栄でランチした後は 地下鉄に乗り 東別院へ。
東別院 正式名称 東本願寺名古屋別院は古渡城跡でもある。
名古屋市中区橘2-8-55。
古渡城。織田信秀が天文3年(1534)に築城。信秀は那古野城を息子信長に譲り
自らは古渡城を居城とした。天文15年(1546)、信長はこの城で元服したといわれ
る。天文17年(1548)信秀が末森城に移り廃城となった。
東別院は 尾張藩第2代藩主・徳川光友より古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。
昭和20年の名古屋空襲で本堂をはじめ ほとんどの施設が焼失した。
現在の本堂は戦後 再建されたものである。
本堂。
城跡碑はどこかなーと探していたら 境内の隅のほうにあった。
城跡碑と説明板。
この後 隣の下茶屋公園へ行く予定だったのに あまりの暑さにうっかり忘れて
しまった。
思い出したのは 中村区へはいってから。あーあ・・・。
次は 矢場町にある小林城へ。
東別院 正式名称 東本願寺名古屋別院は古渡城跡でもある。
名古屋市中区橘2-8-55。
古渡城。織田信秀が天文3年(1534)に築城。信秀は那古野城を息子信長に譲り
自らは古渡城を居城とした。天文15年(1546)、信長はこの城で元服したといわれ
る。天文17年(1548)信秀が末森城に移り廃城となった。
東別院は 尾張藩第2代藩主・徳川光友より古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。
昭和20年の名古屋空襲で本堂をはじめ ほとんどの施設が焼失した。
現在の本堂は戦後 再建されたものである。
本堂。
城跡碑はどこかなーと探していたら 境内の隅のほうにあった。
城跡碑と説明板。
この後 隣の下茶屋公園へ行く予定だったのに あまりの暑さにうっかり忘れて
しまった。
思い出したのは 中村区へはいってから。あーあ・・・。
次は 矢場町にある小林城へ。