団塊SONGS/人生の扉(ニ〇〇七)
すっかりブログの更新が遅れてしまった。前回の『小便の行方』にあるブログでは、けっこう多くのアクセスがあった。体験談ではあるが、ある、ある、と膝を打って読まれた方が多いのだろう。実際、泌尿器系や肛門系の話は、あまり触れられることはないが、深刻でありやや滑稽であり、やはり人生の機微になるのだろう。
その人生を歌った唄でいい唄があります。竹内まりやの『人生の扉』。すでに団塊SONGSのサイトにはアップロードしてあり、アメーバーブログにはエッセーもありますが、ここで再録して、せめてその唄に触れられる機会があれば、と思い綴りました。むろん私の唄より、竹内まりや本人の楽曲を聴いてください。
竹内まりやの三五枚目のシングルで、当時の協和発酵のコマーシャルで使われた。このCMを見たが、同社が取り組む癌研究をアピールする内容で、バックに流れるフレーズは「満開の桜や 色づく山の紅葉を/この先いったい何度 見ることになるだろう」の部分だった。
このように、まさに人生を歌った唄で、中にある英語の歌詞では二十歳から九十歳までの気持ちを短いセンテンスで歌っている。これまで人生を歌った唄はあまたあったが、応援歌や思い入れ、詠嘆調など、どこか人生を一定の視点で見つめる唄が多かった。
ところが、この『人生の扉』は、人生に寄り添いともに歩み続ける人を、なにかでふわっと包むようなやさしさに満ちている。こうした特異なスタンスを持ち得た竹内まりやの才能に拍手を贈りたいし、日本の楽曲がここまで到達したことに感動を覚える。
とはいえ、私はこの唄をCMでも聴いていないし、教えられるまでまったく知らなかった。情けない話だが、相変わらずカラオケバーのママに、いい唄があるわよ、と教えてもらった。早速、帰ってうちでネットにある曲を聴いてみた。確かにいい唄だな、と思ったものの、当初はさほどのインパクトはなかった。
なんだか長い唄だなあ、英語もあって面倒だなあ、というのが印象だった。そもそも竹内まりやの唄を歌ったことがなかった。それでもチャレンジ精神は旺盛だから、試しに歌ってみた。シンガーソングライター特有のくせがあって、むつかしい楽曲だった。
ただ英語の歌詞の邦訳を読むと、これは歌わなければならない、という使命感のような思いに囚われるのだった。「六〇歳って元気だねと言うと/あなたは七〇歳でも大丈夫よと言います/みんな八〇歳でもまだまだいけると言います/私はたぶん九〇歳以上生きるでしょうね」
これほど平易な言葉で人の齢を言い表した例は記憶にない。それを英語で歌うから、稚拙さがなくなって曲にうまくはまっている。日本語と英語のミックスの歌は、若い人向けが大半であるが、決して必然性があるわけではないだろう。この『人生の扉』は、ミックスゆえに成功した楽曲となった。
結局、かなりの時間をかけて、自分ではモノにすることができた、と思っている。我田引水になるが、現在私が歌っている唄を集めたウェブサイトの『団塊SONGS』の中では、トップのアクセス数になっている。まだまだ拙い部分があって恥ずかしい思いもあるが、こうした風景を持つ唄をみんなが待望しているのではないだろうか。しかし竹内まりやのほかの唄を歌う気にはまだなれない。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。
すっかりブログの更新が遅れてしまった。前回の『小便の行方』にあるブログでは、けっこう多くのアクセスがあった。体験談ではあるが、ある、ある、と膝を打って読まれた方が多いのだろう。実際、泌尿器系や肛門系の話は、あまり触れられることはないが、深刻でありやや滑稽であり、やはり人生の機微になるのだろう。
その人生を歌った唄でいい唄があります。竹内まりやの『人生の扉』。すでに団塊SONGSのサイトにはアップロードしてあり、アメーバーブログにはエッセーもありますが、ここで再録して、せめてその唄に触れられる機会があれば、と思い綴りました。むろん私の唄より、竹内まりや本人の楽曲を聴いてください。
竹内まりやの三五枚目のシングルで、当時の協和発酵のコマーシャルで使われた。このCMを見たが、同社が取り組む癌研究をアピールする内容で、バックに流れるフレーズは「満開の桜や 色づく山の紅葉を/この先いったい何度 見ることになるだろう」の部分だった。
このように、まさに人生を歌った唄で、中にある英語の歌詞では二十歳から九十歳までの気持ちを短いセンテンスで歌っている。これまで人生を歌った唄はあまたあったが、応援歌や思い入れ、詠嘆調など、どこか人生を一定の視点で見つめる唄が多かった。
ところが、この『人生の扉』は、人生に寄り添いともに歩み続ける人を、なにかでふわっと包むようなやさしさに満ちている。こうした特異なスタンスを持ち得た竹内まりやの才能に拍手を贈りたいし、日本の楽曲がここまで到達したことに感動を覚える。
とはいえ、私はこの唄をCMでも聴いていないし、教えられるまでまったく知らなかった。情けない話だが、相変わらずカラオケバーのママに、いい唄があるわよ、と教えてもらった。早速、帰ってうちでネットにある曲を聴いてみた。確かにいい唄だな、と思ったものの、当初はさほどのインパクトはなかった。
なんだか長い唄だなあ、英語もあって面倒だなあ、というのが印象だった。そもそも竹内まりやの唄を歌ったことがなかった。それでもチャレンジ精神は旺盛だから、試しに歌ってみた。シンガーソングライター特有のくせがあって、むつかしい楽曲だった。
ただ英語の歌詞の邦訳を読むと、これは歌わなければならない、という使命感のような思いに囚われるのだった。「六〇歳って元気だねと言うと/あなたは七〇歳でも大丈夫よと言います/みんな八〇歳でもまだまだいけると言います/私はたぶん九〇歳以上生きるでしょうね」
これほど平易な言葉で人の齢を言い表した例は記憶にない。それを英語で歌うから、稚拙さがなくなって曲にうまくはまっている。日本語と英語のミックスの歌は、若い人向けが大半であるが、決して必然性があるわけではないだろう。この『人生の扉』は、ミックスゆえに成功した楽曲となった。
結局、かなりの時間をかけて、自分ではモノにすることができた、と思っている。我田引水になるが、現在私が歌っている唄を集めたウェブサイトの『団塊SONGS』の中では、トップのアクセス数になっている。まだまだ拙い部分があって恥ずかしい思いもあるが、こうした風景を持つ唄をみんなが待望しているのではないだろうか。しかし竹内まりやのほかの唄を歌う気にはまだなれない。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。