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しろくまハリきゅう院 しろくまリハビリマッサージ (旧‘しろくま治療院’)

しろくまハリきゅうとしろくまリハビリマッサージの院長のブログ

仕事を通して学んだこと

2008-08-15 12:29:15 | 死、そして生

猛暑の中、皆さんお元気でしょうか?

最近、車など運転していますと

歩いている人や自転車に乗っている人達

目の前のことだけに集中して周りが見えていないせいでしょうか、

人身事故になりかねないような

予想できない動きをする人が目立ちます

加えて信じられないような事件のニュースなど流れると

正常な精神の持ち主でも

普通に生きていくことが困難だと

思ってしまうのは私だけでしょうか?

しかし、私はいつも初心にかえる気持ちにさせられます

それは毎日、必死になって

息をしている患者さんを看(み)ているからです

高齢になって寝たきりの状態でも

肩で息をして口をパクパクさせてベッドに横たわっています

…「生きるというのはこういうことなのだな」って

…「自分はこれほど毎日を必死に生きているのかな」って

それをみると私の悩み苦しみなど

どこか吹っ飛んでしまいます

また今日はお盆ということで

亡くなってしまった人々にも思いを馳せます

その人達には気持ちよく

‘千の風になってあの大きな空を吹き渡って’

いることを祈るばかりです

この世の人もあの世の人も幸あれ


イモムシの観察

2006-07-06 00:13:31 | 死、そして生

プランターに菜っ葉の種をばら撒いたら間引かなかったせいか

イモムシが大量発生してしまった

 

いろいろな虫がいる

長さは3~4センチのものから5ミリほどのものまで

太さも5ミリ以上のものから糸みたいなものまで。

色も様々。尺取虫みたいなものまでいる

 

いろいろな性格がある

引っ込み思案なものがいれば攻撃的なものもいる。

寛容なものもいれば触れられればすぐ拒絶するものもいる。

思わず笑ってしまった

 

しかし虫は必死だ

私が草を全部むしったせいで大パニックを起こし

食糧難でやがて死ぬであろう様を見て

それを笑っている俺は相当残酷だな~不謹慎だな~と思った

 

こうやって生き物の死を現実に見て、

人間は自然からいろいろと学ぶのだなあ…

 

と思ったら翌日

むしった菜っ葉を山積みにしていた隣のプランターに

イモムシがいっぱい

ベランダを移動したんだ

すごい生命力と感心した

 

と思ったら次の日はまた隣のプランターの、

食べないと思っていた葉っぱを食っていた!

なんだと~!

 

そうなるとこっちも必死になる

人生、食うか食われるかだ

 

イモムシの気持ちがよくわかりましたね…

これこそいい勉強だわな


健康に対する認識5~自分の身は自分で守る

2006-05-14 00:24:31 | 死、そして生

 

予防に失敗しても、自助努力をした人には

きっと助け舟が出されるでしょう

ここでやっと医者や健康の専門家の出番です

 

治療の基本

その人が本来持っている

治りたいという力(自然治癒力)

お助けするだけでしかないと思います

 

治療(予防)法は異なりますから

自分にあった治療法を選びます

 

選ぶポイントは次のようです

最小限の治癒力で

 最大限の回復力を発揮する

治してくれるというよりか

 治し方を教えてくれる

そして

個性にあわせた治療(予防)をしてくれる

 

少なくとも医師及び専門家は

その人の自然治癒力を

妨げないようにしたいものです

 

「治療」も「予防」も

簡単にできるものではないこと

これでお分かりになったでしょう

 

「少子高齢化」、「医療費削減」、「介護予防」・・・

 

政府の改革やお医者さんを批判している間に

‘健康は戻ってこない’手遅れにならないように

まず最初にやるべきことは

「自分の身は自分で守る意識改革」です

 

健康なうちにするんですよ

予防を!

 

余談ですが、健康以外でも

気付かないことで大切な何かを失わないように

予防できればいいですね


健康に対する認識4~病気は予防できる

2006-05-12 00:52:54 | 死、そして生

しかし一般的に病気で致命傷になるまでには

ある程度は予測ができ、

また徐々になるのであって

どんなに鈍い人でもその人次第で

致命傷になる前に予防できます

 

どうやったら致命傷に至らずに病気を予防できるのか

 

病気になることは避けられませんから

いかにして最小限の損傷で

なるべく多くのことを学ぶにかかっています

 

普段の心がけ努力の差ここで現れますよ

 

具体的な対策は個人で違いますから

まず自分で立てます(できます!)

 

もう一度自分の長所短所を

しっかり把握してみましょう

(自分が一番よく知っています)

 

それを元に健康なうちに

生活習慣のみならず、

考え方の偏り

180度変えます・・・

 

やりたくないことを最初にやる

のがコツです・・・

 

途中で投げ出さないこと・・・

 

皆さん、思い出してください

体の全責任は自分自身にあることを・・・

 

こりゃ、大変だ・・・


健康に対する認識3~致命傷を負ったら

2006-05-11 00:18:53 | 死、そして生

自分が不慮の事故に遭って

致命傷を負ったと想像してください

 

なかなか想像がつかないと思いますが、

致命傷の怖いところは

こころは十分反省しても

肉体は元には戻らないということ

 

肉体って思ったほど

万能ではないんですよ

 

若かったり、体を壊したことのない人は

このことに気付かない

 

体が元に戻らないことで

一生を後悔の日々で暮らしている人が多いんです

 

‘痛い目に遭ってわかるなら

 痛い目に遭えばいい’

 言い切れないのはこのためなんです

 

たとえば脳梗塞の片麻痺も

ある意味で不慮の事故と似ています

 

このように病気で致命傷になることはもちろん、

死に直結してしまうのがこれまた怖いところです


健康に対する認識2~健康に対する誤解から

2006-05-09 01:24:14 | 死、そして生
  1. おそらく現代の日本は

体や健康に対する認識を

改めなくてはならない時期に来ています

 

(誤解1)病気になったら病院に行けばいい、

     年取ったら施設に入ればいい

・・・これは普段健康のことを考えていない人の

  安易な思い込みでしかないです

 

(誤解2)健康は放っておけば回復するもので努力のしようがない

・・・これは大きな病気や怪我をしたことのない人の意見でしょう

 

正しい認識はこうです

 

自分の体を一番知っているのは

医者ではなく、自分自身です

 

そして体の全責任をとるのも

医者ではなく、自分自身です

 

高齢者以外でさらに

五体満足でもともと健康な人の体が

病気でなかなか回復しない場合、

‘年のせい’‘人のせい’にしているのは

責任転嫁無知の結果です


健康に対する認識1~痛い目に遭わないと気付かない

2006-05-08 23:57:58 | 死、そして生

 

人間は失敗や挫折をして

痛い目に遭わないと気付きません

健康もその1つで

健康を害し体に不具合を感じて

はじめて健康のありがたさを知ります

 

たとえば次のようなパターンが典型でしょう

ある健康な中年の人が軽い病気をしたとします

気のせいだと思い込み、

すぐに忘れていつもの生活習慣のままでいます

そのぐらいの病気では

病気になった意味や原因などは考えません

だからそれを繰り返して中程度の病状に進行します

この時、病気になった意味や原因に気付かなければ

死に直面するだけなので

文字通り皆さんだいたい必死になります

しかしこの段階でも何もしなければ

症状は重症化し、さらには慢性化し

もう年だと、はたまた運が悪かったとあきらめて

実は寿命を全うしないで死んでいきます

 

あまりにもこのパターンが多いので

私はどうにかならないか考えてみました


人生最後の希望~「死にたい」を連発すれば安心・後編

2006-04-15 00:09:32 | 死、そして生

調子が悪い時は

生きることに精一杯なのだ

 

本当に死を望んでいる人は、たぶん

これはチャンスだと思い、頑張らない

 

死んでしまう人の多くは、

頑張りが利かないとわかると

あきらめて、そこで力尽きてしまう

 

そういう人は結局、

死ぬまで頑張っているんです 

 

「じゃぁ、おばあちゃんは本当は生きたいんだよ」

「無意識に生きようとしているよ」と私が言うと

おばあちゃんは「そうかな?」・・・

 

私は続けて

「たいがい‘死にたい’と口にする時は健康でヒマな時だよ」

死ぬのあきらめて、生きている間は精一杯生きてみようね。」

と言ったら、しぶしぶ承知してくれた様子

 

その後、このおばあちゃんは

体力も戻ってきて動けるようになってきた

 

「おばあちゃん、だんだん元気になってきちゃったんだけど、

 これじゃ死ねないよ、どうする?」と言うと

「悩むね」笑顔答えが返ってきた~完~


人生最後の希望~「死にたい」を連発すれば安心・前編

2006-04-14 00:02:50 | 死、そして生

高齢になって生への執着は薄れ

本人は口では「死にたい」と言っても、

無意識では最後まで「生きたい」のではないか・・・

そんな例を1つ・・・

 

ある在宅患者さんのリハビリしながらの話。

「今日は体の調子が今までで1番いいですよ」

と私がいうと、そのおばあちゃんは

「そう・・・」

と天井を見つめて大きなため息1

 

最近、「死にたい」を多くこぼすようになっていた

 

このおばあちゃんにとって

早くお迎えが来ることが1番の希望なので

健康になっていくことは希望と逆行し

当人はなんだか複雑な心境

 

実は「死にたい」が出る時は

比較的、体の調子がいい時の言葉

 

家族がいうことには

本当に具合が悪い時は

「死にたい」が出ないそうだ

 

その時、なぜ口から

「死にたい」が出ないのか

本人に問うたところ

 

「そんなヒマない」という・・・・・・・・・・・・・・


人生最後の希望~「大丈夫、コロッといけますよ!」

2006-04-12 00:06:25 | 死、そして生

皆さん、お年寄りから

こんな言葉を耳にしたことはないですか

 

「延命措置などしないで

 出来れば住み慣れた家で

 コロッと死ねたらいい、

 早くお迎え来ないかな~」と

 

・・・苦しむことなく、有終の美を飾りたい・・・

 

だいたい80歳も越えてくると

多くの人がこれを希望します

 

表情を見てもさほど暗い様子でもなく、

悲壮感なんてまるでありません

 

「頑張って生きてきたし、

 もう先が長くないから

 早く楽になりたい」という感じ・・・

 

そういう時に

「頑張って長生きしてくださいね」と言われると

‘ありがとう’と感謝はするが

心の中では‘悲しい’

と漏らした人がいました。

 

本人の身になって考えれば無理もないことです

 

こんな時、私は知り合いならばちょっと冒険して

「こんなに頑張っているんだから

 逝く時はコロッと逝けるよ」と言うと、

その人はやや暗い顔が一変して

「先生ははっきりしていて一番いい」

腹を抱えて笑ってくれました。

 

冗談と受け止めたか、

本当にうれしかったのか

真意は分かりかねますが、

心から笑ってくれてたようなので

とりあえず安心しました

 

しかし、本当に早く死にたいのでしょうか・・・


死、そして生~はじめに

2006-04-11 01:15:52 | 死、そして生

仕事として在宅リハビリをやっていると

8090歳の高齢者と接する機会が多いです。

彼らには死は身近なことです。

すると私も普段は意識していない

「死ぬこと」について考えさせられます。

 

死に直面すればたいがい寂しいものです。

死ぬことは正直怖いです

でも、毎日、世界中で、

あらゆるものが生まれ死んでいます

だから「死ぬこと」は日常のよくあることとして

ごく自然に受け入れていくものではないでしょうか。

 

私は死ぬことを話し合うのはタブーだとは思いません。

むしろ、死ぬことを話し合わなくてはいけないと思います

 

なぜなら、死ぬことを話し合うのは

生きることを話し合うのと同じだからです

 

死んでしまった話などから教訓を得た人は

以後の自分の人生において

死に至るかもしれない失敗や挫折を

未然に防ぐことができます。

 

ある人は第3者の死を聞くことによって

自分が今まで生きて来られた奇跡を感じることでしょう

 

そして、そこから新しく生きる」が始まります

死んだものの分まで生きればいいんです

 

現代の世相や高齢者の貴重なエピソードなどを交えて

このカテゴリーを設けることで

死ぬこととは無縁で生きている人も

非日常的な「死ぬこと」について考えてみてください。

誰もが一度は通る‘死’ですからね・・・

 

そして、どんなマイナスイメージさえも乗り越えて

‘生きる’を実感し、

 もう一度見直し、

 新たに生きてみよう」

一人でも多くそう思う人がいれば・・・

私は心からそう願っています