団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

意外に原発は脆かったのではないか

2011-05-27 15:32:41 | Weblog
 政府、原子力安全委員会、保安院、東電の4つが責任のなすり合いになって、とんでもない茶番劇を演じているのが現在の状況であるが、その少し前に津波が来る前に、地震でメルトダウンが起こっていた、という認識が示された。
 これも遅きに失する、という感じではあるが、その耐震設計がM6.7という。M9が来れば、パンクするのは当たり前だろう。
 そこで考えてしまうのは、M6.7で問題はなかったのか。水蒸気爆発や水素爆発によって建家は破壊されているが、実際の地震ではどのくらいの破壊のレベルだったのか。
 津波ではなく、地震だけでどのくらい破壊されたのか、というのがまだ検証されていないようだ。確かに津波ではコンクリートの建物も倒壊している例があるが、地震だけではほとんどのコンクリートの建物は倒壊まで行っていないのではないか。
 原発の建家だって、爆発がなければ四角い建物として残っている。テレビの映像を観るかぎり仙台の市内でもコンクリート建物は大丈夫のようだ。
 つまり原子炉そのものが本当は、それほどの耐震設計ではなかったのではないか。だから簡単にメルトダウンが起きてしまった可能性がある。
 耐震設計なら、すべてをM6.7まで耐えられるまでにしなければ額面通りではない。原子炉、格納容器、周辺のパイプや電気系統、建屋すべてがそうならなければ意味がない。
 それが原子炉だけが意外と脆弱だったか。それは米国のGE製(東芝か日立という説もあるが、公開されていない)が使われていて、米国の東海岸の地震のないところで作っていれば、耐震設計なんか考慮しないかもしれない。
 しかも製造後30年以上が経過している。もう脆くなっている箇所だってあったろう。そう考えれば、福島だけの問題ではなくなる。
 すべての原発の耐震設計をチェックして見直さなければならない。そうなればいったんは止めなければならなくなるだろう。これは日本だけの問題ではなく、地震が起こる可能性のある国すべてに当てはまる。
 現実問題そんなことができるかどうかは分からないが、そうしたリアリティを持って原発を捉えなければならなくなったことは確かだ。
 安全神話で、そういう不安なことは語られなくなっていた。大震災が起き原発事故が勃発して、もう逃げられなくなった。
 こうなったら、徹底的に福島の事故原因を究明し、全国の原発の事故の可能性を検証しなければならない。これはやるしかないだろう。それが国民の願いであり、その結果を本当に国民の前に隠さず公開してほしいものだ。

「60からのマイソング55」を配信中。。これまでヒットした歌を55曲セレクトしてエッセーにまとめまています。「はじめに・空に星があるように・知床旅情・書き終えて」などをサンプルとしてアップロードしてあります。ぜひご覧ください。「Web写真人」で検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

新聞を読むのが楽しくなってきた

2011-05-24 09:10:25 | Weblog
 私は長年の産経新聞の愛読者だが、別に右寄りではない。20年以上も前に、飲み屋で知り合ったフジテレビの社員に購読を頼まれてから、ずっと読んでいる。
 読売新聞に比べれば薄っぺらだが、無用な広告がなく夕刊がないことで、捨てるには楽だ。値段は2950円だと思う。朝日や毎日ははっきりした左寄りであまり好きになれない。中道なら東京新聞か。
 まあ、こんなことはいいことだが、最近は新聞を読むのが楽しくなってきた。政府のゴタゴタの話ではない。
 今日(5月24日)の産経新聞を読むと、一面左肩に原発擁護論のコラム。産経は経済界寄りであるから、この時期に掲載するのだろう。ただ地震列島に乗っている原発の安全を保障できるのか、という点で答えはない。やはり原発は地震のない国の発電システムなのだろう。私は原発反対論者ではないが、そう割り切ることが、日本人にとって必要なのではないか、と考える。
 3面に『自家発電の家 ホンダも参戦』の記事がある。これはスマートホームの実験で、電気自動車のバッテリーを大型蓄電池として家庭用の電力として使うもので、さいたま市と共同で行う。これからの自動車メーカーの競争場裡になるポイントだ。
 さらに14面に『地中熱 脚光 湧き出す』の記事。スカイツリーにも導入されており、地下の平均気温が15℃と一定しており、そこにビル内の空気を循環させて省エネしよう、という動きだ。急に脚光を浴び始めた、という内容で、これで真夏のエアコンの電力使用量が3分の1になるという。
 また21面に『天然ガス発電所を視察』の記事では、猪瀬副都知事が川崎の最新の天然ガス発電所を視察したという内容。このガスタービン発電機1基の発電量は原発1基分という。こんなことが現実になっていたわけだ。
 以上がエネルギー関係で興味を引いた記事だが、それにしても着実に脱原発の動きが出てきている。東電と国は原子力のコスト安に飛び付き、それを金科玉条として安全をアピールすることによって、他の発電システムの芽を摘んできたのではないか。まだそれに洗脳されている経済人がいるのは困ったものである。
 ところが事故が起これば、これほどコスト高のものはなかったわけだ。これからさらに脱原発の新しいエネルギーの動きはもっと活発化する。もう誰も邪魔できるわけではない。
 それが新しいビジネスに育てば、そのシステムは輸出もできる。世界が垂涎する新エネルギーを創りだすのが、東日本大震災に見舞われた日本の使命であるはずだ。それを後押しするのが国の仕事なのではないか。

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震災後にメデイアはどう変化したか

2011-05-21 09:01:40 | Weblog
 東日本大震災後、メディアの見直しがあったように思う。もういらないか、と思わていた活字媒体が息を吹き返した。反対にテレビは墓穴を掘った。
 テレビは被災地の悲惨な状況をこれでもか、と映して顰蹙を買ったが、同じ電波媒体のラジオはリスナーの生の声をダイレクトに伝えて、評価を上げた。
 活字媒体は、やはり丁寧な取材と論評記事によって、その必要度が改めて分かった。特に週刊誌はその効用が大きかった。
 被災地に社員の記者を突っ込ませることができないから、フリージャーナリストやフリーカメラマンが活躍した。彼らの主な活動舞台が週刊誌だから、いやが上にもクオリティが上がった。それまでヒマで時間を持て余していたカメラマンらが急に忙しくなったそうだ。
 週刊誌の発行部数が報道されたが、現在の発行部数トップは文春、2位が現代、3位が新潮、4位がポスト、5位が大衆という順だ。現代が元気で伸びている。新聞社系の週刊誌は低迷傾向で、新聞でできることを別に週刊誌でやることはないわけだ。
 ところでネットはどうだったのだろうか。この評価はいまひとつ分からない。放射能被害で中部大学の武田邦彦教授のブログが話題を集めたが、結局ネットは玉石混淆になってしまい、なにが正しいのかなにが違うのか、という判断ができない面があって、信頼性が低いのは否めない。
 武田教授のブログにしても、その反対意見の学者もいて、どっちを信じていいのか分からない、というのが実態だった。
 その点、活字媒体はやはりしっかりと残る、という意味で、送り手の責任が重く伝わってくる。活字媒体に関わる人たちの覚悟が、他のメディアと違うのだろうか。
 その後、テレビはなんの反省もなく、バカなバラエテイ番組を相変わらず流し続けている。NHKはどさくさに紛れて、NHKハイビジョンの枠をやめてしまった。実験放送という言い訳はあるものの、売るものを勝手に減らして、料金の値下げはない。東電の値上げ云々と一緒で、これもまた非常識である。
 いろいろなメディアがあることは大切なことで、そこでさまざまな見方や議論が提出され、国民が考える機会が提供される。
 それはいいのだが、今回の東電の原子力安全神話のキャンペーンが、メディアの中の議論を封じてしまった。こういう巧妙な作為がメディアのいたるところにはびこっており、それを見抜く目を国民は持たなければならない。
 活字媒体が再び元気になったことは歓迎すべきことだが、震災後の一時的な現象に終わらせたくないものだ。

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東電値上げの非常識

2011-05-14 14:27:55 | Weblog
 東京電力という会社にはあきれる思いだ。結局、競争のない独占企業で、たぶん内部的にも腐り切っていたのだろう。経営者が向いている方向は、まず自分の給料と政府・官庁で国民は無視だ。だから欧米に比べ高い電気代がまかり通ってしまっている。
 大震災前に誰かがチェックしていれば、福島の悲惨さはもっとスケールダウンしていたかもしれない。つまり外部チェックが入れば、原発の安全性にも目が向いた可能性はある。
 経営者の考えていることは、むろん電力の安定供給が第一義であるが、コストが安い原子力に飛び付き、安全を旗印に拡大してきた。他の発電やその開発にはおろそかになってしまった。
 だから学者の委員会だって、アメリカでは原子力規制委員会という。日本では原子力安全委員会だ。もう安全が絶対の御旗になり、官庁も原子力安全・保安院だ。はっきり名称をいえば、原子力危機管理委員会であり、危機管理院だろう。
 確かに原子力は国策だったが、それに乗って安全をアピールして国民をミスリードしてきたのは東電だったろう。なんでも2000億円の広告費を使って安全を丸抱えにしてきた。巨大な利権がそこにあり、政治家、学者、官僚、マスコミすべてが東電がまき散らす金の恩恵を受けてきたのが構図だろう。
 で、結局今回の事故で分かったことは、全員がど素人だったということだ。こんな深刻な事故に素人か玄人か分けることに意味があるかどうかは知らないが、せめてスリーマイルやチェルノブイリの事故当時の担当者や原発を開発したエンジニアを早い時期に招聘すべきだったろう。あとは土木屋やパイプ屋の仕事だったのだ。
 被災があまりにも大きいが、いい経験を得たことは確かだが、その東電がまた電気代の値上げを言い出している。
 こんなに莫大な補償金を払ったら会社がダメになる、だから電力の安定供給ができない、値上げが必至だ、という理屈だが、これまた非常識にもほどがある。
 どこの世界に、得意先に迷惑をかけ売るものもないのに価格だけを上げる商売人がいるか。こんな非常識が通ってしまえば、これからは東電のやりたい放題になっていくだろう。火力の燃料が高いから値上げ、原子力再開でまた金がかかって値上げ、ダムを造って値上げ、という論法になろう。
 値上げをシャットアウトして、企業努力でやり通せ、というのが政府の現在の当たり前のメッセージであろう。
 いずれ東電は解体し、発電と送電を分け、発電もその形態によって分社化していってはどうか。その中で競争原理を働かせ、コスト削減と効率化を実現する企業にしていくことだろう。むろん全国の電力会社もそうなっていくことが必要だ。
 電力の安定供給は生活や経済のために必要ではあるが、、前稿で触れたように、脱原発社会を本気でめざしていかなければならない。
 
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脱原発が本気ではじまった

2011-05-10 10:44:26 | Weblog
 禍をもって福を成す、というにはあまりにも被災が大きすぎたわけだが、それでも結果として原発が見直され、本気で代替エネルギーの開発が本格化している。
 菅首相は浜岡原発の停止を命じ、中部電力はこれを受け入れた。評価はこれからとしても、中日本地域でも関東と同様に、本気で他のエネルギーを開発する必要に迫られてきた。
 こうした危機的状況の中でしか、本気でやらないのは人間の通性だ。福島原発がこんなことにならなければ、原発が供給する電力で安逸な生活を送っていたことだろう。
 もちろんすぐには脱原発のエネルギー社会が構築できるわけではないが、本腰を入れての模索がはじまったといえる。
 例えば家庭用リチウム電池の開発に家電メーカーは前倒しで生産を開始した。まだコストが高く容量も少ないが、それでもエネルギー源として役に立つ。
 風力も太陽光発電も、きっと普及が加速され、さらにより使いやすく改良も促進されよう。電気自動車もこれで本格化する。
 家庭用リチウム電池と車載用電池を同じ規格にして共用することにより経済性を高めることができる。風力や太陽光パネルで発電し、余った電力をここに蓄えることもできる。またガスによる燃料電池ももっと使われるようになろう。
 工場の規模でいえば、ガスタービンによる発電機の設置が進むことも考えられる。被災地でいえば、海岸沿いで藻によるバイオ油の生産も可能になりそうだ。また揚力発電やさまざまな発電形態ももっと真剣に開発が進んでいこう。
 つまり原発がなくなると、どういうことが起きるのか、ということが関東を中心にいま進行しているということだ。これはCO2削減で脱化石燃料ということにも近い。
 ひとつのエネルギー源に頼ってきた社会の脆弱性を今回の大震災で突き付けられた。原発がいったん事故が起こると、これほど安全性が脅かされコストが高いものだったのかを国民は知った。
 たぶんもう原発には戻ることはないだろう。もし戻るような動きがあるとしたら、やはり原発利権などに群がる人々がまだ甘い汁を吸いたいことを意味している。たぶんこれから、また原発必要キャンペーンがはじまるだろうが、もう国民は騙されない。大震災で社会も変わっていくが、人々の意識もまた変わってしまったのだ。
 きっと日本人の知恵は、脱原発、脱石油という新しいエネルギーを開発していくことだろう。それを実現することこそが、復興であり、今回の大震災で亡くなった人々への鎮魂になることではないか。

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パソコンOS変更でいらいらカリカリ

2011-05-05 10:32:14 | Weblog
 オフィスで使っているVistaとXPのパソコンがある。XPのパソコンが古くなり、USBメモリーが使えずスピードも遅い。そこでテレビのそばに置いてあったもう一台のVistaパソコンをXPの代わりに使うことにした。
 オフィスでVistaパソコンを2台使うことにした。ちょうどGWで時間があり、パーテーションの変更などもやってみようとした。
 まず現在使っているXPやVistaのパソコンからファイルを取り出し、USBメモリーに保存。このパソコンはVistaSPのOSだった。
 そして新しく使うVistaSP1のパソコンをオフィスに持ってきた。パーテーションの変更は楽だった。そして仕事で使っているさまざまなアプリとソフトをインストールしていった。ほぼ半日かかった。
 ようやく終わって、あるソフトを開いたら、なんとインストールしたはずのフォントを認識しない。慌ててなんどもインストールし直したが、だめだった。DTPに使う大事なフォントで代替が効かない。
 いろいろ調べVistaSP1では使えないのか、と思い至り、もともとVistaSPで使っていたのだから、そうか、VistaSPのOS にしてみようと決めた。同じDELLの製品で、パソコンが違ってもOSは入るだろう、とたかを括ってやってみた。そしたらインストールできた。デバイスも全部入れて、再び同じことをやってみた。
 やっぱりだめだった。コンチクチョーと悪態をつき、どうするか。フォントを買うか。待てよ、ひょっとしたら、XPのOSだってインストールできるのではないか、と大胆なことを考え、またやってみた。
 成功した。つまり同じ会社のパソコンなら、OSは替えることができるわけだ。再び同じことをやってみた。
 こんどは大事なソフトで、CDからのセットアップができないものが出てきた。なんだ、なんだ、とまた頭に来た。CDが悪いのか、XPが悪いのか。こちらのソフトはもう買うことができないソフトだった。
 結局諦めて、最初のVistaSP1をインストールすることにした。またまた半日以上を費やし、なんとか正常な状態にもどった。
 セットアップのできないCDもちゃんと入った。XPとセットアップの起動がうまく噛み合わないものがあったわけだが、原因は分からない。フォントの問題は、そのCDのインストーラーに欠陥があったことが分かった。CDを開いてダイレクトにフォルダにコピーしたらOKだった。
 そんなことでGWはすっかり時間を潰してしまった。ただこうしたことをやると、無用なソフトやファイルが整理でき、パソコンが自分のものになった、という感覚が出てくるメリットはある。
 VistaSP1からはじまって、VistaSP、XP、そしてVistaSP1に戻ったわけだが、結局XPでOSはほぼ完成しているようだ。高性能パソコンに軽いXPを入れて軽快な操作ができるのがベストだった。保有しているソフトは全部XP用なのだが、わずかな瑕疵で不可能になった。残念なことだ。

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