14日間の待機場所、公共交通機関以外の移動方法を確保しているかどうか、メールアドレス、電話番号などこれらすべてを入力を完了すると、QRコードが発行されます。これのスクリーンショットを撮ってスマホ内に保存しておく必要があります。

空港到着後のわりと最初のチェックポイントで、このQRコードの提示を求められますが、これを行なっていなかった人たちは、その場で、このサイトにアクセスし、回答を入力しなければならないのですが、結構時間がかかり面倒です。

後で考えてみたら、このオンラインで入力した情報があれば、書類で同じような情報を書き込む必要もないのではないかと思いました。誓約書などに書き込む項目は、このオンラインで入力する項目とほとんどだぶっています。この情報を活用したら、もっとスムーズに入国者の管理ができるはずです。

到着前にやっておいたほうがよいのは、MySOS(入国者健康居所確認アプリ)というアプリと、接触確認アプリ(COCOA))の二つのダウンロードです。到着後にやってもよいのですが、ダウンロードしてパスポート番号、生年月日などを入力しておくと到着してからが楽です。これらは、14日の隔離中の管理で使用されるものですが、これがきちんとスマホに入っているかどうか、すぐに使える状態になっているかどうかをチェックされます。(COCOAのほうはよくわかりませんが、MySOSは14日間の隔離期間、ほぼ毎日お世話になるアプリとなります。

到着した羽田は雲ひとつない晴天で、昇ったばかりの朝日が眩しく、これから始まる日本での新たな生活を歓迎してくれているかのように思えました。前日までいたシンガポールの風景を思い出して感傷に浸っている間もなく、日本の現実が私たちを待ち構えていました。

所々に立っている係員の案内に従って、乗客は進んでいきます。いくつもの関門をクリアーしていかないといけません。書類がそろっているかをチェックする関門、QRコードがダウンロードできているかをチェックする関門、アプリがダウンロードできているかどうかをチェックする関門、などいくつかの関門がありました。

それぞれの関門で十数人のスタッフが待機していて、滞りなく乗客をさばいていこうとしている感じです。先月、「イカゲーム」を見たのですが、この入国のプロセスは、命を失う恐れはないものの、ゲームで次々とステージをクリアーしていくような感じがしました。「イカゲーム」では、次のゲームに向かうのに階段を登るシーンがありますが、次のチェックポイントに向かう自分を、その階段を登っているシーンに当てはめたりしていました。

クライマックスは唾液での感染検査です。小さな漏斗と、唾液を溜める容器を渡されて、選挙の投票所の記入ブースのようなブースで、唾液を出さなければいけないのですが、それぞれのブースの壁面に、レモンや梅干しの写真が貼ってありました。この作業は、まさに「イカゲーム」的な雰囲気でした。

この唾液が検査に回され、検査で陰性者だった場合、待合スペースの電光掲示板に番号が掲示されることになります。自分の番号を確認して、カウンターに向かい、ここですべての関門をクリアーしたことになります。やっと入国審査です。



入国審査や税関審査は従来通りのもので、そこを出ると、普通の日常の羽田空港でした。公共交通機関は使ってはいけないということで、ハイヤーを手配していたのですが、そこから先の行動は誰もチェックしていなかったので、ちょっと拍子抜けした感じでした。

入国審査までのあの異常なまでの水際対策は、税関を通過した後は全くなくなってしまっている。どうせなら、本当に公共交通機関を使わないかどうか最後までチェックしてほしいものだと思ったりしました。

その後、自宅で14日間になったら、MySOSのアプリで、1日に何度か現在地確認のボタンを押したり、ビデオ通話で自分の顔と背景を撮影しなければならなくなりました。AIが管理しているらしいですが、結構これは厳しいですね。

自分が隔離場所と指定した場所にいなかったり、アプリに反応しなかった場合、どのようなことになるのかわかりませんが、一回だけ対応できませんでした。アプリからの連絡がいつ来るかわからないですし、現地確認の音は聞き逃しそうな小さな音だし、すぐに出ないと受付てもらえないので、これは結構大変です。これも「イカゲーム」のゲームの一つのような気がしてしまいます。命を失うことはないですが、負けたくはないので、アプリからの指示を聞き逃さないようにしたいと思います。

ということで、まだ日本での生活は始まっているのかいないのかよくわからない状況です。ちょっと前までいたシンガポールの記憶がまだ鮮明に残っていますが、これからの新たな生活、頑張っていきたいと思います。


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