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広瀬武夫のこと - Between 2 

2005-11-29 | ヒストリ:広瀬武夫
昨日の続きです。


阿川弘之氏の名著「井上成美」を読まれた方も多いと思います。
物語の初め、以下のような一説があります。
帝国海軍に関し多くの著書を書かれている千早正隆氏が少尉の時代
「東郷元帥の大佐時代までの主だった閲歴を述べよ」
といった課題が出されたそうです。
しかしながら調べてみても特段目を引くことが無い。
正直に「結論としては何も無い」と答えたならば、その時の上司は


「うん、それでいい。東郷さんはそういう人なんだ」
と、地口をひとつ教えてくれた。
日露戦争のあと東郷さんから直接許しを得て、礼装姿の東郷元帥を商標に
している有名鋼製品、ドリル、カッター、工具材料用の「東郷ハガネ」、
あれを称してわれわれの間では「東郷バカネ」というのだよ、と。
対馬沖にバルチック艦隊を撃滅した偉勲は偉勲、それとこれとは別、一切
の批判を超えた偶像として東郷さんを見る必要はないということのようで
 あった。
 (『井上成美』阿川弘之)


昭和初期の東郷崇拝は異常といっても差し支えない程のものでした。
部内の小笠原長生(ながなり)という、えらく筆の立つ人物が『聖将東郷平八郎』やら『聖将東郷と霊艦三笠』といった伝記を通じて世間を煽っていたことも有りますが…

      右:東郷平八郎 左:小笠原長生

では世間はともかくとして、こうした小笠原の態度、海軍内部ではどう見られていたのでしょうか。
山内一善という人物が昭和16年の『有終』に

潤色度を過ぎ、往々誇大に失するものありて我が国の歴史を誤るものあるを憂ふる

 我官民が元帥を神として祭祀するに至りしも、亦小笠原子が多年元帥の宣伝に努力せし効果の甚大なるものある

という批判文を寄せています。
『有終』は有終会の機関紙。有終会は現役をリタイヤした海軍将校の親睦団体。
山内一善は秋山真之の同期で山本権兵衛の娘婿(財部彪の義理弟)。
日露戦争にも第一艦隊の参謀として参加していました。
そうした人物が、昭和16年という微妙な時期に東郷平八郎への行き過ぎた崇拝熱を批判する。
上司が部下に『井上成美』から引用したようなことを諭す。
これは恐らく大正末か昭和初めだと思われますが、その時代の、一部を除く海軍軍人がどういった目で"ブーム"を見ていたかが伺われる話であります。

そうして翻って考えてみると、これは東郷平八郎だけに関する話ではない筈だと思うのです。
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