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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「庭木について」

2014年01月26日 17時18分00秒 | 昭和24年1月・2月・3月
明主様御垂示 「庭木について」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「一般家庭の庭に植えては不善といわれる木がいろいろありますが、諸説紛々としていますので、植えて悪い木をお教え願います。」


明主様御垂示
「植えて悪い木はない。ただ、木の種類によりこういうことがある。

すなわち松、柳、銀杏の木は特殊の木である。

すなわち松、柳は龍神が憑依しやすく、松は雄龍、柳は雌龍で、財物などを集める縁起がよい。

門冠の松を植えるのもそのいわれである。

銀杏はよく「化銀杏」などとも言われ、その実は人間の味がするとも言われて、実は人間霊が憑依しやすいのである。

この木はお寺や神社によくある木で、人家の庭の木ではない。

その他の木にはこんなことがなく、よく果実の木を植えては不可と言われるが、うまい実がなる、

それを植えて食べることは神様の御趣旨に沿うことで、植えて悪いことがあるべきはずはない。」

「法隆寺消失の霊的意味」

2014年01月25日 17時18分00秒 | 昭和24年1月・2月・3月
明主様御垂示 「法隆寺消失の霊的意味」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「現在法隆寺は信仰の対象でなく往事の日本文化の貴い資料として後世に保存する目的と存じますが、

昼の文化建設の前には旧文化崩潰(ほうかい)の線に神の御意図は厳正であるのでしょうか。」


明主様御垂示
「法隆寺は仏教芸術の根本で一三〇〇年以前に聖徳太子が御建立、以来仏教芸術がさかんになったのである。

いま仏教の功罪を考えるに、絵画、彫刻、音曲などの芸術の面においての仏教の貢献は偉大である。

民衆的な歌曲もお経が根本で、それから謡曲が生まれ、長唄、常磐津が進歩した。浪曲も説教節から生まれて来て、絵画彫刻の面でもその通りで、その意味からすれば法隆寺の炎上は実に痛惜に堪えぬことである。

が、それには深い意味のあることで、だいたい神様の御経綸はだんだんと小さな型から大きいものに移って行くもので、

人間でも肉体、心、魂、霊子がある。その小さなものの変化をよく観ずれば、やがては世界の運命まで判るのである。

だから法隆寺の炎上も、仏教芸術の将来を暗示しているというわけで、

しかもぜんぜん消滅したわけでなく修復して新しく生まれ出ることは、

その意味においても日本芸術のために一面哀しくもありまた喜ばしいことともなる。

なお、昭和六年六月一五日、自分は千葉県の乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)に詣でたことがあるが、

そのお寺にはあらゆる仏様の像があり、また大きな菩提樹があり、その名からしても私は日本における仏界の型だと思った。

その六月一五日、この日から昼の世界に変わったわけで、それには種々の神秘があったが、やがて発表する機もあろう。

そのお寺がその後炎上し、ついに今日に至るも旧態に復し得ないのも、夜の世界の暗示と考えている。」

「正守護神は人間につかず傍にいる」

2014年01月24日 21時18分00秒 | 昭和24年1月・2月・3月
明主様御垂示 「正守護神は人間につかず傍にいる」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「人間の正守護神は霊界において守護するのでございましょうか、それとも人間に憑依するのでございましょうか。

後者の場合は霊界は留守になるのでございましょうか。」


明主様御垂示
「正守護神は人間につかず傍にいるのがふつうで、一時離れるときは代理を置くのである。

人間に憑依することもあるにはあるが、そういう場合は大概部下の動物霊を憑けるのがふつうで、一般的に狐霊が多い。

狐霊は正守護神の命令で憑って口をきくときに、

命令通りのことでなく自分の個性を出して勝手なことをしゃべることがあるから注意せねばならぬ。

また、夢知らせは正守護神がするのだが、正守護神によりてその夢の上手、下手がある。

また、あることを為すに気が進まぬのは正守護神が止めていることがあるから、

気の進まぬときは中止するなり考え直すほうがよい。

信仰に入るときに正守護神がさかんに働いている。

すなわち、祖霊が子孫を入信さすべく正守護神に頼み、また命令すると、

正守護神はその人が入信せねばならぬような事情を作るのである。」

「羅漢について」

2014年01月23日 21時18分00秒 | 昭和24年1月・2月・3月
明主様御垂示 「羅漢について」 (昭和24年3月1日発行)

信者の質問
「仏画に一二人の羅漢が書いてありました。

またお寺に羅漢寺というのもありますが、羅漢について御教えを願います。」


明主様御垂示
「羅漢は一六人がふつうで、一二人は略である。

婆羅門の行者が行をしている姿である。

達磨様も羅漢の親玉ともいうべき人で、面壁九年の行をしていて、満月の夜悟りを開いたと伝えられているが、

婆羅門は難行苦行によりて悟りを開く宗門で、お釈迦様はその苦行を読経に代えたのであるが、いまでも仏教にはその名残りが残っている。

なお断食などもその苦行の一つで、現在は病気の治療などにも行なわれているが、これは傍で見ているほど苦痛ではなく、

また一時的には身体の調子も良くなるけれど、しばらく経てば元通りになってしまう。

のみならず、断食期間中はなんの仕事もできず、かえって怠けの罪を構成することを知らねばならぬ。」