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主にネットでの過去投稿をまとめたものです

「南京事件」と「戦数論」について Yahoo!知恵袋における誤解?

2019-02-26 15:38:05 | 近現代史関連
Yahoo!知恵袋あたりでは、例えば

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10203807315

戦争法の権威スペートはその陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」で「捕虜」として収容した敵兵を殺害しても違法ではないと論じている

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13199453673

そもそも、日中戦争は宣戦布告なき戦闘であって国際法上の「戦争」ではなく、敵兵の保護を求めた「戦時国際法」は適用されない。

などの発言に代表されるように、国際法上の「戦争」ではないから


「ヒャッハー!(法的戦争じゃないから)やりたい放題皆殺しだー!」


などという世紀末のチンピラのような「国際法の(解釈)による事件の正当化を主張する人たちがいます。

そもそも、こんな「主張」は一般常識の範囲で退けられてしかるべきだと思うのですけど、それはともかく…


上記の引用BA回答にある「田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P346-348」という文章の出所は、おそらくこれです。
(以下、K-Kさん無断引用お許し乞う)

http://www.geocities.jp/kk_nanking/law/sensuu/hr_takemoto.htm

しからば第二説、すなわち戦数否定論を正しいとみなすべきか。この説は、上に引用した形においては、法規解釈論として論理的に間然するところがないように見える。しかしこの説を唱える学者がその著書論文において個々の戦争法規を解説する個所を読むときには、しばしば軍事的必要条項を含まない規範、すなわち彼らの説によれば絶対的命令と解されねばならないはずの規範を、軍事的必要によって破ることができると説いているのを発見する。
 例えばハーグ陸戦条規第二三条(ニ)号「no quarter」を宣言することの禁止(投降者不助命を宣言することの禁止)、何人も知るように「軍事的必要条項」を含んでいない。
 しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、
 「この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、勝利の達成は妨害せられ、時として危くされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」。
 この言葉は、戦争法に遵って行動しては勝利の獲得が困難な場合には、法を離れて行動することを許すものではあるまいか。戦争法が戦術的または戦略的目的の達成を妨げる障壁をなす場合には、法の障壁を乗り越えることを許すものではあるまいか。
 またオッペンハイム国際法の戦時の部にも
 「投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において(in case of imperative necessity)すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合においてである」という一句がある。但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、第三の緊急必要の場合云々を削り去り、その後の版もこれに倣っている。恐らく校訂者は、この一句が戦数についてオッペンハイムの論ずるところと両立しないと認めたからであろう。両立しないことは確かである。しかし陸戦条規第二三条(ニ)号の解釈としては、右のオッペンハイムおよびウェストレークの見解が正しいことは疑いを容れない。この見解は多数の戦争法研究者によって支持されるところであり、戦数を肯定する嫌いのあるドイツ学者の説の引用を避けて、ただイギリスの学者の説のみをたずねても、戦争法の権威スペートはその陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」のなかに、投降者の助命が戦時の実際において行われ難く、かつその止むを得ない場合があることを論じ、また投降を許して収容した捕虜さえも、軍の行動の必要によって皆殺するの止むえぬ場合があることは、ローレンスが、一七九九年ナポレオン軍によるトルコ・ジャッファ守備隊四千人の皆殺の例を引いて説くところである。故にもしオッペンハイムの死後版の校訂者(マックネーア、ローターパクト)が考えるように、オッペンハイムの戦数論と陸戦条規第二三条の解釈とが両立しないものであるならば、後者を削除するよりも、寧ろ前者に向って反省を加える必要があるように思われる。
 要するにこれらの学者は、戦数を論ずる個所においては、戦数否定論を唱えながら、個々の戦争法規の解釈に当っては戦数を是認しているのである。何故にこういう矛盾が生じたか、その理由を探求することによって戦数論に対する解決の正しい鍵は得られると思う。

田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P346-348


ご存知の方もいらっしゃるかと思いますけど、こちらの元文章を掲載しているサイトの主であるK-Kさんは古くから「南京事件」の肯定論を主張するネット論客として知られている方で、あくまでもこの文章を含む国際法についての様々な引用は資料として掲載しているだけです。

詳しくは元サイト
http://www.geocities.jp/kk_nanking/


をご覧ください。

そうした方のサイトから自分の主張に都合のいい部分だけを切り取ってトンデモ理論を組み立てるような人間の神経は確かに疑いたくはなりますけど、それはともかく

知恵袋などで、このような「おかしな取り上げ方」をされる、いわゆる「戦数論」というのはどのようなものかというと

『国際法辞典』国際法学会編、鹿島出版会(昭和50年3月30日発行) P400

戦数 〔独〕Kriegsrason 〔英〕necessity of war,military necessity ドイツ語のクリーグスレゾンの訳語で、戦時非常事由または交戦条理ともいわれ、戦争中に交戦国が戦争法規を遵守すべき義務から解放される事由の一として主張されてきたものである。個人の場合に緊急状態の違法行為がその違法性を阻却されるのと同様に、戦争の場合に交戦国が戦争法規を守ることによって自国の重大利益が危険にさらされるような例外的な場合には、戦争法の拘束から解放される、すなわち、戦争の必要が戦争法に優先する、と主張される。この理論は、とくに第一次大戦前のドイツの国際法学者たちによって主張されたものであるが、イギリスやアメリカの学者たちはこぞって反対している。反対の論拠は、もともと戦争法は軍事的必要と人道的考慮とのバランスの上に成立しており、法規が作られるにあたってすでに軍事的必要が考慮されているのであるから、そのうえさらに軍事的必要を理由として戦争法規を破りうることを認めるのは、戦争法そのものの存在を無意味ならしめ否定することになる、という点にある。たとえば、1907年の「陸戦の法規慣習に関する条約」の前文は、「右条規ハ、軍事上ノ必要ヲ許ス限、努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノ」であると述べており、また1949年のジュネーブ諸条約1条は「すべての場合において」尊重されねばならない旨規定している。したがって、法規がとくに軍事的必要のためにそれから離れうることを明示している場合のほかは、一般的な形で軍事的必要をもちだしえない、というのである。
 このように両説は、全く相反する主張をしているように見える。戦争法は、過去における経験から通常発生すると思われる事態を考慮し、その場合における人道的要請と軍事的必要の均衡の上に作られている。予測されなかったような重大な必要が生じ、戦争法規の尊守を不可能ならしめる場合もありうるのである。戦数を肯定する学者も、一般には戦争法が尊守しうるものとして作られていることを認める。ただ、きわめて例外的な場合にのみ戦数を主張しているにすぎない。他方、否定的立場をとる学者は、軍事的必要条項を含んでいない法規について、解釈上例外を認めている。すなわち、肯定説は、戦数を一般的理論として述べるのに対して、否定説は、個々の法規の解釈の中に例外を認めようとすのであって、その表面的対立にもかかわらず両説は実質的にはそれほど大きな差はないと思われる。(竹本正幸)


というものです。


知恵袋などのネットでは、いわゆる佐藤和男氏の論文などの引用により、あたかも「戦数論」を主張する論客であるかのように見られているオッペンハイムなども、実は


「独逸の法諺 Kriegsraeson geht vor Kriegsmanier は、戦争方法が未だ慣習法及び國際條約より成る戦争法規によつて規整せられずして、只戦争の習はし(Manier, Brauch)によつてのみ規整せられて居た時代に発生し、認められたものであり、其の言はんとする所は、戦時の必要は戦争の習はしを破る、と言ふことである。然るに今日戦争方法は最早や習はしによつてのみ規整せられずして、大部分は法規によつて--國際條約又は一般的慣習によつて承認せられたる確固たる規則によつて--規整せられる。此等の條約及び慣習上の規則は、自己保存の必要ある場含に適用なきが如く作られて居るものを除き、必要によつて破られ得ない。故に例へば毒を施せる武器及び毒物の使用を禁止し、又敵軍に属する個人を背信的に殺傷することを許さずとする規則は、たとへ之を破ることが重大なる危険を避け又は戦争の目的を達成する結果を齎す場含と難も、拘束力を失はない。海牙陸戦條規の第二十二條は明白に、交戦者が敵を害する手段を選擇する権利は無制限にあらず、と規定する。そして此の規則は必要の場含にも拘束力を失はない。軍事的【108】必要の場含に無視することが許されるのは、戦争法規ではなくして、たゞ戦争の習はしである。Kriegsraeson geht vor Kriegsmanier, but not vor Kriegsrecht!」(六九齣)。」

田岡良一『戦争法の基本問題』P107-108


とあるように

あくまでも緊急、必要な場合を除き、戦時国際法における「例外的な措置」は基本的には認めるべきではないという立場です。


「戦数論」それ自体はリューダーなどのドイツの一部学者のみが主張するものであったとしても

戦争法は、過去における経験から通常発生すると思われる事態を考慮し、その場合における人道的要請と軍事的必要の均衡の上に作られている。予測されなかったような重大な必要が生じ、戦争法規の尊守を不可能ならしめる場合もありうるのである。戦数を肯定する学者も、一般には戦争法が尊守しうるものとして作られていることを認める。ただ、きわめて例外的な場合にのみ戦数を主張しているにすぎない。他方、否定的立場をとる学者は、軍事的必要条項を含んでいない法規について、解釈上例外を認めている。すなわち、肯定説は、戦数を一般的理論として述べるのに対して、否定説は、個々の法規の解釈の中に例外を認めようとすのであって、その表面的対立にもかかわらず両説は実質的にはそれほど大きな差はないと思われる。

という前提を元に


戦時国際法を論じる学者は「戦数論」についての「肯定」、「否定」を問わず「軍事的必要性からの緊急避難的な措置」を認めている


だから「南京事件」においても、行われたのはあくまでも「軍事的必要性からの緊急避難的な措置」であり、断じて「虐殺」ではない



というのが、(意識しているかどうかは別として)「南京事件」を国際法により正当化しようとする人たちの論理というわけです。

本当にそのような論理が通用するのか?

それは「南京事件」の具体的な内容を元に論じないと、空理空論にしかならないのではないかと、少なくとも私などは思いますけどね。

既に音をたてて崩れ落ちている「南京大虐殺」否定論者の願望

2019-01-29 21:15:43 | 近現代史関連
Yahoo!知恵袋で、例によってこのような質問がたっています。

南京大虐殺の嘘は、音を立てて崩れ始めましたか。ようやくですか。
音を立てて崩れ始めた「南京大虐殺」の嘘

森 清勇 2019/01/22 06:00


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14202550069?


2015年10月20日、エリザベス女王は習近平国家主席を主賓として迎えた晩餐会を主催した。席上に添えられたのは1本30万円もする仏ボルドー産の高級ワインの「シャトー・オー・ブリオン1989年」だったという。
1989年は民主化を求める学生を中国当局が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した天安門事件があった年で、中国が最も触れたくない年のはず。
1989年ワインは暗喩の皮肉か、かけ値なしのおもてなしか?
ワインはともかくとして、習主席が女王の前で話したのは中国が独豪などと合作した映画で描かれたジョージ・ホッグ記者の話しである。
記者は赤十字職員と偽って南京に入城し、南京虐殺の現場を撮影したところ、日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられるというストーリだという。
習主席にとっては、「南京大虐殺」を現実に目撃した英国人記者で、日本の悪を暴く動かぬ証拠の現場写真を撮った人物である。
暴露されることを怖れる日本軍が彼を処刑しようとしたこと、それを中国共産党籍の軍人が救助したこと、これは素晴らしい英中の友情物語であるし、女王を前にした晩餐会で話すにふさわしいこれ以上の題材は見つからなかったのであろう。
ところが、この台本となったホッグの評伝『オーシャン・デビル』では、ホッグは1938年2月に上海に入国し、漢口を経て、黄石市(湖北省)に移り、ここで戦災孤児施設の教師を務めている。
国民党が孤児を徴兵しようとすると、孤児60人を連れて1100キロ離れたモンゴル国境に近い山丹(甘粛省)に逃れる。孤児たちを戦争から守ったということで、「中国版シンドラーのリスト」として評価されているという。
ホッグは上海、漢口に滞在しているが、南京に入っておらず、しかも上海入国自体が、日本の南京占領(37年12月13日~38年1月13日)が終わった後であることが評伝から明確である。



まず疑問に思ったこと。

ワインはともかくとして、習主席が女王の前で話したのは中国が独豪などと合作した映画で描かれたジョージ・ホッグ記者の話しである。


中国がドイツ、オーストラリアなどと合作で作った映画に、たまたま実在の人物であるジョージ・ホッグ記者が登場したからといって、それが、そのまま歴史的事実だと、なぜ思えるのでしょうか?

徳川光圀は実在の人物ですけど、光圀をモデルにしたドラマ「水戸黄門」がそのまま歴史的事実であると考える日本人は、普通いません。

また黄門様の全国漫遊が史実ではないから、「水戸黄門は実在しなかった」などと言ったらバカにされても仕方ないでしょう。

同様に

ジョージ・ホッグが当時の南京にいなかったからといって、それが「南京大虐殺」が嘘だった証明になるわけではありません。

せいぜい、映画のストーリーがそうなっているんですね、程度の話です。

そもそも、劇中のジョージ・ホッグ記者は、当時の南京にはいなかったはずの中国共産党籍の軍人が救助されるという、その時点でフィクションだと理解しろよ!

という話です。

なお、当時の南京にはニューヨーク・タイムズ社のF・ティルマン・ダーディン記者、シカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者などがおり、彼らによって「南京大虐殺」の様子は記事にされています。

ダーディン
http://yu77799.g1.xrea.com/durdin.html


スティール
http://yu77799.g1.xrea.com/steele.html


最低でも、まずこれらが「嘘」である明確な根拠を挙げてくれないことにはお話にさえなりません。

なお、当のジョージ・ホッグ記者については、こちらが参考になります。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/20160831/1472665656


あと、ホッグが南京事件を目撃したとか主張している人が誰かいるんでしょうかね?ホッグは陥落直前の漢口にはいました*1が、陥落時の南京にいたという歴史資料は多分ないと思いますよ。あるとすれば、脚色として、舞台を有名な南京事件の場に変えている映画の中の話だけでしょう。「「南京事件」の現場にもいなかったことが30日までに明らかになった」なんてドヤ顔で報じる方が恥ずかしいと思います。


本当に、こんな映画の話題だけで、ここまで騒げる「南京事件」否定論者の精神構造は疑いたくはなりますね。

日中戦争はいつ、なぜ始まったのでしょうか?

2018-10-22 06:05:31 | 近現代史関連
まず「日中戦争」の定義をする必要がありそうです。

日中戦争については

満州事変からはじまる「15年戦争説」

盧溝橋事件を発端とする説
(通説)

第二次上海事変を開始点とする説
(少数説)

があります。

これは

そもそも日中の戦争は、どこからが出発点だったか?

日中戦争の直接のきっかけとなった事件は何か?

日中両国の政府が「全面武力衝突」となり、事実上の戦争に入ったのはいつか?

などについて、それぞれの論者に見解の相違があり、統一がなされていないためです。

ただし、「日中歴史共同研究」による日本側の研究者がまとめた「日本語論文」を読むと

日本語論文PDF
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf

>「 1937 年 7 月に勃発した日中間の衝突事件は、全面戦争に発展したにもかかわらず、双方とも 41年の太平洋戦争の開始まで宣戦布告を避けたという特徴がある。主な理由は、宣戦布告がアメリカ中立法の適用を受け、経済制裁と同様の効果をもたらす恐れがあったからである。さらに日本では、「戦争」への格上げは事態の早期収拾の妨げとなる、と判断された。日中紛争の長期化は、本来の敵と想定されたソ連や英米との対決に備えるためにも避けねばならなかった。こうして日本は、この戦争を当初「北支事変」と呼び、戦火が拡大した 37 年 9 月以降は「支那事変」と正式に呼称した。
もう一つの特徴は、全期間に及ぶ無数の和平工作が様々なルートで日本側から試みられたことである。それは早期収拾への期待と焦慮の反映でもあった。しかし、早期収拾への焦慮とは裏腹に戦闘は 8 年を越え、宣戦布告による戦争以上に熾烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いることになった。


→明示はしていませんが、盧溝橋事件を発端とする説を採用している事がわかります。

ここに至ったのは、とにかく当時の我が国政府に、軍に対する統制力が欠如していたという事。

特に現場の軍人達が、政府どころか軍中央の命令にさえ従おうとせず、個人プレイによる独断専行を勝手気ままに行った事で、和平交渉が潰されていったというのが原因である、というべきでしょう。

満州事変はもとより

昭和天皇の反対さえ無視した熱河作戦しかり

現地軍の独断専行により「トラウトマン和平工作」を潰した南京攻略戦しかり

盧溝橋事件も、元はと言えば「銃声が聞こえた」というだけの小事件であり、停戦協議も成立、中国軍は盧溝橋城から撤退しているにもかかわらず、全面戦争のきっかけとなるまでに発展したのは「愉快なことが起ったね」などて言い放った「拡大派」の人々に責任があります。
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/kakudai.html

ただし、第二次上海事変までは、確かに「全面戦争」を回避しようとする努力が日中双方からなされていました。

が、それを片っ端から潰していったのも、主として日本側の中央の意向を無視した人々です。
(公平を期して言うと、中国側にも事変の拡大を望む勢力は存在しました)

さて基本的な話として

中央政府の指示命令を元に動くはずの軍人が、勝手なスタンドプレーにはしるようでは、収拾がつかなくなるのは当たり前です。

では、どうすればよかったのか?

私は満州事変の時点で、首謀者である石原莞爾らを軍刑法により処刑し、比較的我が国にとっても有利な提案であったリットン調査団の報告を受け入れていれば、その後の悲劇は避けられたと思っています。

命令違反の軍人を法により処罰するのは当たり前。

その当たり前の事ができず、またその後「命令違反」など当たり前、と言わんばかりの風潮を作り出してしまった事が、日中戦争の悲劇につながったのだと思っています。

国際法上は「併合」と「割譲」は別のものである

2018-10-09 20:29:36 | 近現代史関連
なんで、こんなわかりきったことを今さらと思う向きがあるかもしれませんけど、そこはご容赦ください。

例によってYahoo!知恵袋なるところで、こんなおかしな主張を見かけましたので(笑)。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14196950659


xxx********氏、2018/10/622:39:33返信分より

>台湾併合 それ?いつの事なの? ほんとにあったの?

はいはい、世の中にはネットという便利なものがあって

「台湾 日本 併合」で検索したら、すぐにわかることだぞう(笑)

ネットという便利なものがあるのに「猫に小判」だね。

ちょっと調べて回答したほうがいいんじゃない。

> 毎度WIKIからの知識で書き込んでいるのに。
>今回はWIKIも見なかったんだね。そんなんじゃダメだよ。
>手を抜きすぎ。元々が無知なんだから、気をつけようね。

自分のこといっているの?

ちょっとは調べてコメントを書こうねえ。

もともとが無知なんだから、気をつけようね

といっても無駄か(笑)

気をつけるような頭があるなら

redくんみたいに逃げるだろうからね。

身の程の知らないバカですな(笑)



そもそも、この人物の「南京事件」についての本回答と、これ以降の返信も含めて、他の投稿者に対するデマや誹謗中傷などに満ちており、これはYahoo!知恵袋オフィシャルブログにあるところの「禁止事項」に当たるはずです。

https://blogs.yahoo.co.jp/yjchiebukuro_staff/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2

>弊社では、「知恵が役立ち、共有できる」場をお客様へ提供し、より安心・安全にサービスをご利用いただくため、不快な投稿への対応を強化いたします。
Yahoo!知恵袋で質問や回答を行う際には「利用のルール」をご確認いただき、ルールを守ったうえで投稿を行うようにお願いします。

■禁止事項について

・誹謗(ひぼう)中傷など他人を攻撃したり、傷つける内容の投稿は行わないでください。
質問や回答の内容であっても、記載された相手や知恵袋を見ている人を不快にさせる投稿は
禁止しております。

・わいせつ、不愉快だと感じる可能性のある内容や画像、URLの投稿は行わないでください。
老若男女たくさんの方が訪れる場であることを意識して、節度ある投稿を行ってください。

・個人を特定できる情報やプライバシーを侵害するような投稿は行わないでください。

※上記は禁止事項の一部です。必ず「利用のルール」をご確認ください。


お客様から「使ってよかった。また利用しよう」と思っていただけるサービスとなりますよう、
不快な投稿や悪意のある行為、不正利用には、24時間365日体制で厳しく対処してまいります。


→が、私自身はYahoo!知恵袋の「特定投稿者に対するデマや誹謗中傷などを野放しにしておきながら、意味不明な基準で問題があると思われないような投稿を削除する」姿勢を見て、どうやら、このオフィシャルブログに書いてあることは一種のブラックユーモアであると理解するようになりましたけど(笑)

それはともかく、国際法を学んだ方なら誰でも知っていることとして、国際法には領域権原という考え方があります。

これは国家による領域の支配を正当化する法的根拠のことですが、一般的には先占、割譲、併合、征服、添付、時効などが知られています。

例えば、一番手近ににあった森川俊孝、佐藤文夫両氏の共著による『新国際法講義』(北樹出版)のP79を開いてみても

国家の領域権原とは、国家が特定の地域に領域主権を確立するための根拠となる事実のことであり、
①先占・②割譲・③併合・④征服・⑤添付・⑥時効が挙げられる


(中略)

「割譲」は国家間の合意により領土の一部を他国に移転することであり、有償・無償・交換の3種類がある。「併合」は、条約により国家領域の全部を他国に移動させることであるが、国家による強制による場合は権原として認められない。


とあり、明確に割譲と併合は別のものとして記されています。

後述しますが、台湾はあくまでも下関条約により清国から、その領土の一部を我が国に「割譲」されたものであり、清国政府の同意は得ていますが、台湾住民の同意は得ていません。

ネット上ですぐ見られるものとしては、このようなものがありました。

事例で学ぶ国際法(島田征夫編著、敬文堂)より引用
http://www.geocities.jp/uso888/kokusai.html


[国家領域]
国家領域は、主権国家が領域主権に基づく管理や支配ができる地理的範囲をいい、基本的には陸地領土とその上空であり、海洋に面していれば領海とその上空をも含む三次元的区域である。陸地領土は、自然に形成された領土からなり、人工島はこれに含まれない。陸地領土にある水の部分、たとえば河川、湖沼、運河などは内水とされ、領海は、海洋の一部分で、陸地領土に接した一定幅の帯状の水域をいう。
人類が活動できる地球上のあらゆる地域や空間は、国際法上、国家領域と国際公域とに分けられる。国家領域は、いずれかの主権国家に帰属している区域であり、隣国との境界は国際条約で、領海の幅は国際海洋法条約でそれぞれ決められている。領空の高さの範囲については明確ではない。主権国家の範囲を決定しているのは国際法であり、人や物が国境を越えることによって、国際法上の問題となるのである。


(中略)
3. 領域取得権原と日本の領土問題
[合意による領域移転]
国は、自国領域の基本となる陸地領土を他国に移転することができ、陸地領土の移転にともなって、領海と領空も移転する。国がある区域に対して領有権を主張できる国際法上の根拠を領有権原という。これには、国家間の合意に基づく領域権原と、国の一方的な行為に基づく領域権原とがある。割譲と併合は前者の例であり、先占、添付、時効、征服は後者の例である。
割譲は、通常、割譲条約を締結して領土の一部を移転するもので、これには平時割譲と戦時割譲がある。平時割譲は、平和的な交渉の結果、相互に一定の領土を交換する形態と、相応の対価を支払って売買する形態がある。日露間の千島樺太交換条約(1875年)は前者の例であり、アメリカによるルイジアナ購入(1803年)やアラスカ購入(1867年)は後者の例である。戦時割譲は、講和条約中に規定される場合が多い。日本が日清 戦争の講和条約である下関条約(1895年)で台湾を、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約(1905年)で南樺太をそれぞれ戦時割譲している。 併合は、平和的に締結した併合条約に基づいて、国の領域全体を他方の締約国に移転する権原である。領域全部を移転された国は、併合とともに消滅する。朝鮮は、併合条約(1910年)の結果、日本に併合された。


ここでも台湾は「割譲」、朝鮮半島は「併合」と、明確に区別されていることがわかります。


さて、下関条約の直後から、台湾住民はこれに異議を唱え、明確な抗日運動をはじめます。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/meiji/kiyasu.htm


 条約締結より二日も経てようやく清廷より台湾割譲に関する最初の通達が唐総督のもとにもたらされ、一般住民にも告示された。
 そこには台湾紳民を慰撫する言葉は一言もなく、遂に
 「割譲に際し、極力領土授受委員の保護に当り、人民を諭し、切に事端を生ずることなきよう」
との一文があった。
 これは台湾紳民の感情を逆なでするものであった。
 戦えと言うどころか、台湾接収に来た彼らの敵を保護し、事を構えるなかれと言うのである。
 しかも「大陸に渡ることも自由」との一文もあった。
 つまり、台湾を捨て、大陸に来ることを希望するならどうぞいらっしゃいというのである。
 台湾人にとって台湾は故郷であり、大陸に縁者を持たない大多数の住民にとってここを離れることは忍び難いことである。
 台湾紳民は、このような白々しさの標う清廷の通達に対し、強い憤りを感ぜざるを得なかった。
 この日、唐総督が離合するのではないかとの危惧を抱いた台北の士紳たちは、台湾全島の士紳たちに電文を発し、彼をこの地に留めることを呼びかけた。


台湾住民による「抗日運動」それ自体にも言いたいことはありますが、ここでは省略します。

重要なことは

清国政府により

「割譲に際し、極力領土授受委員の保護に当り、人民を諭し、切に事端を生ずることなきよう」
との一文


が台湾住民(の、少なくとも代表に当たる人々)に対して明示されていること

その後、唐景崧を総統とする「台湾民主国」が確かに独立宣言をし、日本軍と戦いましたが、この「台湾民主国」を国家承認した他国は一つもなかったこと

です。

だから、百歩譲って「日本が台湾民主国を併合した」という論法をたてるとしても

それを承認した他国がなく、逆に当事者である清国政府を含む当時の国際社会が「清国政府による日本への台湾割譲」を承認していますので、やはり、これを国際法上「台湾併合」とするのは無理です。

確かに通俗的な用法としての「台湾(併合)」という用語がネットに限らず、(厳密な用語使用をしていない)一部書籍でも見られますが

国際法上は、あくまでも台湾は下関条約における合意により

清国政府より日本国へ「割譲」されたものです。

参考までに下関条約の該当文も引用しておきましょう。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84


第二條

淸國ハ左記ノ土地ノ主權竝ニ該地方ニ在ル城壘兵器製造所及官有物ヲ永遠日本國ニ割與ス

一 左ノ經界内ニ在ル奉天省南部ノ地

鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城海城營口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル處ハ該河ノ中央ヲ以テ經界トスルコトト知ルヘシ

遼東灣東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ屬スル諸島嶼

二 臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼

三 澎湖列島即英國「グリーンウィチ」東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼


せっかくなので「韓國倂合ニ關スル條約」の該当文も引用しておきます。

https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9C%8B%E5%80%82%E5%90%88%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E6%A2%9D%E7%B4%84

第一條

韓國皇帝陛下ハ韓國全部ニ關スル一切ノ統治權ヲ完全且永久ニ日本國皇帝陛下ニ讓與ス

第二條

日本國皇帝陛下ハ前條ニ揭ケタル讓與ヲ受諾シ且全然韓國ヲ日本帝國ニ倂合スルコトヲ承諾ス


→本来は、わざわざ言うまでもないことですけど

条約正文にそれぞれ割與(割譲)、併合と明記されていることは指摘しておきます。


追記

なお「併合」についてですが、通常は条約により国家領域の全部を他国に移動させることであるとされているものの、イレギュラーなケースとして国家領域の一部地域を他国へ移動させることを呼ぶ場合もないわけではありません。

近年ではロシアによるウクライナ領土だったクリミアの併合という事例がありました。

もっとも、当事国であるウクライナの同意によらない「クリミア併合」については国際法上でも議論が存在しますけど。

ソ連による「日ソ中立条約」の一方的な破棄と、一方的な日本に対する先制攻撃は 真面目に考えたら「国際法違反」である

2018-09-17 12:05:42 | 近現代史関連
たまにはYahoo!知恵袋でも有意義なQ&Aがなされることもあるという事例を紹介してみましょう。

以前、知恵袋でこのような質問をたてたことがあります。

ソ連による「日ソ中立条約」の一方的な破棄と、一方的な日本に対する先制攻撃は

真面目に考えたら「国際法違反」ではないのでしょうか?

勿論、ソ連は極東国際軍事裁判において「関特演」
を根拠に

「日ソ中立条約」に先に違反したのは日本である

という「有権解釈」を日本側に否応なしに飲ませたわけですけど

であるにしても、本来なら「先制攻撃」の事実は消えないはずです。

なお「日本にまったく非はない」などという主張をしているわけではありませんので、念のため。

いかがでしょうか?


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11164637966


以下にベストアンサーの方の回答をそのまま引用させていただきます。

原則的なお話ですと、
・当時として「日ソ中立条約」は有効であり、「ソ連による「日ソ中立条約」の一方的な破棄と、一方的な日本に対する先制攻撃」というのは「国際法違反(義務違反)」。
・ただし、この事例では「違法性棄却」の要素が関係している(少なくともソ連は「関特演」を根拠にそう主張している)。
という事だと思います。


まず、ソ連が「日ソ中立条約」に抵触したというのは否定できない事実です。
「日ソ中立条約」では、条約の有効期間は1941年4月25日から5年間。満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間自動延長。と規定されています。
ソ連が「日ソ中立条約」の「廃棄を通告した」のは1945年4月5日のこと。その場で「日ソ中立条約」が「1946年4月25日まで有効」という認識はソ連外相も同意しているわけです。
つまり条約は「破棄されていたのでもなく、無効になったのでもなく」、依然として「1946年4月25日まで有効」だったわけですね。
このことからソ連は疑いようもなく「義務違反」を行ったわけです。


さて「違法性棄却」の問題ですが…


(1)「違法性棄却」には幾つかの要件があります。
「他国の先行違法行為の存在」「被害国による違法行為の中止要請と賠償請求の提起」「受けた侵害との均衡性」という要件があります。
当然ながら「我が国民が一人殺されたので、対抗措置として貴国の国民を1億人殺す」というのは違法性棄却にはなりません。
「関特演」が条約違反であるなら、まず違法行為に対する請求や要請・抗議が必要です。そしてソ連が行える対抗措置というものは同程度のものに限られるということになります。

(2)「関特演」を根拠に「日ソ中立条約」が「破棄された」と主張するなら、それは「日本に対する先制攻撃」より以前に日本に通告されるべきでした。
1941年7月に行われた「関特演」でしたが、ソ連が「日ソ中立条約」の「廃棄を通告した」のは1945年4月5日のこと。その場で「日ソ中立条約」が「1946年4月25日まで有効」という認識はソ連外相も同意しているわけです。
「(条約は)1946年4月25日まで有効」としたソ連外相が同意しているのに、遡及的に「関特演(1941年7月)により日ソ中立条約が破棄された」とソ連が主張するのは禁反言に該当するでしょうね。

(3)すでに触れられていますが「侵略」の定義というのも重要です。
「違法性棄却」には限界があります。「強行規範にもとづく限界として、その行動が強行規範(jus cogens)に反するときはいかなる事由によっても違法性は棄却されない(国際法学講義 杉原高嶺p518)」という指摘があります。
数少ない強行規範には「侵略」が含まれています。
もし「侵略」という定義がshpfiveさんが言う「一方的な宣戦布告に基づき、「自衛のための戦争」と考える余地がないもの」というものなら、ソ連の「侵略」は「違法性棄却」の限界を超えているということになります。

こういう点を考えると、「法的には「国際法違反」である」と言えますね。

ただ、これはあくまで「法的」なお話です。
「現実的」に、ソ連は日本に対して一方的な宣戦布告と先制攻撃を行ったわけで、結果として敗者となった日本はソ連の国際法違反を訴追する権利を失いました。

日本の認識が甘かったと言われればその通りです。
日本側にも何かしらの非があった可能性は否定できません。

しかし「法的なお話」に限定するなら、「ソ連の一連の行動は「国際法違反」である」と結論して問題ないと思います。


まさに「知恵袋に賢者あり」と表現したくなるような明快なご回答であると、少なくとも私自身は思っています。

単純に事実関係として考えたとき

当のソ連自身が「日ソ中立条約」は継続中であり、それにもかかわらず対日参戦するのだから、それを要請する側であるアメリカ、イギリスに対して一筆書けというのは理の当然であり、事実アメリカのトルーマン大統領は、それを書いているわけです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84

ポツダム会談で、ソ連は、「日ソ中立条約の残存期間中であること」を理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請文書を提示すること」を要求した[1]。

これに対して、アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンはソ連首相ヨシフ・スターリンに送った書簡の中で、連合国が署名したモスクワ宣言(1943年)や「国連憲章103条・106条」などを根拠に、「ソ連の参戦は平和と安全を維持する目的で国際社会に代わって共同行動をとるために他の大国と協力するものであり、国連憲章103条に従えば憲章の義務が国際法と抵触する場合には憲章の義務が優先する」という見解を示した[1][2]。

この回答はソ連の参戦を望まなかったトルーマンやジェームズ・F・バーンズ国務長官が、国務省の法律専門家であるジェームズ・コーヘンから受けた助言をもとに提示したものであり、法的な根拠には欠けていた[3]。


ネットなどでは、今回引用させていただいた過去質問の他の回答者さんにも見られるような

>真面目に考えたら「国際法違反」ではないのでしょうか?
日本が守っていないので、国際法違反になりません。

>本来なら「先制攻撃」の事実は消えないはずです。
条約は、既に空文化していたので、ソ連側に責任はありません。

>なお「日本にまったく非はない」などという主張をしているわけではありません
そうではなく、非は、日本側にしかありませんから。

日ソ中立条約を読み直してください。
『第二条 締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ』
独ソ戦中に、ドイツと同盟関係にあることは、明らかな条約違反になります。


などという主張も見られますが、これは「リーガルマインド」ができない人の典型的な論法であると感じます。

あくまでも法的な話をしているのに「歴史的根拠」や「政治的背景」などを持ち出して、強引に自分にとって都合のいい結論を出してしまう。

単純な事実を指摘しておけば、日本側の関特演実施に対して、ソ連側の方から

こうした行為は、日本側が誠実に日ソ中立条約を履行意思を持っていると見なすことは出来ず、ゆえに当方としては条約の無効化という解釈をせずにはいられない

という声明を出しておけば、話は全然違ってきます。

また、スターリン自身がポツダム会談において「日ソ中立条約の残存期間中であること」を理由に、アメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請文書を提示すること」を要求したこと、それ自体もソ連側が、少なくともその時点までは「日ソ中立条約」が継続中であったと認識していることをあらわしています。


勿論、政治的にはソ連側にあくまでも日本と結んだ中立条約を何がなんでも守り、独ソ戦においてレンドリースなどによる支援を受けたアメリカをはじめとする連合国の要請を断るという選択肢など存在しませんでしたけど

あくまでも法的なお話に限定すれば、ベストアンサーの方のおっしゃる通り

「ソ連の一連の行動は「国際法違反」である」と結論して問題ないと思います。