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2013/12/31 ヒジハラ

花井虎一のこと ~お奉行様!補

2007-10-29 | ヒストリ:連載
※サイト掲載済。こちらのほうが読みやすいです


花井虎一のこと、ということで、今日は久しぶりにがっつり歴史話になります。
題の通り、お奉行様!の外伝扱いにします。わはは。大仰だな(笑)
ああああ…しかしこの連載も再度止まって幾久しく(大汗;
先日友人に「お奉行様!の続き…」とささやかれて、
……笑ってごまかしました…(笑)

花井虎一と書いて、覚えてらっしゃる読者様、どれ程いらっしゃいますでしょうか?
鳥居耀蔵と蛮社の獄の流れを書いた時に出てきた人物であります。
この人物の名前が何故知られているかというと蛮社の獄で渡辺崋山が逮捕されるきっかけを作った、という一点につきます。
蛮社の獄に対する評価、渡辺崋山らへの歴史的評価、更に高野長英が書き残した(悪意とバイアスのかかりまくった)花井の人物評、また花井が加担した鳥居の人物評から花井虎一の扱われ方というのは、どう贔屓名に見ても悪いものであります。
先日とある方からどういった人物であったかという旨のお問い合わせを頂きまして、ちょこちょこと花井の事を調べておりました。
本来ならばコメント欄でお返しする積りでありましたが、意外な発見がありましたので、せめてこのブログを読んでいる方にも知って頂きたいと思い、ひとつの読み物として書き出したいと思います。



花井虎一(寛政5(1795)年生か)
 ・名 :一好、通称:虎一
 ・役職:御小人(柳田勝太郎組所属)、
     →目付支配。走り使い・用品の運搬を主務とした。
      中間の下位に置かれ、総数およそ450~500人。役高15俵1人扶持。
      最下級に位置する幕吏。
 ・役職:御納戸口番(1839年)→学問所勤番(1840)→長崎奉行所与力(1841)
 ・岳父が御子人目付の小笠原貢蔵。小笠原は鳥居耀蔵の部下
 ・蘭学者・宇田川榕庵の門下生、渡辺崋山とも交遊あり

人物に関する基本データはこんなものでしょうか。
というかこのくらいしか分かりません。
まあどういった経緯で渡辺崋山らを"密告"したかは、繰り返しになるのでここでは書きません。
が、さわりだけ書きますと、渡辺崋山が検挙される切っ掛けとなった事件に「無人島渡航計画」と云う計画がありました。
内容は「小笠原諸島の変わった奇石、奇木を売れば大儲けできる」という他愛のない、しかも崋山とは何の関係のない計画だった。(しかもお上には渡航申請中)
これが「崋山らが無人島への密航を計画している」という形に潤色され、花井を通じてその上司(小笠原貢蔵)の上司である鳥居耀蔵に"密告"され、崋山の逮捕と相成った。
崋山は逮捕後即時揚屋入り(入牢)となり、北町奉行大草高好の取調べを受けることになります。
そうするとですね、段々分ってくるわけですよ。
崋山は密航計画とは関係ないと云う事。花井の証言のでたらめさ…
大草奉行は崋山が鳥居に嵌められたと云う事に薄々気がついていたようで、取調べの際についにこう言い放ちます。
「其方意趣遺恨ニテモ受候者有之哉」
誰かの恨みでも受けたのではないか、と。
この時点でほぼ無罪確定であった崋山が何故自刃することになったのかは、「お奉行様!第22夜」をご覧下さい。
これで花井虎一という人物の大体の位置はお解かりいただけるかと思います。



まぁ通説ではこうなっていますし、私も「お奉行様!」で花井はスパイ、と云う書き方をしております。
個人的にはスパイという書き方で、そんなに間違ってはいないと思っております。
ただ上記しただけの事を見て「悪人か」と問われると、やはり「ちょっと待って」と思ってしまう。
冷静に見れば花井は時の権力に就いただけの話であります。
重役に逆らえるヒラがどの位いるんでしょう?聖人君子じゃあるまいしその立場に立ったら誰だってそうするんじゃない?そう思って、取り立てて花井を悪人とは思わないと先日コメントさせていただきました。

通説では、花井が崋山らを"密告"した事になっている。
これは
1)「蛮社遭厄小記」
2)鳥居耀蔵の告発状
が根拠となっているものです。

1)「蛮社遭厄小記」
「遭厄小記」は高野長英の著で岩手前沢にいる従兄弟に送られた、蛮社の獄の顛末を綴ったもので、事件の結末をみるのによく引用される一史料であります。
花井の密告に関しては「支配頭鳥居氏ヘ訴出ケル」という記述が。
しかしこの書には幾つか問題がありまして…
1つ目が長英入獄中(3年目)に書かれた物であると云う点。
どういう事かと云いますと、長英に伝わっている情報が必ずしも正確ではない。憶測で書いている部分も、勿論誤解もあります。
…正しい情報が伝わっていなかったのか、正確な情報を知った上で故意に捻じ曲げて書いているのか。
その辺りは私には分りませんが、とにかく記述上誤っている点がある事。
2つ目が『被害者』である長英が書いているため、『加害者』側を見る時には強いバイアスが掛かっているという点。
この書物の中で書き出される花井虎一像は「貧慾愚昧ノ蠢物」と酷いこき下ろし様です。
なのですが…
花井に関して言いますと、長英の「遭厄小記」が史料批判されることなく引用されている色合いが強い。

つ、続く~!(またかい)



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君とぼく 6

2006-03-19 | ヒストリ:連載
先日はプレイボーイ?藤原頼長はバイだったという話。

男恋人を得るのに手段を選んでなかった、という事ですが、さてさて一体ラブレターを送ること以外にどんな事をしていたんでしょうか。

ある春の事。
藤原頼長(25)は恋人・三位中将花山院忠雅(交際2年目)と同じ車に乗って藤原隆季(18)の屋敷へと向います。目的は隆季君をゲットする事。
一応お屋敷に泊まる事は泊まったのですが…特に何もなく夜が明けた時点で帰宅。
曰く
「去年から手紙送ってるのに梨の礫。それでも今日初めて会えた(喜)」

新しく恋人を獲得するのに、何故今付き合っている人と泊まりに行くのか…?
忠雅を同道した理由は隆季を紹介してもらうためでした。
少々理解に苦しみますが…
頼長の思いは成就したのかといえば、最終的には成就いたしました。
お泊り会から3年後の事です。その間の努力はというと、

・ラブレター作戦
・忠雅の斡旋
・陰陽師の祈祷
・呪符の携帯

な、涙ぐましい…
3年もこんな事を続けられた隆季君は諦めたのか、はたまた怖くなったのか(笑)、ついに頼長を受け入れます。
頼長はよっぽど嬉しかったのか、陰陽師にご褒美として宝剣を与える喜びぶり。

こんな事に陰陽師を使うのはどうかと思いますが。

しかしながら隆季からは、こんなお手紙(和歌&漢詩)が…曰く

「賀茂社へ百度参詣し、とある事を願っています。早くかなえられるといいなあ」

頼長のお返事は、曰く

「貴方のお参りしている賀茂社は早く願いを叶えてくれる神様です。今冬には近衛府の職にも就けるでしょう」

要するに
隆季→就きたい仕事がある
頼長→隆季が欲しい
この辺りで、隆季が妥協したというところでしょうか。
そ、そこに愛はあるのかぃ…(古過ぎる)
ここで研究者から一言。

「讃(隆季)が頼長の弄びものになったのは、なんといってもこのような下心によるところが大きかったのであろう」(東野治之)

あー 興ざめ(笑)

ここで性を武器に出世を狙ったツワモノ♂はいたのか、というお題に決着はつきますか。
能動的では無かったにせよ、結果的には自分の出世と男色関係が結びついている例でした。


君とぼく 1
君とぼく 2
君とぼく 3
君とぼく 4
君とぼく 5

※サイトに纏めて掲載しています。

君とぼく 5

2006-03-15 | ヒストリ:連載
藤原頼長が書き残した日記・『台記』。
江戸時代から結構有名だったそうです。
何でって、

詳細な男色の記事が残っている事で。

……
…えーと、えーっと……あっはっは。
どう詳細なのかというと、お相手の身分、名前やどうエチーしたのか、そしてその感想まで書かれているのですわ。
名前が分かっているというだけでも何だか奇跡のような気がしますが、名前を書き残された方には何だかお気の毒に、という感じがしたりしなかったり。
(名前が分かっている貴族は7人、その他には身分の低い雑色などがいたそうです)
しかしながら男色の相手が多いからといって頼長が女性を愛さなかったかといえば、そうではなかった様子。
彼は非常な愛妻家でもあり、正妻のほかにも3人の愛妾を囲い?、春を鬻ぐ女性とも遊び…
何となく不思議な感じもします。

しかしながら主力はやはり男性だったのか・・・?
女性の愛を獲得する方法と男性の愛を獲得する方法はあまり変わらなかったらしいです。
つーか、選択肢が無いか(笑)
まあ当時としては…方法はひとつですわな。
ラブレターです(笑)電話も無きゃメールも無い世界。
頼長は日記には女性を口説いた事が分かる記事をあまり残していないようなんですが、男を口説くためには手段を選んでいなかったようです。

はあ、今日はここまで。
力尽きました…
つーか、この題でとうとう5回目…
だいじょうぶですか。
ひいてませんか。お、おいてかないでね(笑)

君とぼく 4

2006-03-13 | ヒストリ:連載
先日は信長や信玄、政宗がその小姓を愛したという話を。

個人対個人の関係で、対等。
ではその彼等のお相手が仕事上で重要な位置を占めていたのかというと、答えはまあ「Yes」でしょう。
"小姓"という肩書きだけを見ても、普通に考えれば信頼の置ける人間でないと無理なわけですから。
小姓→秘書的な役割。幅広い知識を持ち、武芸一般、一流の作法を修めていないと勤まらない。そして秘書的な役割よりも大切なのがいざという時に主君の盾になる事。
推測になってしまいますが、男色関係の有無よりも『その位置にいる』という事自体が結構なステイタスだったんでは…?
ここらあたりはよく知らないので、知っている方がいたら教えていただきたい。
もしそうだとすると、出世のために権力者と男色関係を結ぼうと考える人間もいたかもしれません。
『男色≠アブノーマル』な世界では余計に。

では、性を武器に出世を狙ったツワモノ♂はいたんでしょーか…?
戦国時代でもあったのかな…?
ちょっと良く分かりませんが、平安時代にはそれと思しき行為はあったみたい。
ここで紹介したいのが、「台記」という史料です。
「台記」というのは藤原頼長の日記。

藤原頼長は…まあこの人は一般常識レベルの人なんですか?
日本史の教科書によると

平氏の勢力を飛躍的にのばしたのは忠盛の子清盛である。
1156(保元元)年、鳥羽法皇が死去するとまもなく、かねて皇位継承をめぐって法皇と対立していた崇徳上皇が、左大臣藤原頼長らと結んで源為義、平忠正らの武士を集めた。(略)
その結果、(崇徳)上皇は讃岐に流され、頼長・為義・忠正は殺された。


(『新詳説日本史改訂版』山川出版社)

どの結果だ。どの(笑)
清盛が権力を握る切欠となった保元・平治の乱の『保元の乱』の方の立役者の一人です。

さてさて、では明日は悪左府・頼長の話から入りましょう。
相当ナマナマしい話を入れる積りですので、「ちょっとイヤ」という方は避けて通ってくださいな。

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君とぼく 3

2006-03-11 | ヒストリ:連載
先日は日本に男色を持ち込んだのは空海だったかも、という所まで。
しかししかししかーし!
史料上の初出は『日本書紀』、そして確実な史料初出は『往生要集』だそうな。
日本書紀っつーと話がえらーく遡ってしまいますな(笑)
日本書紀(720年)~往生要集(985年)の成立までは250~60年。
そして往生要集~台記(1155年)の成立までが160~70年。
因みに空海が帰国した年が806年。

日本書紀の記述によると、男色→罪、とまでは行かなくても、肯定的に見られるものではなかったようです。
まあ、日本は元々農村社会ですからな。
子を生さない同性愛(の流行)は共同体の存続を危ぶませる、という点から頷くことができます。
じゃあ、そんな世界でどーして男色が広まったんでしょーか…?
服藤早苗氏によると、9世紀10世紀の頃に男女の婚姻関係や性関係が大きく変容した所に原因があるようです。
男女の性愛が不平等になり、逆に対等な人間同士の性愛が模索され、そのひとつが男色だったのではないか、と。
な、なるほど。

戦国時代では織田信長や武田信玄、伊達政宗が小姓を寵愛した事が有名ですが、この頃には
女性との交渉→子供を残すための方策
同性との交渉→真実の愛
という概念があったそうです。
全てが全てこうではなかったと思いますが、こう言われてみれば何となく納得がいきます。
(平安と戦国では時代が大分下ってしまいますが、基本的な部分というのは大きくは変わらないのではと思います)

しかし…
信長と森蘭丸、信玄と春日源助(高坂弾正)、政宗と只野作十郎。
主君⇔家臣 の間で"対等"(もしくは対等に近い)の関係が保たれるんだろうかという疑問が残ります。
信長に関しては寡聞にして知りませんが、後者2人は相手に宛てたラブレター?が残っています。
どっちもかなり有名ですな(笑)

※信玄→源助
某には言い寄ってましたが、腹痛だとか言われていつも振られてました。
まして寝た事なんてありません。
でももう浮気しません。ごめんなさい。

※政宗→作十郎
浮気してたなんて疑ってごめんなさい。酔った勢いでつい口が滑りました。
貴方が体を傷付ける時に傍にいたら、脇差にすがり付いてでも私は止めたでしょう。
 (*作十郎は潔白を証明するために自傷した)


大雑把過ぎですか。そうですか。あんまり気にしちゃいけません(笑)
上記2つとも手紙が現存していますが、…特徴、といっていいのかどうか。
どちらも丁寧にも敬語で書かれているんですね。
内容も内容ですが、手紙を見る限り上下関係が成立していない。
対等、といえば対等だったんだろうか。
さてさて…?