久しぶりにブログを投稿します。
先日、息子の中学校進学の準備のため、静岡の松坂屋に買い物に出かけ、その帰りに丁子屋で名物の「とろろ汁」を堪能してきました。 「丁子屋」は、とろろ汁の老舗で創業は1596年(慶長元年)だそうです。江戸時代の浮世絵師である安藤広重の「東海道五十三次 丸子宿」にも描かれています。丸子宿(まりこしゅく、まりこじゅくと読みます)は鞠子宿とも言われて、歴史は古く、源頼朝が、奥州平定の功績により、地元駿河の国の手越平太家継という武士にこの付近一帯を与えて駅家を設けたのが始まりとされています。江戸時代になり東海道が整備されると、丸子宿は東海道五十三次の20番目の宿場となります。丸子宿は当時の東海道の宿場の中で最も小さい宿場でした。
「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」と松尾芭蕉が詠み、また十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に丸子の名物としてとろろ汁の話が出てくるように、丸子宿の名物は「とろろ汁」でした。「丁子屋」の茅葺き屋根の趣のある佇まいは、広重の浮世絵の世界にタイムスリップしたような感覚がします。
「丁子屋」の玄関前に十返舎一九の碑が建てられています。碑には「けんかする 夫婦は口を とがらせて 鳶とろろに すべりこそすれ」と記されています。物語では、丸子宿で名物のとろろ汁を食べようと店に入った弥次さん・北さんですが、途中で夫婦喧嘩に巻き込まれ、とろろ汁をこぼしてしまい、結局食べずじまいに終わっています。またこの碑の前に“芸術は爆発だ”で知られる芸術家の岡本太郎の母親で作家の岡本かな子の碑もありました。以前「丁子屋」を訪れ、その時の印象を自身の作品である「東海道五十三次」で取り上げてくれたことに感謝の意を込めて最近建立されたそうです。
十返舎一九の碑
昔から丸子地区はとろろ汁の原料である自然薯の栽培が盛んで、室町時代の連歌師で丸子宿の近くの吐月峰柴屋寺に庵を結んだ柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)は「年の暮れ茶炭薪と山の芋 ねてのよるよるむつ事にして」と丸子の自然薯の美味しさを讃えています。宿場の茶店として創業した「丁子屋」、とろろ汁が名物になったのは、自然薯が取れる時期に、旅人にとろろ汁を出したことが始まりだとか、丸子宿と次の岡部宿のあいだにある「宇津ノ谷峠」は難所としても知られており、峠越えをする前に精を付ける意味もあったのではないかとも言われています。
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