太 極 拳 最 高 

健 康 を デ ザ イ ン す る

青眼

2010-09-22 13:59:29 | Weblog
 青眼(せいがん)というのは、気心が知れた友達のことです。
この「青眼」という言葉は、中国の歴史書である晋書(しんじょ)の阮(げん)籍伝(せきでん)に出てくる言葉で、竹林の七賢といわれた魏の阮籍の言葉として、「籍大悦、乃見青眼」、青眼を見るにおよび、籍 (阮籍のこと) 大喜びす。と、「親しい人に対する目付」からきている言葉です。これと反対の言葉が「白眼」になります。
 この青眼をもう少し詳しく見てみますと、お互いに心が通じ合っていて、何も言わなくても分かり合うことができ、何を言っても誤解される心配のない、知己ともいうべき間柄のことをいいます。ただ黙って傍にいてくれるだけでいいという、空気のような存在の人のことです。
 また、知己というのは、自分のことを自分と同じくらい知っていてくれる人のことで、心の拠り所として、この世にこれ以上の人はいないという人のことをいいます。王陽明の言葉を借りて申し上げればこうなります。
 「そのことごとく天下に信じられんよりは、真に一人に信じられんに若(しか)ず、天下、之を信じて多しとなさず、一人、之を信じて少なしとなさず」と。
 世の中の全ての人に信じてもらうよりは、たった一人でいいから、自分のことを本当に理解してくれる人がいたら、何も言うことはない。世界中の人が信じてくれたとしても多過ぎることはないし、たった一人だけが信じたとしても少な過ぎはしない。
 友というのは、信じた以上とことんその思いを貫いて、自分の利害を度外視して、その人のためになることなら、例えそれが自分の不利になることであっても、平然としてのけ、親にも言えず、兄弟にも打ち明けられないほどの悩みを聞いて、だまって一緒に泣いてくれる、そんな人のことをいいます。
 「あいつがいるから、おれも生きていたい」、こんな友が一人いたら、この世は十分に生きる価値があるというものです。

六然

2010-09-20 11:34:36 | Weblog
六(りく)然(ぜん)

 自分で自分を処理するときには、世俗に染まることなく高い所に身を置き、
 人と対応するときには和やかにし、
 何もない時には心の汚れを取って澄みわたらせ、
 一旦事ある時には決断力を以てきっぱりと行い、
 得意の時には高ぶりがちな心を平静に保ち、
 失意の時には動ずることなく落ち着き払う、
 よく修養のできた者でないとこのようなことはできない。

 自処超然
 処人藹(あい)然(ぜん)
 無事澄然
 有事斬然
 得意淡然
 失意泰然
 非有盛養者、不能與于斯

 これは陳星瑞の集古偶録の言葉である。

みんなに

2010-09-19 13:15:32 | Weblog
 誰が作った詩であったか覚えていないが、私の記録の中に残っていた。

 悲しみのつきぬところにこそ
 かすかな喜びの芽生えの声がある
 熱い涙のその珠にこそ
 あの虹の七色は映え宿る

 人の世の苦しみに泣いたおかげで
 人の夜の楽しみにも心から笑える
 打たれ踏まれて唇をカンダかげで
 生まれてきたことの尊さがしみじみわかる

 醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
 見てごらんあんなに青い空を
 みんなが何も持っていないと人が嘲っても
 みんな知っているもっと美しい本当に尊いものを

 愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
 あとはそんなにほしくない
 丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば
 上機嫌でニコニコ歩きたい

 それから力いっぱい働こう
 そうして決して不平は云わずに
 何時も相手の身になって物事を考えよう
 いくらつらくてもひるまずに

 どこかに不幸な人がいたら
 どんなことでも力になってあげよう
 もしすっかり自分を忘れてしてあげられたら
 もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

酒飲みの弁

2010-09-18 20:21:28 | Weblog
 私は無類の酒好きである。人後に落ちない。その私が手術のため入院する前日から、酒を止め、今日で25日になる。こんなに長い期間酒を飲まなかったのは、私の人生で初めての出来事である。
 こんなに長い期間酒を飲まずにいると、酒、酒と目の色を変えていた頃の自分が、異人種のように思えてくる。
 中国では、陶淵明(とうえんめい)は無類の酒好きとして知られ、「酒仙」と呼ばれるほどの人であったし、白(はく)居(きょ)易(い)は酔吟(すいぎん)といわれるほどの人であったし、王(おう)陽(よう)修(しゅう)は号を酔翁と付けるほどの人であった。杜甫、李白、白楽天なども酒好きにかけては人後に落ちない酒客(しゅかく)であった。これらの人物から酒を取り上げてしまったら、おそらく後世にその名を止めていなかったであろうし、唐詩選も極めて味わいの薄い作品になったであろうことは想像に難くない。またわが国でも、若山牧水や吉井勇が酒を飲まなかったとしたら、彼らの詩集はできあがらなかったかもしれない。
 江戸時代中期の儒者で文人画家でもあった柳沢淇園は「ひとりね」のなかでこういう。 「酒というものほどかはりし物はなし。一つ二つ三つまでいとおもしろくのみなし、はや七つ八つのと続けざまにのみなしぬれば、いか成る底なしといはるる人にても、酒がうまふて呑むものにもあらず。少しも人より多く呑みて、なんともないけしきじまんにするものなれば、脾胃のつよふ、肺のたしかなる人ならでは呑む事もならぬもの也」。と。
 酒というのは、始めのうちは味わって飲んでいるが、そのうちに勢いで飲むようになり、さらに飲む量の多いことを自慢するために飲んでいるようなものだといっている。
 「酒は百薬の長」ということわざの通り、酒は薬といわれ、現代医学でも酒を全然飲まない人より、一日一合ほど飲む人のほうが長生きできる臨床結果がでている。だから飲んだほうがいいというつもりは、さらさらない。
 私の人生には、これまでに数多くの酒席があった。酒を飲み始めたころは、こんなもののどこがいいのかと思っていたものだが、付き合いで飲んでいるうちに、酒の味が分かるようになり、三十路に入るころにはもう一人前の酒飲み気分で、日本人の体質がそうさせるのか、いつのまにか日本酒党になっていた。これまでのウン十年の間に飲んだ酒量はおそらく50石・1万リットルを下らないと思う。この飽くことなく愛飲した酒に敬意を表した次第である。

親友もガン

2010-09-18 10:46:13 | Weblog
 銀行時代の唯一の親友がいる。銀行員は出世第一で、足の引っ張り合いをするから、親友はできにくい。そんな中で友と呼べるのは彼一人で、私の結婚式の時の司会も彼がやってくれた。
 その彼も同じ時期にガンの宣告を受け、10日に手術をした。昨日電話があり無事終えたとのことである。親友だとはいえ何も同じ時期に、ガンの手術をすることはないじゃないかと、笑い合った。

寧耐

2010-09-17 08:54:06 | Weblog
 寧耐(ねいたい)とは、やすらかによく耐えることで、心静かに落ち着きはらって、迫りくる困難や苦痛に耐えることである。

 急迫は事を破る。寧耐は事を成す。

 せいては事を仕損じる。人間ができていないと、いざ決着という場合、うろたえて軽々に判断を下し、後悔することになりかねない。そういう時こそ沈着に構え、熟慮の上、結論を出すべきである。

 寧耐を説いた王陽明の言葉である。
 「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随わず、以て大事を成すべし」。

「冷耐」
 人生は冷遇される場合も多い。冷や飯を食わされ、何故自分だけがと嘆き悲しむこともある。だから、その冷たさに耐える工夫を持っていなければならない。
「耐苦」
 苦悩に耐える。日本には「若いうちは買っても苦労しろ」という諺があるが、浪人とか大病など、壁にぶつかってそれを乗り越えることが大切ということで、耐える度に少しずつ人生が見えてくる。
「耐煩」
 社会生活を営む以上、煩わしい雑事から逃れるわけにはいかない。人生、皆、雑事と割り切れば、雑事を苦にすることなく処理できる。
「耐閑」
 最後に閑を持ってきたのは絶妙である。人間、多忙というのは能力のある人の代名詞になっているが、それに引き換え「閑」は、無能の烙印を押されたようなものであるから、よほどの覚悟がないと、自分自身が自分自身に愛想をつかしたくなる。
 近頃の人は、ただひたすら進むことだけに慣れ親しみ、退くことに疎い。肩書きを失くし、自分が裸になったときに何ができるか、自分に内在する物がないと、行き詰る。
「不激」
 興奮して、頭に血を登らせてしまっては、まともな判断ができない。
「不躁」
 バタバタしない。事に臨んでうわついてさわいだのでは、最初から落第である。
「不競」
 つまらぬことに競争意識を燃やして、状況判断を欠いてしまってはならない。
「不随」
 随わず。ご自身で判断を下してください。

西郷さんの生き方に学ぶ

2010-09-14 06:49:15 | Weblog
一、常に物事の原理・原則を視野に入れ、正統的な処理をした。本質を正して公私を区別し、公益を
   第一とし、高所大局の見地から事業を遂行した。
二、人心を収攬(しゅうらん)することに優れていた。信頼、信服を得て徳望があった。
三、条理を立てて誠実を尽くし、自己犠牲をいとわなかった。
四、事を為すのに自分の力だけに頼らず、皆の長所、特色を生かし、能力の動員に優れた手腕を
   発揮した。
五、功は人に譲り、自らは危険、困難な場に進んで立つ。だが、軽々と動くことはせず、死を軽ん
   ずることなく、向こうみずを戒め、情義に厚いが感情におぼれることをしない。
六、知賢を愛し、寡黙で、人の意見をよく聞き、最高の知識と人物を使いこなした。
七、用意周到、緩急自在、小節に走らず、大節を知り、熟慮断行をした。
八、党派を作らず、私情、私憤を去り、中正な立場を保ち、勢力の協和、統一に優れた手腕を
   示した。
九、学ぶだけではなく、聖賢の道を実行した。また革新、改良を実践した。
十、質素を旨とし、衣食住に拘らず、主食に住まず、贅沢、華美、尊大、圧制を排除した。
十一、世俗的な欲望を超越して、克己の修業を積み、所有欲、支配欲、権勢欲、名声欲を離れること
   に努め、無言の教化者であった。
十二、下情に通じ、下層や戦死者への思いやりが強かった。
十三、度量広大で順逆、理非、軽重、後先を弁え、使命感が強く一身に責任を負って人を責めること
   はなかった。
十四、寛大、謙譲で節義に厚く、交渉、説得に長けていた。
十五、無欲、高潔で退職や貧困をものともせず、不惜身命、死所を恐れず、野にあって不平、不満を
   持たなかった。境遇に負けることなく失意に怯まなかった。
十六、手紙をよく書き、コミュニケーションに意を尽くし、事前・事後の対策に怠りがなかった。
十七、読書、思索を怠らず、知的努力を持続させた。
十八、人を咎めることなく、弁解をしない覚悟が確立していた。
十九、情勢判断が早く、相手の立場を理解していた。
二十、収入を私することなく、慈善に散じていた。
二十一、青少年の育成に努めた。

露堂々

2010-09-13 17:56:00 | Weblog
 これは禅の言葉で、「ろ・どうどう」と読みます。明らかにハッキリと表れていて、少しも隠すところがないという意味です。人は誰しも、自分のことを少しでも良く見せようとして、悪い所はなるべくかくそうとします。この言葉はそれを戒める言葉です。
 露は、雨と路の合字で、雨が意符、路が音符の形声文字です。雨が水蒸気を表し、路が敷き詰める意味を表しています。水蒸気が冷えて小さな水滴となって、物の表面に連なり付く「つゆ」のことになります。
 説文に「潤沢なり」、また「天の津(しん)液(えき)、下りて万物を潤す所なり。また露見するなり」とあります。津液というのは、滲み出る液体ということで、人間でいえば、血液を除く体液を意味しています。
 津液は万物を潤すものであり、うるおう、ひたす、めぐむ、そだてる、さらす、あらわれるなどの意味を持ち、隠しごとのあらわれることを露見といい、露呈といいます。また隠さないことを露骨といい、露出といいます。
 堂は尚と土の合字で、土が意符、尚が音符の形声文字です。尚は向と八の合字で、向は窓、八は神気を表しています。まどの近くに神を迎えて祀り、そこに神気の表れる像。高く盛り上げた土の上に建てた立派な建物の意。
 堂々は威厳があって立派なさま、公明正大なさま、つつみかくしのないさま、衆に優れているさまを表しています。

人生 張ってどうする

2010-09-12 17:13:36 | Weblog
 右を見ても左を見ても、とかくこの世は張ることばかり

偉くもないのに空威張り
碌でもないのが見栄を張り
あれもこれもと欲を張り
負けたくないと意地を張り
言い張る突っ張る朝飯前で
肩肘張って大きく見せて
我がまま一杯我を張って
言い分通す強情っ張り
おれがおれがの自己主張
頑張ったところで高が知れ

 とかくこの世は張ることばかり

艱難汝を玉にす

2010-09-12 11:00:35 | Weblog
 「艱難汝を玉にす」という諺があります。辛いこと、つまり壁にぶつかるということは、人間に磨きをかけて、一人前の人間にするということです。同じような諺に「苦労は買ってでもしろ」というのがありますが、苦労というのは、人間形成にとって欠かすことのできない要素として認識されています。
 佐藤一斉の言志録に「艱難は才能を磨く」というのがあります。
 私たちが出会うところの苦しみや悩み、悪い出来事、人に陥れられること、人からけなされること、自分の思い通りにならないこと、これらのことは全て天が自分に経験を積ませて、人間として完成させようとしていることであり、知識や徳を磨くことになります。
 従って君子は、こうした事態にであったならば、どう処理すればよいのかを思慮する必要があります。いたずらに問題から逃れようとしてはいけないのです。

凡所遭患難変故  凡そ遭う所の患難変故
屈辱讒謗       屈辱(くつじょく)讒謗(ざんぼう)
払逆之事       払(ふつ)逆(ぎゃく)の事は 
皆天之所以老吾才 皆天の我が才を老せしめる所以にして
莫非砥礪切磋之地 砥礪(しれい)切磋(せっさ)の地に非ざるは莫(な)し
君子当慮所以処之 君子は当に之に処する所以を慮(おもんばか)るべし
欲徒免之不可    徒に之を免れんと欲するは不可なり


患難(かんなん) : 悩み苦しむこと、精神的な苦労
変(へん)故(こ) : 普通と違った悪い出来事
屈辱(くつじょく) : 服従させられて
讒謗(ざんぼう) : 事実を偽って悪口をいう
払(ふつ)逆(ぎゃく) : 自分の思い通りにならないこと、自分の心に反する
砥礪(しれい) : 砥石で研ぎ磨くこと、学習、修養に励むこと
切磋(せっさ) : 骨、角、玉、石などを切り磨くこと

2010-09-11 10:12:47 | Weblog
 6月の末にガンを告知され、太極拳の友人たちとしばらく合っていない。
 私たちがまだ粗削りであった若いころに出合った友というのは、自分を飾ることなく素でぶつかり合っていたから、喧嘩もする代わりに理解し合うのも早い。だがある程度の年を経てからの出逢いは、分別が先に立って、自分をよく見せようとして、どうしても見栄を張って飾りたくなるから、本音で付き合うなどまず考えられない。
 ところが、太極拳を通じて本音で語り合える友達ができた。この歳になってからである。古代ギリシャの哲学者、ゼノンの言葉を借りれば、「朋友とは自分以外の自己を言う」つまり友とは、自分の生き写しみたいなものであるということである。
 私の友人を幽夢影の言葉を借りてご紹介したい。

対淵博友     渕(えん)博(ぱく)なる友に対するは
如読異書     異書(いしょ)を読むが如し
対風雅友     風雅なる友に対するは
如読名人詩文  名人の詩文を読むが如し
対謹飭友     謹飭(きんちょく)なる友に対するは
如読聖賢経伝  聖賢の経伝を読むが如し
対滑稽友     滑稽なる友に対するは
如閲伝記小説  伝記小説を閲するが如し

博識な友と向かい合っていると、珍しい書物を読むような気がする
風雅な友と向かい合っていると、名家の詩文を読むような気がする
謹厳な友と向かい合っていると、聖人や賢人の書物を読むような気がする
話の面白い友と向かい合っていると、伝記小説を読むような気がする

淵博  深く広い。博学多識。見聞知識などにいう。
異書  珍本、稀覯書(きこうしょ) (めったに見られない珍しい本) 
謹飭  慎み深い
経伝  経と伝。経は経書。伝は経書を説明・解説した書。経は聖人の著書。伝は賢人の
    著書。
伝記小説 唐代に始まった文語体の短編小説。

幽夢影は、張潮が1600年代後半に編纂したアフォリズムである

太極拳より大切な「食」

2010-09-10 12:07:21 | Weblog
 太極拳は不老長生にとって確かに大切ではありますが、それ以上に大切なのが命を紡ぐ「食」であることに間違いはありません。
 毎週木曜日、太極拳を終えた後の仲間と会食が楽しみになっていますが、その時に私が何も食べずに酒を飲むだけなので、それが記憶に染みついて、日常でも同じような生活をしているかのような誤解を受けるといけないので、ここで自己弁護をしておきます。結論から申し上げれば、私くらいに食と咀嚼に気を使っている人はまず稀だと思っています。
 私が昔銀行員であった頃、かなり無茶な生活を強いられていました。セブンイレブンといわれるくらい、朝早くから夜遅くまで、食事をとる暇を惜しむくらいに遮二無二働いていました。
 そのころ食物の胃の滞留時間を考えて、仕事を終えてからは酒を飲むだけで帰路に着きました。酒ならば胃の滞留時間は二時間くらいですから、家に帰って風呂に入って寝るくらいでちょうど良かったからです。
 昭和63年、銀行を退職しそのまま出向先へ勤務することになったのを機に太極拳を始めた。それ以来ずっと東洋医学の「未病」を信奉してきた。病気に罹る前に病気の兆候を察知して、病気に罹らないように取り組むというものである。未病を考えるについては、体のことに人一倍気を使ってきた積りがあるから、よもや自分がガンに罹るなどとは夢にも思っていなかった。
 例えば食べ物であるが、自分は陰性体質であるから、極力体を温める陽性のものを食べることにして、陽性のナトリウム系の、根菜、魚介類などを摂ってきた。それらは体を引きしめる性質の食べ物ということである。
 主食は玄米に十穀を混ぜ、更に黒豆を入れて炊く。玄米は表皮に食物繊維が、その内側に胚芽がある。胚芽には抗酸化物質のビタミンE、ビタミンB、ビタミンK、ガンマオリザノールが、更に人体から毒物の排出を促すフィチン酸などの健康に有用な栄養素が含まれている。副食はヒジキの煮付けと、根菜類の煮付けを定番として、EPA.DHAの豊富な青身魚を摂るなど十分に配慮してきた。
 それらの配慮のお陰で、太極拳を始める前には平均体温が35.8℃ほどであったものが、最近の平均体温は36.8℃とまずは理想的な体温になっていた。因みにガン細胞は、35℃台の時に増殖が進み、39.3℃で死滅するといわれている。
 人間の体は60兆個の細胞で構成されているが、この細胞がベストの状態で活動できる温度が、36.5℃~37℃である。それは、体温がこの範囲にあれば、生命維持活動に必要な酵素 (数千種類あるといわれている) が、最も働きやすい環境になるということである。
 人間の体は、中心部の温度を37.2℃に保つように温度調節している。暑さを感じると汗をかいて熱を放出し、寒い時には血管や皮膚を収縮させて、熱の発散を防ぐというようにして体温を保っている。
 私たちの免疫系を司っているのは白血球で、その白血球が白血球として機能するためには、細胞内細胞といわれているミトコンドリアの働きが大切である。細胞呼吸を促すミトコンドリアが働かないと、白血球が取り込んだ細菌などを消化 (貪食能) することができなくなる。
ミトコンドリアには温度依存性があり、36℃以下では極端に働きが悪くなるから、体温が36℃以下だと、白血球内に取り込んだ細菌やウイルスを消化できないまま、体中を動き回ることになる。これでは免疫の主役である白血球が、逆に細菌やウイルスを体中にまき散らすことになってしまう。
 東洋医学では病気の原因を、体の冷えが引き金になって血液が滞る「瘀(お)血(けつ)」になり、それが原因で起こすものであるとわれている。それゆえ私は血を汚す肉類はあまり食べないことにしている。
 次に咀嚼であるが、最近では口にした食べ物は100回以上噛むことにしているし、冷たいものを飲むときには、ビールでさえ口の中で温めて飲み下すようにしている。
 体に悪いといわれる牛乳はもう30年以上飲んでいない。一度調べてみたいと思うのだが、親を殺したり、子を殺したり、いじめをするような子は、牛乳で育ったのではなかろうかと思うことがよくある。牛乳の色は白、陰性の色である。
 生まれた動物の体重が二倍になる速度は、人間は凡そ180日かかるが、下等動物になるほど生長が早い。因みにウサギ6日、犬9日、猫9日、豚14日、羊15日、ヤギ22日、牛47日、馬60日である。牛の成長は人間の凡そ4倍だから、その乳を飲んだら人体に及ぼす影響が知れようというもの。
 牛乳はカルシウムがたくさん含まれているから体にいいというが、世界一たくさん牛乳を飲んでいるオーストラリアの女性が、骨粗鬆症も世界一という現実をどう理解したらいいのか。牛乳のカルシウムに含まれるタンパク質を分解するためには、尿素と窒素が必要であるが、この尿素と窒素が体内のカルシウムを奪って、尿として体外に排出させるから、牛乳を飲んだ分だけカルシウムが不足して骨粗鬆症を引き起こすことになる。
 先日ガンの手術をする前に、執刀医と懇談した際、私の検査結果の数値を見て驚いてこう言った。「あなたはガン以外にはどこも悪い所がないのですね」と、更に「あなたと同じくらいの年の人は、どこかが悪いのですが」と不思議そうな顔をされた。
 これだけ体のことを気遣っても、ガンに罹るときは罹るのだということをお知らせしたかったのです。因みに私のガンは、胃ガンなどの陰性のガンと違って陽性のガンでした。ここに誤算がありました。

人生の五計

2010-09-07 20:45:30 | Weblog
 これは南宋 (1127~1279年) の官吏、朱(しゅ)新仲(しんちゅう)の言葉である。
 新仲は朱子と同時代に生きた能吏であった。時の宰相であった秦(しん)檜(かい)は国政を誤り、名将の岳飛を死に至らしめ、国を滅ぼしてしまった。朱新仲は秦檜にうとまれ辺境の地に流された。が、その地の人々に慕われて悠々自適の生活を送っていた。これは辺境の地で、彼が説いたものである。
一、生計
  普通、生計というと暮らしの意味だが、ここではもっと本質的な問題としてとらえる。
 つまり、天地の大徳を受けて、いかに生きるべきかとの問いを持つものである。
二、身計
  わが身をいかに社会に対応させていくか、何を以て世に立つか、いかなる職業、いかなる価値観を持って生きていくか。
三、家計
  単に経済的な問題だけではなく、家庭というものを如何に営んでいくか、夫婦関係、親子関係はどうあるべきか、一家をどう維持していくかを考える。
四、老計
  いかに年をとるか。人間は生きている限り必然的に老いていく。ことに日本の現状は、世界一の長寿国として、高齢化社会に突入している。また寝たきり老人も90万人と有り難くない世界一の一面も背負っている。
  アンドレ・ジイドの言葉にこうある。「美しく死ぬのは、さほど難しいことではない。しかし美しく老いるということは至難の業だ」と。老いることは難しい。それも美しく老いるのは、なお難しい。老人になると老後の生活だとか、健康のことくらいしか考えないが、実際問題として、「老」の価値を見出さない限り、ただ寂しく年をとるに過ぎなくなってしまう。
五、死計
  死ぬハカリゴトである。いかに死すべきか。死を見ること帰するが如し。子の心境に至ることができていれば、死計はすでに確立されている。

 人間、若いうちは如何に生きるかなど考えることもないが、年をとるに従って先が見え、残りの持ち時間が少なくなってくると、不思議に、如何に生きるべきかの問題と取り組まざるを得なくなってくる。負いの延長線上に死が見えてくるからである。

知行一思

2010-09-05 17:25:37 | Weblog
 こころのつとめは、思うことである。思うということは、道の実行について工夫を重ねることである。思えば、そのことについてますます精(くわ)しく明らかになり、いよいよ真面目に取り組むようになる。その真面目に取り組む姿勢を「行(こう)」といい、その精通する形を「知」という。従って「知」も「行」も結局は「思」の一字に帰着することになる。

心之官則思      心の官は則ち思うなり
思字只是工夫字   思うの字は只是れ工夫の字のみ
思則愈清明      思えば則ちいよいよ清明に
愈篤実         いよいよ篤実なり
自其篤実謂之行   其の篤実なるよりして、これを行うと謂う
自其精明謂之知   其の精明なるよりして、これを知と謂う
知行帰於一思字   知行は一の思う字に帰す

官  家あるいは役所というところから、転じて役所、勤め
工夫 手段を考える、思慮をめぐらす、精神修養に意を用いること
精明 事理に詳しく明らかなこと
篤実 人情に厚くて実直なこと、誠実で親切なこと
行  彳(てき)と亍(ちょく)の合字で、彳は左足の歩む様、亍は右足の歩む様、合して左右の足を交互に上げて歩む意を表す。十字路の象形文字。転じて行うなどの意を表す
知  口が意符、矢が音符で、のべる、つらねる、識に通じて知る意となる

 これは佐藤一斉が著した言志後録にある言葉である。佐藤一斉は始め、程明堂、程伊川、朱熹の宋学を専修していたが、ある時期から王陽明が提唱する「知行合一」の陽明学に傾倒した。知っていたとしても、行いが伴わなければ知ったことにはならないとする考え方である。
 この思想が佐久間象山、吉田松陰、木戸孝允、伊藤博文などに受け継がれた。また西郷隆盛は佐藤一斉が著した言志四録の中から、百一カ条を抜き書きして、西郷言志録を作り座右の銘にしていた。この思想がバックボーンとなって、明治維新が成ったと見るのはうがちすぎか。
 この項に類似している言葉は、孟子の告子章句上にある「心の官は即ち思う。思えば即ちこれを得る。思わずんば即ち得ず」である。

長い間 穴を開けて済みません

2010-09-04 17:02:54 | Weblog
 十日ほど入院しておりました。入院前の検査の段階で主治医が、血液などの検査結果をみて、あなたは全く異常なく来られたのですねといわれました。太極拳をしていた所為でしょう。まだ本調子ではありませんので、しばらくはゆるゆると参ります。