しょこら の ぷち自然派生活

外食多し 甘いもの大好き! だけど ちょっと健康のことも気になる。そんなしょこらの ぷち自然派生活 を紹介します。

「潔く 軽やかに」

2008-06-21 08:57:09 | なんちゃって!修業的生活。
先日、ぶらりと惹かれるまま本屋に立ち寄った。
(ずばりアピタの中に入ってる「夢屋書店」さん。
 よく、惹かれて入る。そして、主義に反してつい買っちゃう。

そして、今回、つい買っちゃったのが↓この本。
「自分」から自由になる沈黙入門
小池 龍之介
幻冬舎

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しょこら、しゃべりたくてしゃべりたくてたまらない人ですが、
何で、こんな「沈黙入門」、買っちゃったのか。


それは、帯の、
「語らない。
 『ドウデモイイ』
 と念じる。
 欲望がスッと
 消える」
「不自由な
 自意識から
 開放される、
 修行僧的
 生き方のすすめ」
「もう、語らず、
 求めず、
 怒らない。」
というキャッチに掴まれてしまったから。


なんといっても、
「修行僧的」
っていうところが、しょこらの心をぐっとひきつけます。


さっそく、読んでみましょう。
「ウェブサイト上、あるいは口頭のものでも何でもよいのだけど、
 誰かの自己紹介を思い浮かべていただきたく候ふ。」
「延々と続く、自己紹介を見てしまうと、
 ちょっとウンザリした食傷ぎみの気分になりはせぬでしょうか。」

ドキっ。

これって、まさに、しょこらのことじゃん。
毎日毎日、自分が感じたこと、良かったと思ったこと、
求められてもないのに、ブログで書きまくり、
現実社会でも、しゃべりまくりのしょこら。
きゃー、はずかし。
そんな風に、人をうんざりさせちゃっていたとは、
ウスウスは感じていたけど、そうまではっきり言われちゃうと、
赤面してしまいますデス。


ブログ読みにきてくださってる方がた、
リアル友達の皆様。
毎日に近いぐらい話につきあってくれる、実母みっちゃん&オットさま。
いつも、しょこらの話につきあってくれて、有難う。


さらに、読みススメますと。
「『とにかく自分のことを理解させよう』として自分語りを
 する気持ちがビシバシ伝わってくると、
 見る側はそれだけで、疲れはててしまいます。
 この疲労感の元こそ、『ジブン』というカタカタ三文字、
 ないし『自分』という漢字二文字。」
「誰もが自分のジブンのことに精一杯で、
 他人のクダラナイ『ジブン』のことなど聞きたくない。
 この、ちょっと嫌な気がするかもしれないニガイ真実を、
 まずよく胸に刻んでおきませう。」





・・・。





なるほど。
さらに、読みすすむと、さらに辛口の言葉が並びます。




「みな、ほとんど無意識的に自分は特別な人間だと思い込んでいます。
 その特別な自分が語るのでありますから、
 自分の話は当然有意義なものだと思い込んでいます。
 しかし実のところは、クダラナイ人間が、どうでもいい話をしているだけ。」

「自分が、自分が」という形で自分濃度を濃くすればするほど、
 本人からはガツガツした物欲しそうな雰囲気が漂うようになります」

「自分を薄める。自分濃度を薄め、透明感のあるものにしてゆく。
 そんなふうにして他人様と交際してゆく道行きを、
 これから示してまいります。」


こんな風にして、修行僧である著者小池さんが、
「自分」にとらわれず、潔く、軽やかに、生きていくための、
禅的アプローチを示していってくれます。



ところで、しょこら。
既に、お気づきの方も多いかと思いますが、
エゴと欲望のカタマリ。
「自分」の話を聞いてほしくてたまらないのです。
どれぐらい聞いてほしいかと言うと、
しゃべるのを我慢挙動不審になって、苦しくて苦しくてたまら~ん!!
というぐらい聞いてほしい欲望レベルが高いです。


とはいうものの、というか、だからこそ、
どす黒い嫉妬や怒り、執着の心にとらわれず、
上手にコミュニケーションをとり、気持ちのよい人間関係を築き、
軽やかに生きていきたいという気持ちもあります。


そんな、しょこらの胸に特に響いた項目が、
タイトルの「潔く 軽やかに」


「自分自身がゆったりと安定しているなら、
 『この人が自分のすべて!』とはならず。
 どんなに相手が大切であっても、
 ダメになったらダメで仕方ないや、
 くらいの軽い感覚になれるものです。」

「不安定→欲しくてたまらぬ、ジブン剥き出し→相手に重く近すぎる→壊滅」

「駄目なら駄目でしょうがない→相手に多くを求めない
 →軽く、ほどよい距離→続く」

「私が申します『ドウデモイイヤー』は、
 投げやりに思うことではなく、
 『どうなっても最終的には受け入れられるよ』
 てふ潔さ。軽やかさ。
 それが結果としては、互いの関係を大切にすることになり、
 ひいては相手に対する優しさにもつながるのであります。」


しょこらも人間。
やはり、仲が良い(としょこらが思ってる)友人が、
他の人と、自分のわからない話題で盛り上がっていたら、
内心穏やかではありませんが、
そうね、そうよね。
その人には、その人の世界がある。
楽しみがある。別の友人関係もある。
そこを尊重し、ずかずかと入っていかない慎みと持つことが寛容といえましょう。
(といいつつ、つい先日も、空気を読まず会話に乱入。
 大変、失礼いたしました。)


これから、少しずつ「自分」を抑えて、
空気のように軽やかに、ながるる水のごとく潔く、
生きていけたらいいなと思います。
今、まさにしょこらに必要な本に出合わせてくれて、神様ありがとう。
合掌。
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4 コメント

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きゃ~☆ (しょこら)
2008-06-29 16:15:54
しゃべりまくり、ウェルカムですか!?
そう言われると照れるな。
(って、間に受けてます。^_^;)

でもでも、本当に長い間あってないし、
しゃべることいっぱいあるね。(^^)v

夜なべして語りあかしましょう~♪
返信する
いいよ~☆ (さるさる)
2008-06-28 20:18:57
>会ってない間にあった、大量のできごとを
しゃべりまくっちゃうぞ~!!

もちろん、ウェルカムですよん♪
ブログちょこちょこ読ませてもらってるし、少しずつしょこらちゃんが元気になってきてる感じが嬉しいです。

今度会うの、たのしみだね~
返信する
ありがてふ。 (しょこら)
2008-06-26 16:52:33
いやはや、何故か古語調の小池さん(この本の著者ね。)
に影響されて、しょこらまでビミョウに影響されてます。

ところでところで。
>しゃべりたい時は体がそう欲している
おお、おお!!
まさに、そこなのです!

先日、「ぷちコミュニケーション法」に参加してきました
が、これって、カウンセリングの手法で、
誰かが相談してきたときの、話の聞き方なんですよね。
そこで、あらためて、体感したのが、
「ただひたすらに感心を持って聞き、頷き、
 相手の言葉をオウム返しにすること」
の癒し効果。

一部だけ復唱されたときは、
「う~ん。そうなんだけど、それだけじゃないんよね~。」
というもどかしさが残り、かえって悶々としちゃうのに
対して、フムフムと聞いてもらえるだけでも
キモチイイのに、完全オウム返しとなると、
「そうなの!なんて、完全にワタシのことを
 理解してくれたのかしら~。」
と、キモチイイレベルが急上昇。

実は、子どもの保育園で出会った友人たちが、
まさにこういう話の聞き方をしれくれる方たちで、
約1年間、彼女達相手にしゃべりまくり。

そのことで、すごく癒されたんだろうな~と思うわけです。
そのお陰で、復職にトライすることもできるように
なったと思うし。

なので、しゃべらせてもらったことに、すごく感謝
してます。
そして、これからも、きっと、しゃべっていくことと
思うのですが、
「自分がしゃべってることを、ふむふむと聞いてくれる
 けど、相手は実はそんなに興味を持っていないかも」
「そもそも、たいした意見ではないのでは?」
という可能性を感じつつ、話をすることは、
際限なく「ワタシ」かたりをするよりも、
少しばかりマナーがよいかな~と感じたりもするのでした。
へへ。

といいつつ、今度さるさるちゃんに会ったら、
会ってない間にあった、大量のできごとを
しゃべりまくっちゃうぞ~!!
返信する
Unknown (さるさる)
2008-06-25 14:23:12
女性というのは、おしゃべりで自分を発散させる事でストレスから身を守っているみたいですヨ☆

男性は黙ったままでもストレスを感じにくいみたいだけど、私はしゃべりたい時は体がそう欲しているのだから、しゃべればいいと思うよ~

きっと、みんなそんなに他の人の話を聞くのって嫌ではないと思うので、しゃべりたいー!って思うときはしゃべったらいいよ♪
返信する

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