I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

思う事

2013年01月19日 | 信仰・思索
年明けてから今日まで、20の御書を拝読。

大聖人の言わんとしている事・主張は実にシンプルで一貫していてわかりやすい。
末法には法華経、妙法蓮華経の五字をひろめるべき。
法華経の行者を軽んじたり法を落とす者には罰が下る。
法華経の行者は先祖・孫末代に至るまで仏になれるということ。
大きくこの3つに集約されていると思う。

大聖人の御在世時代にうまれたかったなぁと思いながら、御書を拝読している。
当時は法華経を広めようと、一人立たれたのは日蓮大聖人だけ。
わかりやすくていい。 大聖人から直接お言葉を頂いて、修行していれば間違いもない。

死後、お弟子さんたちによってちりじりバラバラになり、同じ宗祖・お題目でありながら
宗派がこれほど枝分かれしてしまうことを、大聖人はご存じだったのだろうか?
こんなにややこしくなってしまう事、予測しておられたんだろうか。

大聖人のお言葉を表面上だけ受け止めるなら、
どの教団も宗派も「南無妙法蓮華経」のお題目をひろめたことは間違いない。
広義でみんな「法華経の行者」だと思う。 

私がいま疑問に思うのは、なぜ同じ宗祖・同じお題目を唱えていながらも
「血脈があるからうちが一番正当だ」「否、大聖人直結はうちだ」と正統争いに必死なのかと
いうこと。
こんな問題は、もうどこかで誰かに論じつくされて居そうな気もするけれど、
なんせ私は昨年の9月まで、組織がいう「学会は大聖人直結」をうっかり信じていたもので(笑)。
なーんの疑問ももたずに、それを信じて来て、当然だと思っていた。
他が劣るという事も、自分でハッキリ確かめたわけじゃない癖に、学会発表を信じ切っていた。

組織では「同じ南無妙法蓮華経のようで実は違う。学会以外の南無妙法蓮華経には功徳も力もない」と
幹部が言っていた。
これって、おそらく最初は「血脈相承の有無」を言いたかったんだろう。
ただ、組織も宗門から破門されて、今度は相承を否定し始めた。
宗門に相承なんか無かったと(笑)。
そして、組織は大聖人の仰せのままに活動をしているから「大聖人直結」なのだと言い始めた。
もはや「言ったもんがち」な話になっているような?自称でしかないと思うんだけど。

どこの宗派が一番正しいとか、大聖人の意志をついでいるとか、私には解らない。
それを決められる・判断出来る人は、大聖人様しかいない。

自分が幽霊部員で所属している組織が一番正しいとの思いは、現在はない。
金集めと政治参画と無駄に集まることと権威主義をやめて、真に大聖人の教えを学び広めるだけの
組織に刷新できるなら、正しいといえるかもしれないけど、そんな事は不可能だと私は思う。
ひとつの企業体だから、そう簡単に清算なんて出来ないだろう。

どこの宗派にも教団にも属さなくて、全然問題ないと今は思う。
大聖人様に、法華経に、帰依していることはまちがいない。
これからも一人、日々御書を拝読してお題目をあげていこうと思う。

そして、日蓮大聖人の教えに引き合わせてくれたのはまぎれもなく実家の母なので、
そのことに深く感謝したいと思った。
母が組織の人でなければ、私はこの法を知ろうともしなかっただろうし。
組織は時の流れの中で不幸にもモンスター化してしまった。母はその被害者だから、不憫だ。

余談だけど、先日「新池御書」を通しで拝読。
とっても違和感があり、なんだかなと思いながらネットで調べると「偽書」という言葉が
続々出てきた(笑)。
有名な一節(京の月)が入ってて、部分的にしか知らなかったけど、通しで読むとかなりおかしい。
最近書かれたものじゃないだろうに、どこまでも僧侶に供養しな尊敬しろよって(呆)。
大聖人が恋しくなったら日輪を、というのも「?」だった。なぜに、御本尊様じゃないんでしょうか。
何百年も前の、お弟子さんが書いたものなんだろうけど、すごく人間臭いというか、俗っぽいなぁと感じた。

まだ20ほどしか読んでいないけど、少しだけ嗅ぎ分けられるようになったのかな(笑)。