I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

会話

2013年01月21日 | 現在進行形
先日、バリ活と話す機会があった。
私が組織活動を一切やらないことに対し、彼女はその理由を知りたがった。
「組織ぐるみでなくても信仰は可能だ」と私は答えた。

相手は「組織についていなければ、先生のご指導に触れたり(同中のことを言ってる様子)、
メンバー同士で励ましあったりできないのに、信心をたもちつづけていくのは不可能。
組織なしでの信仰なんてありえないでしょう」と言った。

私は内心思った、それはあなたの考える「信仰」だよ。私の考えと違う。
私は、仲間との慣れ合いなんかなくても信仰をたもっていられるよ。
ましてや、消息不明じいさんの指導、必要ない(笑)。
そんな気持ちを込めながら
「あくまでも、日蓮大聖人を信じ、法華経を信じ・行じていくことが重要。一人でもそれは出来る」と答えた。

すると彼女の目がキラっと光って
「そうですよ。法華経を”信じる”だけじゃだめなんですよ。法華経は”行じる”んです。
だから、一人じゃ無理じゃないですか」と。
彼女は、組織の活動こそが「法華経を”行じる”こと」だと言いたげだった。

「そんなの組織ぐるみじゃなくたって出来ますよ。友人への仏法対話なんて組織は必要ないし」
私はこう答えた。

彼女は「折伏のことですよね?だったら、折伏はまぁ可能として、御本尊様はどうするんですか?
まさか、宗門で頂く訳じゃないですよね?」と言いだした。
此処でも彼女は、あくまでも「創価のお貸し下げするご本尊様が一番正しい」と言いたげで
「ご本尊様がなければ折伏はできない」と思っている様子。

私は「方法あると思いますよ。どんな方法かは言いませんが」と答えた。
そして「創価のご本尊様じゃなきゃいけない理由って、何なんですか?
何をもってして、創価のご本尊様が正しいと思うんですか?
あなたの言葉で考えで答えてください」と返した。

すると彼女は「宗門のご本尊様には血脈なんかないんです。でも学会のご本尊様は大聖人直結です。
だからまちがいないんです」と答えた。

いやいや、全然納得できませんけど、そんな教科書通りの中身の全く無い答えは。

私は「それは、どこに証拠があるんですか?大聖人様が仰ってる事ですか?だったらどの御書に
かいてあるのか教えてもらえますか」と聞いた。

彼女はあたふたしていたが
「大聖人様が、広宣流布するといわれた。そのとおりに、学会が世界にまで広げた。だから
大聖人直結です」と答えた。なんと苦しい返答(笑)。

私は「別に、学会だけじゃないですよ?広めたの。立正佼成会だって海外拠点はありますし。
日蓮宗寺院だって海外にあります。南妙法蓮華経を広めたのは学会だけじゃないですよ」と返した。

彼女は「それは違う」と小さい声で言った。
創価の南妙法蓮華経とその他が広めた文字では違うと言いたいのか。

最終的に彼女は「私はこれが正しいと思ってやってます」といった。
そんなことで組織が一番正しいと信じろなんて、無理な話ですけど(笑)。

結局、すっごい自信満々なのに、基本的な事詰められたら答えに窮すのは、思考停止の証明じゃないのか。
挙句の果てに「これが正しいと思うからやってる」という、思いこみ論で片付けるだなんて。
だったらもう、なんだっていいじゃん(笑)。
思いこみで正しいってなるんだったら、ウサギやタヌキのぬいぐるみだって信仰対象になるよ。
これは、相手には言わなかったけど。

もうひとつ、突っ込んでみた
「宗門と蜜月時代は、宗門お貸し下げのご本尊様は血脈相承があるから間違いないって言ってたのに
破門されたらとたんに”相承なんて無かった”と言い始めたのも、私は納得がいかない。
だったら謝罪が必要だったんじゃないのか。片棒担いでた事はまちがいないのに。
あくまでも、組織側も信徒も被害者ですって立ち場で大本営発表されているのも信用ならない。
少なくとも私は、組織がそのことで(片棒担いでた事)会員に謝罪したなんて聞いた事ないし。
そのあたり曖昧に、昨日の友を今日の敵に急展開ですり替えた事も納得していない」と言った。
相手は明確な返答できず、たじたじになってた。

彼女は、組織を離れてどうするの?宗門?顕O会もダメですよ?と、「行き先」について
あれこれと探った。
私はあくまでもフリーの立場で、どこの教団にも属さないで個人信仰をしていくつもりだけど
(相手には言わなかったが)思ったのは、なんでどこかに入って・属してないと「信仰」と
捉えられないんだろうか、この人は?という疑問がわいた。
組織の人みんながみんな彼女と同じ思考回路ではないと思うが、どこか、こういった考え方を
する人達は「宗教=どこかの団体に属するもの」という概念なのかなぁと。
大聖人は、そんなこと仰ってないよね。絶対団体に属さなきゃダメ、団体に属さず個人信仰は
信仰とは呼ばない、だなんて言って無い。少なくとも私はそんな御書知らないし。
あるんだったら教えてくれ。

こういった「会に属してないとダメ」というのも、ひどく偏狭な考え方だと思う。
そして、あなた自身(彼女)の、冷静な頭で考えた結論というよりは「組織の為」という立場に
たった発想だとしか思えない。そこには自分の頭で考え抜いた理論なんてものは無い。
だから私も、彼女の話が全面的に納得できないし肯定できない。
それは自分の考えじゃないでしょ、組織から教えられた植え付けられた叩き込まれた、条件反射でしょ?

私自身、部長時代、活動家が非活に転じて説得に行った事もある。
だけどその理由の多くは、組織内人間関係のもつれや、幹部の指導に納得いかなくて非活になったパターン。
組織大本営が嫌になったとか、現実を知って、という状況では無い。

会う回数をあげて、徐々に様子を見ながら誘って行けば、また立ち上がるという状況もあった。
でも、私の場合はもうそういった「信頼関係」や「安心感」「人間関係の修復」は意味をなさない。
大本営がイヤなんで、同志がいい人だろうが悪い人だろうがもはや関係ないのだ。
そこを理解してほしいと、相手にも伝えたが、彼女はこう言った。
「わかってもらえるまで、私は祈ります!(キリッ」

いやいや、そういうの、もうやめて(笑)。
その祈念があなた自身にブーメランのように返って、私みたいに大本営の矛盾に気がついて、
目覚める事を、私は祈ってるよ。