ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

岐阜市 黒野城

2006-12-04 23:58:54 | 岐阜県の城
加納城の後は 同じ岐阜市内の黒野にある 黒野城へ行った。

黒野城。岐阜市黒野。文禄3年(1594)、加藤貞泰が築城。
慶長15年(1610)まで居城していたが 同年 米子6万石に移封となり
黒野城はわずか15年で廃城になった。


本丸への入り口と本丸西側の堀。



本丸南側の堀。



本丸。この日は少年野球をやっていた。


住宅地にこれだけの城址があるのにびっくり。
堀なんて よく埋められずに残ったなぁと感心する。
普通なら 土塁つぶして 堀を埋めて宅地にしちゃうもんね。
どこかの市なんて 市の指定史跡の城址にもかかわらず 潰して宅地に
しちゃってるよねぇ・・・。
それとも 市指定史跡というのは 資料の印刷ミスなのか??

実はこの日、縄張図を忘れるというミスをし、黒野城の外郭の存在を
すっかり忘れていて確認するのを忘れてしまったのだ。
でもまぁ、あれだけのりっぱな堀と土塁を見ることができただけでも
じゅうぶん 満足であった。

子分たちは 城址公園の遊具で遊んでいて楽しんでいた。
ここでも 落ち葉で遊んでいたなぁ。。。

次は 鷺山城、鷺山館へ行った。





加納城本丸 発掘調査

2006-12-04 16:38:46 | 岐阜県の城
11月25日土曜日(一週間前やんけ!)加納城本丸にて 発掘調査の説明会があった。
しかし・・・。説明会の時間に間に合わず 現場を見るだけに

岐阜県岐阜市 加納城。
奥平信昌が築城。城主は奥平氏の後は大久保氏、戸田氏、安藤氏と変わり
最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。


地層が3層になっている。いちばん上は現在の地面。真ん中が自衛隊の時。
一番下の紙の所は陸軍の時の地面だ。戦前から現在までずいぶんと土を入れたなぁ。
この本丸は戦前はグランドみたいなものとして
使われていて 戦中は陸軍が使用し戦後はアメリカ軍が、その後自衛隊の
駐屯地として使用されてきた。



写真の中央よりやや右下に黒っぽい土がある。これが焼土・炭の入った土かな?


今回の調査の目的は本丸に御殿があったのではないか、という推測をもとに
建物の跡などが出れば・・・というもの。
本丸には絵図を見ても御殿のような建物が描かれていないのだが 過去におこなっ
た本丸南門の外の堀の発掘調査で大量の陶磁器が出土していることから本丸内に
御殿があったのではないかと推定できるとのこと。
本丸内で焼けた瓦や焼土が出土したということは 本丸内に何かの建物があり
それが火事で焼けたのではないかということらしい。
ちなみに 二の丸で火事があった記録はあるが 本丸で火事があった記録は
ないとのこと。


東側土塁の発掘現場。瓦がたくさん埋まっている。明治の廃城時に捨てたのだろう。
土塁の盛り土の下の方には石垣のあとと思われるものも見つかっており 石垣から
斜め上に土塁があったものと思われる。
現場を見ていると 土塁の上に瓦を捨ててその上にさらに土をかぶせたというか
埋めたのか、もっと後になってから土を盛ったのか・・どうなんでしょ。



二の丸。左手に見える建物は岐阜地方気象台。



出枡形。手前に大手二の門跡があり、左手の方には大手一の門があった。


今回は説明会のおかげで天守台とか櫓跡の表示がありわかりやすくて良かった。
もう少し早く来たら良かったけど でも・・まぁ子分たちがいると説明も聞きにくいかもしれないなぁ。
子分どもときたら 発掘現場の地層が見える部分を蹴ったり 土塁の発掘現場
では石を入れたりとしたので 私は怒りっぱなしで終いにはブチきれていた。
そのうち2人でたくさんの落ち葉とたわむれていたから良かったけど・・・。

加納を後にして 黒野城へ向かった。