太 極 拳 最 高 

健 康 を デ ザ イ ン す る

太極拳の深層にあるもの 11 太極拳論

2007-01-31 06:11:36 | 太極拳
令 (たと) い絲毫の間断なきのみ   無令絲毫間断耳
絲毫 : しごう・一番小さいこと、少ないこと、少しも
絲 : 10のマイナス4乗
毫 : 産毛のこと、中国の度量衡の単位 (10絲)

長拳は    長拳者
長拳 : 昔太極拳は長拳とか十三勢などと呼ばれていた。この場合套路を指す

長江大海の如く   如長江大海
長江 : 揚子江の通称を持つ中国第一の大河である。チベット高原の北東部に源を発し、青海省、四川省を南下し雲南省、三峡を経て湖北、湖南、江西、江蘇の各省と直轄市上海を経て東シナ海に注ぐ。全長6,300キロ。流域面積181万平方キロは日本の約5倍、中国の五分の一を占める。水源から江口までの落差は5100㍍。年間の総流量一兆㌧で、中国の包蔵推量の40%を占めている。江 (チァン)といえばこの長江を指す。

滔々として絶えることなきなり   滔滔不絶也
滔々として絶えることのないない長江の流れのように
滔滔 : 水などが広がりみなぎること

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太極拳の深層にあるもの 10 太極拳論

2007-01-30 15:47:20 | 太極拳
周身節々と貫串 (せんかん) し    周身節節貫串
体中満遍なく貫き通し

周身 : 体中満遍なく

節節 : 一節一節、一区切り一区切り
     節とは物事の区切り、つなぎ目のことで、関節は
     特に気を通しにくいところであるから、気をよく
     通すための工夫が必要である。楊派では「柔腰、
     百折、骨無きが如し」といって、節を問わない
     代わりに、変更ポイントを無限に構築するという
     考え方である。その分動作がゆったりとして
     いる。

貫 : 貫くことである。が、気を貫かせるためには、ネック
    になる関節に充分に意を用いなければならない。

 「病は四関に生ず」 と東洋医学でいっている。四関というのは両肘と両膝のことで、ここで気が滞ると病になるといわれている。肘に痛みがあれば、心臓と肺と筋肉に邪気がたまっていることであり、膝に痛みがあれば腎臓に邪気が溜まっていることになります。ついでながら、腋の下に痛みがでれば肝臓に邪気が溜まっていることになります。

太極拳の深層にあるもの 9 太極拳論

2007-01-29 09:09:03 | 太極拳
即ち意は下に寓 (よ) る   即寓下意
意志を下に置けば、それにつれて気が下に降りるから、重心が下がって体は安定する

若 (も) し将に物を掀起 (けんき) するは   若将物掀起
もし、重たい物を持ち上げたり、動かしたりするには
掀 : 掲げる、挙げる、高い

而して挫 (ざ) の意を以て加うるに   而加以挫之之意
くじく意志を以て力を加えれば、(根元をこじ開けるようにする)
挫 : くじく、くだく、そこなう、とりひしぐ、いためる

斯 (か) かるその根自ら断ち   斯其根自断
このようにして根が自然に断たれれば

乃 (すなわ) ち壊の速き而して無疑
崩れる速さは間違いなく速くなる

虚実宜しく清楚に分け   虚実宜分清楚
虚実ははっきりと分けなければならない

一所一所に自ずから虚実あり   一処自有一処虚実
一箇所一箇所に自ずから虚実がある

所々均しく一虚実あり   処処均有一虚実
一箇所一箇所に均しく一つの虚実があり
処処 : 一処一処の略で一箇所一箇所のこと

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太極拳の深層にあるもの 8 太極拳論

2007-01-28 07:58:43 | 太極拳
その病 (うれえ) は必ず足腰にこれを求める   其病必於腰腿求之
体勢が調わないのは腰のせい

上下前後左右皆然り   上下前後左右皆然
上下前後左右総てに於いていえることである

凡そみなこれと同じ意で   凡此皆是意
これと同じような意味で

外面に在ることなし    不在外面
外面にあるのではなく

上にあればすなわち下にもあり  有上即有下
上にあれば、下にもあり

前に有れば即ち後ろにも有り   有前即有後
前に有れば後ろにも有り

左に有ればすなわち右にも有り  有左即有右
左に有れば右にもあり

意の如く上に向けるを要す    如意要向上
意志が先導して気を上に向ける

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太極拳の深層にあるもの 7

2007-01-27 07:14:49 | 太極拳
脚より而して腿而して腰へ   由脚而腿而腰
足心から取り入れた気を小腿から大腿へ、大腿から腰へ

総て須らく一気に完整すべし  総須完整一気
是非とも体全体を一つの気で整え

前に向かい後ろに退くは   向前退後
前に進むときも、後に退くときも

すなわち機を得、勢いを得て  乃得機得勢
気が全身に連なるように満ちていれば、機を見るに敏、威勢を得ることができる

勢いを得られたところで、機を得ることができなければ   有不得機得勢処
勢いだけあっても、チャンスを掴むことができなければ

身はすなわち散乱す   身便散乱
体は統制が取れない

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太極拳の深層にあるもの 6 太極拳論

2007-01-26 11:30:33 | 太極拳
 一昨日の4のところで、「欠陥」「凹凸」「断続」についての説明が少し足りませんでしたので、改めてご説明したいと思います。
 皆さんは、太極拳が気を扱う武術であることをご存知でしょうが、その気の扱いについて、気は体に遍く満たすもので、欠けたり、でこぼこがあったり、途切れたり繋がったりしてはいけないということの他に、動作についての期待もあるのではなかろうかと推測しています。
 太極拳の最初の姿勢の 「起勢」 で、息を吸いながら両手を挙げていき、息を吐きながら腰と手を下ろしていきますが、この下ろした腰の位置を最後の 「収勢」 まで同じ高さを保ちます。途中 「下勢」 や 「独立」 などでは腰の位置が変わることがありますが、その他は腰の位置を水平に保ちながら移動させるもので、頭の位置が上がったり下がったりの、凹凸があってはならないということです。
 断続については、太極拳の格言に 「連綿不断」 とあるように、技は途切れることなく流れるように行うことが求められています。ここのところは、この太極拳論の最後の方に出てきますが、「長江の流れのように滔々と絶えることなく」 とあり、楊澄甫の太極拳術十要には 「運勁如抽出絲」 勁は紡ぎだす糸のように運ぶものとあります。

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太極拳の深層にあるもの 5 太極拳論

2007-01-25 17:12:14 | 太極拳
その根脚にあり     其根在脚
そのおおもとは脚にあり
脚というのは、普通は踵から膝までを言うが、あし全体を指す場合もある。

腿に発し     発於腿
腿は足首からあしの付け根までの部分をいい、膝から下を小腿、膝から上を大腿という。

腰が主宰す    主宰於腰
腰は上半身と下半身を結ぶ重要な拠点である。気は足の裏の足心から発し、小腿、大腿を経て腰に至る。太極拳を始めとして、武術でも舞踊でもスポーツでも、腰が据わっていなければ、何もできない。

形手指にあって    形於手指
気と神の流れは、手の指に形として現れる。
手と指の美しさは、足心から指先までに気を通わすことで生まれる。十本の指先にあるツボを十宣 (じっせん) といって、指先に意識を集めることで、この十宣に通う血液の流れが、20数倍になるという実験データがある。

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太極拳の深層にあるもの 4 太極拳論

2007-01-24 09:58:21 | 太極拳
欠陥させる処あるなかれ   勿使有欠陥処
欠けさせるところがないようにする

勿 (この字は母の字に似た字ですが、ないのでこの字を使いました)
 なかれ、するな、禁止を表わす助詞
使
 させるという使役、ならばという仮定

 欠ける、一部が失せて少なくなること

 おちいる、おちこむ、しずむ


凹凸させる処あるなかれ    勿使有凹凸処
凹んだり出っ張ったりさせる処があってはならない

断続させる処あることなかれ  勿使有凹凸処
切れたり続いたりさせることがあってはならない

上の三句は、動作は勿論のこと、気の流れも、欠けたり、落ち込んだり、途切れたりさせないように満遍なく巡行させることが大切であるとしている。

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太極拳の深層にあるもの 3 太極拳論

2007-01-23 11:19:19 | 太極拳
気は宜しく鼓蕩 (ことう) せしめ 神は宜しく内斂 (ないれん) すべし  
気宜鼓蕩神宜内斂

 気を奮い立たせて大きくし、その霊妙で人知でははかり知れない働きを、内に納める。
 武禹襄の別の著書 「十三勢行功要解」 によると、心によって気を巡らせ、沈着にしていれば、気が収斂 (しゅうれん) して骨に入る。 以心行気、務沈着、乃能収斂入骨。とあって、意識と気、気と体の関係を説明した上で、精神を安定させれば、気は骨髄にまで入っていくものである。と説いている。つまり気を巡らせるのは意志の役割だから、安定した精神状態でなければ、気の運行は難しいといっているわけである。

気 
气 (きがまえ) は雲気、水蒸気、霞、人の吐く息のことで、むらむらと立ち上る気体を意味し、つくりの米を加えて、米を炊く湯気の意味になる。天に昇る気であるから、昇る性質から陰を指すものとなる。


 動かす、奮い起こす、ふくらます、事のやり始めの意気込みで事に当たること。


 動く、兆す、広い、大きい、平らか、物が現れて動き始める。


 たましい、こころ、精神、宇宙万物の主宰者、霊妙で人知でははかり知れない働き。


 収める、集め取る、引き締める。

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太極拳の深層にあるもの 2 太極拳論

2007-01-22 14:53:17 | 太極拳
一挙動けば    一挙動
一端あるいはひとたび動けば

周身、軽霊して倶 (とも) にするを要す  周身倶要軽霊
全身を軽やかにして、全身全霊を共にすることが大切である
周身 : 体全体
軽  : 心の雑念を払って心も体も軽やかにすること
霊  : 活き活きとすること、清らかなこと、汚れを無くす
     こと、心身の柔らかさを失わせないこと。
     体を動かすための筋肉は1030本あり、体を
動かすとその筋肉に、乳酸やコレステロールなどのストレスの要素が溜まると、筋肉が硬くなる。その筋肉を難くさせる要素を、心を清めて筋肉を緩めさせようとするのが、太極拳の終局の目的である。

もっとも、すべからく貫串 (せんかん) す  尤須貫串
全身、符節を合わせて強調させ
貫 : 貫く意
串 : 焼き鳥の串を刺すようにして、刺し通すことで、気を一つ一つの細胞に行き亘らせること

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太極拳の深層にあるもの 1 太極拳論

2007-01-21 07:02:22 | 太極拳
 これは武禹襄 (ぶうじょう・1812~1880年) が著わした、王宗岳の太極拳経と並ぶ、太極拳理論の双璧である。武禹襄は楊露禅に師事して楊派の拳を習得した後、武派を興した人である。昨日までご紹介した太極拳経は、もとは太極拳論といったが、両方が太極拳論では分かりにくいので、いまでは王宗岳のものを畏敬をこめて太極拳経といっている。
 前段は架子といわれる型のあり方、後段はその型を八卦、五行と対比し、架子は悠々と行うものであると説いている。
 なお原注には、この論は武当山張三豊の遺論であるとし、天下の名だたる太極拳家が、ただ延年益寿に凝り固まって、徒に小さな武技に仕立てないように望んだとある。

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太極拳の神髄を探る 19 太極拳経

2007-01-20 06:02:29 | 太極拳
 いよいよこのシリーズも最終章です。ご愛読感謝致します。

意訳と解説 2

 武術の流派も多く、その型、其の技も多様であるが、おおむね強い者が弱いものに勝ち、技の速い人が技の遅い人を負かすだけのことである。力の有る人が力のない人に勝ち、動作の遅い人が速い人にやられる。これは人間の資質が持っている本来の姿であって、稽古を積んで得られるものではない。
 ごく小さな力で重い物をはねのけることができるのは、明らかに力に頼ったものではない。また、老人が大勢の人に勝つことができるのも、老人の技が早いから勝てたのではない。動作の早さだけに頼るとすれば、それになにができるというのか。
 立つときには平らにバランスよく、動くときは車輪のように滑らかに、機敏に、活発にする。一方が重くなればそれに連れて動き出し、付き従うことができる。両方が重くなれば動きが鈍くなるのは当然であるが、それを数年かけて鍛錬しているにも関わらず、未だに悟らない人がいる。
 もしこの弊害を取り除こうとするなら、陰陽のことを知らなければならない。粘は走であり走は粘であることを。陰が陽を離れず、陽も陰を離れない。陰と陽がお互いに助け合つて働くことになって、はじめて勁を悟ることができるようになる。勁を悟った後に修練を重ねれば、技は完璧で精微になる。
 そして黙々と修練を重ねると、自然に妙味を会得することができる。本来は心を無にして相手の出方に応ずべきだが、多くの人は誤って迂遠 (回り道をする) になる。 心構えの僅かな差が、修練に千里の隔たりをもたらす。太極拳を学ぶ者は、このことをシッカリと弁えなければならない。

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太極拳の神髄を探る 18 太極拳経

2007-01-19 16:13:10 | 太極拳
意訳と解説 1

 宇宙の根源を太極という。太極は極まりのないものとしての 「無」 であり、動静のきっかけ、陰陽の母である。ひとたび動けば、勁は外に向かって働き始め、静まればもとの静に還る。七三理論というのがある。合七開三の配分をいい、常時は勢いを内に秘め、一旦事ある時には逆の七三として、勢いを外に向けることである。勢いを勁という。
 この法則に逆らうことなく、過不足なく、相手の曲・伸に従う。相手が力強く自分が非力であることを 「走」 といい、自分が有利な立場で、相手が不利な立場にあることを 「粘」 という。相手が早く動けば自分も早く動き、相手がユックリ動けば自分もそれに従う。千変万化をしたとしても、そのもとの道理は一つである。
 「勁」 を理解することができれば、太極拳の極意に到達できたことになる。だか、この境地に至るには、長い間の鍛錬がなければ、目の前がパッと開けるような境地に至ることはない。頂の勁を虚で引率し、気を丹田に沈め、偏ることなく身を中正に保ち、勁を人に読まれないように、隠したり現したりする。
 左が重ければ左が虚であり、右が杳 (よう・暗い) となる。だからそれを相手に悟られないようにすることである。前の句の隠と現、重と虚、重と杳は一対の矛盾を表している。
 相手の姿勢が高くなれば、自分もそれに合わせて高くし、相手が低くなればそれに同調して低くする。相手が進めばこちらも同調して退き、相手が退けばこちらは進み、ごく軽やかな羽やハエ、虫が体に触れてもすぐにそれを察知し、人には自分のことを分からせないようにし、自分だけが相手をよく知っておくようにすれば。向かう所敵なしとなる。

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太極拳の神髄を探る 17 太極拳経

2007-01-18 06:04:06 | 太極拳
所謂 (いわゆる) 差は毫 り なれど  り (字がありません)   所謂差之毫り
「り」 というのは中国の単位で、十毫のこと。毫は産毛を意味する、極めて小さいものを表現しています
心構えの僅かな差が

謬 (あやまり) はこれ千里   謬之千里
誤って理解すれば、真実との隔たりは千里ほどにもなる

学ぶ者は詳 (よ) く弁えざるべからず   学者不可不詳弁丐
太極拳を学ぶ人は、このことをシッカリと肝に銘じておかなければならない

是を論となす   是為論
これこそが太極拳論である

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太極拳の神髄を探る 16 太極拳経

2007-01-17 14:49:46 | 太極拳
陰は陽を離れず   陰不離陽
陰と陽もまた走と粘と同じように

陽は陰を離れず   陽不離陰
片方だけでは成立しない相関関係にある

陰陽相済 (たす) けて  陰陽相済
陰陽が密接不可分の間柄であれば、陰陽が合致して始めて本体となる

方 (まさ) に勁の悟りを為す  方為悟勁
陰陽は柔剛・虚実に見立てられるから、それを知ることによって勁を悟ることになる。

勁を悟りて後は   悟勁後 (悟の字は代用・正字はリッシンベンに董)
勁を本当に理解できれば

いよいよ練ればいよいよ精 (つまび) らかなり  愈練愈精
勁を悟った上でますます精進すれば、もつと深いところにまで到達できる

黙識揣摩 (もくしきしま) すれば   黙識揣摩 
相手の言わんとすることを自分の心で察することができれば

漸 (ようや) く心の欲するところに従い至る   漸至従心欲
太極拳が要求する融通無碍の心境に至り、思い通りの技が繰り出せるようになる

本は是れ己を捨て人に従うを   本是捨己従人
おおもとのところは、己を捨てて無になり切り、相手の技に従うのが筋だが

多くは誤りて近きを舎 (す) て遠きを求む   多誤舎近求遠
多くの人は近くにある大事なものを見失って、遠くのものがいいものであるとしてそれを求めようとする。夜目、遠目、傘の内というが如し

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