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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「物事を決めるところに間違いが生ずる」

2021年03月20日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「物事を決めるところに間違いが生ずる」 (昭和28年9月1日)

「それから、その奥の奥は説明ができないことがあります。むしろ感じです。これが覚りというものです。

とにかく実に微妙なるものです。だから話すことも書くこともできません。

これはやっぱり世界中で私一人だけが分かっているのでしょう。

他の人は分からないでしょう。

しかしその人の役目さえできれば、それだけ分からなくてもよいのです。

仮に星なら星が、どうも太陽の奴はあんなに光ってシャクに障る。

太陽のように光りたいと言ったところでしようがないので、星はやっぱりそれだけの光しかないのです。

だから本当に考えたら実に神秘幽幻なものです。

またそれが分かってしまっては面白くないので、分からないところに面白みがあるのです。

実に神様というのは、何とも言葉では言えない神秘なものです。


そこで一番間違いないことは、物事を決めるということがいけないので、決めないことが間違いないのです。

つまり物事を決めるところに間違いが生ずるのです。

そうかと言ってまるっきり決めなければ変です。

やはり決めるべきところは決め、決めるだけのものは決めるのです。

それから決められないものは決めないでおくことで、決めようとしてあせったり、苦しんだりすることは損です。

それからまた時というものがあって、その時にはこうしたほうがよい、また時が変るとそうしてはいけない、またこっちに行ったほうがよいということになります。

それも決めて決められないで、決められないで決めなくてはならないのです。

そこで実に幽幻微妙と言いますか、何とも言えないものがあります。

それから分かっていて分からなくて、分からなくて分かっているということがあります。

そうかと言って両方同じでは、分からなくて迷ってしまいますから、どっちかに決めなければなりません。

それからいつまでは決めていて、その先は決めないほうがよいこともあります。

それから一時間だけ決めてよいようなこともあります。

一時間だけ決めれば非常によいものを、一日決めていたために非常に悪くなります。

その限度というものが分からないのです。

しかしまるっきり分からなければ、何にも分かりませんから、ある程度は分からなければならないのです。

お釈迦さんは“一切空”と言っているのですが、そう言えば絶対に間違いはありませんが、しかしそれではとにかくあんまり無責任です。


生長の家などではよくそういうことを言ってます。

“病気を病気と思うからあるのだ、病気はないのだと思えば病気はなくなってしまう”という説を唱えていますが、これもやっぱり決めたわけです。

ないと決めていても、痛いときには痛いのです。

いくら痛くないと思っても痛いのです。

それは人間は霊だけで生きているのならそれでよいが、肉体というものがあるのですから。

そこで覚りの境地というのは、昔から坊さんはその境地に入ろうとしていろんな修業をするのです。

真言密教などもそうです。ぜんぜん何もないのです。

それで“お前分かったか”と言うと、“分かりました”“よし”と、それでよいのです。

何が分かったのだか分からないのだかさっぱり分かりません。

しかし師匠にはそれが分かるのだそうです。

もっともこれは分からないことはありません。

その人の言葉と行いによって、どのくらい分かったかということは見当がつきます。

そこで大僧正が法を授ける場合に、あいつはたいてい修業ができたから大丈夫だなと思うから、

“お前分かったか”と言うと“分かりました”“よし”と言って、お前には阿闍梨(あじゃり)の位をやると言うのです。

阿闍梨の位と言っても、形のあるものは何もないのです。

そういった煙(けむ)のものでやるのです。」

「守護神と理性、感情、本能、心」 4

2021年03月19日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月

明主様御垂示 「守護神と理性、感情、本能、心」 4 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「霊界にゆきますと、三守護神は分離する建前のものでしょうか」

明主様御垂示
「分離する建前です。」


信者の質問
「そういたしますと、奇形の場合には、また前の正守護神、副守護神が憑く場合もあるのでございましょうか」

明主様御垂示
「同じものが憑く場合もあり、別の場合もありますが、それは正守護神、副守護神に関係はありません。

肉体の霊のそれだけの曇りがあって、それが取れ切れないうちに生まれたわけです。」


信者の質問
「地獄に落ちましてそういう修業をするのは、三つの霊が一緒になっている場合でございましょうか」

明主様御垂示
「それはそういうことには関係ないので、その人そのものの曇りです。

曇りの浄化作用が地獄の苦しみなのです。

しかしそういう曇りをつくったということは、副守護神がつくるのです。

そういうことは言えますが、はっきり決めるということはできません。」


信者の質問
「連帯責任でございましょうか」

明主様御垂示
「と言うが、上中下があるからそうも言えません。

同じドングリならそれでよいですが、やはり階級があります。

まあ総合責任というか、総合されたものです。

だから難しく考えると、ちょっと考え難いが簡単に考えればわけなく分かります。」


「守護神と理性、感情、本能、心」 3

2021年03月18日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月

明主様御垂示 「守護神と理性、感情、本能、心」 3 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「特別な天分を持って生まれる者がありますが、それは魂のうちのどれに当たりますのでしょうか」

明主様御垂示
「どれということは言えません。

やっぱり副守護神が大いに働くことがあります。

芸能人というのは副守護神です。

漫才家や落語家が笑わせますが、これは本守護神にはできないので、副守護神がやるのです。

けれどもそれを利用して悪いことをすれば、副守護神が利用するわけで、本守護神が眠っているというわけです。

だから決められないものなのです。決めると間違ってしまいます。

それは実に微妙なものです。」


信者の質問
「肉体的に奇形なのはどの魂の関係でございましょうか」

明主様御垂示
「それは魂というよりか、例えてみれば、これは私の本に書いてあるから読めば分かりますが、

前の世で死ぬときに高い所から落ちて死ぬとすると、そのときに足を折るとか手を折るとかして、

それが霊界ですっかり浄化されないで生まれ変ってくると、

それが残っているから、霊主体従の法則によって体がそうなるのです。」 つづく


「守護神と理性、感情、本能、心」 2

2021年03月17日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月

明主様御垂示 「守護神と理性、感情、本能、心」 2 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「心の働きをする場合には三守護神が一緒のときでございましょうか」

明主様御垂示
「みんな一緒ですが、三つのうち、どれかが多く働くということはあります。

それで副守護神が一番多く働くときが危ないので、そういうときにはろくなことはしません。

しかしそれも、やっぱり副守護神の働きにもすばらしいことがありますから、ぜんぜんいけないとは言えません。」


信者の質問
「本守護神に適合した魂にふさわしいもの、きれい、汚れたということに関係して、正守護神、副守護神と憑くわけでございましょうか」

明主様御垂示
「そういうことはありません。ただ負けてしまうのです。

良いことを考えるときには副守護神が小さくなっているのです。

のさばってはいないのです。

けれどもそれは始終変化しているので、一日のうちにも一分のうちにも、本守護神が大きくなったり小さくなったりしてます。

例えば今まで良いことを考えていたのが、ヒョッと悪いことを考えることがあるでしょう。

そういうようで、始終一定はしていません。

ただいつの場合でも本守護神が勝てばよいのです。

それが魂の力です。

魂の力ということは光ですから、御守をかけていれば間違いないということは、御守から光が出るから、副守護神は光にはどうしても負けますから、のさばれないのです。

ですから犯罪を犯すのは本守護神というものはほとんど小さくなってます。

しかしある時期に行くとか、何かの動機に触れると、本守護神が目覚めて活躍することになります。

そうすると非常に後悔して、悔い改めるということになります。」 つづく


「守護神と理性、感情、本能、心」 1

2021年03月16日 17時20分00秒 | 昭和28年7月・8月・9月
明主様御垂示 「守護神と理性、感情、本能、心」 1 (昭和28年9月1日)

信者の質問
「理性と感情ということは、正守護神と副守護神との関係でございましょうか」

明主様御垂示
「関係はありますが、そう言い切ることはできません。

いつも言うとおり理性を使うところは前頭部で、後頭部は感情です。

これが総合して一つの思想ができるのですが、どっちにも偏ってはいけないし、また偏らないものです。

ところがたまたま偏ることがあります。

例えば人を殺したりしますが、それは感情ばかりになったのです。

それは理性から言えばそういうことをしてはたいへんな損なのです。

吉田首相の馬鹿野郎問題もそうで、感情のほうが全部になってしまって、理性が隅に押しつけられてしまったのです。

そこで後になって理性が働けば、ああとんでもないことをしたと思うに違いありません。」


信者の質問
「本能はどういう働きでございましょうか」

明主様御垂示
「本能というのはその人の欲望ですから、正守護神の本能もあり副守護神の本能もあります。

どっちも本能ですが、一方は善にあたり、一方は悪にあたります。

だから信者になって人類を助けたい、苦しみ困っている人を助けてやりたいというのは、やはり本能ですが、正しい本能ですから正守護神から出ているものです。

それから酒を飲みたい、女も妻君ならよいですが、間違った女を欲しいとか、バクチを打つとか、そういうのは副守護神の本能です。

ですから本能にもいろいろあります。」


信者の質問
「生存本能、食欲本能、性欲本能というのはどちらにはいりますでしょうか」

明主様御垂示
「それは正しいほうです。食わなければ生きてはゆけませんから。

これは正しいというよりか、絶対のものです。

それから性欲がなければ種族が絶えてしまいます。

そこで結果を見なければなりません。

同じ正守護神から出たと言っても、結果が良くなければ本当のものではありません。

だから医学が進歩すればだんだん病人が減ってきて健康な者が増えてくるというなら、結果から言っても本当のものです。

ところが病人は減らないばかりか、ますます増えるというのは、結果から言えば悪になります。

私は今度、医学というものは間違っているということを書いたのです。

だから信仰でも、あの人の信仰は立派だと言ったところで、信者ができなければ駄目です。

しかしあの人の信仰はなってない、面白くないと言っても、その人は信者をつくってドンドン増やしてゆけば、それでよいのです。

とにかく結果です。あの人は情深い人で立派な人だというだけの人よりも、あいつは少し変だがオレにご馳走したり小遣いをくれるというなら、そのほうがよいではないですか。」 つづく