11月24日に厚木の峠の中で最も北に位置する打越峠に行ってみました。
甲州道が国道412号線と合流する上荻野の三叉路から打越峠を通って愛川町の海底(おぞこ)の集落に抜けるコースを進みます。
A地点:国道412号から田尻方面への入口です。車の通りも少ないここから田尻の集落に入っていきます。
B地点:しばらく歩くと国道412号線からの道幅の広い道と合流します。
ここを右に向かいます。
C地点:車がスピードを出して通り過ぎますが、歩道が整備されています。
D地点:右に進むと中津川カントリークラブの入口です、ここを左に向かいます。
だんだん薄暗い山の中に入っていきます。
猪の出没に注意を促す張り紙があちこちに貼られています。
猪は犬を見ると向かってくるそうですが、今日も犬連れの散歩です。
E地点:しばらく歩くと行き止まりの看板がありますが、そのまま真っ直ぐ進みます。
F地点:車が入れなくなっていますが、人や犬の通行は問題なさそうです。
F地点から50mほど進むと打越峠にでました。峠の周辺はかなり広い場所で、いわゆる峠のイメージとは違います。
峠を越えて愛川町側に入ります。
急に薄暗い山道になります。
明治15年頃の地図では、今の愛川町方面へ向かう道は田代に出ています。
つまり現在の国道412号とほぼ同じあたりを進んで、平山橋の方に向かっています。
江戸時代の地図には、田代に向かう道は描かれていません。左下の赤い線は宮ケ瀬に向かう道で、右上の赤い線は三増峠に向かう現在の県道65号線にあたる道と思われます。
そうすると荻野付近を抜ける大きな甲州道はなかったようにも見えます。
打越峠は甲州道の一部というより、海底集落の人達が荻野へ抜ける近道のようなものだったのかもしれません。
海底に向かって急こう配を下り終えたあたりに馬坂と書かれた標柱があります。
馬坂標柱のところには金毘羅神社へ上がる階段があります。
馬坂の標柱のところを大きく左に曲がると愛宕神社が見えてみます。
さらに進むと日月神社の前に出ます。
日月神社の前にはご神木と呼ぶにふさわしいような銀杏の大木があります。
日月神社から中津川に向かって進むと、角田大橋から田代半僧坊を結ぶ道と交差するところにお地蔵様が祀られている。地蔵は子供の守り神として信じられています。供えられた風車が良く似合います。
さらに中津川に向かって進んだところに道祖神が祀られています。石像自体は新しいものですが、石碑は古いもののように見えます。
神社も地蔵も道祖神も、集落の外から禍を招き入れないための結界の役割をするものです。
そうすると打越峠からのこの道は、昔はこの集落を通る主な道だったように思えてきます。
中津川に突き当りました。川の堤防の上の道を平山橋に向かって進みます。
平山橋です。
昔はここを車で通っていましたが、すぐ隣に新しく平山大橋が架かってからは車の通行は出来なくなりました。
平山大橋のところの説明板によると、平山橋は現存する神奈川の橋の中では最古の橋ということで、戦時中に戦闘機の機銃掃射を受けた傷も残っているとあります。
大正十五年六月完成とあります。
これが機銃掃射の跡でしょうか。
鉄の柱に穴が開けられています。
田代運動公園でテツと二人で昼食にしました。
今日はテツは久しぶりにハーネスを付けました。今見ると少しキツい感じに見えます。
少し太ったでしょうか。
帰りは来た道を戻ります。
中津川の河原にヤギが繋がれていました。
馬渡からの木々に覆われた暗い急坂を登りきると、地下からはい出たように峠の方が明るく見えます。
打越峠です。
ここから20分ほどで上荻野に戻りました。
この日は12時40分に上荻野を出て、15時に戻ってきました。