岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

9 打突

2019年07月18日 09時44分00秒 | 打突

 

 

8 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

合宿当日…。俺は一人で大和プロレスの合宿所へ向かう。以前、銀座にある事務所へ行ったのとは比較にならないようなプレッシャーが体を襲ってくる。期待というより、...

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世間は、プロレスに対して冷たかった。俺は少しでもプロレス界に貢献して、世間を見返してやりたかった。
また大和に出戻り、レスラーになってから、プロレスを馬鹿にするところをつぶしてやりたい。その為に、何か俺なりのこれだというものを持たなくてはならないような気がした。
俺の体で一番自信のある部分は…、やっぱり右拳しかない。拳をギュッと握ってみる。何かいい手がないものだろうか。手を開いて、小指から順に折り曲げていく。
 大和の合宿に行ってから、半年の時間が過ぎていた。以前、入院したと報道されたが、ヘラクレス大地さんはあれから試合に出ていない。
あの合宿所で俺に会った時も本当は、相当、体調が悪かったのだろう。そんな事は顔に全然出さず、俺に対して、一生懸命接してくれた…。
大地さんみたいになりたかったが、俺はああいう風にはなれない。
最後に掛けてくれた言葉を胸に刻み、毎日黙々とトレーニングをするだけだった。大地さんのあのひと言が、あったからこそ、俺はそれだけを希望に頑張っていける。
ヘラクレス大地さんは誰もが認めるベビーフェイス、善玉だった。
真っ向からいける力強さ、どんな攻撃を喰らっても平気なタフネスさ、そしてあの体と身長…。まさしくプロレスラーの見本となる人だ。
あの人と同じ真似をしても無理だし、話にならない。だったら俺は、ベビーフェイスの反対のヒールでいい。悪党になって悪の美学を貫きたい。自分の性格から感覚まで、すべて悪党の精神でいこうと決めた。あの人とは、別の形でいつか横一線に並んでみたい…。



 ある日、街を歩いているところ知り合いにバッタリと会い、声を掛けられた。
「おい、聞いたぜ。ヤクザ者と、大暴れしたらしいじゃん。」
「大暴れはしてねーよ。」
「みんな言ってるぜ、神威は大暴れして、警察にとっ捕まって、プロレス入り、オジャンなったってさー。」
 静かな怒りが湧き上ってくる。ただ、俺とちょっと知り合いなだけってだけで、何でこんな事、抜かしてくるんだ、こいつは…。
「でもプロレスだって、結局はショーなんだろ?喧嘩したぐらい、いいじゃんよなー。」
 怒りの炎が一気に大きくなる。
「なるほどな…。」
「えっ、何が?」
「おまえ、俺に喧嘩、売ってる訳か…。」
 俺の台詞に相手の表情が変わりだす。これだけ言われて黙っているほど、俺はお人好しじゃない。
「何でそうなんだよ。」
「うるせーよ、おまえ。何、偉そうにほざいてるのか知らねえけどよー、俺が、ヤクザと喧嘩して警察に捕まったから、何だって?プロレスがショー?上等じゃねーかよ。」
「そ、そんな怒んなよ…。」
 俺は胸倉をつかんで、目を見開き威圧する。
「こっちは、充分怒ってんだよ、おい…。舐めたこと抜かしてんじゃねーぞ。俺がおまえに何か迷惑掛けたのか、おい?」
「やめとけよ、神威。」
「あっ?」
 いきなり背後から肩をつかまれて、振り向くと最上さんだった。
「最上さん…、どうしたんですか?」
「そりゃこっちの台詞だよ。月吉のところ行こうと思って歩いてたら、何か道端で喧嘩してる奴がいるなーと思って、よく見ると神威だったんだよ。別にこんなの相手にしなくてもいいじゃん。」
 先輩の最上さんに言われ、そいつを開放してやると、物凄いスピードで走りながら逃げていった。
「またプロレスの事バカにされたか、あの大沢の起こした件でも言われてたんだろ?」
「ま、まあ…、そんなとこです…。」
「神威の気持ち分からないでもないけどね。だけど半年後、また行くんだろ?」
「ええ。」
「じゃー、あまり問題、起こさないようにしなよ。」
「分かっちゃいるんですけどね…。でも結構、複雑な心境ですよ。」
 自分が一生懸命、誇りを持ってやっている事を事情も分からないで、適当に言ってくる奴がこの半年間で多過ぎた。
最近はその事を言われると、どうしてもムキになり、怒りやすくなっていた。みんな、俺を気遣って色々慰めようとしてくれても、心の中には、いつも闇がかかっていた。
大地さんの来年来て見ればという言葉だけしか、リアリティを感じられなかった。
俺を応援していてくれた人々の内、プロレス入りが駄目になった瞬間、手の平を返したように態度を変えた奴ら…。
他人の不幸は蜜の味とでもいうように、俺の惨事の様子を楽しそうに聞いてくる無神経な奴ら…。
元からプロレスを馬鹿にするふざけた奴ら…。
腐るほど嫌な連中を見てきた。もううんざりしている。俺の中は常に憎しみがいっぱい詰まっていた。
「確かに俺たちは、神威の事を応援しかしてやれないもんな…。」
「すいません…、俺の言い方が悪かったです。最上さんには本当に感謝してんですよ。ただ、今の状態がやっぱりやるせないんです…。いつも暗闇の中を一人でヒタヒタと忍び足で、彷徨っているような感じがしてるんです。あと半年後には、一つの結果が出ますが、もし受かっていても、今年の一年間が、何か勿体なかったなと、後悔しそうで…。」
 うまく言葉に表現出来ないでいる。自分でも何を言いたいのか、自分で話していてよく分からなかった。
「たまにはさー、のんびり何も考えないでゆっくりと休んでみなよ。あれからもう半年は経つだろ?きっと精神的に疲れが溜まってんだよ。今、体重いくつになったよ?」
「え、体重ですか?今は八十五キロぐらいです。大地さんに、十キロから十五キロぐらい増やせって言われたんです。」
「最初の頃なんて、もっとヒョロヒョロだったじゃねーか。でも、今はある程度、説得力のある体に、どんどんなってきてるじゃねーかよ。」
「俺の体が、説得力のある体…。」
「そうだよ。苦しい思い、いっぱいしてきたんだろ?体がちゃんと証明してくれているじゃねーかよ。一年半前に目指した頃と比べてみなよ。全然、雲泥の差だろ?」
「まあ…、そうですけど…。」
 体がでかくなっているのは、自分でも目に見えて分かっていた。一年半前に比べたら、ひと周りもふた周りも大きくなっている。
ずっときついトレーニングに耐えてきた。寝ていて、起きると、寝ゲロしていた事もあった。
稼いだ金も遊ばないで、ほとんど食費につぎ込んだ。
彼女も作らずに頑張ってきた。
周りを見ると友達は彼女を作って楽しそうにデートをしていた。正直、羨ましかった。それでも俺はこの道を選んだんだ…。だから決して不幸な訳じゃない。みんなが遊ぶ時間をトレーニングに当てて、腕立てや腹筋、スクワットなどを地味にずっと繰り返しやってきたんだ。俺の体は時には悲鳴を上げて弱音を吐いたが、ちゃんとついて来てくれた。そして、裏切らずにどんどん大きくなっていた。
「やるしかないですよね…。」
「そうだろ。自分で選んだからさ。」
「そっすよね。」
 元気が出てきた。最上さんにまた一つ救われた。
「そうそう今日、月吉と会うのって、今度の飲み会の打ち合わせなんだよ。おまえもたまには、来ればいいじゃん。明後日にやるから。」
「え…、でも…。」
「最近、顔に精彩ないぞ。たまには女の子と一緒に酒でも飲んで、リラックスしたほうがいいって、な?月吉の女が、友達を呼んでくれるからさ。」
 ずっと気を張ってきたので精神的に疲れていた。最上さんの誘いが素直にうれしかった。でも、気を抜いた瞬間、自分が弱くなっていくような気がする。せっかくの先輩の好意を無駄にもしたくない。一度ぐらい、いいか…。
「すいません。お邪魔させてもらいます。」

 翌日、体の疲れも感じていたので、二ヶ月ぶりに整体の先生のところへ顔を出すことにした。先生は笑顔で俺を出迎えてくれる。
「あれー、神威さん。久しぶりじゃないですか。へー、また体が大きくなりましたねー。あの時は本当、どうなるか心配してましたけど、あれからもう、半年経つんですね。」
「だって俺は、プロレスしかないじゃないですか。今、K・W・Fなど、偉そうに俺たちだけがリアルな試合だとかほざいてますけど、やっぱ俺は許せないですよね。今年の暮れに、また大和行って、ある程度、名前が売れたら乗り込んでやりますよ。」
「へー、それは面白くなりそうですよねー。」
「でも、俺が現時点で言っても説得力ないじゃないですか?だから何かこれだというものが欲しいんですよね。」
 先生は不思議そうな顔をして首を捻っている。俺の言葉が足りないからだろう。ワザと出来るだけ、不敵な笑顔をして先生を見た。
「人間を本当に壊す技です。」
「こ、壊す?」
「簡単に言えば、俺にとっての最終兵器です。実は具体的な案は、まだ偉そうに言ってて、何もないんですけどね。」
「私は治すほう専門だから、そんなこと聞かれても、全然、分かりませんよ。」
「違いますよ。今日は体の疲れを取ってもらおうと来ただけですよ。あれ、先生って裁縫もやるんですか?」
 裁縫道具一式がソファーの上に置いてあるのが目に入る。俺にとってこの手の物は苦手な分野だった。小学校の時、家庭科の通知表は、いつも「2」だった記憶がある。
「さっき、整体の最中に白衣のボタンが取れてしまいましてね。針に糸を通そうとして、なかなか通らずイライラしてたところ、神威さんがちょうど来たんですよ。」
「俺、視力は2・0ありますから、糸ぐらい通しますよ。ちょっといいですか?」
「いやー、私ご覧の通り、目が悪いでしょ?いつも苦労するんですよね。」
 何回かチャレンジして針に糸を通すことに成功する。久しぶりにやったので結構面白く感じた。
「先生、残りの針もやっときますよ。白い糸でいいですよね。」
「すいませんね。助かります。」
 四本目の針をやろうとして、親指に針を軽く刺してしまった。小さい真っ赤な血が指から滲みでてくる。ん、待てよ…。
閃きが頭の中をよぎった。俺専用の打撃技が…。
「大丈夫ですか?神威さん。」
「先生。よく客の肩こりとか治す時、指で、グッと押すことってあるじゃないですか?」
「は?」
「その時って、どの指で押してますか?」
「まあ、親指ですけど…。それがどうかしたんですか?」
「五本ある指の内、親指が一番強いからですよね?」
「ええ、もちろんそれはそうですよ。」
「ちょっと先生、失礼しますね。」
 俺は腕立て伏せの姿勢をとってから、両親指一本だけの指立て伏せの体勢にシフトチェンジした。回数を十回だけやってみた。親指一本ずつなのでプルプル震えたが、なんとか回数をこなせる。次に親指以外の四本の指で、指立て伏せに挑戦してみる。
「神威さん、危ないですよ。」
 先生の心配する通り、体を支えきれずに潰れてしまった。だがこれで、親指一本の方が他の四本の指よりも力強い事が証明された。思わず笑みがこぼれてしまう。
「どうしたんですか?」
「いやー、閃いちゃったんですよ。」
「え?」
「シンプルかつ、破壊力のある技を…。」
 先生は目をパチクリさせている。現段階ではあくまでもイメージに過ぎない。これからトレーニングに組み込まないといけない事が、色々と浮かんできた。極論を言えば、強さとは何かという答えが、もうじき分かりそうな気がしてきた。
「先生、そのうち楽しみにしてて下さい。」

 家に帰ると、すぐに親指のみで、指立てを出来るだけやった。
これだけじゃ、全然、話にならない…。
俺はバケツを探してきて、外でて小石を拾う。バケツに満タンになるまで小石を詰めた。風呂場で小石を何度も念入りに、よく洗い、綺麗にした。
右手の親指以外の四本指をギュッと握り締め、親指だけは真横に突き出してみる。
その状態で、バケツに詰まっている小石目掛け、親指を突き刺してみた。
「痛っ…。つぅー…。」
 思わず声が出てしまう。バケツから引き抜いてみると、親指の爪の間から血が出ていた。細かい傷もたくさんついている。俺は構わずに親指をバケツに何度も突き刺した。激痛が親指から伝わってくる。親指は血だらけになっていた。爪は割れてしまい、皮膚もガサガサだ。何とも醜い親指になったものだ。
手をよく洗い、血を洗い流してから、また親指立て伏せをやりだす。物凄い痛みが右手の親指から伝わってくる。その体勢のまま見ると、親指から出血していて床に血がじわりと滲みだす。
他人から見たら、俺のする行為は頭がおかしいと思うだろう。しかし、どう思われてもいい。
これが自分の思うように完成すると、素晴らしい一撃必殺の武器となるはずだ。
「強くなきゃ、説得力ねえもんな…。」
 自分を励ますように呟いてみる。この程度の痛みで挫けるわけにいかない。完成したら格好いい名前をつけてやらないとな…。

 最上さんと約束した飲み会の日、家を出ると、外は大雨だった。いつもトレーニング中に雨が降っても、そのまま構わずやっていた。雨が慣れっこのはずの俺でも嫌になるぐらいの大雨だった。傘を差していても、横殴りに雨が降りつけてくる。目的の居酒屋に着くと少しホッとした。
「おーい、龍ちゃーん。こっちこっちー。」
 呼ばれた方向を見ると、座敷席の一角に月吉さんや最上さんが、俺に向かって大きく手を振っている。靴を脱いで座敷に上がりテーブルに近付くと、両先輩以外、女三人がいた。腰を下ろすと、すぐに声を掛けられる。
「はじめましてー。龍一君って、兼一の後輩なんだよね。いつも兼一が楽しそうに話題を出すんだよ。何か格闘技、やってるんだよね?」
「ええ。まあ…。」
 他の二人が興味津々な視線を向けてくる。女性陣は酒にかなり飲まれている様子だ。
「へー、すごーい。何やってるの?」
「龍ちゃん、これが俺の彼女のさくら。…で、もって、さくらの友達のこっちが良子ちゃんで、そっちのショートカットの子が弘美ちゃんね。」
「よろしくー。」
「はじめまして。」
「まあまあ、とりあえず乾杯だ。ほら、神威、グラス持って。」
「カンパーイ。」
 月吉さんと彼女は隣り合って和気あいあいと飲んでいる。必然的に俺と最上さんと良子、弘美の組み合わせにある。良子が積極的に俺の肩にもたれ掛かってきたので、酒臭い息がかかり、うっとうしく感じた。
「へー、龍君って、目が二重まぶたなのねー。目もパッチリしてるしー。なんかいいね。そうそう、さっき格闘技やってるとか聞いたけど、何をしてるの?」
「やっている訳じゃないですよ。」
 何て答えたらいいか、正直、困ってしまった。今の俺は大和プロレスに入団した訳ではない。ただの脱落者なのだ…。大沢への憎しみが膨れだす。
「あれ、ひょっとして私、変なこと聞いちゃったかな?顔がすごく怒ってるみたい。」
「い、いえ…、全然です。気にしないで下さい。」
 大沢への憎しみは生涯消えそうになかった。他人のせいにしている自分も嫌だったが、何度考えても、なかなか割り切れるものではない。俺はあの事をずっと引きずって生きていくのだろうか…。
「全然、平気な顔してなーい。」
 そう言いながら、良子が俺の頬をつかんでくる。チラッと最上さんの方を見ると、弘美とは会話が合わないのか黙々と酒を飲んでいた。俺の視線に気付くと近寄ってくる。
「まだあの件、気にしてんだろ?」
「うーん…。」
「まー、確かにおまえの立場にだったら、簡単に割り切れないよな。」
「すいません…、せっかくの飲み会なのに…。」
 やはり俺には、このような華やかな席は似合わないような気がした。

「ねーねー、どうしたの?」
 良子がしつこく話し掛けてくる。出来ればほっといてほしかった。
「龍一君の体、結構すごい体つきじゃない?」
「え、触らせてー。ほんとだー。すごーい。」
 良子と弘美にベタベタと体を触られるが、あまり心地いいものじゃなかった。俺は軽いノリの女にキャーキャー言われる為に、この体を作ってきた訳じゃない。これが清美や、さおりだったら、また、感じ取り方が違うのかもしれないが…。
「ねえ、何の格闘技やってるの?」
「プロレス…。」
 レスラーなった訳でもないのに、つい口に出てしまった。この二人の話し相手になるのが面倒臭かった。俺がプロレスと言った瞬間に、良子と弘美の手の動きは止まっていた。
「うそー、プロレスー…?なーんだ…。ガッカリ…。」
 頭に血が上昇していくのを感じた。今、こいつら何て言いやがったんだ?
「おい…、プロレスが何だって…?」
「うわー、おっかない顔―。」
「誤魔化してんじゃねーよ、おいっ。」
 今まで賑やかな雰囲気が、一変してシーンとなる。感情が止まらなくなっていた。
「おまえら、何様のつもりなんだよ。」
「だって私、プロレス大嫌いだもん。」
「私もー。プロレスって、やだー。」
 こんな状況になってしまい、月吉さんと、さくらさんも間に入ってくる。
「やめなさいよ、あなたたち。龍一君に失礼でしょ。」
「えー、だってプロレスって、八百長なんでしょう?」
 俺の視界がだんだん狭まってくる。体中の血液が上昇していく。
「パンツ一枚であとは裸でしょ?なんかキモーイ…。」
「おまえら、いい加減にしろよ。勝手な事ばっか抜かしやがって。」
 最上さんが俺の怒りを代弁するかのように怒鳴りだす。月吉さんとさくらさんも一緒になって俺を擁護してくれる。とても嬉しかったが、この馬鹿女二人は許せない。
「おい、おまえらプロレス見たことあんのか?」
「あんなキモイの見る訳ないじゃない。」
「良子に弘美…。ちょっと言い過ぎよ。」
「だって、嫌いなんだもーん。しょうがないよ。」
「じゃー、ピーチクパーチクと、グダグダ抜かしてんじゃねーよ。」
「だったらプロレスがイカサマじゃないって、私に証明してみなさいよ。」
「何だと、コラッ。偉そうに…。」
「都合悪くなると、すぐ怒鳴る。ほんと男として最低よねー。」
「もうやめろよ、おまえら。」
「ここまで好き勝手言われて、俺は黙っていられませんよ。」
「すぐムキになって、馬鹿じゃないの?」
 居酒屋の一角のテーブルで、二対四の言い争いは更に激化していく。店内の客も俺たちを注目しているのが分かった。
プロレスに対し、何も知りもしないくせに、悪口しか言えない良子と弘美の顔は、イボイノシシのように醜く見えてくる。何でこんなイボイノシシみたいなメスどもに、ここまでプロレスを否定されなくちゃならないんだろう。
向こうからそう来たんだから、その分、俺だって何、言っても構わないだろう。
「おまえらが何ぼのもんか知らねえけどよ、何も分からねえなら、余計な口、挟んでんじゃねえよ、このドブスども。」
「酷い…、ドブスですってー。」
 良子と弘美はこの世の終わりみたいな顔をしている。自分たちは何を言ってもよくて、けなされるのだけは許せない。そんな都合のいい理不尽さなんなど俺は絶対に認めない。俺は思いつくまま、汚い言葉をまくし立ててやる。
「全然、酷くねえって…、日本代表に選ばれて、オリンピックで金メダル間違いなしと言われそうなぐらい立派なドブスじゃねえか。顔もそんな醜くて、心もそこまで醜いんじゃ救いようがねえよな。おまえらのご先祖様はイボイノシシだったのかよ。いいか…?何もしてないのに否定するだけなら、そのぐらいは言われる覚悟しとけよ。否定するだけなら誰でも出来るんだよ。こっちは真剣に取り組んでるんだ。二度と俺に向かって、その汚い口を開くんじゃねーぞ。」
「ふざけないでよ。」
「全然、ふざけちゃいねぇんだよ。おまえらが最初に言い出したことだ。俺の逆鱗にこれ以上、触れるな。」
「何よ、偉そうに…。だいたいレスラーなんて野蛮で気持ち悪いんだよ。よくテレビに出てるチョモランマ大場だって、キモイし…。」
 こいつ今、大場社長の事をキモイとか抜かしやがったのか…。俺はテーブルを両手でつかんで睨みつける。絶対に大場社長の悪口は、許せねえ…。
「おい…、おまえらが大場社長の何を分かるって言うんだよ…。」
「バッカじゃないの。何が社長よ。あんなデカイの…」
 俺は馬鹿女二人が喋っている途中にテーブルを持ち上げ、叩きつけてやった。ちゃぶ台返しを地でお見舞いしてやった。当然、料理や酒もいっぱい乗っかっていたので、辺りはめちゃくちゃになった。馬鹿二人にも料理や酒がひっかかる。
「やだー…、信じらんなーい…。」
 良子と弘美は頭の上から焼きソバを垂らし、頭を押さえて泣きそうになっていた。
「信じらんなくて結構だ。その格好、なかなかお似合いだぜ。」
 俺はワザと大笑いしてやった。心がスカッとする。
「もう帰る…。」
「おう、帰れ帰れ。」
 泣きながら馬鹿女二匹は、居酒屋をあとにする。

笑いが止まらなかった。ワザと悪役ぶって、大笑いをした。いきなりさくらさんに、顔を平手打ちされる。
「すいませんでした…。」
「叩いちゃってごめんね…。確かに悪いのは、あの子たちのほうだけど、でも…、龍一君もはっきり言って、やり過ぎよ。」
「俺…、大場社長の悪口言われ、カッとなってしまいました。」
「でもね、あれだけ有名な人なんだから…。」
「有名人なら、あんな奴らが何、言っても許されるんですか?実際に会ったことすらない奴に、これから世話になるところの社長の悪口を俺は絶対に言わせません。そんな奴は、絶対に許せないです。あの人が作った団体があるから、俺は、ヘラクレス大地さんという立派な人と出会えた。確かに俺が大和プロレスに関わったのは、たった、一日かもしれません…。でも、今まで生きてきて一番、俺の肥やしになりました。その大地さんが、また頑張って戻って来いと言ってくれたそのひと言があるから、俺は、今も一生懸命頑張ってこれたんです。体重だって死に物狂いで上げてきて、女も作らずに、ただ、ひたすらトレーニングだけやってきて…。なのに…、何で、俺は…。」
 言っている内に悔しさが込み上げてきてしまい、ボロボロと大粒の涙がこぼれ出す。
「もういいよ、神威…。充分、おまえの事は分かってるよ。」
 最上さんが俺の肩を叩いて、頭を押さえつける。
「ごめんね…、龍一君。あの子たちにはあとで私がちゃんと叱っておくからね。」
「龍ちゃんごめんよ。今日こんなつもりで飲み会組んだ訳じゃなかったんだけど…。」
 楽しいはずの飲み会がとんだ騒動になってしまった。
清美やさおりに会ったら、俺を慰めてくれるだろうか…。家に帰って受話器を取り、清美の番号のプッシュボタンを押そうとするが、躊躇ってしまい、結局、電話掛けるのをやめた。そんな事で都合よく清美を使いたくなかった。さおりに連絡とってくれとでも言うつもりだったのか…。それとも清美自身に慰めてもらいたかったのか…。俺は頭の中が混乱していた。もう、今日はとっとと寝ることにしよう。

 この間の居酒屋は、当然、出入禁止となった。先輩方とさくらさんには悪い事をしてしまったと思うけど、自分のした事に後悔はなかった。
みんな、俺の肩を持ってくれたのが嬉しかった。俺は孤独じゃない…。応援して何かあると、かばおうとしてくれる人たちがちゃんといる。その人たちの期待に答える為にも、俺は必死に頑張らないといけない。 
 ベンチプレスとストレッチを終え、いつもの場所までダッシュを織り交ぜながら走って行く。
両手に五キロの鉄アレイを持ちながら走っているので、すれ違う通行人は、何だこいつって目で俺を振り返る。もう、他人の目など、何も気にならなかった。
だいぶ体力がついてきているのを感じる。少なくとも、また合宿所に行った時、今度は絶対にへばらないようにしないといけない。いつものように基本的な筋トレを開始する。
毎日、最低千回ずつはこなすようにした。細胞がいつものようにウキウキはしゃいでいるのが分かる。自分の体をこうして理解していくのが、大事な事だと思う。
 いつもの木の前に立つ。樹皮は結構めくれ上がり、俺の血で少し黒ずんでいる。右拳を握ると、親指に痛みが走る。気にせずに、エルボーを打ち込む。ずっとこうやってこの木に打撃を打ち込んできた。
もし、俺が人間相手に本気で打ち込んだら、どれぐらいの威力があるのだろうか…。
最近始めた親指を鍛えるトレーニング。今日も当然やらないと…。ちょっとだけこの右の親指をこの木に試してみるか。四本指を握り締め、親指だけを横に突き出す。
勢いよく親指で木を突っつくと、あまりの痛さに悲鳴を上げてしまい、その場にうずくまってしまう。さすがに無理し過ぎみたいだった。
爪は三分の一ほど取れかけて、流血していた。皮はめくれてズタズタになっている。
考えてみれば、木にエルボーを打ち込んだ時も、同じような感じだったはずだ。痛みを堪えて再度、木に親指を突き刺しだす。また、血が吹き出した。あまりの痛さに涙が滲み出てくる。これで木に穴が開くようにはならないだろうが、この痛みに耐えられれば、もの凄い殺人技が、完成するような気がする…。

 この間の飲み会以来、月吉さんと連絡をとってなかった。思い出すと、確かに悪い事をしてしまった。あんな馬鹿女たちには、これっぽっちも悪いとは思わないが、月吉さんと彼女のさくらさんには、申し訳ないと反省している。
電話で言うよりは、直接、謝っておきたかった。今日はこれから高校の時の先生の家に招かれていた。もし明日、時間があったら月吉さんが働いているゲームセンターに行って謝りに行こう。
 先生のところへ行くと、またもや奥さんが、料理をいっぱい作って用意してくれてた。俺は買ってきたケーキを先生に渡す。
「おいおい、そんなに気を遣うなよー。手ぶらで来いって。」
「いえいえ、そんな訳にはいかないですよ。これからは少しずつでも俺の方が、恩返ししていかないといけない立場ですから。」
「まったくー…、でも、ありがとな。まあ、座れよ。何、飲む?」
「何でも構わないですよ。」
 先生は立ち上がって棚の方へ歩いていく。棚には色々な種類のボトルが並んでいた。
「遠慮すんなって。学校で先生やっていると、お中元やお歳暮なんかで、色々お酒とか貰うんだよな。俺はウイスキーやブランデーは飲まないから、おまえいっぱい飲んでいけよ。そうだな…、神威は何がいい?」
「うーんと…、その透明のボトルは何ですか?」
 先生は俺が指差した赤いラベルで透明な液体のボトルを棚から取り出した。先生も酒は全然詳しくないみたいだった。裏側に書いてある字を読んでいる。
「これ、ウォッカみたいだぞ。こんなのどうやって飲むんだよ?」
 以前、清美とジャズバーに行った時に気に入ったカクテル、モスコミュール…。あれは清美の話だと、確かウォッカとライムとジンジャーエールでとか言ってたよな。
「先生、ジンジャーエールってありますか?」
「ある訳ないだろ。おーい、うちの冷蔵庫ってジュース何があったっけ?」
 奥さんは冷蔵庫を見ながら、置いてあるジュースの中身を確認している。
「えーとね、オレンジジュースにグレープフルーツ…。後は牛乳と麦茶になるわよ。」
 麦茶や牛乳は絶対にウォッカと合わないだろう。ジンジャーエールの代わりに、オレンジジュースで、ウォッカと割ったらどうなるんだろうか。
「先生、オレンジジュースとウォッカで割って飲んでもいいですか?」
「あら神威さん、スクリュードライバーとか、洒落た飲み物、知っているのね。」
 奥さんが台所からオレンジジュース片手に持ちながら出てくる。
「へっ、スクリュードライバーですか?」
「あらら、御存知じゃなかったの?」
「先生の奥さんて、お酒詳しそうですね。」
「うちのは前に喫茶店で、昔、アルバイトしてたぐらいだよな。」
「懐かしいわねー。随分と昔の話だけどね。そこ喫茶店なのに、ちょっとしたカクテルぐらいなら、少しだけメニューにあったのよ。その時、お店で人気あったのがスクリュードライバーなの。ウォッカをグレープフルーツジュースで割るとね、うーんと…、何だっけ、あなた?ほら、あなたのお気に入りだった、あれ…。」
 奥さんは先生に話をふってくる。多分、先生と奥さんの出会いの場はその喫茶店だったんじゃないかと思う。毎日奥さんを口説きに、その喫茶店に通う先生の姿を想像すると、面白くてつい顔がにやけてしまう。
「コラッ、神威。何、ニヤニヤしてんだよ?」
「い、いや、気のせいですよ。」
「もう、あなた…。あなたがよく私のお店で頼んでいた飲み物って、何でしたっけ?」
「ソルティードッグだろ。でも、あれはグラスの周りに塩がついてたじゃないか。」
「そうそう、そのソルティードッグ。それでお塩をグラスにつけないと、ブルドッグって名前になるのよ。」
「へー、カクテルって面白いもんですね…。じゃー、先生はそこの喫茶店に毎日通って、奥さんを口説ながら、よく飲んだカクテルが、ソルティードックという訳ですね。」
 ニヤッと笑いながら、先生をちょっとからかってみる。みるみるうちに先生は顔を赤くするが、その恥ずかしさを隠すように怒りだす。
「テメー、この馬鹿野郎―。」
 先生が一人怒っている中、俺と奥さんは大笑いしていた。ベビーベッドの中で由香利ちゃんも、キャッキャと笑っていた。
 奥さんの手作り料理をすべて平らげると、コーヒーを運んできてくれる。先生は砂糖を三杯も入れていた。
「先生、そんな砂糖入れてばっかりだと、糖尿病になっちゃいますよ。」
「うるせー。それよりもおまえ、少しは気持ち、落ち着いたのか?」
「ええ、結局はどう足掻いたって、なるようにしかなりませんからね。」
「そうか…、まあ、おまえの人生だ。俺が口出し、出来ることじゃないからな。」
 奥さんも自分のコーヒーを作ってテーブルに置き席に着くと、話し掛けてくる。
「でも本当、大変だったわねー、神威さん。うちの人も今はこうですけど、話聞いた時はこれでもずっと悩んで心配してたんですよ。」
「すいません、心配ばっかり掛けてしまいまして…。今はおかげ様でだいぶ落ち着きました。本当に先生たちには、感謝してますよ。」
「いらねー、気を遣うなって。おまえは、もうじき二十二になるんだっけ?」
「ええ、そうですね。」
「まだ若いんだ。ここまで来たら、好きなだけやってみろ。」
「はい。先生にこいつは俺の教え子だったんだぞって、今、教えている生徒達に自慢出来るよう頑張りますよ。」
「馬鹿野郎。」
ここに来ると、俺は家庭の暖かさというものを感じる事が出来た。いつもその空気に癒される。

 次の日、またどしゃ降りの大雨だった。仕事はこの雨じゃ、きっと休みだろう。一応、親方に電話してみる。
「今日すごい雨ですよ。仕事、どうしますか?」
「うーん…、そうだなー。この雨じゃ今日は仕事にならないもんな。いいや、今日は休みにして、たまにはうちで宴会でもするか。夕方ぐらいに来いよ。」
「分かりました。じゃあその頃、伺いますね。」
 まだ朝五時だったので、夕方まで腐るほど時間はある。冷蔵庫を開けて、牛乳一リットルを一気に飲み干す。
風呂場へ向かう。ゆっくりと湯船に浸かって体を温める。お湯に右手の親指が浸かると傷口が沁みだす。最近、家の風呂場の湯船に入ると、きつく狭く感じた。俺がその分だけ体が大きくなった証拠だ。
前に食べた大和プロレスのちゃんこ鍋を思い出す。あの味噌味のちゃんこ鍋がもう一度食べたくなってしょうがなくなった。旨そうに食べる大地さんの顔がオーバーラップする。本来だったら俺はあの場所にいたはずなのに…。
いまだに俺はあの事件が割り切れないでいた。多分本当に割り切れるのは、また、あの場所へ戻れた時になるのであろう。
考え事をしていて、のぼせてしまいそうなので、風呂から出ることにする。風呂上りに鏡で体を見ると、前よりも大きくなっているのが目に見えて分かる。あともうちょいだ。
 ストレッチを始める。風呂で体が温まっているのでいつもよりスムーズに体が動く。念入りに各部分を動かし、体をほぐす。立ち上がって両手を横に伸ばし、前周りにグルグル回転させる。百回終わると、次は逆回転でやり始める。
交互に繰り返しながら回転させて、各二千回ずつ腕を回す。
膝を胸につけながらのジャンプを二百回やると、さすがにクタクタになる。
それでもすぐに仰向きに寝転がり、腹筋をやり始める。大地さんが言っていたように、今、腹筋をしている時には腕や足の筋肉が休みをとっているはずだ。腹が苦しくなるまでやったら、別の部分を筋トレするようにする。
全身汗だくでさっき風呂に入った意味があまりなくなった。体が悲鳴を上げて苦しくなると、何で俺は、一人で黙々とこんな事してんだろうと弱音を吐きたくなってくる。
「大和に行くんだろうが…。」
 独り言を呟きながら、自分自身に喝を入れる。気力を振り絞り、トレーニングを続ける。苦しさを乗り越えて回数を重ねる度に、俺は確実にパワーアップしている。
この約一年半で分かった教訓だ。
ここまでずっとやってきて俺は挫ける訳にはいかなかった。一通りのトレーニングをこなすと、指の特訓になる。
右の親指だけは、自分の中で凶器にしたかった。最終的な俺の強さの拠り所にしておきたかった。
両手の親指一本ずつでやる指立て伏せ。小石を詰めたバケツに向かっての突きの練習。それらの練習をやり始めてからどのくらい経ったのだろう。右の親指は傷でズタズタになっていた。不恰好な親指…。
そろそろ威力を試してもいい頃だろう。空いたダンボール箱を探して持ってくると、テーブルの上に乗せる。十センチほど箱から指を離し、力を込める。
拳を握り親指を真横に突き出す。
この状態で、真正面に構えた拳を左方向に素早く繰り出し、親指を突き刺す。
ポイントは、親指の硬さと、拳を振るスピードが、どこまで早く出来るかだ…。
「ボスッ。」
 鈍い音がしてダンボール箱の側面に小さな穴が開いた。今はまだこの程度の威力だが、とりあえずやりたかった技が完成した瞬間だった。


整体の先生のところで針を見て、ヒントを得ることが出来た。
物理上、パンチ力をあげても物は突き破る事は出来ない。
それが針だと軽い力で簡単に突き刺すことが出来る。先端が細ければ細いほど、威力がその小さな一点に集中される。拳では面積が大き過ぎるのだ。それならば手刀、更には一本指の方が一点に加わる威力は大きくなる。
理想を言えば五本ある指の中で一番細い小指がいいが、弱過ぎて、反対にこっちの骨が折れてしまう可能性がある。
元から一番骨組みもしっかりして丈夫な親指を選んだのは結果的に正解だった。俺は右利きだから、今、やったような真横から攻撃を繰り出すには、親指の位置が一番ちょうどよかった。今までにない打撃技だと実感する。
ボクシングなどでよくあるクリンチ状態の密着体勢になってから、初めて成立する打撃技。名前は何てつけようか…。死角からの打撃で、相手の横っ腹に突き刺さるのだから、刺打…。
死突…。
死打…。
いや、格好悪い。打撃の「打」をとって、突き刺さるから「突」をとってみる。
打突(だとつ)…。
なかなかいい名だ。俺にはしっくりきた。今日をもって、打突と名づけよう。
クリンチみたいな誰もが気を抜く体勢で、死角から繰り出される卑怯な技。これが俺の最終的な強さの拠り所になるだろう…。
 もう一度ダンボールに向かって、打突を放つ。綺麗に穴が開く。これは簡単に人間相手には使えない。出来ればこの打突を使わずに、まっとうに生きたいものだ。あくまでも俺の奥底に眠る秘中の秘でいい…。
   

 

 

10 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

9打突-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)世間は、プロレスに対して冷たかった。俺は少しでもプロレス界に貢献して、世間を見返してやりたかった。また大和に出...

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