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2013/12/31 ヒジハラ

君とぼく 2

2006-03-08 | ヒストリ:連載
今日は

ノー残業デー

のハズだったんですが…
なんで帰ってくるのが9時なんでしょうか。
ノー残業って何。
まあでも去年の今頃は職場を出るのが毎日11時頃だったと思うと、まだまだ早い時間ですな。

***

昨日は日本史で「男色=アブノーマル」であった時間は圧倒的に短いという所まで書きました。
一体どのくらい短いんでしょうな。
日本に男色を持ち込んだのは空海だといわれています。
空海は仏教を学びに遣唐船に乗って中国へ渡りますが、その頃の唐では男色がはやっていたのだそうです。
その当時の唐といえば最先端を走る国家。
一田舎(といってもいいでしょう)から出てきた空海がその様子を見て「大国の最新の流行」と考え、持ち帰った可能性が高い、んだそうな。
詳しい事は分かりませんが、空海の後も男色が絶えずに続いていくのを見ると初めは特に抵抗感もなく本当に「最先端のファッション」を受け入れるような感覚だったのかも…
どういった経緯で唐で男色が流行っていたのかは知りませんが、女犯を禁じ、また女性に対する"穢れ"の思想がある仏教の世界での流行はまあ想像できますな。
空海の帰国が806年、「男色=アブノーマル」という考え方が一般的になって来たのが大正ごろといいますから「男色≠アブノーマル」時代は超大雑把に見て1100年ほど続いていた、と見ていいんでしょうか。


…つーかさ、私は一体何を書いているんだろう…?(笑)

君とぼく 1

2006-03-07 | ヒストリ:連載
うあー!!どうなんねん『アンフェア』!!(笑)

先日久しぶりに『フィラデルフィア』という映画を見てたんですけどね。
映画が終ってもそのまま掛けっ放しにしてたら、突然『鬼平犯科帳』が始まって、久々に纏まった数を見たくなり、撮り溜めしてた『鬼平犯科帳ビデオ』を引っ張り出してきたんで・す・が!
中に入っていたのはNHKスペシャル『空海の風景』
その後に始まったのはNHK大河ドラマ『時宗』
……
えーと、なんだか自分の愚かさに打ち震えたのですが…
ちょっとね、大笑いだったんですよ。

『フィラデルフィア』 →エイズにかかった同性愛者の話。
  ※名作です。トムハンクスがこの作品で主演男優賞を受賞しています。
   因みにこの年の作品賞は「シンドラーのリスト」
『鬼平犯科帳』→「はぐれ鳥」 女を抱いちゃうめっちゃ強い女剣士の話。
  ※原作は違う題名だった気がする。
『空海の風景』→弘法大師は日本に男色を持ち込んだといわれている。
  ※…えっと…
『時宗』→平頼綱の北条時宗に対する献身的な忠誠心が誤解を読んだ作品。
  ※この作品で北村一輝が好きになりました

…なんだこの同性愛つながりは…(笑)
『時宗』という作品は高橋克彦が原作という事もあり、めっちゃ頑張って見てたんですが、現代的な平和主義と反戦主義を振りかざす鎌倉武士に嫌気がさして、途中で見るのをやめてしまいました。
番組のこのスタンスは相当不評だったようですな。新聞の投稿欄に「おかしくないか」という意見が載っていたのを覚えています。
それと共にめちゃめちゃよく覚えてるのが、時宗に尽くしまくる頼綱。
大河ドラマでのあの姿勢はめちゃくちゃびびりました。
あれは"ロイヤリティ"ではなくて"ラブ"の域に入っていた、と思う(笑)
別に同性愛を毛嫌いするとか偏見があるわけではないのですが、大河ドラマでこういうのを見るとちょっと違和感がありますな。
まあこれが現代的な感覚じゃないかと思われます。
しかし振り返ってみるに「男色=アブノーマル」であった時間は、日本史のスパンから見ると圧倒的に短いわけです。

つ、続く!

>昨日今日とサイトの方に拍手頂いた方、ありがとうございました!!

『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 4

2006-02-05 | ヒストリ:連載
***
『坂の上の雲』至上主義。
この作品に対する批判めいた文章は寸毫も許せない、という方はバックオーライでお願いします。そういう人にこそ読んで欲しいのも事実ですが・・・
読んでから不愉快になったと言われても困るのでここらで五寸釘。

***

先日は小笠原がスポットを当てることで敵前大回頭が大きな評価を受ける様になった、というところまで書きました。
これが昭和初期、日露戦争ブームの時期です。

小笠原の見方に対して異論が出なければ、それが海軍としての…いわば"公式"見解となるわけです。
まあ敵前大回頭や丁字戦法なんかが特に大きく取り上げられるようになったのは東郷平八郎の顕彰と軍機の秘匿の為だと思われますが…
封印された秘密戦史。
公刊された普通戦史以上の知識が無い専門家達。
これだけ見ても、部内でも『実際』に行われた日露海戦の戦史や戦訓を批評批判できる立場にあった人間は殆どいなかった。
日本国民で日露海戦に関する実相を知る人間などいなかった。
海軍という組織がある間は、もうこれは変えようの無い事実で有ったでしょう。

しかしながら昭和20年、日本は敗戦を迎えます。
軍関係の文書類はその時に大半が焼却され、またGHQに没収されました。
ところが当時のアメリカの政治情勢、国際情勢、日本の古文書の解読の難解さから、没収された文書の多くは日本の要請により返却され、昭和の33年からは公開されるようになった。
その時になって初めて一般国民でも秘密戦史が読めるようになったのです。
ただ非常に大部なものである為、読み込んで従来の見方を照査するのは難しかったのではないかと。
…繰り返しになりますが、存在を知らない人の方が多ったんですよ。
そしてそれは現在でも同じことが言えるようです。
日露海戦に関する知識は、多数が戦前から引き継がれているもの。
東郷ターンはそれほど重要じゃ無かった、丁字戦法は日本海海戦ではメイン戦術じゃなかったなんて言うだけで、袋叩きの世界です。

日露戦争に関する代表書である『坂の上の雲』だけを読んでいては、こういった事は分からないと思います。
この物語は不朽の名作だと思います。
素晴しい。
私にとっては色あせない、愛して止まない物語のひとつです。
ただ…
この作品が書かれてからもう30年近い年月が流れているのです。
新しい史料が発見され、新事実が解明されてきている。
司馬さんが『坂の上の雲』を書いていた時には分からなかったことも、分かってきているということです。
秘密戦史だって、その存在が広まってきたのは恐らくここ10年程の間です。
これは仕方ないことで、司馬さんを責める筋合いのものではない。
寧ろあそこまで外交、政治、軍事と入り組んだ世界を"小説"として纏め、紹介した事は最大の賛辞をあげての賞賛に値すると思います。

でも。
声を大にして言いたいのは、

『坂の上の雲』の世界が日露戦争の全てではない。

これに尽きます。
これは阿川弘之さんの海軍物に対しても思うのです。

真実だろう。しかしこれが全てではない。

日露戦争ひとつを取っても『坂の上の雲』・司馬さんと違う見方があってもいい。
違う近代史の見方があってしかるべきじゃないか。
日露戦争以前は善でそれ以降は悪なのか。
私は大声を上げてノーといいたいですよ。

来年か再来年か某放送局で『坂の上の雲』が映像化されます。
原作を忠実に、司馬さんの近代史観を忠実に、そのまま映像化するんでしょうか。
物凄く不安です。


もっと書きたいことがありましたが、止め。疲れました…
映像化がイヤだと思うのは私だけなんでしょうか。
みさわちゃんもどちらかと言うと批判的だったな。
他の人はどうなんだろう。
私は考えすぎなんでしょうか。



『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 1
『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 2
『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 3


『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 3

2006-02-02 | ヒストリ:連載
戦史。

その存在意義は戦争の様相、個々の戦闘の詳報や教訓を広く伝え、後の研究に資する点にあるといってもいいでしょう。
秘密戦史にも戦史編纂の一義にこれが挙げられています。
それが何故こんな形になったのか。
昭和の敗戦を迎え、海軍が解体するまで部内の人間にさえ容易に洩らせない機密中の機密があったのか。
それとも他に意図があったのか。
理由は良く分かりません。
しかしながら…戦史自体を、機密という形ではなく少なくとも部内の人間には閲覧を許可する必要があったのではないかと思います。

先日、話の引きで日露戦争の海戦史を編纂したのは小笠原長生だと紹介しました。
戦史編纂の為に、開戦直前に最前線にいた千代田から軍令部へと呼び戻され、それからずっと編纂の中心にいた人物です。
個々の部隊から送られてくる戦闘詳報を読み、また軍令部独自で収集している情報を纏める作業の核になっていたのが小笠原。
日露の海戦を全体から眺めた時、採られた戦略・戦術、個別の戦闘史に関して、彼ほど統合して情報を把握できた人間はいなかったか、いても僅かだったはずです。
そうした人物が、日露戦争ブームのさなかに雄弁に東郷平八郎を語り、日本海海戦を語る。旅順口閉塞隊を語る。
熱狂するなという方が無理な話です。

以前広瀬武夫関連の記事でも触れましたが、小笠原は東郷平八郎を神格化した人物なのですが、彼は時を同じくしてとある事に大きな評価を与えるようになりました。
それが、東郷ターンといわれる「敵前大回頭」です。
明治大正までは「急に方向を変えました」程度の扱いだったようですが、小笠原が光を当てることから大きく評価されるようになり、ここでの東郷平八郎が正に皇国の興廃を担う提督という姿となった様です。



***

……と、ここまで長々と戦史と小笠原の話を書いてきましたが、実は本題はここからです(笑)

『坂の上の雲』至上主義。
この作品に対する批判は寸毫も許せない、という方はバックオーライでお願いします。
読んでから不愉快になったと言われても困りますので、ここらで五寸釘打っときます。

***


続きまーす。

『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 1
『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 2
東郷平八郎の神格化


『坂の上の雲』の世界に関して思うこと 2

2006-01-31 | ヒストリ:連載
先日は日露戦争の海戦史には大きく分けて秘密戦史と普通戦史の2種類があるというところまで書きました。

国情や戦争に関する国家機密あり軍事機密あり、戦史が編纂された当時、公表できない事実が多数存在したのは確実ですので、公刊・非公刊戦史があるのは当然です。
ここで問題であるのは、現在"秘密戦史"といわれる『明治三十七八年海戦史』が海軍部内の中でも文字通り「秘密」扱いされ、海軍軍人でさえその存在を知らなかった所です。
存在が知られている上で関係者以外の閲覧を禁じるのと、
存在さえ知らないこと。
関係者でなければ閲覧不可能という点では同じですが、置かれている状況は天と地ほどに違うでしょう。
兵学校や大学校で戦史を教えられた際に機微に触れる事もあったでしょうが、実際には普通戦史以上の情報を多く得る機会は殆ど無かったのではないかと思います。
実際に戦争に参加した世代、特に幹部レベルであった人々がいる時代はとにかくとして、彼等が次第に鬼籍に入っていくと当然ながら、実情を知っていて且つ戦争を語れる人間がいなくなる。
ごく一握りの、一部の人間しか日露戦争における海軍の歴史の実相を知らないわけです。

大正末~昭和初期は20周年、30周年ということで日露戦争ブームが起こります。
日露戦争物ということで、この時期には多くの戦記物も出ている。
因みに水野広徳の『此一戦』がベストセラーとなったのもこの頃の話です。
さらにこのブログでも何度か登場している東郷平八郎が国民的人気を博すようになるのもこの頃。
こうしたブームの中、中心に位置していた一人が小笠原長生という人物です。
東郷平八郎の伝記や日露戦争に関する著作を多く出版し、講演し、教科書にも軍人の忠臣愛国話を執筆していました。
ちょうどこのブームの頃に出た『聖将東郷平八郎』(昭和9年)を持っていますが、その文章を見るとすらすらさくさくと違和感無くリズム良く読み進められるものです。
15・6歳で浄瑠璃や歌舞伎の台本を書いていたというだけあって、文章力も語彙も豊か。美文で国民を酔わせ、マスメディアからひっぱりだこになるだけのことはあります。

そして…
この小笠原こそが日露海戦史編纂の、実質的な責任者でした。


***


冷静に考えて…
ブログで日露戦争の海戦史に関して読みたい人なんているんでしょうか…
つーか、最近富に軍事関係の話が増えてきていますが、読んでいる人がいるんだろうか。