I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

外部との結婚・姉の場合①

2012年12月12日 | 恋愛、結婚
(本人アンチ+婚約者は外部アンチ、だけど親が猛信者だった、私のきょうだいのケース)

姉は、学会員の自覚ゼロ。
小学生部員会はかろうじて出ていたが、中学からは一切無視。
(中受をして、私立の女子校に進んだので、地域の組織内同級生との縁も此処で切っている)
一緒に勤行をした記憶も殆ど無い。
家庭内では組織アンチの父と仲が良く、母とは仲が悪い。
思春期時代はよく衝突し、母と一切口をきかない時期もあった。
進学の相談なども父にしており、県外の公立大学へ進学すると同時に、実家を離れた。

母は、分所帯で御本尊様を持たせたがったが、本人拒否。父も大反対で、実行されず。
それでも母は新聞を贈呈で入れたりして、父も巻き込み喧嘩になっていた。
統鑑移動を拒んだため、姉のところに学会員が尋ねて行く事はなかった。
すすんで、組織との縁を切っていた姉。
私との仲も、当然よくないというか、微妙な間柄だった。

そんな姉は、実家で暮らしている当時、恋愛経験が殆ど無かった(私が知る限り)。
厳しい女子校へ通っており、学校からそのまま予備校へ通い猛勉強。
姉はもっともバブルの恩恵を受けている世代だと思うが、浮いた話・華やかな話は一つも聞かず。
まじめ一筋な雰囲気の、カタブツだった。
父はそんな姉と私を比べて
「あいつ(姉)は地方で一人暮らしをさせても全く心配ないが、お前は信用できないから
無理だな」と言う始末だった。

大卒後、就職は隣県。一人暮らし。
このときも地元に統監をおき、組織の人間が姉のところへ尋ねて行くことは無し。
正月のみ実家帰省していたが、女友達と会う約束ばかりで、浮いた話はひとつもない姉だった。
遺跡巡りが趣味で、趣味の合う女友達もたくさんいて、独身を謳歌しているように私には見えた。
母はそんな姉の事を
「いつも遊んでばっかり。女子部でしっかり闘ってないから、婦人部になって苦労するタイプだわね。
旦那や子供の事で、さんざん悩んで信心するしかなくなるわよ」と言っていた。
いま冷静にこの言葉を思い返すと、一体どういうこと?!と思ってしまうが
当時の(マインドコントロール下にあった)私は、そんな風になりたくない!女子部で頑張らなきゃ!
と、その言葉を受け止めていた(馬鹿)。 

そんな姉が30代半ば過ぎ、結婚を考えている・婚約者に会って欲しいと両親に連絡してきた。
姉が交際相手を実家に連れてきた事は一度もなく、これが初めて。
しかもいきなり「婚約者」だったので、両親は大慌てだった。
私も、あのカタブツの姉の婚約者って?どんな人なんだろうと、ワクワクしていた。
休日の午後、姉が相手の男性を伴って実家にやってきた。
背の高い、細面の、めがねをかけた男性で、カマキリぽかった(失礼)。
私はお茶を出す役目で、居間の隣の部屋で聞き耳を立てていた。
父は、とりあえず結婚の話はおいおい考えるとして、あなた自身のことを聞かせて欲しいと
出身地や家族構成や職業なんかを聞きだしていった。
緊張気味な男性の応答を、姉がフォローしているのを聞いていて、姉が彼の事を本当に好きなんだなと
伝わってきた。
母はだまって3人の話を聞いていたが、父の質問が一段落ついたところで切り出した。
「うちは創価学会の信心をしているー云々」
姉は、その話はしなくていいじゃない!と機嫌悪く言ったが、母は大事なことだからと制して
父も(普段の父なら、そんな話するな!と一喝しそうだが)珍しく静かだった。
母は、姉が全く信心をしていないけれど、うちの宗教は創価だから。あなたもそれを理解して欲しい。
今すぐにとはいわないけどいずれ入会もして欲しい、ということを相手に伝えた。
すると相手は「それは無理です」と即答。
隣の部屋で聞いていた私まで、思わず「えっ?」と言ってしまった。
そして、相手は自分がどれだけ創価学会を嫌いか、理由をつらつら述べはじめた。
母は「まぁ~!(なんてこというの)」と怒っていた。
相手の主張の中には、自分が友人から強引な勧誘を受けて迷惑だったという内容も含まれていた。
迷惑団体に自分が入るなんて考えられない、と組織批判も。
世間ではこんな風に言われてるんですよ?と、ネットで得た情報をしゃべっていた。カルトと言う言葉も
出ていたと記憶。
彼女(姉)も嫌がっているし、そちら(=母)がするのは否定しないけど、こちらに押しつけられては
困りますと、ハッキリ言った。
私は、ひやひやしながら男性の言葉を聞いていたが、すごく腹立たしかった。バリ活だった私にしたら
組織を頭ごなしに否定されるのは許されないことで、こんな男と結婚したら姉が不幸になってしまう!
こんな男じゃだめだ、結婚は反対すべきだ!と思っていた。
完全なる創価脳だった私。
もし彼が、嘘でも「今すぐ入会はできませんが、少しずつでも理解できればと思います」程度の
やんわりした態度だったら、そこまで(結婚やめろと)思わないが、容赦なく全否定だったので
この瞬間から彼は「敵」となった。

母は「(組織理解できないなら)私は結婚に賛成できない。あなたはこの子(姉)の幸せを
全く考えてやれてないってことだ。許可するわけにいかない」と言った。
(注・母にとったら娘の幸せ=信心を夫婦でしていくこと、という考え)

相手の男性は、そんなことはない、と反論していたが、母は反論を聞くこと無く
「とにかく私は認めない。結婚したいなら勝手にしたらいい。一切付き合いも、援助もしません」と言って
部屋を出てしまった。

私は母を追って仏間に行ったが、母は涙ぐんでいた。
こんなとんでもない男を連れてくるなんて、自分の祈念が足りないのと、姉自身に福運が無いからだと
嘆き悲しんでいた。
暫く父と姉、男性の3人で話をしていた様子だが、父が2人を玄関の外まで見送りに出ていった。
父がもどってき、仏間にやって来て、私に向かって早く茶器を片づけろ!とぶっきらぼうに言ったが
母には何も言わなかった。

その後、両親は話しあいをしたらしい(私のいないところで)。
父が母の学会話を制さなかったのは、考えがあっての事で、相手の男性の柔軟性を見ようとしていた様子。
あまりにもハッキリと正面から否定し、持論をひっこめなかったのを見て、父は彼を攻撃的な性質をもっていて
結婚相手にふさわしくないと思ったという。
父自身もアンチなのに、意外だったが、これも「和」を考えての一般常識人らしい行動だったのかもしれないと
今になって思う。
母から姉に連絡すると冷静な話が出来ないので、父が姉に連絡をし、結婚は諦めたら?いい人は他にも
いると思うよ、と伝えたという。
それでも、姉はよほど彼が好きだったのだろう。
結婚式はせず、入籍報告をしてきた。
結婚後も独身時代から住んでるアパートでしばらく暮らしていた。

私は姉の入籍報告を聞いた時、ショックだった。
あんな、組織理解を出来ない・義親となる母を傷つけた男と一緒になるなんて!と。
恋愛経験の殆ど無い姉が、彼にだまくらかされたのでは?と失礼乍心配もしていた。
(姉は国家資格を持っており、食いっぱぐれがないから、ヒモになるつもりじゃ?と疑っていた)
そして、母の心を深く傷つけた彼に対しての怒りもあり、恨み節のような折伏の手紙を彼あてに送った。
手紙を姉が読むかも知れなくて、彼の手元に渡らないかもしれないけど、それでもいい。
母の悲しみや私の思いが、姉に伝わるならそれもいいと思いながら、長い手紙を書いて送った。
その手紙に返事も無ければ、なんのリアクションもなかった。

母は、彼を「つれあい」とは認めないという強固な姿勢を貫いていた。
姉に対して、何度か電話入れていたようだが、ある日、着信拒否されたと泣いていた。
次の正月に姉だけが実家に挨拶に帰って来た。
私は内心(彼は、どうしたのだろう?)と思ったが、聞けない雰囲気が漂っていたので、姉に軽く挨拶したのみ。
姉も、挨拶を済ませてお茶を飲んだら小一時間で帰って行く。
こんな正月が、何年か続いた。
年に一度、正月にしか帰省しない姉。
私の両親も徹底していて「彼も連れてきたら?」と言う事は、一回も無かった。

また、相手が片親ひとりっ子という環境もあり、入籍後に相手の親御さんがこちらに連絡を
してくるとか・顔合わせするなどの機会も、全く無かった。
私や母が彼に会ったのは、姉が挨拶に連れてきたこのたった一回だった。

(注・父は、たまに一人で出かけて行って姉に会う事があり、そのとき彼もいっしょだった様子。
私や母にそのことは内緒にしており、父の死後、姉から聞いて初めて知った)

5年後、姉は離婚する。
私はちょうど上の子を妊娠中で、私のようすを見に来てくれた母から「いいニュースがある」と
教えられて、びっくりした。

私は、結婚後に姉と連絡をとった事がなかった。
年賀状を送る程度で、電話もメールもしない。用事が無かったから。
私の結婚式にも姉だけ参加していた。
私は、彼を参加者に加えず、姉単独に招待状を出した。
これは両親とも打ち合わせて決めた事だったけど、私や母のなかで「彼」は、身内では無かったから。
マインドコントロールのとけたいま思い返すと、なんとヒドイ扱いをしてしまったんだろうと
思うが、当時は学会批判を正面切ってする奴=仏敵だったから、当然の仕打ちだった。
こういった排他的姿勢は、一般世間から見ると考えられないことだと思う。
彼からしたら「これだから創価は・・・」と、ますます不理解を深めたこととおもう。

(注・父が彼の結婚式参加を拒否したのは、父方の親戚に姉の結婚を伝えていなかったからだったと
これも、父の死後に知った。父方親戚は、姉はずっと独身を貫いてると思っている)

母と私は、かなり極端だったと、今ふりかえって思う。
相手に牙を剥かれたら、まぁまぁ落ち着いて、と相手の機嫌をとったり・取りなすという事は、一切しない。
完全に、排除していた。
それは無意識のうちに、組織によるマインドコントロールによって植え付けられた「排他主義」だったと思う。