新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1165 北口本宮冨士浅間神社

2020-01-29 21:16:16 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

全国の浅間神社を巡ります

今回は 北口本宮冨士浅間神社 です

祭神

浅間大神

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)
大山祇神(おおやまづみのかみ)

景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、
足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で
当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、
そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と
仰せになりました。
よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、
当社の創建となりました。

天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、
延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、
大塚丘には日本武尊をお祀りしました。

古代、富士のような高い山、美しい山は神のおわす山として
人が入ることは禁忌でした。よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み
祭祀を行う場でありました。
現在拝殿を囲んでいる巨木はその神域を物語っています。

時代は下って、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、
登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、
発展するにつれ、御山に登ること即ち祈り、
とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになりました。

富士講 初めて富士登山を行ったのは、
大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、
のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、
天正5年(1577)に登山しています。

富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、
甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って
吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、
関西にまでも拡大しました。
中でも大きな団体であった村上講の村上光清師は、
藤原角行師の6世の弟子にあたり、
享保18年から元文3年までの6年間(1733~1738)で、
境内社殿の大造営を行いました。

現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、
廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、
現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えています。

主な社殿は、仁和3年(887)より、藤原当興、北条(左京太夫)義時、
武田信玄、浅野(左衛門佐)氏重、鳥居(土佐守)成次、秋元(越中守)富朝、
秋元(摂津守・但馬守)喬朝、らによって造営が重ねられました。

貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が
再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、
また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として
現本殿の西側におうつしされています。

現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建で、
いずれも国指定重要文化財です。


◇所在地

富士市浅間本町5-1

◇最寄りの駅

富士急行線 富士山駅

<北口本宮冨士浅間神社 ホームページより >
https://sengenjinja.jp/



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◇2月は 

 4(火)  7(金) 11(火) 14(金) 

18(火) 21(金) 25(火) 28(金)

 8(土) 12(水) 22(土) 26(水)

☆今月は 2(日)  鑑定いたします



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