みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

2011年夏の嫌な話

2012年05月27日 01時15分46秒 | みう・震災とボランティア
こんばんにゃ。

未だに忘れられなくて、たまに思い出すとヤな気持ちになることがあって、ヤな気持ちになるのにそれを人様の目に触れるところに書こうとしてる自分も、なかなかヤな奴だな。


もう去年の夏の話だけど、宮城にボラに行ってきた。
活動場所はボラの人間が寝泊まりするような場所はなくて、宿泊場所からは車で二時間ほど移動。

その車中、1人の方が語ってた。


自分は心臓が悪いけどサッカーが大好き。
好きなこと我慢してまで長生きしたいとか思わない。
短命でもいいんだ。

自分は3~4回、泥棒に入られたことがある。
そのうち1回は鉢合わせしちゃって(笑)…(以下省略)

隣の家が大火事で消防車とかきて大騒ぎで、自分は爆睡してて、消防士に逃げなかったことを怒られたけど、爆睡してたんだし仕方ないよね(笑)


などなど、語ってた。
自分には『俺、昔ワルだったんだ』っていう武勇伝を語る人と同じようなテンションに聞こえた。


地震後の火事で家を失った人や、
地震後の混乱に乗じて泥棒に入られた人や、
地震や津波のせいで生きたくても生きられなかった人が
沢山いるんだと思う。

被災地から何キロ離れたら、自分の体験談を自由に語ることを許されるのか、
被災日から何日経過したら、自分の人生観や死生観を語ることが許されるのか、
それは分からないし、線引きは難しいんだけど、
2011年、夏、宮城県女川町に向かう自分は、
そーゆー話が苦痛だった。

ついていけないと思った。


活動を続けたい気持ちと、
ついていけない気持ちで悶々として、
最初は、それが嫌だったって事を伝えるのは相手を責める事になって申し訳ない気もしたし、
『不謹慎厨』なんて言葉も流行ってたから、自分もそういうことなのかもと思ったりして黙ってた。

けど、結局伝えた。

したら
『そーゆー体験があるからこそ、私は被災者の気持ちが一瞬で理解・共感できるの』
だってさ。

ついていけないと思った。


チームのやり方とか段々と変な方に変わってきちゃったりで色々思うことはあったけど、
その人がいてくれたお陰でできたことも沢山あるし、何よりボラに参加出来るきっかけを与えてくれた人だから、
そこはすっごく感謝してる。

でも、その時の言動と、その後の回答に対する嫌な気持ちは消せなかった。

つらかったにゃあ。

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