まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

『キングダム』に学ぶ経営論

2023-09-12 22:04:09 | 中国
『キングダム』は2006年から集英社の『週刊ヤングジャンプ』で掲載が始まった漫画作品で、2023年7月で69巻までシリーズが継続しています。また、2012年からアニメ化されて、2022年で第4シリーズまで放映されています。実写映画として公開されたのは、1作目が2019年。2作目の『キングダム2 遥かなる大地へ』が公開されたのは2022年。そして2023年、3作目の『キングダム 運命の炎』が公開されました。

私は映画しか観ていないのですが、ネット検索をしてみると、『キングダム』は、じつに多くのビジネスパーソンを虜にしていたんですね。会社経営や、組織論など、いろいろな専門家が極めて真面目な議論をしているのを知り、驚きました。

実は、『キングダム』とは全く関係ないのですが、最近、たまたま見かけた、遠藤功さんという方の『「カルチャー」を経営のど真ん中に据える』という本をパラパラと読んでおりました。会社を強くするためには、カルチャー、つまり組織風土を改革し、活性化させていかなければならないという話です。



この本の最後のほうに、経営者は「ホラ」を吹けということが書いてありました。「ホラ」とは、経営者が自らの夢や思いを熱く語ることであり、それにより、組織全体が熱を帯び、組織の熱量が最大化されていくというんですね。以下の画像は、その部分の抜粋を切り貼りしたものです。



この部分を読んで、これはまさに、映画の中で吉沢亮が演じていた嬴政(えいせい)が何度も言っていた「中華統一」というメッセージそのものだと感じました。この作品が、単なる歴史ドラマや、アクションドラマ、若者の成長物語というジャンルを超えて、経営論として捉えることができるんだなと思ったのです。

そんなわけで、この映画作品を経営論的視点で見直してみたいと思います。ネタばれになる部分もあるかもしれないので、まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。

1. 嬴政(えいせい)の中華統一というビジョン

嬴政は、趙の国で人質となっていた秦の王子、子楚(しそ)の子供として生まれます(本当の親は子楚なのか、呂不韋なのかと諸説あり)。子楚は、秦に戻り荘襄王(そうじょうおう)となるのですが、趙に残された嬴政は、屈辱的な子供時代を過ごします。

それを助けるのが、趙の闇商人、紫夏(しか)です。最初は王になる自覚も無く、長年の虐待のため感覚さえも麻痺していました。今でいう、PTSDですね。そんな嬴政を秦の国まで届ける途上で、紫夏は嬴政の精神的な救済を行います。

「あなたほどほど辛い経験をして王になる者は他にいません。あなたは誰よりも偉大な王になれます」という紫夏の最後の言葉で、嬴政は秦王となることを決意し、中華統一というビジョンが生まれるのです。



当時は、7つの国が乱立する時代で、西の外れの秦の国が中国全土を統一できるなどというのは、ほとんど実現不可能なことと思われていました。黄河流域の中原(ちゅうげん)には、魏や韓や趙など由緒ある国が存在していました。何百年もの間、いくつもの国が戦い合いながら共存してきたという歴史があるので、これを統一して一つの国にするなどというのは非現実的な夢でした。先にご紹介した遠藤功さんが言うところの「ほら」以外の何ものでもありません。

どんな苦境にあろうとも、嬴政はこのビジョンを首尾一貫、言い続けました。その熱量が、昌文君や、信や、王騎将軍などに伝播していきます。山の民の楊端和(ようたんわ)も、そのビジョンに共鳴して、嬴政に手を差し伸べることになります。

優れた人材が、まるで磁石に引き寄せられるかのように、嬴政の中華統一というビジョンのもとに集結してきます。金銭とか待遇で集めただけの人材は、好条件が他に示されればすぐに去ってしまいますが、嬴政のもとに集まってくる人間は、ビジョンを共有しているので、結びつきは盤石です。

「中華統一」というスケールの大きな夢が、多くの有能な人材を引き寄せるのです。そして、その熱量の大きさにより、それぞれが実力以上の力を発揮するのです。こういう言葉の力と、その発信力は重要ですね。

2. 秦の国ならではのイノベーション

秦の国は、歴史は長いのですが、西の端にある国でした。春秋戦国時代の文化的な中心地は、黄河中流域の中原と呼ばれている一帯です。

『キングダム』の時代には、孔子が亡くなって200年以上経っていましたが、儒教は国家運営にとっても重要な指針となっていました。孫子の兵法が書かれたのも同じくらい昔のことでしたが、兵法はかなり研究しつくされていたと思います。

秦の国は、異民族の地域と接する、辺境の地で、文化的にも遅れた田舎と思われていたと想像されます。数々のハンディを抱えた国なのですが、秦はそれを逆手にとって、次々とイノベーションを作り出していきます。

中原の他の国は、歴史や文化や伝統があるのですが、それが重すぎて、自由なイノベーションは生まれにくい環境となっていました。昔からのしきたりが新たなチャレンジを阻害していました。儒教をベースにした統治、封建制度など、それまで、それでうまくやってきたという歴史が災いしたのです。

秦はそういうしがらみがありませんので、儒教ではなく法による支配、郡県制などのイノベーションを可能にしました。今の時代からは想像ができませんが、当時としては、画期的なプラットフォームだったのだと思います。

秦は、文字や、貨幣、度量衡なども全国的に統一するのですが、いずれもすごいイノベーションだったのだと想像します。それまで、異なった文字や、貨幣や、異なった寸法、重さ、体積、容積の計量計測の仕方をしていたルールをすべて打ちこわして、新たな普遍的ルールを適用するわけです。

日本企業でも、会社の改革は内部の人間では限界があるので、外部の人間、あるいは外国人のほうが行いやすい場合があります。統一という大事業は、あまりしがらみのない秦だったからこそ可能だったのかもしれません。

システムとしてのイノベーション以外にも、軍事兵器のイノベーションもいろいろあったのではないかと想像します。例えば、弩(ど)という武器です。



上は「図説中国の伝統武器」(マール社)からの引用ですが、弓矢を横にしたような武器です。弓を引くときは、両足を使ったりするのですが、矢を射るのは、銃のようなレバーを引くだけというものです。通常の弓はかなりの熟練が必要なのですが、弩は比較的簡単に操作できるようになるというメリットがあります。

この弩は秦の国のオリジナルではなく、斉の国で孫子の兵法が記された頃、すでにこの武器の記録があるようなので、一般的に広く使われていたのかもしれません。

秦の始皇帝の埋葬品としての兵馬俑からも弩が多く発掘されていたようなので、秦がこれをよく使っていたものと思われます。映画の中でも農民が多く徴兵されるのですが、弓や剣術の経験の乏しい(また体力もそれほどない)農民でも、短期間のトレーニングで即戦力にすることができるというメリットがありました。秦はこういう兵器をうまく使っていたのではないかと思います。こんなイノベーションはあらゆる部分に存在していたと思われます。

3. ダイバーシティーとインクルージョン

嬴政自体の出自が、弟から軽蔑の対象となりますが、それを乗り越えて、出自や、身分、人種など関係なく、すぐれた人材をどんどん登用していきます。主人公の信も、どこの馬の骨ともわからぬ、奴隷出身の人間なのですが、実力で将軍になっていきます。

楊端和が統治する山の民は、言語も文化も異なる異邦人なのですが、彼らと何とか意思疎通を図り、共に戦う仲間にしてしまいます。コミュニケーションを取るのすら大変ですが、風習も、考え方も、戦い方も違う彼らを味方にしてしまいます。今の時代で言う、外国人の雇用やなどに通じるものがありますね。



今の時代は、ダイバーシティが企業経営として重視されますが、いろんな考え方をしている人間をあえてチームに混ぜることで、新たな発想やイノベーションが生まれてくるということを、この映画はあらためて教えてくれています。

さらに、楊端和が女性というところも忘れてはいけませんね。史実では男性のようですが、この物語では女性という設定にしています。女性リーダーに活躍の機会を与えているという点も見逃せません。

4. 優れた教育システム

映画の中では、断片的にしか紹介されていませんが、教育もしっかりと行われています。まず、主人公の信は、「天下の大将軍になる」という夢を持っているのですが、その可能性を認められて、ロールモデルでもある王騎将軍の元でトレーニングを受けるのです。3本目の映画の中で語られていますが、その教育の効果が現われて、「飛信隊」というチームのリーダーとなり、実戦で大活躍をします。

また、昌文君が軍師学校を作って、将来の軍師を教育しているということも紹介されます。そこで戦略を勉強するのが、河了貂 (かりょうてん)と、蒙毅 (もうき)です。生徒は二人以外にもいるのですが、二人は、俯瞰できる場所で実戦を見学しながら勉強するというエピソードが紹介されます。



この二つの事例だけ見ても、秦が教育を重視しているということが言えるかと思います。現状に甘んじることなく、将来を支える人材育成に力を入れているんですね。

5. まとめ

これだけでも『キングダム』の中のいくつかの事例が、企業経営にとっても重要なことを示唆していると言えるかと思います。エンターテインメントにこういう意味づけをするのは嫌だという方もおられるかもしれませんが、この作品からは、いろんなことを学ぶことができます。

この時代から見れば後世の三国志の武将たちも、日本の織田信長や戦国時代の武将たちも、秦や春秋戦国時代の事例に多くを学びました。

今の中国を見ても、イデオロギーを中心にした国家統一や、言論統制、科学技術への集中投資、覇権の拡大など秦の時代をお手本にしているのではないかとさえ思えることもあります。「中国統一」という言葉さえ、別の意味で使われるようになっています。

テクノロジーは進化しましたが、基本的な部分は二、三千年前の時代と全く変わっていなんですね。同じ過ちは繰り返さないようにしたいですね。
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映画 『キングダム』を観て、相関図をパワーポイントで作ってみました

2023-09-11 09:47:30 | 中国
映画『キングダム』を観て、とても面白かったのですが、覚えにくい漢字の名前の人物が沢山登場してくるので、関係を整理してみたいと思いました。ごちゃごちゃした情報を見ると、私は、整理整頓してみたくなってしまいます。

以前、カメラの英文カタログの編集を長年やっていたのですが、複雑な情報を、限られた紙面にバランスよく盛り込むのが仕事でした。情報が整然と配列され、写真やイラスト、文章が美しくレイアウトされた作品を作ることに快感を覚えたものです。

映画『キングダム』の1と2はテレビで観て、3はつい最近、映画館で観ました。2を観た後に、相関図を作りたいなと思っていたのですが、すでに3が公開されていたので、これを観終わってから作りたいと思っていたのです。

この映画は、コミックを実写化した作品で、コミックを読んでいる人にはこの先の展開もわかっていますが、私はコミックを読んでおりません。従って映画の情報のみをベースに相関図を作っています。

なお、映画をまだご覧になっていない方には、ネタバレ的な部分もありますので、映画の内容を知りたくない方は、読まれないほうがよいかもしれません。映画を見てから、もう一度内容を再確認したい方にご参照いただけるのがよろしいかと思います。

シリーズ3の後もストーリーはさらに進行していくので、相関図と言っても、シリーズ1、2から3が終わった時点でのものになります。この後、新たな人物が登場したり、人間関係が変化したりすると思うので、この相関図が有効なのは、4が公開される以前までということになりますね。

この相関図を作るにあたって、登場人物の人間関係をバランスよくレイアウトしたいと考えました。中央部には、この映画のストーリーの主役である信と嬴政(えいせい)、漂(ひょう)を配置し、その下に河了貂(かりょうてん)と羌瘣(きょうかい)を並べました。



右側には、敵対する相手を、配置しました。シリーズ1の王弟・成蟜(せいきょう)とその一派、シリーズ2の蛇甘平原の戦いで敵対する魏軍、そしてその下にシリーズ3の馬陽の戦いで敵対する趙軍を配置しました。



画面左側には、秦の中枢からは少し離れた位置にいる登場人物を配置しました。秦国の中枢にありながら、微妙な立場の呂不韋(りょふい)、山の民とそのリーダーの楊端和(ようたんわ)を左端に置きました。山の民は地理的にも西方の山岳地帯に拠点を置いています。飛信隊のメンバーも左下にまとめました。



キングダムには数多くのキャラクターが登場してくるので、この相関図に入れられなかった人物も数多くいます。人選に関しては、いろいろとご意見もあろうかと思いますが、ご容赦願います。(誤字や情報の間違いがあれば、ご指摘ください)

登場人物と同様にわかりにくいのが、国の名前と位置関係です。映画の冒頭で、物語の開始の時代が紀元前255年と示されています。そして中国は7つの国に分かれているという説明が入ります。

この物語が開始する数百年前から中国は多くの国が乱立し、春秋戦国時代という時代が続いていました。国の大きさや位置も、連続的に変化してきています。

細かい地形は無視して、この時代の7つの国の関係を図式かしてみたのがこちらの図になります。



キングダムは、秦の国の話です。中国では海から最も遠い西の外れに位置する話ですが、映画の1は秦国内の内乱の話です。西方の山の民も登場してきますが、クライマックスは首都の咸陽宮での戦いになります。

映画の2は蛇甘平原での魏の国との戦い。そして3は馬陽での趙の国との戦いです。最終的には秦がすべての国を打ち破り、中華統一を成し遂げ、嬴政(えいせい)が秦の始皇帝となるのです。

映画の3では、趙の国の闇商人、紫夏(しか)のエピソードが語られます。趙の国で人質となっていた嬴政(えいせい)を、趙から秦に送り届けるのが紫夏です。また、秦の呂不韋(りょふい)も、元々は趙の商人で、嬴政(えいせい)の前に秦の王になる子楚が趙の人質になっていた頃から援助することで秦での地位を確保するのです。「奇貨居くべし」という古事成語は呂不韋に起因しています。

実は、春秋戦国時代は、個人的には大好きでした。中国の話は、宮城谷昌光さんという作家が、この時代の小説をずっと書いていて、40代の頃から読みあさっていました。こちらが、その頃読んだ、宮城谷昌光さんの春秋戦国時代(もっと昔の時代の話もありますが)の本の一部です。



キングダムの時代に一番近い作品は、『奇貨居くべし』ですね。呂不韋の話ですが。大半が『キングダム』の物語よりも昔の話ですが、40代から50代の頃、わくわくして読みました。『キングダム』で中国古代、春秋戦国時代に興味を持たれた若者には、宮城谷昌光さんの本はお薦めです。

『孫子の兵法』も、孔子の『論語』も『キングダム』の時代よりも250年くらい前の物なので、『キングダム』の時代にはすでに古典となっていたんですね。しかし、史実では、嬴政(えいせい)が始皇帝になった後、紀元前213年頃に「焚書坑儒」という言論統制政策が行われ、書物が焼き払われ、儒学者を含む学者を生き埋めにしてしまいます。巨大な国家をまとめていくためには言論統制も必要だったんですね。

始皇帝は、法で国家をまとめ、万里の長城を築き、貨幣や度量衡や文字を統一するという画期的な業績を残します。10年以上前に、仕事で上海に出張に行くことが多かったのですが、上海の上海博物館に何度か訪れました。そこで始皇帝が定めた、長さ、重さ、体積を厳密に計測する器具が展示されているのを見て、感動したのを思い出しました。

中華を統一するという誰もなし得なかったスケールの大きな業績もあるのですが、寸法や重さなどの細かい部分の統一にも厳密さを求めていたというのはすごいです。

秦は中華を統一してから15年ほどで滅びてしまうのですが、万里の長城や、兵馬俑(へいばよう)の遺跡は、今の時代も中国を代表する観光地ですし、郡県制などの国家統治のシステムなども今の時代に通じるものがあります。

『キングダム』の嬴政(えいせい)がやがて中華統一という夢を実現し、始皇帝となっていくという結末を、私たちはすでに知っているのですが、次から次へと訪れる困難を何とか克服していく姿に私たちは感動を覚えるのですね。
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月にまつわるつきない話

2013-09-21 17:14:23 | 中国

中秋の名月でした。
香港も中秋節で20日の金曜日が祝日。
東京でも奇麗な満月が見えていましたが、
上の写真は、自分で撮った物ではなく、
ストック写真です。

日本人は、月の模様に兎の姿を見ますが、
これは古代中国でもそうでした。
しかし、日本では月のウサギは餅を
ついていると言われていますが、
古代中国では、杵でついているのは、
餅ではなく、薬だったのだそうです。
それも、不老長寿の薬なのだとか。

古代中国の神話に、「嫦娥奔月」
(じょうがほんげつ)という話があります。
「嫦娥、月に奔る(はしる)」と読みます。
嫦娥(じょうが)というのは、美女の名前。
こうげいという英雄の奥さんでした。
こうげいは、天空に太陽が10個出現した時、
9個の太陽を弓で射落として、地球を救った
と言われるスーパーヒーロー。

彼はある日、不老長寿の薬を手に入れます。
それを奥さんの嫦娥(じょうが)に預けます。
その薬を狙って、悪党が嫦娥に迫った時、
嫦娥はその薬を奪われまいとして、
自らが飲んでしまいます。
すると、嫦娥の身体は宙に浮き、
そのまま月に行ってしまいます。



こうげいは、必死で月を追いかけます。
もちろん月に到達はできません。
こうげいは、嫦娥(じょうが)のことを思い、
月を見上げ、お供えをしたのだそうです。
これが中秋節の始まりと言われています。

日本のかぐや姫のルーツのような話です。
竹取物語のかぐや姫も最後は月に帰ります。
育ててくれたおじいさんとおばあさんに、
感謝の印として残しておくのが、不老長寿の薬。
月で兎が製造していたやつでしょうか?

しかし、その老夫婦は「かぐや姫がいないのでは
長生きをしても意味がない」ということで、その
不老長寿の薬を日本で一番、天に近い山で
燃やしてしまいます。その山が不死山となり、
今の富士山(ふじさん)になったのだとか。
不老長寿と、月と、兎が結びつきます。

そういえば、中国は2003年から、月探査計画を
進めていますが、そのプロジェクトの名前が
実は『嫦娥計画(じょうがけいかく)』。
今年(2013年)の末までに、「嫦娥3号」という
衛星打ち上げが予定されていています。
月面への軟着陸を目指しているのだとか。

中国、今年中に月探査機打ち上げへ

嫦娥(じょうが)が月に昇った時の
こうがいの募る思いが、時を超えて、
今実現するという壮大なストーリー。
ロマンの感じられるネーミングです。
かつてのアメリカやロシアを宇宙開発で
凌駕するというのが、中国にとっての
不老長寿の薬なのかもしれません。

テレサテンが歌い、後にフェイウォンもカバーした
「但願人長久」(タンイェンレンチャンジュウ)
という歌があります。月を見ながら遠く離れた
相手に思いを馳せるという内容の歌です。
こちらはフェイウォンのバージョン。



人に悲歡離合(悲しみや喜び、別れや出会い)有り,
月に陰晴圓缺(曇ったり晴れたり、満ちたり欠けたり)有り,
此の事 古(いにしへ)より全(まつた)きこと難(かた)し。
但だ願はくは人、長久にして,
千里 嬋娟(せんけん)を共にせんことを。


という歌詞があります。少し意訳してみると、
こんな感じになると思います。

月が晴れたり曇ったり、
満ちたり欠けたりするように
人には喜びや悲しみ、出会いや別れがある。
こういうことは昔から、思い通りにならない。
ただ願わくは、遠く離れているあなた、
ずっとずっと元気で、
そして地球のどこにいてもこの美しい月を
ともにに眺めることができますように。


この歌詞に出てくる嬋娟(せんけん)という言葉。
これは月のあでやかで美しいことを意味していて、
月の別名でもあるようですが、月に住んでいる
という嫦娥のことも意味しているようです。
月には兎だけでなく、月に昇っていった嫦娥も
住んでいるんですね。

この歌詞は、実は蘇軾(そしょく、1036ー1101)
という北宋時代の有名な詩人の詩です。


実はこの人、蘇東坡とも呼ばれていたそうです。
この「東坡」という文字、どこかで見たと思ったら、
「東坡肉(トンポーロー)」の「東坡」でした。
豚の角煮の料理ですが、蘇軾の好物だったとか、
料理をしながら書道に打ち込んでいる間に
煮込みすぎて偶然できてしまったとか諸説あります。

月は、時代を超えて、国を超えて、いろんな
物語を映し出す鏡のような存在。
月を見ていると、古今東西のいろんな物語が見えてきます。

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シンセンへのセンチメンタル・ジャーニー(?)

2011-07-24 20:38:02 | 中国

土曜日に久々にシンセンに出かけてきました。
香港は中国に返還されたのですが、いまだに
パスポートも通貨も別々。シンセンは東京から
横浜に行ってくるくらいの感覚で気軽に行ける
のですが、外国なので、パスポート審査なども
空港と同じようにあります。

上の写真はシンセンの羅湖の駅で中国への入国
審査を終えて、ここから中国というあたりの
場所です。

ここから地下鉄で、二駅先の老街という駅に
行くことにしました。以前何度か行ったことが
あるのですが、お店がいっぱいある繁華街です。

前行ったときは、簡単に駅に入れたのですが、
今回は何だか混み合っています。見たら、
改札の手前で、空港のようなX線検査が。



危険物がないかどうかをチェックしているよう
です。これがその日だけのものなのか、それと
も恒常的に行われているものなのかはわかりま
せん。切符を買ってからX線検査でしたが、
切符の自動販売機もかなりの列で混雑していま
した。以前に買っているので、よかったのです
が、初めてだったらちょっと勝手がわからずに
どぎまぎしたでありましょう。

さてこちらは、老街の駅の中。以前に来たとき
よりすっかり変わっています。



以前に比べて大きくなったというか、何か複雑
になりました。ちょっと迷いそう。



以前は、かなり単純な構造でした。そしてこち
らが改札の出口。



ここを出てからも出口がいくつもあるので、
迷ってしまいそうだったんですが、何とかいつも
行く東門の屋台街へ。

さて、何か食べようかとリュックを探ってみると、
ポケットに入れていたはずの人民元の札が一枚も
ない!ここで私は食欲を失い、一気に青ざめます。

そういえば、香港のチムシャツイで駅のエスカ
レーターを降りた時、背中に背負っていたリュッ
クの一番外側のポケットのチャックが開いている
のに気付きます。あれ、閉め忘れていたのかなと
閉めたのですが、そこには人民元の札が日本円で
数千円分入っていました。

そういえば、エスカレーターに乗っている時、
後ろの人がやたら近い感じがしたなと思い出した
のですが、その時はすでに後の祭り。大事な物は
そんな場所に入れてはいけません。また、リュッ
クなどを後ろに背負うのも危険。人民元は取られ
てしまったのですが、パスポートが無事だったこ
とに感謝しました。



中国に来て人民元がまったくない私は、My Wife
に担々麺のような麺(9元)とミルクティーを
ごちそうしてもらったのでありました。

東門でDVDなどを買った後、羅湖商業城へ。
老街の駅でも、改札口のX線チェックでかなりの
混雑でした。このチェックはいつまで続くので
しょう。

電車で香港に戻ってきたのは夜の10時頃。
お金を紛失したこの旅は私にとって傷心の旅
でした。でもこのくらいはマカオのカジノなんか
に行ったら一瞬で失ってしまう金額ではあります
が。旅先ではお金や貴重品の取り扱いには十分
注意しましょう。短いけれどいろいろと勉強に
なる旅でありました。

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Good Morning, Shanghai!

2011-07-07 23:19:23 | 中国

上海のホテルの窓から見えた景色。上海の
シンボルでもある東方明珠塔が朝もやの中
に見えている。この国の経済力は朝日の昇
る勢いで成長していて、この遥か向こうの
東の海に横たわる島国のそれを越えて、
そのずっと向こうの太平洋の先にある世界
一の大国をもいずれ追い越そうとしている。

かつてこの国は、先進的な文明を持ち、
偉大な哲学や、芸術や、技術を生み出した。
それに憧れた東の島国から、どれほど多く
の日本人たちが、好奇心と野心に満ちて、
この国に渡ってきたのだろう。遣隋使や
遣唐使、シルクロードやマルコポーロの
時代からいくつもの歴史を隔てて、中国
は再び世界の文明の中心に戻ってきてい
るのかもしれない。

私は、7月の4日から短い旅程で、上海
に滞在しておりました。3泊4日の出張
でしたが、上海の某日系クライアントへ
のプレゼンテーションがあり、その前夜
は、準備のため、ほとんど眠れませんで
した。この年になっての長時間作業は
こたえます。

うちの会社の上海オフィスは、週末に引越
したばかりで、びっくりするほど大きく
なっていました。人数はまだ10人ちょっ
とですが、ここもやがて手狭になってしま
うことでしょう。しかし、こういうふうに
どんどんと成長していくオフィスを見るの
は気持ちのよいものです。日本ではなかな
か見る機会がないですね。

朝の7時過ぎ、上海のホテルを後にして
浦東の空港に向かいます。市内は渋滞して
いましたが、ハイウェイはスムーズでした。
市内から川を渡ったあたりに、上海万博の
跡地が見えていました。



以前、ブログではいろいろと上海万博の
ことを書いたこともあるのですが、結局
ここを訪れることはありませんでした。  

上海万博関係の過去の記事はこちらです。

上海万博のPRソング疑惑と岡本真夜 2010-04-20

上海万博PRソングのビデオ映像の批評的解説 2010-04-21

上海万博PRソング盗作問題は中国の山寨(さんさい)文化の氷山の一角 2010-04-23

上海万博は「中国人醜態展」と香港新聞が報道 2010-04-24

繆森(ミャオセン)の逆襲にみる逆転の戦略 2010-04-25

上海万博とは、中国の醜態を万国に知らしめるための博覧会? 2010-05-07

万博が終わった今は、その頃の喧噪も
忘れ去られてしまいました。



ハイウエイはスムーズに流れタクシー
はやがて空港に到着。



こちらは上海の空港。建物は立派ですが、
なかなか垢抜けないのは、そこで働いている
人や、乗客の態度やマナーなのが原因なので
しょう。

今、中国国際航空の飛行機の機内でこれを書い
ているのですが、周りの乗客は中国人の団体
ツアー客。まるで他人のことを気にせずに、
席を超えておしゃべりに夢中です。もう、
うるさい!という感じですが、中国人は
そんなにもおしゃべりが大好きなのですね。

インドもそうですが、中国人ツアー客が多い
飛行機のキャビン・アテンダントの人たちが
気の毒になります。着陸するやすぐに立ち上
がったりして、もう大変。

日本に着いたら、成田空港にこんなポスターが。



日本ってこんな国だったんだっけ?

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