日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

ヒトラー生誕126年

2015年04月20日 05時00分00秒 | 歴史
本日4月20日はNSDAPのアドルフ・ヒトラー総統の生誕126周年です。



ここで、改めてヒトラー総統の経歴を略年表で紹介したいと思います。

1889年(0歳):オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ地方でバイエルン人の税関吏アロイス・ヒトラーの4男として生まれる。
1895年(6歳):父アロイスの農業事業の為にバイエルン王国パッサウ地方に移住。
1897年(8歳):父の事業が失敗し、一家はオーストリアへ戻る。アロイスとヒトラーとの諍いが始まる。
1900年(11歳):小学校を卒業。大学予備課程(ギムナジウム)には進めず、リンツの実技学校(リアルシューレ)に入学する。
1901年(12歳):二年生への進級試験に失敗、留年。
1903年(14歳):アロイス病没。リンツ実技学校中退。
1904年(15歳):シュタイアー実技学校入学。
1905年(16歳):シュタイアー実技学校中退。以後、正規教育は受けず。
1906年(17歳):遺族年金の一部を母から援助されてウィーン美術アカデミーを受験するも不合格。以降、下宿生活を続ける。
1908年(19歳):アカデミー受験を断念。下宿生活を終えて住居を転々とする。
1909年(20歳):住所不定の浮浪者として警察に補導される。独身者向けの公営住宅に入居。
1911年(22歳):遺族年金を妹に譲るように一族から非難され、仕送りが止まる。水彩の絵葉書売りなどで生計を立てる。
1913年(24歳):オーストリア軍への兵役回避の為に国外逃亡。翌年に強制送還されるが「不適合」として徴兵されず。
1914年(25歳):第一次世界大戦にドイツ帝国が参戦するとバイエルン軍に義勇兵として志願。
1918年(29歳):マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより野戦病院に収監、入院中に第一次世界大戦が終結する。最終階級は伍長勤務上等兵。
1919年(30歳):バイエルン・レーテ軍に参加。革命政権崩壊後、ヴァイマル共和国軍に軍属諜報員として雇用され、ドイツ労働者党への潜入調査を担当する。
1920年(31歳):ドイツ労働者党の活動に傾倒し、軍を除隊。党は国家社会主義ドイツ労働者党に改名される。
1921年(32歳):党内抗争で初代党首アントン・ドレクスラーを失脚させ、第一議長に就任する。F�・hrer(フューラー)の呼称がこの頃から始まる。
1923年(34歳):ベニト・ムッソリーニのローマ進軍に触発されてミュンヘン一揆を起こすが失敗。警察に逮捕される。
1924年(35歳):禁錮5年の判決を受けてランツベルク要塞刑務所に収監。12月20日に仮釈放される。
1926年(37歳):『我が闘争』出版。党内左派の勢力を弾圧し、指導者原理による党内運営を確立(バンベルク会議)。
1928年(39歳):ナチ党としての最初の国政選挙。12の国会議席を獲得。
1930年(41歳):ナチ党が第二党に躍進。
1932年(43歳):ドイツ国籍を取得。大統領選に出馬、決選投票でヒンデンブルクに敗北して落選。しかし国会選挙では第一党に躍進して更に影響力を高める。
1933年(44歳):ヒンデンブルク大統領から首相指名を受ける。全権委任法制定、一党独裁体制を確立。
1934年(45歳):突撃隊幹部を粛清して独裁体制を強化(長いナイフの夜)。ヒンデンブルク病没。大統領の職能を継承し、国家元首となる(総統)。
1936年(47歳):非武装地帯であったラインラントに軍を進駐させる(ラインラント進駐)。ベルリンオリンピック開催。
1938年(49歳):オーストリアを武力恫喝し、併合する(アンシュルス)。ウィーンに凱旋。ミュンヘン会談でズデーテン地方を獲得。
1939年(50歳):チェコスロバキアへ武力恫喝、チェコを保護領に、スロバキアを保護国化(チェコスロバキア併合)。同年に独ソ不可侵協定を締結、ポーランド侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発する。以降大半を各地の総統大本営で過ごす。
1940年(51歳):ドイツ軍がノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻。フランス降伏後、パリを訪れる。
1941年(52歳):ソビエト連邦に侵攻を開始(独ソ戦)。年末には日本に追随してアメリカに宣戦布告。
1943年(54歳):スターリングラードの戦いで大敗。また連合軍が北アフリカ、南欧に攻撃を開始、イタリアが降伏する。
1944年(55歳):ソ連軍の一大反攻(バグラチオン作戦)により東部戦線が崩壊、連合軍が北フランスに大規模部隊を上陸させる(ノルマンディー上陸作戦)。敗色濃厚な中、自身に対する暗殺未遂事件によって負傷。
1945年(56歳):エヴァ・ブラウンと結婚。ベルリン内の総統地下壕内で自殺。


(幼児期の総統、かわいい)


(WW1従軍時のヒトラー)


(ヒトラー首相就任)


(オーストリアとの統合を成し遂げた総統)

ヒトラー総統は国民社会主義を完成させた人物、敗戦ドイツを再び欧州の覇権国に成長させた英雄として尊敬していますが、一から百まで評価している訳ではありません。

序盤こそ卓越した戦争指導で欧州の大半を制圧しましたが、バトルオブブリテンや独ソ戦、末期の防衛戦の指導では現場を混乱させる誤った判断が目立ちました。

また、強烈すぎるアーリア人至上主義は、第三帝国の命取りになりました。

独ソ戦時、開戦当初は多くのソ連国民はドイツ軍をスターリンの圧政からの解放軍と捉えていました。
しかし、ヒトラー総統はスラブ系を見下していたなめ、露骨な武断統治を敷きました。

もし、この時、表面的だけでも友好的に振る舞えば100万人規模の反共義勇軍を組織できたかもしれません。(実際に組織された「ロシア解放軍」は5万人程の規模に過ぎませんでした。)


そこで、私はヒトラー総統の国民社会主義の失敗に学び、日本の八紘一宇の精神をプラスした新しい国民社会主義を提唱したいと思います。

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。



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