団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

新党騒ぎもいいじゃないか

2010-03-16 20:15:44 | Weblog
 今日、高校授業料無償化と子ども手当の法案が衆議院を通過した。バラマキといわれながらも、マニフェストにあるから、とりあえずは公約を実行したことになる。
 しかし、このやりようが民主党の危うさのような気がする。政治とカネの問題だけではなく、悪平等的なバラマキに対して、多くの国民が違和感を持っているのだろう。
 自民党の政治は、特定の誰かが得をする政治だった。天下り官僚が得をしているし、道路やダム、港、空港で土建屋が得をしてきた。 特定の業界が自民党への働きかけによって、巨大な利権を得ていた。それがひっくり返った。
 民主党になって、特定の誰かが得をする政治ではなくなった。だから事業仕分けも継続しているが、言ってみれば、みんなが得をする政治に変わったわけだ。
 みんなが得をする、というのは本来あり得ない。得をする者がいれば、損をする者がいるのがノーマルな社会であろう。ところが、民主党はバラマキによって、みんなが得をする社会を作ろうとしている。
 ここになにかのまやかしを感じるのである。みんなが得をするというのは、みんなが損をするのである。いまは国債も発行すれば買われるが、その信用が失墜すれば、国債はどうなるのか。その時点で、国民の借金でがんじがらめになっていれば、みんなが損をするわけだ。あの時代、つまり現在の民主党のバラマキがその原因になったと、と将来の経済学者が指摘することだろう。
 どう考えても、現在はバラマキよりも、まず借金を増やさないことに留意して、困っている特定の人に支援を充実して、困窮している人がそこから脱っして健全な生活ができるように支援をするのが政治である。
 つまり社会的な弱者が立ち直れるシステムを作ることこそが、民主党が標榜した政治ではないか。ところが、なんの一線もなくバラマキになってしまった。悪平等である。
 誰もそんなことは望んでいなかった。自民党政治は確かに否定されたのだ。そこが分からない谷垣さんが批判されていて、鳩山邦夫の新党が誕生する。
 つまり自民党はもういや、民主党のバラマキもいや、じゃあ、どうするのか、という国民のジレンマが新党騒ぎになっているような気がする。
 もし新党が国民の支持を受けるとしたら、自民党でなく民主党でもない、ふつうの国民の気持ちを代表する政党になればいい。ふつうの国民とはなにか。自ら努力して克己する人々のことだ。この国に生活する当たり前の人の常識を大切にすることだ。政治はそういう人にこれまで応えてきのだろうか。

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どうするのか

2010-03-12 10:45:38 | Weblog
 これほど空港のことが話題になったのは久しぶりだ。茨城空港のこと。ハナから赤字、というのも期待されなくてさっぱりしているが、利用客が徐々に増えると思っているのだろうか。
 現在は韓国便がひとつ。ゴーストタウンのような空港になりそうだが、それよりなぜ、茨城空港から羽田や成田への便ができないのだろうか。
 茨城の人は、もし海外に行くには成田まで、電車を乗り継いでいくだろう。常磐線で南下してどここかで成田線に乗り換えるわけだが、それなら茨城空港から成田に飛べるようにすればいいではないか。羽田だって東京に来る面倒さを考えれば、羽田が使えないか。
 そういう便利さこそ、地方空港の存在意義ではないかと思うが、たぶん羽田や成田の乗り入れ代が高額で、また混み合っており滑走路は満杯、そうした飛行機の離着陸は困難、というのが理由になるのだろうか。
 地域住民にとって本当に必要な空港にするためには、そうしたハードルをクリアして、その程度のことを実現してもいいのではないか。
 それにしても、狭い日本に90以上の飛行場がある。ほとんど予測された利用客数は大幅に下回っており、甘い予測が問題になっている。
 最初に建設ありきで、ことを進めるから、マイナスになる数字は外して、楽観的な数字だけでみようとするから、大誤算になってしまった。
 これは飛行場の問題ではなく、コンクリートに絡んだ土建屋の問題である。ダムと同一のことで、大規模な土木工事が発生し道路も張り巡らされ、そこに利権屋が跳梁跋扈するわけだ。
 しかも、飛行場を造ることは、地域のため住民のため、という大義名分がある。他の県にあって、なんでおらが県にはないのか、という感情もあって、建設になんら疑問もなく造られてきたのだろう。
 民主党になって、コンクリートから人へ、がキャッチフレーズになった。結果、子ども手当、高校授業料無償化といったバラマキになっているが、コンクリートも反省しなければならないが、ただコンクリートそのものが悪いわけではない。
 ダム、飛行場、道路、ビックプロジェクトの地域開発など、必要度は精査されなければならないが、造ることが目的ではなく、造ったあとの利用こそが地域にとった重要なことだ。
 造れば無関心になってしまうのが、コンクリートの政治だった。人の政治には終りがない。だからこそ、何十年何百年という時間でものごとを考えることが政治には必要である。

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恐竜絶滅なら人類もありか

2010-03-05 16:35:08 | Weblog
 白亜紀の恐竜の絶滅は、巨大彗星の衝突というところで、学者らの意見が一致して発表された。それは詳しく新聞に載っている。
 いろいろと恐竜の絶滅については論議されてきたが、もっとも有力な説に落ち着いた、というところだろう。たぶん、異論のある学者はいっぱいいて、これからまた論争がはじまるのだろう。
 当然、そんな昔のことには明確な証拠はない。いわゆる状況証拠があるだけで、地球上にない物質が一定の地層から発見されているというのが論拠だった。
 それがどうして絶滅に、という理由は、気候変動だ。太陽光が遮られ、恐竜が耐えられない寒冷化が地球規模で起こったのだろう。アフリカの象をシベリアに持っていくようなものだ。ただ激突は一度だけでなく、過去に数度起こっている。その都度、生物の絶滅が起こったのだろうか。
 当然、絶滅は恐竜だけでなく、他の生物にも及んだろう。そこで淘汰が起こり、寒冷にも適応できる生物が生き残り、哺乳類の天下が来たのだろうか。絶滅というと一瞬の出来事のように錯覚しがちだが、絶滅するまで何億年とかかっているだろう。だって、恐竜全部が寒冷化に適応できなかったわけではなく、寒冷化に強い恐竜もまた誕生し、それが進化してちがったタイプの生物になったかもしれない。
 いずれにしろ、最終的には哺乳類が残るが、分からないのは南米の石に恐竜と人間が同じ場面で書かれていることだ。説明はついていない。
 だから絶滅したといっても、一部の恐竜はずっと生き残ってきたのではないか。そう考えほうが自然だ。
 ホモサピエンスが誕生してから農耕民族に達するまでに長い時間がかかり、現在のイラクにシュメール文明が勃興するのは、紀元前1万年以降という。
 人類は文明化してわずか1万年程度しか経っていない。たぶんそれ以前にも文明は起こり滅んでいるだろう。その痕跡が超古代のテクノロジーとして残っている。オーパーツなどがその典型だ。
 ということは、いま地球に巨大隕石の衝突で氷河期が到来し、一部の人間が残り野生化しても、やはり1万年程度で再生できるのだろうか。現在の文明は宗教のくびきがあるから、たぶんもっと早く再生できるだろう。
 前文明の知恵が生かされればいいが、たぶんそのつながりはないだろう。現在の文明をみれば分かる。なにも学んではいないからだ。
 差別、核、環境など山積している問題をまた一からやり直すとなると、次の人類も大変だなあ、と思うものだ。

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政治とカネ解決策示せ

2010-03-02 11:07:08 | Weblog
 小林千代美議員に絡んだ北海道教職員組合の献金問題で逮捕者が出る大ごとになっているが、小林議員本人のコメントが聞かれないのが残念だ。
 いずれ無傷では逃れられないだろうが、ここで民主党はなにをしなければならないか、が問われているわけだ。
 まず民主党というより、小林議員自身の進退であろう。これまでの多くの議員は、秘書のせいにして逃げてきた。党役員辞任、離党、議員辞職といった順序があるだろうが、まず本人自身の問題として捉えることだ。
 ここで、小林議員がこれまでの経緯を明らかにして、自らの関与も認め(関与がないはずがないと世間では思っている)、そして犯罪に関与していれば自首するか、議員辞職をするか、を明らかにすることが望まれている。
 小林議員だって、会計担当が逮捕されているのだから、言い訳もなにもあったものではない。それなら、進んでことの真相を天下に公表し、堂々と議員を辞職し裁判に向かい戦い、そして禊ぎを終えて、捲土重来を期す、とはっきりいえばいい。それなら、拍手喝采とまでいかないまでも、政治家として好印象は残る。
 そして、今回の事件を政治家の犯罪と位置付け、小林議員をスケープコードにすることにより、その解決策を民主党のモデルケースとして世間にアピールすることではないか。民主党がこうした毅然とした姿勢を示すことができる政党と思って、みんな民主党を支持したのである。
 いったん政治家の犯罪が発覚した場合は、もしそれに民主党議員が関与していたら、こうした責任の取り方をします、という形を作ることによって、政治とカネの問題を根本から解決する見本をみせることではないか。
 政治家が潔く自分の進退を決める、ということをいかに国民が熱望しているか。ただ小林議員が自身の意思でここまでやってくれればいいが、それが党の指令ならば、じゃあ、小沢さんは、鳩山さんは、という声が出てしまう。
 それは困る、となると、なにも進まなくなる。とにかく、こういう事件をひとつのチャンスとして捉え、小林議員も、民主党も、解決策のモデルケースを明確に提示することだろう。
 その解決策にしたがって、今後の対応も決めていく。それで、政治とカネの問題がなくなるわけではないが、そうした姿勢が現在の政治に求められているのだ。
 

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