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「日本国憲法」は憲法として機能しているのでしょうか?

2017-07-09 14:42:37 | 日本国憲法
「日本国憲法」は、1946年(昭和21年)5月16日に、第90回帝国議会の審議のあと、若干の修正を加えたうえで、同年11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施行されました

1945年(昭和20年)8月15日にポツダム宣言を受諾した事により、我が国は事実上憲法改正の法的義務を負ったことになるわけです。

ポツダム宣言には

「日本軍の無条件降伏」

「日本の民主主義的傾向の復活強化」

「基本的人権尊重」

「平和政治」

「国民の自由意思による政治形態の決定」


が要求されており、連合国軍の占領中に連合国軍最高司令官総司令部監督下において「憲法改正草案要綱」を作成し、紆余曲折ののちに「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って、制定されました。

なお、施行されてから現在まで一度も改正されていません。

さて、まず「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って制定されたわけですが、その内容についてみると、主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っている、とされます。

「日本国憲法」の「上諭文」 によればこうなります。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

憲法改正の「限界説」(後述)という考え方からすると、

「日本国憲法」の前文

「・・・その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」

これに対し、大日本帝国憲法の「上諭文」は

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス・・・」

とすると「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の根本的な部分を否定しているわけで、理屈からすると「大日本帝国憲法」を否定するなら、その改定手続き(帝国憲法第73条)により「改正」された「日本国憲法」も論理的には成立しなくなります。

ところで「憲法改正」については、大別して「憲法改正無限界説」と「憲法改正限界説」という二つの考え方があります。

まず、いわゆる「成文憲法」の場合、基本的には憲法自体の改正手続を定めています。

改正手続に従って行われた「憲法改正」は、当然法的に正当なものとして承認されるわけですが(改正し得ない「憲法改正の限界」を当該憲法に明記してある場合を除く)、仮に「憲法改正」の限界が明記されていない場合であっても

例えば前憲法を無視して、100%全文に及ぶ改正をすることが可能なのか?
(憲法改正無限界説)

それとも法理論上一定の限界があるのか?
(憲法改正限界説)

という事について、学説上の争いがあります。

「憲法改正無限界説」によるのであれば、大まかに言うと「憲法改正手続に従った改正」であれば、いかなる内容への憲法改正も法的に正当化される事になります。

それに対して「憲法改正限界説」の場合、これも概略として言うと「憲法改正手続に従った憲法改正」といえども、前憲法の基本原理・根本規範を改めてしまうような改正は、改正前憲法によって法的に正当化されないと考えられています。

ただし言うまでもないことですが、改正前憲法によって法的に正当化されないからと言って、新憲法が「無効」という事になるわけではなく、新たな基本原理・根本規範によって正当性の理由付けが求められる事になります。
「憲法改正限界説」の立場から考えると、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の改正ではなく、全く新しい別個の憲法である、ということであり、そして、それは「国民自らが制定した民定憲法」というわけです。

そこで憲法学者の宮沢俊義氏により、「日本国憲法」の理論的根拠として「八月革命説」が提唱されました。

以下はあくまでも「八月革命説」について内容の説明です。

まずポツダム宣言を受諾するに際して、同宣言には天皇大権を害する要求は含まれないとの解釈が正しいか否かについて、我が国は連合国に対して回答を求めています。
この照会に対して連合国側は、その解釈の正否には触れず、日本の最終の政治形態はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明される意思により決定されるべきことを言明しました。(バーンズ回答)

我が国はこの回答を了承した上で、1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告したわけです。

バーンズ回答において日本の政治形態に関しての最終的な政治形態の決定権は、日本国民が有するとされており、、法的には「国民主権」とされています。
なので、ポツダム宣言の受諾は天皇から国民への主権の移行があったということになるわけで、ポツダム宣言の受諾を法的な意味での「革命」と解釈した上で「八月革命」と称したわけです。

ただし主権の所在が移行したからといっても「大日本帝国憲法」の全てが「無効」となったわけではなく、あくまでも「国民主権」に抵触しない限りにおいて存続していたため、形式的には「大日本帝国憲法」の改正手続に従い憲法が改正された、ということになるわけです。

事実関係でいうと、ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で新たに「主権者となった国民の代表者」として国会議員が選出され、内閣がGHQの指示を受けて起草した「大日本帝国憲法」改正案(日本国憲法案)を審議し、また名目上は主権者の地位を失った昭和天皇の裁可により「憲法改正」は成立しましたが、裁可の段階では修正は行われていません。

この事からも「日本国憲法」は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となるわけです。

現在においても「八月革命説」は「日本国憲法」の学説上の通説となっています。

さて、こうして「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の3つを三大要素とする「日本国憲法」は成立しました。
(実際は改正に関して様々な紆余曲折がありましたが、省略します)

それでは、実際問題として「日本国憲法」は我が国の「憲法」として、きちんと機能しているでしょうか?

まずは私の手元に『お役所の掟』(講談社α文庫)という本があります。

P33~34にはこうあります。

「日本はどうして三権分立ではないのでしょう」

「いや、三権分立になっているよ。憲法にもそう書いてある」

「でも実態は違うでしょう。本当に三権分立ならば、なぜ我々が法律作成をしているのですか」


(引用終了)

霞ヶ関のエリート官僚たちは、すでに国会議員の代わりに法律を作り、内閣の代わりに政策を立案しています。

これは「日本国憲法」第41条に規定された、国会は「国の唯一の立法機関である」に違反していると解釈できます。

憲法というのは、その精神が守られなければ、それは機能していないのと同じなのではないでしょうか?

大事なのは「文面」ではありません。

アドルフ・ヒトラーは、ワイマール共和制における憲法の廃止はしていません。

しかし彼は1933年の「全権委任法」の成立により「合法的」に独裁者となりました。

こうした時にどう判断するか?

「全権委任法」の成立により、ワイマール憲法は「死んだ」とみなされるわけです。

多くの方がご承知のように、英国憲法は慣習法からなっています。

「成文憲法」を持つ国家の場合であっても、憲法が文面と異なる慣習により運用されているなら、それは「憲法」が機能している、とは言えないはずです。

実際にも、いわゆる「発展途上国」は文面においては立派な「憲法」を作りますが、多くの場合、その運用は文面を反映せず、事実上は独裁国家になったりします。

さて上で説明した「憲法無限界論」というのは、この観点から見た場合に成立するでしょうか?

つまり慣習や法律でどうにもならないものを「憲法改正」で解決できる、という「憲法万能論」を想定する事ができるのか、という事です。

なので、私自身は「憲法無限界論」は採りません。

仮に「無限界論」に近い考え方で、限界は存在するが目に見えないだけ、という議論が成立するとしても、憲法がその国の「慣習法」と異なる内容であり、実態において異なる内容の運用をされているのであれば、それは当該憲法が機能しているとは言えないと思います。
つまり「目に見えない限界」を超えたわけです。

そして「日本国憲法」は、正しく運用されているでしょうか?

他に例を挙げます。

「在日米軍」に関する「砂川事件」最高裁判決の背景
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197574596

>最高裁判決の背景[編集]
機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。
まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた[1]。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定[2]。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した[3][4]。
また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと[5]、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたこと[6]が明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという[7]。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした[8]。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている[9]。古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」[10]と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがす[11]もの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている[12]。


「砂川事件」において最高裁は「アメリカ側の要望」により「統治行為論」で押し切ることで「合憲」という判決をくだしました。
あくまでも私見ですが、これでは「日本国憲法」は、少なくとも実態において「憲法」としての効力を持っている、とは言い難いと思います。
国家としての「最高法規」以上の意思が働いたわけですから。

「砂川事件」の経緯を見ても分かるように、必要とあればアメリカからの圧力がかかり、それにより結果が動く、というのでは「憲法」と言えないのではないでしょうか?

また、例えば第1条に日本国および日本国民統合の象徴たる天皇陛下の存在は「国民の総意に基づく」とあるわけですが、国語辞典的に言うなら「総意」というのは「すべての意思」という事になります。
とすると「天皇制廃止」を叫ぶ人々が「護憲」を主張するのは「憲法違反」という事になります。

そして先にも引用した第41条には国会は「国の唯一の立法機関である」と規定されていますが、文字通りに解釈すると、地方公共団体に条例の制定権すら存在しない事になります。

ちなみに第94条により地方公共団体による条例の制定権は認められています。

そもそも第41条から考えるなら、上述のような官僚による「事実上の立法」など問題外だし、国会の作成した法律について、裁判所が「違憲判断」の審査ができるのも説明がつきません。

「一票の格差」が第14条違反、というのもよく話題になります。

逆説的に言うと第96条自体も守られていない事になります。
なぜなら「憲法解釈」により事実上の改憲がなされているなら、改正条項には意味がないからです。

きりがないのでやめますが、我が国においてなぜ「議会制民主主義」は、まともに機能しなくなったのでしょうか?

それは「憲法」がきちんと機能していないからではないかと思います。

現在、「憲法改正」について様々な議論が存在しますが、仮に文面だけの「改正」をおこなったとしても

本当に「憲法として機能する」のか?

それとも実際には「慣習法」による建前の「憲法」とは異なる運用となるのか?


というのは重要な要素である、と考えます。

なお、「日本国憲法」については「八月革命説」についての是非、あるいは「憲法無効論」その他の議論が存在しますが、それは他の機会に論じることとします。

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