団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

諸悪の根源は過保護

2012-01-31 09:20:21 | Weblog
 昼休みにうちでテレビを観ていたら、次男が兄と弟を刺して自殺、というニュースをやっていた。
 へぇー、大変な事件だ、と思っていたら、次の画面で、年齢が45歳と出た。なんだあ、ひとつのうちにそんな齢になっても、兄弟3人がともに住んでいるんだ、というその異様さに首をかしげた。
 事件の実態はこれからの捜査を待つことになるが、実際そういう例は多くなっていて、子供がずっとうちにいるケースが珍しくないという。
 女性なら結婚後失敗して出戻った例か、あるいはずっとうちにいて、ただ齢をとっていくこともあるだろうし、まともな就職をして一度外に出ても、退職してアルバイトだけで食えずに、戻ることもあるだろう。
 そういう子供を迎えるのは親として当たり前ではあるが、なにかそこに、ある異常さが潜んでいるような気がする。
 子供をいつまでも手元に置いておきたい、と考える親は多い。おじいちゃんやおばあちゃんが高齢で手がかかるようになるなら、自分の子供の手をあてにすることもあろう。
 子供も、いつまでもなんとなくずっと親と一緒にいることに、さほどの違和感を覚えなくなってしまっている可能性もある。
 そうした子供と親が、いつまでもともに暮らすことになってしまう。親は子供が一緒にいたほうが安心、子供は親の金をあてにできるし、いずれ遺産が転がり込むこともある。この気持ちの延長が、世間を騒がせた死んだ親の年金目当てになった。
 つまり両者が共通の利益で一致してしまうわけだ。こんな家庭が多くなっていることで、日本人が内向きになっていると指摘されるのではないか。
 人間は、まずうちから出ることで世間を知る。それは親から離れることを意味する。それが自立につながる。
 大人になるまでに、自立できる人間にすることが教育であろう。その教育がどこかで歪んでしまった。突き詰めれば過保護が原因だ。
 どこかで社会通念を忘れてしまった。働き出したら、うちを出る。自立し自活する。それを当たり前とする社会ではなかったか。
 もし日本を強くするなら、結局個人を、一人ひとりを強くすることしかないのではないのだろうか。 

「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp

もう小手先では逃げられない

2012-01-22 15:53:20 | Weblog
 本当に消費増税はどうなるのだろうか。行財政改革や議員定数削減、税と社会保障の一体改革などを本気で決めずに強行したら、政治は大混乱になり、政局は一気に混迷するだろう。
 詳しいことは分からないが、どうしてヨーロッパの一部の国の消費税のように、生活必需品については無税か軽い税にできないのだろうか。そうした議論が起きないこと自体が不思議だ。
 中小スーパーで売っている食料品を中心にした日常の商品については、現行の5%で行く。そして一般的に贅沢品といわれる買い回り商品については、10~20%の間で税率を決めれば、所得の低い層への影響は軽微だし、中小商店も救われる。経済にもさほどの大きな変動はあるまい。
 それをすると、大企業が提供している高額商品が落ち込む可能性があり、財界からの反発が強いのだろうが、できないわけではなく、もっとも現実的であろう。
 もつひとつの社会保障問題は、すべての健康保険・年金を一元化して、所得に応じて税金とセットで徴収するようにするしかあるまい。
 国民年金の加入率が50%を割っている中で論議をしたところではじまらない。国民皆健康保険・皆年金を基本として、一定以上の所得があれが徴収するようにする。
 税率や保険料率、年金額を設定するむつかしさがあるが、もっとも重要なことは公平性を確保して、例外規定を極力廃して分かりやすくすることだろう。
 同時に、国民番号制を導入して、行政コストを一気に下げて、国民の所得を把握して、脱税や脱法行為をなくしてガラス張りにすることではないか。
 並行的に、民間が提供できる年金や保険をもっと充実して、それを提供する企業の破綻があったとしても、保護される保障を政府が約束することも必要だ。
 若い世代が高齢者の年金を支える現在の仕組みは、やはり違和感がつきまとう。そんな気持ちで年金を払っている人なんかいない。自分と家族の老後のためでしかなく、年金未払いの齢をとった老人のために、誰も払いたくないであろう。
 結局、高度成長期に作られたさまざまな社会的な制度が、とっくに破綻していることが、現在の矛盾を生んでいる。小手先で逃げられる時代ではなくなっていることを理解しなければならないはずだ。本当になんとかしないと、いまにもクラッシュが起きそうな気配すら感じるこの頃ではないか。

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家電ショーはテレビとスマホのせめぎ合いというが

2012-01-15 14:35:22 | Weblog
 アメリカのラスベガスで開かれたコンシューマー・エレクトロニクス・ショーが、各メディアをにぎわしていた。
 カメラメーカーのデジカメも、家電に組み込まれて、そのひとつのラインアップに化したようだ。今年のCESの大きなテーマは、ネット時代の中で、テレビやスマートフォン、タブレット端末の在り様がさまざまに提案された。
 つまりテレビもネットワークに組み入れられ、パソコンのように使えるようになったわけだし、タブレット端末はパソコンと同時に、テレビになってしまうし、スマートフォンなどは携帯テレビになったわけだ。
 家電のビジネスを考えれば、やはり金額が張るテレビが中核であってほしいわけで、だからこそ早めの有機ELディスプレイが幅を効かしていた。
 最近のネットの記事を読んでいたら、ネットテレビにしてもタブレット端末にしても、使い勝手の問題が大きく浮上しているようだ。
 これまではテレビがあって、それを操作するのにリモコンで離れていても使えたわけだが、タッチパネルになれば、いちいちテレビの画面まで行かなければならない。タブレット端末にはリモコンはないし、といろいろと不便が生じるらしい。
 たださほどむつかしい問題ではなく、タッチパネルの大型テレビがあるとして、それに連動したタブレット端末のリモコンを作ればいいわけだ。
 そのリモコンにテレビと同じ表示が出て、そのリモコンの画面をタッチすれば、テレビの表示も同様に変わる、という仕組みだ。
 むろんコスト増にはなるにしても、より便利に離れていてもテレビを楽しめるようになるだろう。
 いずれ、こうしたアイデアはすぐに実用化になるのだろうが実際、液晶テレビになって、それ現在のように普及するまで、けっこう時間はかかっている。有機ELはもう少し早い気がするが、やはり5年以上はかかろう。
 ネットテレビになったところで、別にパソコンで観られる画面がテレビに映るだけの話で、面白いわけではない。
 問題はテレビやスマホなどのデバイスではなく、やはりコンテンツなんだろう。地上波テレビのつまらなさは極限まで来ているし、チャンネルが増えても、韓流や外国の観光ビデオばかりながしているBSは多いし、本気なのか、という気がする。
 我が家は、ミステリーが好きで、昔の2時間ミステリーばかり観ている。チャンネルが増えるなら、昔のドラマを大いやってもらったほうが、よほど楽しい。こういう楽しみ方だから、デバイスなどはどうでもいいわけだ。

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デジカメ故障その顛末

2012-01-07 09:47:49 | Weblog
 12月はじめに買ったコンデジが、開封時に故障していた。レンズユニットの不具合で、ピックアップで修理センターに送り、戻ってきた修理済みのコンデジに、また同じ故障が発生した。
 しかたなくまた修理センターに送り、戻って来たコンデジをちょっと使っていたら、次にはレリーズボタンが反応しなくなった。何度も押していると写る時もあり、間を置いたら直っていたので、また使い始めたが、やっぱりダメで返品と相成った。
 2回目の故障で、交換もできることを示唆していたので、修理センターに電話した。
「現在、そのタイプのシルバーは在庫がなく時間がかかりますが、ブラックでしたらすぐに用意できます」
 という返事だ。ちょっと迷って考えあぐねていると「どうしてもシルバーがお望みでしたら、上級機のシルバータイプがあります」
 と来た。「えっ」と思わず聞き返した。
「それだと、値段が高くなるでしょう」
「そうなりますが、交換できます」
「差額はどうなるのですか」
「交換ですから、必要ありません」
「……」
 まさかこんな展開になるとは。価格コムで調べると、故障した機種と上級機とでは6000円程度高い。せっかく使い慣れた機種と違ったタイプになるが、機能が豊富でしかもズームは12倍から24倍にアップする。やや携帯性に問題があるが、さてどうしたものか、と迷った。
「そうですか、やっぱり上級機のほうがいいでしょうね、いまの機種はケチがついた感じがしますしね」
 と当方は返事をした。これが年末のことで、まだカメラは届いたいない。12日頃には到着する予定だ。
 それにしても、いくら在庫がないとはいえ、高いほうの機種と交換してしまう、というのはやや乱暴か。
 むろん故障を起こすメーカーが悪いにしても、申し出がなければこちらはブラックでもよかったのだ。メーカーに修理絡みでなにかあると時には、沈黙は金というのが鉄則か。
 ピックアップは都合3回ということになり、故障がいかにコストを圧迫するか分かる。故障が発生しない機種を開発するのがメーカーの当然な使命であるが、こんなに早いデジカメの開発スピードではしかたがない面もある。しかも何万台も作るわけで、全品検査は無理で、抜き取りだから漏れも出よう。
 ともあれこれで一件落着と思いたいが、さてどうなることやら。メーカー名は伏せましたが、伏せる理由を勘案してください。

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