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「1Q84」村上春樹

2009-06-13 23:04:14 | 
村上春樹は
私にとって
とてもとても特別な作家です。

16歳のときに出会い
人生の半分以上を
村上春樹の小説とともに歩んでいます。

そんな村上春樹の「1Q84」を読了しました。


村上春樹を読み続けてきた私には
この小説は
想像力を刺激してやまないものでありました。


1995年3月。
私は高校を卒業し、
クラスメートとともに卒業旅行に行っていました。
(どこにいったのか、まったく記憶にない。)

そのときに事件が起こりました。
オウムサリン事件です。

その後
浪人してお茶の水界隈をうろうろしていた私は
お茶の水駅前で
象のかぶりものをした奇妙なひとたちが踊る様を
日常のものとして目撃します。

その光景は
浪人時代のうつろな心情と相まって
私の内にも
陰影濃く刻まれています。


「1Q84」は
村上春樹の(現在までの)集大成と位置づけられる物語であるように思いました。

ローカルな部分においては
過去の作品
(しかも長編においてはほとんどすべて)
をモチーフとした展開が繰り広げられます。

また
テーマとしても
過去の作品の延長線上にあるものです。
(村上春樹は、「作家とは同じテーマを繰り返し書くことで深めて行くのだ。」と何かで書いていた気がします。出典が思い出せず、ごめんなさい。)

それでいて
全体としては
過去の作品の繰り返しにとどまらない
村上春樹の思想が
いままで以上に色濃く、そして、鮮烈に出ている作品でした。



かつて
村上春樹が「敵」とするシステムは
資本主義でした。

それが
本作では
新興宗教であったり
(依然としてある)制度的な集団であったりします。

システムが個人を圧殺します。


そして
血縁と血縁と関わりのない繋がりが
対をなすものして
対置されます。
(そもそも---
直接的に血縁(家族)が
村上春樹世界にあらわれたのが
とても新鮮でした。)



個とシステム。
個と歴史。

システムにより
損なわれてゆく個。

村上春樹が
はじめての小説「風の歌を聴け」を書いたのが29歳。
今回の小説の主人公たちと同年代です。


この「1Q84」のフィーバーぶりと
作中の「空気さなぎ」の売れっぷりとが
なにやら
私にはオーバーラップしてしまいます。


リトルピープルたちは
この作品に対して
どのように応えるのでしょうか。



村上春樹の作品は
小説というよりも
物語と呼ぶにふさわしい。

ここにきて
村上作品は
寓意がより濃くなりました。


歴史(事実)に
近く寄り添いつつ
最終的に
物語として着地することによって
とても雄弁な作品となる。


読後の今
つんつんと
脳と心が刺激されています。


「ウェブ進化論」梅田望夫

2009-05-06 23:19:23 | 
「ウェブ進化論---本当の大変化はこれから始まる」(梅田望夫 著, ちくま新書)
を読みました。

曰く。
次の10年を大きく変える三大潮流は
・インターネット
・チープ革命
・オープンソース

この視点でジャグリングの技術発展を見直しました。

日本のジャグリング界は
ここ何年かの大会で結果や
他国のジャグラーからの注目度を考えるに
非常にレベルが高い。
(世間的にあまり知られていないように感じるのが残念ですが。)

しかも技術の向上が
爆発的に起こっている。

そこにはどんな要因があったか。

・インターネット
ジャグリングの技術が伝播するのにインターネットの果たした役割は大きい。
動画や教則サイトが
無料で
いつでも
観ることができるのはすばらしい。
また
BBS等でのコミュニティの発生が
練習のモチベーション維持に大きな役割を果たした。
ジャグリングクラブがなく
ひとりで練習するしかない環境のジャグラーには特に。

・チープ革命
ジャグリングショップナランハ
の創業が1998年。
それ以前は
道具の入手をするにも
たいへんなコストがかかりました。

良質な道具を手に入れるには
個人輸入(あるいはジャグリングクラブ単位で輸入)する訳ですが
到着までに一カ月かかる
というのも普通でした。

またジャグリング教則資料を手に入れようにも
海外の大会の映像や英語の教則本しかなく
生でジャグリングを観ようと思うと
機会の少ない大道芸イベントを狙うことが主流でした。

道具、知識を得るのに
時間、金銭ともにコストがかかりました。

今は
(例えば)ナランハに注文すれば、ネットでも、はやければ、翌日には届きます。
教則資料も豊富です。

・オープンソース
ジャグリングは
そもそもがオープンソースな性格を帯びています。
技術を教え合うことのハードルが極めて低く
また
個々の創意工夫によって開発されたオリジナルが
すばらしければ
拍手喝采で迎えられ
そして
広まって行きます。
そこに、さらに独創が加えられ、、、

正の無限ループのもとに
技術のフロンティアが拡張して行きます。


「広まる」
という意味においては
やはり
ネット上で動画配信が容易になったことが大きいでしょう。


■■
日本において
技術のインフレが発生したのはなぜか。

残念ながら
上記の論だけでは説明できてはいません。
おそらく
日本人自体をもっと掘り下げた上で
他地域と比較しないと
特殊性は出てこないでしょう。


それはさておき。
テクノロジーとカンパニーとに支えられて発展してきたこの10年。
ジャグリングは
この先10年はどうなるのでしょうか。

あくまで私的な(かつ、楽観的な)仮説ですが---

ジャグリングの先端では
ジャグリングの洗練された技術を踏まえた上で
異分野との融合が進み
表現のボーダーがなくなることで
そこから新しいモノが生まれてくるでしょう。


その間にも
ナンバーズやマニュピュレーションの技術も進歩するでしょうが
その歩みは
表現力の進歩に比すればゆったりとしたものになるのではないでしょうか。


また
今の高スキルを持つジャグラー人口の増加速度は鈍化せず
技術レベルの高いジャグラーが
激増するでしょう。
なので
「プロジャグラー」として生計を立てることは
今よりも難しいことになります。
ひとと違う「個性」を持つことが必要になりますが
そのためには
「うまい」だけでは不十分だからです。

言い方を変えると
「プロジャグラー」の間の格差が広がるわけですが
「プロ」として高いスキルを持ったジャグラーは
今よりも高いステータスを
社会的に得られます。



これからの10年
「ジャグリング」を職業として
ジャグリングの発展に寄与できるように
しっかりとビジョンを持って歩んで行こう。


改めて
そう思います。


「上達の法則―効率のよい努力を科学する」岡本 浩一

2009-02-07 14:32:00 | 
「上達の法則-効率のよいう努力を科学する」(岡本浩一著、PHP研究所、2002)
を読みました。

心理学的な知見と筆者の経験に基づき
中級者から上級者にステップアップするための法則が述べられています。

以下、上級者になるための方法論のみ(本書には、他にもスランプへの対処法なども書かれていますが、割愛。)
にフォーカスをあてると
曰く---




◎鳥瞰的に眺める。
・上達を目指すものの中でも、得意なことにこだわり、深める。→そこを起点にして、全体を眺める。
・ノートをとる。→言語する過程が多くの気付きを与える。
・概論書を読む。

◎理論的な思考を身につける。
・理論書を読む。→自分/他者の練習や経験を深く理解するために。
・今まで目につかなかった細かい部分に目を向ける(向けられるようになる)。

◎精緻に学ぶ。
・対象を絞り込み、深める。
・対象を変えて、再び、深める。→以前深めたものと新しく深めたものとの特徴があらわに。
・模倣、暗唱する。

◎イメージ能力を高める。
・イメージのみで練習する。(実際にからだは動かさない。)
・他者をみて、感情移入する(自分が行っているかのように、みる。)
・いいものをみる。(わるいものはみない。)

◎達人の技に学ぶ。
・達人の技に直接ふれる機会をもつ。
・達人と直接会う、話す。
・達人のエラーに学ぶ。

◎広域コードと知識を拡大する。(自分の個性から、広げる。)
・他者の個性を記述する。
・広域的知識を獲得する。(習得分野全体の知識をモノにする。)
・類似の技術に関心をもつ。
・歴史的経緯を知る。
・辞書を買う。






今まで経験してきた、見て来た練習法が
クリアに整理されました。
これを
ジャグリングを教えるときに
ぜひ活かしたく思います。


そして
ジャグリングには
(私の知る限り)
辞書的なものはあっても
理論書にあたるものはないです。
(あったら、教えてください。)

経験的な知識が散乱しているので
それを整理して
ジャグリング習得の理論をつくるのは
ひとつの課題です。


「江戸の大衆芸能 歌舞伎・見世物・落語」川添 裕著

2009-01-29 20:24:43 | 
「江戸の大衆芸能 歌舞伎・見世物・落語」(大江戸カルチャーブックス第9巻) (川添 裕, 青幻舎, 2008)
を読みました。

図版たっぷりで
江戸時代
とりわけ
庶民文化の華開く江戸時代後期は文化・文政年間
の大衆文化である
歌舞伎、見世物、落語
に焦点をあてています。

職業柄、というか
もっとも興味のあるのは
見世物
となるわけですが---

本書によると
当時見世物はおおまかに3つの分野に分類されたとのこと。

・細工見世物
・軽業・曲芸
・動物・畸形見世物

現代的なイメージでは
「見世物」
というと畸形を扱った”薄暗い”イメージかもしれませんが---

江戸時代の見世物で
一番多かったのは
細工見世物
だったそうです。
(畸形が見世物となった割合は、ものすごく低い。)


庶民が安価で気軽に楽しめるエンターテイメント
=見世物


それこそ
現在の大道芸に近い存在だったのかなぁ
と私は想像しました。




当時の絵師によって描かれた様子が
とっても味わい深く
それを
漫然と眺めたり
あるいは
じっくりと見入ったりしているだけで
ものすごくたのしい。

そんな本でした。


「江戸の大道芸」高柳金芳著

2009-01-28 00:21:48 | 
「江戸の大道芸」(高柳金芳著, 柏書房, 1982年)
を読みました。

江戸で行われた大道芸に焦点をあて
芸能の起源・変革に主眼を置きまとめた本です。

結びの一節を引用。




結論を述べるならば、我が国の芸能の根源は、すべてこれ大道芸であり、門付芸であり、しかも非差別の土壌に生れ育ったものであるといい得よう。



「江戸の大道芸」を大雑把にくくると
3つのバックグラウンドがうかびあがる。


・文化的な側面(起源を宮廷文化/渡来文化に求められる)
・宗教的な側面(神楽、太神楽など、祝い事のための芸能。「文化的な側面」とは切り離しにくいか。)
・差別的な側面(生活の困窮に端を発した大道芸、あるいは、非差別階級の職としての芸能。宗教的な部分を利用することが多い。)


現在行われている「大道芸」の多くは
江戸の大道芸からは断絶したものであることがわかる。


「江戸/東京」というまちは
この150年程の短い期間で三度の破壊を受けました。

・明治維新
・関東大震災
・太平洋戦争


江戸→東京という文化的激変と
物理的破壊というダブルパンチは
まちと生きる文化ともいえる「大道芸」には厳しかったのかもしれません。


差別がよいとはおもいませんが
様々な理由で
生き難いひとたちに
生活を与えることができる社会がかつて存在し

それを支えるのが
芸能であったりしたことも事実です。


現在に目を向けると---
モノに囲まれ
モノの価値が世間を左右する世の中に

モノではない価値を提供できるのが芸能であり
その中でも
大衆的な存在として在ることができる可能性があるもののひとつは
まちがいなく大道芸です。


そこに現代的な意義があるのではないかなぁ

いまだよくわからないのですが
私は思うのです。



されはさておき。

江戸時代に行われていた大道芸。
その内容の豊富さや
(現代からみると)ユニークさは
見ていて
非常にたのしいです。

大道芸に携わるものとして
もっと
発想を自由にして行かないといけないな
と改めて思う次第です。