まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

デザインは死せず - Milton Glaserよ永遠に

2020-06-29 17:38:05 | 広告

2020年6月26日、”I💌NY“のロゴで有名なグラフィック・デザイナーの巨匠、ミルトン・グレイザー(Milton Glaser)氏が、91歳の誕生日に亡くなったというニュースがありました。

こちらの写真がミルトン・グレイザー、その人です。



6月4日に、たまたま、私のこのブログの「通りすがりの世界のアドマンたち(前編)」の記事で、ニューヨークの広告代理店WRG(Wells Rich Greene)の創業者の女性社長のメアリー・ウェルズ(Mary Wells)について書いたのですが、その際、彼らが残した最も有名な仕事としてこの”I💌NY“のキャンペーンを紹介しました。

事実関係を調べたら、次のような話でした。1976年、ニューヨーク州商務部からの仕事で、WRGがこのキャンペーンを受注していて、”I Love New York”というテーマでクリエイティブを展開することが決定していました。このキャンペーンのロゴがあった方がいいということで、ニューヨーク州商務部のウィリアム・S・ドイル(William S Doyle)が、ミルトン・グレイザーにロゴデザインを依頼することにします。直接依頼したのか、広告代理店経由で依頼したのかは定かではありません。

ミルトン・グレイザーが考えた案はすんなりと採用されたのですが、タクシーに乗っている時、別のアイデアが思い浮かびます。彼は、持っていた赤いクレヨンで、封筒に思いついたアイデアを書き記します。そして、クライアントのドイルに連絡するのです。

「もっといい案を思いついたんだけど」というグレイザーに、ドイルは言います。「もう案は決定しているし、みんなそれで動いちゃっているんで、もう遅いよね」
「でも、すごいアイデアなんだ。見るだけ見てほしい」
「どうかなあ、広告代理店の連中が何ていうかな?」
グレイザーの熱い語り口に押されて、とりあえず見てみることになります。

知性と美貌でマジソン・アベニューではスター的存在だったメアリー・ウェルズ、および、彼女の広告代理店WRGのスタッフ、そしてクライアントのドイルがみんなイライラして待っています。そこに到着したグレイザーは、何の前置きもなく、手に持っていた封筒の切れ端を見せるのです。

ニューヨークの歴史が変わった一瞬でした。

ニューヨークの70年代前半は、不況と、治安の悪さで、どうしようもない状況だったようです。ゴミ清掃員のストライキなどもあり、街には悪臭が立ち込めていました。何とかしなければということで、ニューヨーク州は、広告キャンペーンをして、雰囲気を変えようということになったのです。

グレイザーが見せたのは、封筒に雑に描かれたロゴの素案でした。
こちらがそれです。



すぐに、大急ぎで、今までのロゴを差し替える作業が始まったのは言うまでもありません。

このスケッチは、その後、ニューヨークのモダンアートミュジアムに作品として飾られることになります。7.3 x 9.2 cmの大きさの作品です。

若い恋人たちが、木の幹によくハートマークを彫ったりするのを思い出して、このアイデアを思いついたのだそうです。このハートのマークに、グレイザーは、アメリカン・タイプライターという書体を合わせました。「官能的なハートのマークには、カチッとした雰囲気の書体でバランスを取る必要があった」とグレイザーは語ります。

アメリカンタイプライターという書体を合わせたデザイン案がこちら。



当時は、コンピュータなどありませんので、デザイン作業は全て切り貼りです。このアナログの手作り感いいですね。私が東京の小さな広告代理店で働き始めた時も、80年代でしたが、デザインは手作業で、文字は写植(写真植字)と言って、文字だけ外注で印画紙に出力してもらっていました。また、インレタ(インスタントレタリング)というのもあって、上からこすって文字を紙に定着させるというのもありました。私は会社で余っていたインレタをデザイナーの人からこっそりもらって私用で使ったりしていました。アメリカン・タイプライターは特に好きな書体でした。会社に入ったばかりの頃、自分の詩集を個人印刷したのですが、その時、表紙に使ったのがこの書体だったのを今思い出しました。今、手元にないので、ご紹介はできないですが。

ミルトン・グレイザーは、書体(フォント)にも造詣が深く、1967年にグレイザー・ステンシル(Glaser Stencil)という書体を発表しています。このフォントを最初に使ったのがニューヨークのカーネギーホールのポスターだったそうです。

こちらがそのフォント。




ステンシルというのは前から存在していたフォントですが、グレイザーが現代風にアレジしたものです。太いのから細いのまで揃っていて、今ではコンピュータのフォントとしても入手可能になっています。

”I💌NY“の仕事を依頼された時点で、ミルトン・グレイザーはすでに有名なグラフィック・デザイナーでした。自分のフォントも作っているくらいなので、”I💌NY“のロゴ作成という仕事はまさに適任だったのでしょう。

”I💌NY“のロゴを作った時点で、数ヶ月のキャンペーンで使われるだけのものだろうと、グレイザーは思っていたそうです。なので、報酬を貰わなかったそうです。まさかこのロゴが世界中の誰もが知る有名なロゴになるとは思ってもみませんでした。

911でマンハッタンのワールドトレードセンターがテロで攻撃された後、グレイザーはこんなポスターを作りました。赤いハートの左下隅が黒くなっているのは、マンハッタンにおけるワールドトレードセンターの位置関係をイメージしています。”MORE THAN EVER”という言葉がついています。「今まで以上に」ということですね。



小さな文字で書かれているのは「どうか寛容に。あなたのこの街はあなたを必要としています。これは販売用のポスターではありません」という文字。

ロゴとして有名なのは、クラフトビールで日本でも有名なブルックリン・ブルワリーのロゴなんかもありますね。



1929年6月26日、ミルトン・グレイザーは、ニューヨークのブロンクスに生まれます。両親はトランシルバニア出身のユダヤ系ハンガリー人。トランシルバニアは、19世紀から20世紀初頭の歴史の中で帰属が揺れ動いた地域なので、両親はアメリカに夢を求めて移民してきたのではないかと思われます。

彼が手がけた作品で忘れてならないのは、ボブ・ディランのポスターでしょう。サイケデリックという言葉が流行っていた1966年の作品で、こちらもモダンアートミュージアムに展示されています。



60年代のアメリか広告代理店を舞台にしたドラマ「マッドメン」(Mad Men)のラストエピソード(シーズン7)のポスターも実は、ミルトン・グレイザーです。ニューヨークの広告業界と共に生きてきた彼にとって、集大成になるような作品ですね。



こちらはこのポスターを作成中のミルトン・グレイザー(向かって左側)。



そしてこちらは、仕事場のミルトン・グレイザー。「ベストな死に方は、仕事中に死ぬことだね」(“The best way to die is in the middle of your work”)と語っていたそうです。



安らかにお眠りください。
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世界のYouTube人気チャンネルの歴史を振り返る

2020-06-28 19:32:13 | YouTube
前回、「インドが目立つYouTubeチャンネル登録者数ランキング」という記事をこのブログで掲載したのですが、2006年から現在に至るまでの変遷をグラフでまとめた動画があったので、ご紹介したいと思います。こういうのはいくつもあるのですが、比較的わかりやすいのをピックアップしました。

Top 10 Most Subscribed YouTube Channels 2006 - 2020



前回の記事で紹介したインドの音楽チャンネルのT-Seriesが登場してからどんどん上に上がってきて、2019年の3月にそれまでトップだったピューディパイ(PewDiePie)とデッドヒートを繰り広げ、その後ぶっちぎりでナンバーワンになるというあたりの雰囲気がよくわかります。

YouTubeができたのは2005年のこと。2月14日、PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオで設立したということです。できてからまだ15年くらいしか経っていないんですね。その創業者の一人のジョード・カリムが、YouTube設立の時にアップした動画というのがこちら。



なんか、ぎこちない感じですね。でもこれが、原点です。

その年、”Smosh"という少年二人組が、ポケモンのテーマを投稿し、ヒットします。それが、こちらの動画。



このSmoshというのは、少年時代からの友人であったアンソニー・パディヤ(Anthony Padilla)とイアン・ヒコックス(Ian Hecox)によって創設されたコメディYouTubeチャンネルで、この歴史の中でもトップに長く留まっています。こちらが、そのチャンネル。

Smosh
https://www.youtube.com/user/smosh

アップルがiPhoneを発売したのが2007年のことなので、この頃のYouTubeの状況がどんなだったかあまりよくわからないのですが、この歴史の動画を見ていて、2008年に彗星のように現れて、2009年8月頃から2011年6月までトップに君臨する"Nigahiga"というチャンネルがあります。2015年の後半にこのグラフから外れていきますが、比較的長期にわたってユーチューバーとして人気を誇ったこのチャンネルのことが気になったので、調べてみました。

このチャンネルを作ったのは、ハワイ島のヒロ出身の日系アメリカ人のライアン・ヒガ(Ryan Higa )という人なんですね。高校の同級生のショーン・フジヨシや数人の友人と共にYouTubeチャンネルnigahigaを2006年7月20日に開始、オリジナルビデオの投稿を開始したのだそうです。当初は口パクのパロディビデオが中心で、その後のhow-toシリーズで世界的な人気を博したとのことです。こちらが、そのチャンネル。
Nigahiga
https://www.youtube.com/user/nigahiga

こういうユーチューバーがいたんですね。

最初にご紹介したのは、登録者数のランキングでしたが、視聴回数のランキングのグラフもありましたので、合わせて紹介しておきます。契約者数ではT-Seriesがピューディパイを抜いたのが2019年の3月だったのですが、視聴回数では、2017年にトップになっていたんですね。YouTubeの世界は、歴史がまだ浅いにも関わらず、すでに諸行無常の感がありますね。今後もどんどん変遷していくでしょうが、ますます目が離せません。

Top 15 Most Viewed YouTube Channels (2005-2020)



一位は、インドの音楽チャンネルのT-Seriesで、1億4千万以上の登録者数です。YouTubeの登録者数は、2013年以来、スウェーデン出身のユーチューバーのピューディパイ(PewDiePie)がトップを守ってきていたのですが、2019年の3月27日に、インドのT-Seriesにトップの座を奪われてしまうんですね。ピューディパイは、ゲーム実況で有名になった人ですが、最近では面白コンテンツの紹介が多くなっておりました。実は、昨年前半は、YouTube登録者数のトップの座を巡って、ピューディパイとT-Seriesが「大登録者戦争」(Great Subscriber War)が繰り広げられておりました。結果は、T-Seriesの圧勝に終わります。

1億人を超えているのは、今のところこの二つのチャンネルですが、ピューディパイは個人のチャンネル、T-Seriesは企業のチャンネルなので、ピューディパイは、個人のチャンネルとしてトップとアピールしております。

このランキングで、上位にランクされているチャンネルをご紹介しておきますと、3位のCocomelonはアメリカの子供向けのもの、4位のSET Indiaは、ソニー・エンターテインメント・テレビジョン(インドのヒンディー語エンターテインメントチャンネル)、5位の5-Minute Craftsは、DIY系のチャンネル、6位のWWEはプロレス、7位のCanal KondZillaはブラジルラテン系の音楽、8位のLike Nastyaはロシア系アメリカ人の女の子、10位のKids Diana Showはロシア人の女の子のチャンネルです。

50位の中には、エド・シーランや、エミネム、アリアナ・グランデ、テイラー・スイフト、ケイティ・ペリーなどの名前も見えますね。

この中で注目していただきたいのは、このランキングの中にインドのチャンネルがいくつも入っているということ。インドのチャンネルを赤ワクでマークしてみるとこんな感じになります。



1位 T-Series インドの音楽チャンネル
4位 SET India (Sony Entertainment Television) インドのヒンディ語のエンターテインメントチャンネル
9位 Zee Music Company Zeeテレビ系列の音楽レーベル
13位 Zee TV ヒンディ語のテレビチャンネル
24位 Aaj Tak ヒンディ語のニュースチャンネル(India Today系列)
44位 Sony Music India 海外資本のソニーの音楽レーベル、インドでT-Seriesに次ぐ位置付け
45位 SAB TV ソニー系列のテレビチャンネルで、コメディドラマ系

しばらくすると、このランキングもあっと言う間に変わっているかもしれませんが。インドは人口も多いので、インド系のチャンネルは今後トップを独占していくでしょう。

日本のチャンネルは、このトップ50の中には入っていませんが、やはり日本語という制約があるからなのでしょう。ちなみに日本の登録者数のツートップは、はじめしゃちょーと、ヒカキンTVです。はじめしゃちょーの登録者数は871万人、ヒカキンTVは854万人、世界の壁は厚いですね。インド系のチャンネルは、インド人しか見てないでしょうが、人口規模で叶いませんね。



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インドのミュージシャンのグル・ランダワ (Guru Randhawa)に注目

2020-06-26 16:12:06 | インド

先日、このブログで「インドのパンジャブ音楽が熱い」という記事をアップしてから、インドの音楽ばかり聞いているのですが、そんな中で、パンジャブ州出身のグル・ランダワ(Guru Randhawa)というすごいアーティストがいるのを知りました。こちらが最近の写真です。



彼は、シンガーソングライターで、ミュージックビデオも自分で登場しています。これまでのボリウッド映画のミュージックビデオは、映画俳優や女優が踊って、自分たちが歌っているように見せかけていますが、口パクで、歌い手も、作詞作曲も別の人がやっていました。彼の場合、これを一人でやっているところが画期的です。

しかも、これまでに何十曲かリリースしていますが、爆発的ヒットをしている曲が多い。トップの画像は、YouTubeにアップされている彼のミュージックビデオのサムネイルですが、再生回数がすごい。インドでは再生数をアピールしているサムネイルが多いですが、例えば一番左上の”High Rated Gabru”という曲は“930 million”。「9億3千万回」ということになります。ここにアップしてある14曲だけでも億超えです。

洋楽では、何十億というのもザラで、現在のところ一番多いのは、Luis Fonsiの”Despacito”で再生回数は68億です。日本では、米津玄師の「Lemon」が、現在のところ5億8千。単純に比較はできませんが、グル・ランダワは、インドの中では、圧倒的な人気を博しています。

まずは、9億3千万回という再生回数の”High Rated Gabru”という作品をご覧いただきましょう。



このビデオにTシリーズというロゴが出てきますが、昨年、YouTubeの世界のチャンネル登録者ランキングで世界のトップに躍り出た音楽チャンネルです。現在、登録者数は1億4300万人です。

グル・ランダワは、最初から売れていたわけではなかったのですが、急成長するTシリーズのチャンネルでミュージックビデオを発表するようになり、人気に火がつきました。

2019年4月19日、Pitbullとのコラボで”Sowly Slowly”を発表するや、24時間で3800万のYouTube再生という記録を樹立しました。こちらがその曲です。



ゴージャスな世界ですね。Pitbullとは"Mueve La Cintura"という曲をスペイン語でリリースしています。



さらに2020年に入って、イギリス生まれのパンジャブ系ミュージシャンのジェイ・ショーン(Jay Sean)をフィーチャーして、”Surma Surma”という曲を出しています。ジェイ・ショーンはアメリカでもヒット曲を出していて、日本公演もしている人ですね。



まだまだ沢山の作品がアップされているのですが、ここでは紹介しきれませんので、興味のある方は、YouTubeで、Guru Randhawaで検索してみてください。

インドの音楽状況はさらに拡大していくでしょうし、グル・ランダワもまだ28歳なので、これからも海外に打って出たり、新たなジャンルに挑戦していくのでしょうが、今後が楽しみです。引き続きウォッチしていきたいと思います。
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インドのパンジャブ音楽が熱い

2020-06-21 17:39:52 | インド

昨年、インドのクリエイティブチームが、スマートフォンのRealme(インドの新進気鋭のブランドで、インドでトップ5に入る)のコマーシャルの仕事で、チャンディガルに行ってきたのですが、その時、何故チャンディガルなのかピンときませんでした。しかし、調べてみたら、いろんなことがわかりましたので、ここでその断片をご紹介します。

まずは、Realmeのコマーシャルをご紹介しておきます。



Realme 5という2019年の8月に発売されたアンドロイドフォンですが、価格の割に機能満載ということで、歌詞の中にやたら機能が盛り込まれています。

これを作ったのが、チャンディガルにあるプロダクションなのですが、この地域に音楽スタジオや、音楽産業のインフラが集積しているというのがわかりました。

チャンディガルは、パンジャブ州とハリヤナ州の州都を兼ねている都市ですが、行政上は独立した連邦直轄領になっています。ル・コルビュジェの都市計画で作られた都市として有名ですが、インドの中で最も高い生活水準の都市となっています。

昨年の11月に、”Chandigarh Mein”というボリウッド映画が封切られました。音楽はパンジャブ音楽です。



歌詞は、「チャンディガルに家を買ってちょうだい」みたいな内容のようです。

映画に関しては、ムンバイのボリウッドがインドの中心地なのですが、音楽に関してはチャンディガルが中心地なのです。

もう少し正確に言うと、チャンディガルの南西に隣接しているパンジャブ州のモハリ(Mohali)という地域です。正式名称は、Sahibzada Ajit Singh Nagarという長い名前です。一般にはモハリと呼ばれています。チャンディガルの郊外にあたり、工場跡や倉庫跡を利用して、撮影スタジオ、音楽スタジオができ、音楽インフラが集まってきました。



以前は、パンジャブ州のジャランダールという都市がパンジャブ音楽の中心地でしたが、モハリが取って変わったようですね。
モハリには、Speed Recordsや、White Hill Musicなどの有名スタジオがあり、年間何百もの音楽が量産されています。

パンジャブ音楽は、もともとインドとパキスタンにまたがるパンジャブ地域のローカルな音楽と踊りでした。この記事のトップの画像が、昔のパンジャブ音楽のイメージです。しかし、今や、ボリウッドの音楽やダンスは、パンジャブ音楽とダンスに大きく影響を受けています。また、インド国内だけにとどまらず、イギリスや、北米でも人気になっています。

実は、パンジャブ音楽に注目が集まったのは、欧米が先でした。前世紀から「バングラ」という音楽ジャンルがありました。バングラデシュとは全く関係がなく、パンジャブ舞踏音楽のことです。「バングラ」のスペルは”Bhangra”で、「バングラデシュ」のスペルは”Bangladesh”。カタカナで書くと似てますが、rとlの違いですね。”Bhangra”はパンジャブ地方で古くから行われていた、収穫を祝う歌と踊りを意味していました。

パンジャブ人は、シーク教徒(頭にターバンを巻いた姿でお馴染み)が多いですが、世界中に移民で広がっています。シンガポールのラッフルズホテルのドアマンもそうですし、以前の香港の警察にも多かったみたいですね。アメリカでは、”Bhangra Blowout”というパンジャブダンスのコンテストが定期的に行われていて、アメリカ在住のパンジャブ人たち(もともとは学生が多かったですが)が参加するコンテストになっています。今年はコロナの関係で中止になってしまいましたが。

パンジャブ音楽(バングラ)は、特にロンドンの音楽シーンで注目を集め、それがインドに逆輸入され、パンジャブ州が音楽産業の中心地として隆盛していると思われます。

インドでは、”CROSSBLADE”(クロスブレード)というパンジャブ音楽のフェスも行われています。2018年にジャイプールで行われた、イベントはこちら。



盛り上がっていますね。パンジャブ州という地域に関係なく、パンジャブ音楽はインド音楽と言ってもいいくらいの人気となっています。メインスポンサーのGaanaというのは音楽ダウンロードサイトの名前です。

パンジャブ音楽は、トラディッショナルなものから、DJラップ系のもの、パーティソング、ロマンチック系など様々なジャンルがあるようですが、ユーチューブの視聴者数でインドのミュージックビデオとして10億ビューを最初に超えたのは、パンジャブ映画の”Laung Laachi”という曲でした。



現在では、11億ビューを超えていますね。内容的には、割と伝統的な感じですが、これもパンジャブ音楽というジャンルに入るようです。インドの音楽産業に関してはまだまだ書くべきことがいっぱいありますが、きりがないので、今日のところはこれくらいに。また気が向いたら(資料が集まったら)続きを書きます。
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