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しろくまハリきゅう院 しろくまリハビリマッサージ (旧‘しろくま治療院’)

しろくまハリきゅうとしろくまリハビリマッサージの院長のブログ

11.戦争を予防するには

2006-08-29 00:00:03 | 戦争

当たり前ですが一番いいのは

やった、やられた’の種を作らないこと

これはあたかも病気を予防するようなもので

普段から注意していてもなかなか難しいものです

 

では、争いの火種を作らずに

戦争を予防するにはどうしたらいいか

 

「経験したことと同じことを誰かにする」

という避けられない法則を

「やったやられた」の連鎖の代わりに

お互いさま信頼の絆

替えるしかない

「お互いさま」「やったやられた」対極にあるものだと思う

 

信頼が信頼を生む

その‘信頼’とは

金で買える信頼でもなく、契約で縛られる信頼でもない

無条件の信頼

そのの強さは感謝感激の強さ比例するだろう

 

残念ながら私の結論はここまでしか達していない。

 

「‘お互いさま’の信頼の絆」を

どう実現するかは今後の私の行動で示したい

 

もう一度繰り返す。

戦争は勝っても負けても地獄

戦争犠牲者達によって生かされた私たちができる

最大の供養は戦争しない道を選ぶこと


10.些細なことならば

2006-08-27 00:20:51 | 戦争

 

最悪やられてもやり返さなければ

‘やったやられた’の連鎖にはならない

 

些細なことで‘やったやられた’の連鎖

巻き込まれないように冷静になろう

 

よく‘相手にしない’という方法が採られるが

必ずしも「意気地なし」とは限らない、

挑発に乗らないほど「賢明」なのだ

 

‘やった’ほうも‘やられた’ほうも禍根は残る。

 

‘やられた’ほうの恨み辛みは死んでも残り、

DNAの様に子供や孫がその遺志を受け継ぐこともある。

 

‘やった’ほうのが禍根が残るかもしれない

ちょうど太平洋戦争前の勝ち続けた日本のように

勝ち続ければ勝ち続けるほど負けた時の事態は深刻だ

勝ち続けた人ほど負けを経験するだろう

 

負ける人がいるから勝てる

ということを悟るまでは…

 

結局、少しぐらいならやられても

やり返さない方が賢明

 

あとは短気を起こさないで対話する

 

話が通じる相手ならばね…

 

さて、やられたらやり返さないのは難しい

 

では、どうするか?


9. ‘やった、やられた’の連鎖

2006-08-26 00:03:51 | 戦争

 

「経験したことと同じことを誰かにする」

という傾向は誰にでもある

 

どんなキレイごと言ったって、昔、姑にされた意地悪を

自分が姑の立場になった時、

無意識に同じことを嫁にしている

幼少期に虐待された人が親になると

無意識に自分の子供を虐待することもあるという

 

例えば、私の目の前で身内が殺されたとします

もし、法律がなくて、死んだ身内に非がなくて

さらに相手が自分より弱そうならば

いくら血の気の少ない人でも必ず殺し返すでしょう

 

殺し返す人の気持ちがわからないという人がいますが

身内が殺された人の身になって考えていない人でしょう。

 

やられたらやり返さなければ気がすまない

これをここではこう呼ぶことにします

「‘やった、やられた’の連鎖」

これは理性なんか関係なくなるところが怖いんです

 

こういう人間のの部分

自他共に認めなくてはいけないのが戦争

戦争は始まったら止まらない

始まったらもう遅いんですすべてが終わります

理性がなくなり感情に走ったら

何でも終わりになりますね


8. 戦争を知らない世代が選ぶ道

2006-08-24 00:01:42 | 戦争

 

広島・長崎の被爆体験者の3ほどの人が

PTSD(心的外傷後ストレス障害)

ではないかといわれている

 

PTSD阪神大震災、地下鉄サリン事件などで

一躍注目されるようになった病名。

過去にショッキングな出来事を経験し

「心の傷」となって、精神障害が現れる

 

被爆者が訴える症状

「光景や臭いのフラッシュバック」

「被爆の記憶からの逃避」

「不眠や光・音への過敏な反応」など様々だ。

 

被爆体験者にPTSDという病名がつくならば

戦争体験をした人の中で

ちょっとしたPTSDである人はかなりいると思う

 

後悔の日々と心の傷を負って、

供養で頭がいっぱいな世代と違って

戦争を知らない世代には

戦争によるPTSDはない

戦争の呪縛がないのだ

 

前向きの姿勢で平和活動ができるのは

戦争を知らない世代全員の特権ではないか

 

戦争の呪縛のない‘戦争を知らない’現代日本人

実際に戦争を体験しないまま

戦争体験者の貴重な体験談を反面教師にして

戦争しない道を選んでみよう

 

「死んだのには意味があった」)と

戦争犠牲者の前で堂々と言えるためにも…

 

では具体的にどうしたらいいだろうか?

先ず、根本にある原因は?


7. 戦争で失ったもの、得たもの

2006-08-22 00:20:01 | 戦争

戦争責任については天皇や戦争指導者、

それからマスコミにもあると思うが、それだけではない。

戦争責任は少しずつだが

当時の大人全員にあると思う

 

このときの大人が高齢者になって今はこう思うだろう。

「戦争というものを

はじめに知ってさえいれば

みんなで戦争なんかしなかっただろうに

 

戦争というものは人を殺めるのだから

「あの時はしょうがなかった」では済まされない

 

戦争に勝ち続けていれば

これほど後悔しただろうか?

 

もし勝ち続けていたら、

戦争するかしないか迷った時に

「勝てばいいじゃないか!

戦争することを選択するだろう

 

日本には不思議と

「戦争をしろ」という戦争体験者は見かけない

 

日本人は戦争に勝った時よりも

負けてはるかに多くのことを悟れた

 

戦前・戦中世代が戦争で多くの肉親・知人を亡くし、

しかも敗戦した、というどん底の体験をしてくれたおかげで、

そんな貴重な体験を生で聴ける‘戦争を知らない世代’は

ある意味、幸いである


6. 硫黄島の真実~戦死した意味

2006-08-20 00:14:40 | 戦争

地下壕に立てこもる日本兵に対し、

米軍は投降(=降参)を勧めるビラを撒いたり、

拡声器を使い日本語で投降を呼びかけて

投降する気配すらない。

 

‘投降しても結局殺される’とか、

日本に帰れたとしても国賊扱い

などと繰り返し教え込まれていたためだった。

 

投降しようとした日本兵は、

上官の日本兵に後ろから銃で撃たれていたという

 

そこで米兵は壕に向かって火炎放射器で焼き殺す。

さらに壕の入口を爆破して中の日本兵を生き埋めにし

ガソリンを混入した海水を壕に流し込み火を放つ

 

結局、戦死者は日本軍約20000人、米軍約7000人

その遺骨は十分に収集されず、戦後61経っても

いまだ13000名以上のの御霊が硫黄島に眠っている

 

「死んでいった戦友たちに

『死んで意味なかった』とは言えない。」

元通信兵が涙を堪えて言っていたのには

心に‘ズシリ’とくるものがあった

「なら何の意味があったのか、と問われれば

これもまた難しい」と、さらに続けて言っていた

 

皆さん、もう一度、死んでいった兵士の身になってみましょう

 

「君が死んだって別に意味ないね」

なんて言われて今まさに

あなたの存在さえも忘れ去られようとしていたら

あなたはどんな気持ちになりますか…


5. 硫黄島の真実~極限の世界

2006-08-19 00:04:35 | 戦争

日本軍は島の洞窟を利用して地下壕を張巡らせ

島全体を要塞化して徹底抗戦した

 

しかし地下壕を作ろうにも気温40を超え、

硫黄ガスの中でなかなか作れない。

やっとできた地下壕の中で

飢えと乾きに耐えながら

息を潜め、敵を待つ

 

生還した旧日本兵はこれを

「まるで人間の耐久試験のようだった」

 

他の生還者は

「もう理性なんかない、畜生になってるんですよ、

お互いに水をめぐって殺し合うこともありました、

泥水ウジ、そしてを食べました」

 

また違う生還者は

テーブルいっぱいに何個もの湯飲みを置いて

その中にを注いでいる

湯のみの一つ一つに必ず氷を入れていた

それは死ぬ間際の戦友が一番欲しがっていたもの

 

ある生還者は

折り重なった死体の中に隠れて

近づいてくる敵を待ち伏せした、という

 

その死体になった兵士をこう表現していた…

「兵士は死んでもなお戦った」


4. 硫黄島の真実~至上命令

2006-08-18 00:19:06 | 戦争

NHKスペシャルで数少ない生還者の証言を交えて

太平洋戦争最大の激戦地「硫黄島のことを報道していた。

 

島で戦争といえばサイパン島と沖縄の話はよく聞くが、

硫黄島については全くといってよいほど知らなかった

 

玉砕の美名では硫黄島で起きたことは語りつくせない

 

昭和20年2月から1か月間の戦い

およそ20000人日本軍守備隊はほぼ全滅

生存者はわずか1000人余りだった

 

アメリカ軍にとっても日本軍の予想以上のゲリラ戦

戦死、戦傷者は合わせて

サイパンや沖縄以上の28000人を出すという

史上最悪の戦闘となった

 

硫黄島はサイパンと本土の中間に位置していて

サイパン島陥落の後、本土防衛のためには

最も重要な拠点

本部は最初から硫黄島を捨石と見限っていた

 

敵の攻撃を少しでも遅らせるために

日本軍が出した至上命令

死守せよ、戦争を長引かせよ

さらに

「自分の陣地から退くな」

「投降して捕虜になるな」

「勝手な自決(=バンザイ突撃)は禁止」

 

そして補給もない,

絶望的な戦いの中で

彼らには戦って死ぬ以外に

残された道はなかった


3. 人間の本性

2006-08-16 00:25:01 | 戦争

認めたくないのですが、

戦争をしたがるのは人間の本能的なものでしょう

 

こんなエピソードがあります。

満州での戦闘の最前線から生還したおじいちゃんが

こう言っていました

 

「はじめは人を殺すことは嫌だったが、だんだんと

殺すことが気持ち良くなってくる

勝ち戦は楽しいぞ

 

なぜ気持ちいいのか、さらにたずねたら、

 

「敵を殺すと自分が助かるから」だそうだ。

 

じいさん、よくぞ本音を語って下さいました

(注意:決して殺すことをほめているのではありません)

 

誰よりも優しい目をしたおじいちゃんが

こんなに楽しそうに話す裏側には

 

「純粋な人間さえも

ここまで変われるのが戦争だ」

という警告をしているかのように私には受け取れました


2. 戦争体験を聞くも話すも自由…

2006-08-15 00:07:58 | 戦争

 

戦争なんて聞くほうも話すほうも

嫌なんだからもういいじゃない!

と思う人もいるでしょう…確かに。

 

この世には‘知らない幸せ’もあります。

一方‘無知による不幸’もあります。

 

どちらを選ぶかはやはりその人の自由ですね

 

しかし、戦争を語る人は話す前に

「自分はこれを語ると病気になるかもしれない」

「相手に気の毒な思いをさせるかもしれない」などの

様々な危険をおかしてまでなぜ語ろうとするのでしょう?

 

それは次の一点です。

 

「同じ思いはさせたくないから」


1. 戦争体験をじかに聴くこと

2006-08-14 01:02:59 | 戦争

仕事柄、高齢者と接する機会が多いため

話す話題が昔の話になることが多い毎日です

しかし私は戦争を知りたいので興味を持って聴きますし

同じことを何度も話す人にははじめて聴くふりをしてあげます

 

大正、昭和初期の高齢者を理解するには

時代背景にある戦争を理解することは不可欠です

そこで戦争体験について私なりに考えて見ました

 

若い人が「戦争をやめて」とか「核兵器廃絶」とか

いくら叫んでもなぜか聞いている人の心は動きません。

 

戦争を体験した人が心より訴えることで

その気持ちが聴く相手の心に刻まれると思います

 

簡単に言えば、戦争を見たり聞いたりした人よりも

実際に体験した人にはかなわないということですね

 

「体験談」は時間が経つと

「記録」となり「歴史」となり

やがて忘れ去られていきます

 

体験者からじかに聴ける機会、

すなわち体験談として聴けるということは

非常に貴重なことなんです