I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

現証

2012年11月09日 | 四方山話
10年以上前に、実家の御本尊様を組織が発行しているものと取り変えた。

それまで家にあった本尊は、父が受けた日達上人の筆。
母はとても気に入っており、愛着を持っていた。
組織が敵視している法主の筆じゃないのだしと、母は本当はずっと持っておきたかったそうだが
地域の幹部からの強いすすめで御取り換えをした。

御取り換えをした翌月、我が家に災難があった。
(何かを書くと身バレしそうなのでやめておく)
災難の渦中、身内(会員)の急死。どうして?と思うような悲しみが連続した。
我が家は大事には至らなかったが、母はこのことを「転重軽受だ」と言っていた。
私も当時はそうに違いないと思っていた。

私はこの御本尊様で生まれて初めての100万遍唱題を達成した。
今振り返ると、あげている期間は仕事で争い・足を引っ張られる事は日常茶飯事。
上司とも折りが合わず、泣かされ悩まされる事が非常に多かった。

他にも、過去に自分がかかわった人物が失踪し、全く行き先を知らないにもかかわらずしつこく
関係者からお尋ねがあったり、恋愛もしていたが、交際中に相手が妻帯者だということがわかり
別れ傷ついたり、非常に落ち着かない一年だった。
それでも、そういった悪事が出てくる事は「自分の業」が出ている・これぞ宿命転換と
受け止めさらに励んでいた。
(今となっては、業だったのかどうか、よくわからない)。

当時同じく、100万遍に挑戦中のメンバーが多数いたが、同じように次から次へと
悪い事が続いたり災難にあっていた。
それでもみんなで「魔が競ってる、負けないように頑張ろう!」と励まし合っていた。

100万遍をあげてしまうと、達成感もあって勤行の後5分くらいするだけになった。


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いま私の家にある御本尊様は2004年に主人が組織から受けたもの。

述懐のところでも書いたが、結婚直後はときおり勤行をしたり、日々三唱は欠かしたこと無く。
お水がえや御供えなども欠かさなかったが、どういうわけか全く題目があがらない。
いざという時、座ってみても、集中力が切れて長続きしないのだ。
そういうときは無理せず切り上げて、寝るとき(床に入り横になって)心の中で唱えたり
車の運転中に心の中で唱える。
本尊のないところの方が自然と唱え続けられるという、不思議。

第一子を妊娠したときも、うまれるまでに100万遍をあげたいと考えはしたが、
御本尊様の前に座っての唱題はトータル5時間に満たないと思う。
題目があがらないことを、おかしいな?と思いながらも、出産に恐怖感なく挑めた。
第二子のときも(忙しかったのもあるが)仏壇の前に座ることが無かった。
単純に(うちの御本尊様と)相性がよくないのだと思っていた。

「相性」とは、私が勝手に思っていたことなのだが
女子部時代に拠点として使わせてもらっていた某宅の御本尊様が好きだった。
いくらでもお題目があがるし、たった5分でも境地冥合を感じる事ができた。
日達上人の筆ではなかったが、組織発行の本尊でも無かった。
お寺で頂いた本尊に間違いない。

そのお宅も後年、拠点をやっているということで組織からサイズの大きい御本尊様へと
とりかえをすすめられ、変えたのだが、以降拠点として使えなくなった。
理由は、そのお宅のご婦人が地域のメンバーと仲たがいをし、精神的に病んでしまったからだった。
当時はただ残念としか思わなかったが、今となるとこれは偶然じゃない気がする。

また、母もおとりかえ後に題目が以前ほどあがらないと話していた。

そして私が一番この御本尊様と相性があわない、と思ったのは父の危篤のとき。
これほど祈らねばならない時は無い!と自分を叱咤したが、心が愚図愚図して、やる気がおきない。
それでも唱え始めるが、相貌を見ていると頭がぼーっとしてきて何も考えられなくなる。
無心で祈れる、というのとは全然違って、思考が停まるのだ。
何も思えないし、念じることもできない。
自分自身がどんどん苦しくなって、父の事を祈るより、私を助けてよと泣いていた。
どんなに頑張っても30分くらいしか座っていられず、この当時未活になってだいぶ経過していたが
「組織につかないから、こうなるのかな?」と思ったりしていた(大きな勘違い)。

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今年の9月に脱会を考え始め、インターネットで検索中に
「偽本尊」という文字が目に入り、ビックリした。 
なんだそれ?初めて目にした言葉だ。
最初は、組織側が現法主の筆を否定しているのかと思った。
しかしじっくり記事を読んでみると、私の家や実家にある本尊が偽だということがわかった。
にわかに信じがたい(できれば信じたくないと思った)。
だけど、そこに「3年5年7年目の罰」という文章があり、私はビビっときてしまった。

私はこの家にきてから御本尊様を殆ど拝んでおらず、本尊部分の扉も閉めていて、掃除の時だけ開ける。
それが結果的に良かったのかな?と思うくらい、私の家庭においては思い当たる節はない。

だが、実家には確実に「現証」が出ている。

父の急死もそれだと思ったし、母は、ここ数年けがや病気が絶えない。
命にかかわるようなものではないのだが、老人なのにどうしてそんなケガするの?と
信じられないようなケガを3度している。
一番ショックだったのは、母が睡眠薬を服用するようになってもうOO年、と先日言ったのだが
ぴったりと、偽を家に入れた頃と合致する。
偽がきてから母はずっとある病に悩まされている。どこの病院にいっても、解決しない。
それが原因で睡眠薬をもらうようになったのだ。
もろもろが重なっていっぱいいっぱいになったら向精神薬も飲んでいる。
ふさぎこんで家から出られないとか・どこにも行けないという事は無く、日々の暮らしは
できているので(活動も)、私もさほど気に留めていなかったが、これは現証だと思った。

母方の親戚(バリ活)も、高齢でも病気一つせず元気だったが、近年がんがみつかったり
痴呆症の人もいる。
また、バリ活壮年幹部だったいとこが失業し、奥さんが幹部職を返上し働きに出たと聞いた。

一般的に「病気が出てもおかしくない年代だから」とか「不況だしねぇ」と捉えていたけど、
これも10年、15年目の現証ということなんだろうか。
恐ろしすぎる。

引きあいにだして悪いが私が住んでいるこの地域、やたら手術の成功を祈念する
同盟題目要請メールが入ってくる。
老若男女、手術を要する病気を患う人が多い。
そんなメールがまわってくるくらいだから、未活では無く、活動家(とその家族)に違いないと思う。

自分がまっすぐ御本尊様に向きあえなかったのも、「偽本尊」そういうことだったのかと
深く納得してしまった。


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いやなことを思い出した。
白蓮の時代に、御本尊のおとりかえ式(?)の任務についた事があった。

式終了後に、会員の皆さんが自宅からもってきた御本尊様を、段ボール箱に詰めるという作業を
させらたことがあった。
長テーブルの上に、御本尊様が(お巻きした状態で紙の小袋に入っている)山積みになった
お盆が幾つも置いてあり、白手袋をして御本尊様を段ボール箱につめた。
その部屋の空気は、なにかの気が充満しているかんじで、息が詰まるようだった。
皆さんが、沢山の願いをかけてきたお曼荼羅。念が入っている。
緊張しながら、おそるおそる箱に詰めていた。

その部屋に入ってきたのが責任者で(壮年部幹部)手には、真っ白い紙袋。
その紙袋をぶらんぶらん振るようにしながら入って来て、その場にいた男子部(だったと思う)に
「今日、何件?」と聞いた。男子部は「OO件です」と答える。
(件=おとりかえの数のこと)
「ふーん、やっぱりなぁ。今日は紙袋が軽いわけだよ(笑)」と言っていた。
その紙袋には、御取り換えに際して会員の皆さんが持参したお金(の入った封筒)が入っていた。

こっちが緊張しながら慎重に作業をしているところに、紙袋ぶらぶらさせて入ってきて
紙袋が軽いから件数少ないとか。なんと不謹慎な。
どうしてこんなKYな奴が幹部なのかと、いらっとしたし、不愉快に思った。

なんとおそろしい事を(上からの命令とはいえ)手伝っていた自分、と思うと、ぞっとする。
何も知らず、単純に古くなった御本尊様を新しい御本尊様にとりかえるのだと当時は思っていたが
これが組織の金集め目的だったとは。
今年の9月にネットでそれを知って、涙が出た。

同時に、この時代すでにもう一部の幹部は御本尊様を軽視していた(金集め目的と解ってた)
ってことじゃないのか?
その幹部は、組織職員だった。

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私はお守り御本尊様を頂いており、小さい巾着に入れて、仏壇に隠している。
お守りを開けた事は此処5-6年ない。もしかしたら、鎖が錆びてるかもしれない(笑)。

脱会云々の前に、一刻も早く我が家の偽物を家からだしてしまいたく、一番近いお寺を調べてみた。
まずはお話だけでも、聞いてもらえるだろうか。
年内に動きたいと思う。