岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

8 打突

2019年07月18日 09時42分00秒 | 打突

 

 

7 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

石井と俺で謝っている内に、大沢は起きだして店の外へ駆け出しまった。なんなんだ、あの野郎は…。「おい、俺は様子見てくるから、石井、勝男、林…。あと、頼...

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 合宿当日…。俺は一人で大和プロレスの合宿所へ向かう。以前、銀座にある事務所へ行ったのとは比較にならないようなプレッシャーが体を襲ってくる。期待というより、恐ろしいという恐怖感のほうが大きかった。それでも俺は、行かなくちゃいけない。行かないと、自分の存在価値がない。
 大和プロレスのレスラーである峰さんが書いてくれた紙切れ一枚を頼りに、俺は目的地へと向かう。
あそこにある青い屋根の大きな作りの建物が大和プロレスの合宿所だろう。あそこに伊達光利や山田晶がいると思うと、熱いものが込み上げてきた。
入り口まで近付くが、どうしたらいいか迷ってしまう。
なんせ事務所と違って、ここは化け物がウヨウヨしている場所だ。無鉄砲に入っても、叩き出されるのは、目に見えていた。ドアをノックしようとするが、つい躊躇ってしまう。
十分ほど、入り口の前で佇んでいると、ドアが急に開きだした。
「んっ、おまえ…。ここで何してんだ?」
「峰さん…。」
 ドアから出てきたのはプロテストの時、お世話になったレスラーの峰さんだった。だが俺を見る表情は厳しかった。
「社長から聞いたぞ。この問題児め。何しに来たんだ?」
「お、俺…。やっぱり諦められないんです…。」
「馬鹿野郎、そんな奴は五万といるんだよ。」
「分かっています…。でも、俺は諦められないんです。」
「帰れ、馬鹿が…。」
「嫌です…。帰りたくありません…。」
 自分で言っていて、むちゃくちゃなのは百も承知だった。石にかじりついてでも何とかしたい。奥から誰かがこっちに向かってくるのを感じる。
「まあまあ、峰さん。せっかく来たんだから、中に入れてやりましょうよ。」
 自分の目で見ている光景が信じられなかった…。あのテレビでしか見たことがない、ヘラクレス大地が、俺の目の前に立っていた。
「いやー、大さん…。社長に怒られちゃいますよ。」
「まあまあ、今日ぐらい別にいいじゃないの。大場さん、こっちに来る訳でもないし…。この子、銀座の事務所に、いきなりレスラーになりに来たっていう例の子でしょ?」
「え、ええ…。」
「テストは受かったんだけど、一昨日、喧嘩して警察に捕まったって子だよね?面白いじゃない。」
 あのヘラクレス大地が、俺に話し掛けてくれている。俺が豆鉄砲を喰らった顔をしていると、人の良さそうな笑顔で微笑み掛けてくれた。なんて器が大きい人だ…。
ヘラクレス大地さんに会った第一印象。素直に、そう感じた。
チョモランマ大場さんからは、威圧感というものを…。オーラともいえるが、圧倒的な威圧感、それを体験した。
大地さんからは、人間的な器のデカさと、優しさを感じた。全身の細胞が、大ハシャギしているのが分かる。

「おーい…、固まってるのか?どうしたんだ?」
「は、はい…。」
「ハハハ…、緊張してるのか。まあ、中に入りなよ。」
 大地さんに招かれ、合宿所の中へ通される。玄関で靴を脱いでいると、右側からすごい大きな掛け声が聞こえてくる。大地さんと峰さんは声の聞こえてくるドアを開けて、俺を中に入れてくれた。
「おっしゃー。」
 ドスンッ…。中は以外に広く、リングまで設置されていた。
これが大和の合宿所なのか…。
みんな間近で見ると、すごい体格をしている。一人だけ極端に大きい選手に視線が泳ぐ。テレビでも見た事のある有名な大河健一郎さんがいた。まるで筋肉の鎧をつけているみたいにデカかった。横にはデビュー二年で、頭角を現してきた夏川正人さんまでいる。まさに圧巻の一言であった…。
「当然、着替えは持ってきてんだろ?」
「はい。」
「ちょっとこいつらと一緒に、トレーニングやってみるかい?」
「ぜひ、お願いします。」
 夢の中にいるようだった。
「よーし、じゃあ、早く着替えちゃいなよ。」
 上はTシャツで、下は短パン。動くやすい格好に着替えた。自分でちょっとぐらい、体に自信があったが、実際のレスラーを見ていると、恥ずかしくなってくる。これが、大和プロレスの世界か…。
「今日は、君と本来なら同期になるはずだった二人の新人も来てるんだよ。」
 他のレスラーに比べると、明らかに体の線の細い二人が、リングの上でしごかれていた。
「僕の一存で入団までさせちゃうと、さすがに社長、怒りそうだから、今日一日だけ体験入門って感じでいいかな?」
「はい、全然、構わないです。ありがとうございます。」
「よし、僕が特別にマンツーマンでトレーニングしてあげるよ。」
「お願いします!」
「よし、ストレッチからやってみよう。おーい、夏川―。あとそこの三人も、こっち来てくれよ。股割りやるから。」
 大地さんは、夏川さんらレスラー四人を呼び寄せる。股割り…、一体、これから何が始まるのだろうか。四人のレスラーは、俺を強引に座らせると、股を強引に開かせる。俺も自分でだけど、散々ストレッチはやってきたから痛みは感じるが、まだ我慢できるレベルだった。
「お、こいつ、結構、体、柔らかいぞ。」
「まだまだこれからだよ。」
「よし、夏川と木下は、膝を曲げないようにしっかり押さえてろよ。」
「はい。おい、おまえ。後ろから押すぞ。腹までペッタリ地面につけるぞ。」
 柔軟で股を全開に開いた状態から、強引に押された。頭は何とか地面についたが、そこから更に力強く押される。この状態で、腹までペッタリ地面につけるつもりなのか…。
膝を曲げようとしても、片膝ずつレスラーがしっかり押さえているから動かない。思わず悲鳴を上げてしまうが、みんな、お構いなしに強引に背中を押してきた。
「ギャー…。」
 左ももの筋が、何ともいえない嫌な音を立てる。激痛が全身に走り抜け、俺は悲鳴を更に上げた。
 火事場のクソ力とでもいうのだろうか。俺は無我夢中で、レスラーをぶん投げていた。夏川さんに、頭を引っ叩かれる。
こんなに激しいストレッチを毎日、プロレスラーはしていたのか…。
地獄のストレッチから解放されても、左ももの筋が切れてしまったような痛みがずっと走っている。大地さんは笑いながら俺を見ていた。
「股のとこの筋が切れたみたいだな。大丈夫、大丈夫…。体操選手なんかも、よくそこは切るんだよ。そこは切れても大丈夫な筋だから。」
 何かもの凄い物騒な事を笑顔で話している。俺はとんでもない所へ、来てしまったんじゃないか…。早くも音を上げそうだった。

「よし、みんなご苦労さん。あとは僕が見るからもういいよ、ありがとう。」
 俺は笑顔の大地さんが恐ろしくなってきた。
「次はねー、腕立て、腹筋、スクワットを各百回ずつやるよ。」
「はい。」
 それだけの回数でいいのか。ちょっとホッとする。
「あー、ごめんごめん…。それを十セットずつね。言い忘れてたよ。」
 …という事は、単純に各千回ずつ、こなすって事になる…。
気合いでなんとかするしかないだろう。ここに来てしまったのは俺の意思なのだからやるしかない。
腕立てをやって次は腹筋、スクワットの順番で繰り返しやっていく。各三百回を越えた辺りで、腕立てをしながら、何故、何も休憩をくれないのだろうと不思議に思う。
「ねえ、僕が、腕立てや腹筋の合間に、何で休憩をくれないのかって思っているんでしょう?」
「ハア、ハァ…、そ、そんなこと…、ハァ、思って…、ないです…。」
 大地さんは、人の良さそうな笑顔で微笑みながら、嬉しそうに話し掛けてくる。
「ちゃんとね、僕は休憩時間をあげてるんだよ。今、腕立てをしてるけど、現時点で腹筋とスクワットの時の筋肉が…、腹筋をしてる時は、腕立てとスクワットの時の筋肉はちゃんと休んでいるんだよ。」
 そんなの休憩時間なんて言いませんと、突っ込みたかったが、そんな余裕すらなかった。それにあのヘラクレス大地さんが、こんな俺の為にマンツーマンで関わってくれている事が非常に嬉しかった。今日一日だけの体験入門かもしれない。でも、悔いの残らないように頑張りたかった。床に俺の汗が滴り落ち、水溜まりみたいになっていた。
 他のレスラーたちは、俺の事をどのような思いで見ているのだろうか。だらしない奴だと見られたくないという思いが、気力となり、どんなにキツくても踏ん張る事が出来た。
以前トレーニングしていて、急に弾けたように体が軽くなる感覚があった。今の俺の状態も、その時と同じような感じになりつつある。
ようやく言われた回数をこなすと、大地さんはリングのロープの外にあるエプロンサイドという部分に、横になれと言う。指示されるまま仰向けになり、顔だけ、リングの外に出す。俺の顔に真っ白のタオルを被せてきた。
「いいかい?僕がタオルの上からグッと押すから、力一杯、首を上に持ち上げてね。」
「はい。」
 大地さんが上から強い力で顔を押してくる。全力じゃないにしろ、かなりの力だ。俺は首に力を入れて懸命に持ち上げた。
「おっ?結構、力あるんだなー。いいぞー。」
 大地さんが褒めてくれ、更に力が入る。首を上まで持ち上げると、大地さんは、下まで押し返してくる。
「これを百回やるからね。」
 簡単なトレーニングだが、地味にきつい。首の上下運動をしているだけなのだが、上から押さえているのは大地さんなので、何回か上げ下げしていると、首が馬鹿になったような感じになる。それでも気力で百回こなした。
「おし、よく頑張ったなー。次はそのままの状態で、横向いて。」
 言われた通り、仰向け状態から横向きになる。また側頭部と耳の辺りにタオルを置かれた。ひょっとして今度はこの体勢で、首の上下運動をするつもりなのだろうか…。
「はい、今度はこの向きで、また百回行くよー。」
 もう何も考えず、頑張ってやるしかなかった。首がぶっ壊れるんじゃないかと思った。これが終わると、逆の横向きで百回、うつ伏せで百回やらされる。生まれたての赤ちゃんと一緒で、首が座ってないみたいだ…。
「よしよし、こういう事やって首鍛えないと、すぐ怪我しちゃうからね。ジャーマンスープレックスも、ブリッチして首を使うでしょ?首を鍛えないとジャーマンだって出来ないからね。よし、次は膝を胸にくっつけるようにして、ジャンプを百回やってみようか。」
「はい。」
 ブリッチをやれと言われなくて良かった。ジャンプしながら膝を胸につけるのを百回でいいのか。最初は軽くこなしていたが、二十回を越えた辺りから、だんだんきつくなってきた。足が重たい…。一回一回のジャンプが、ためを作らないと出来なくなってくる。百回ジャンプを終わると、その場に座り込んでしまう。情けない…。
「うーんと、次はあそこのコーナーあるでしょ?そこに行ってくれるかな。」
「はい。」
 俺の体は全身汗で光って見えた。首や足はガクガクになっている。リングの角にあたるコーナーポストに寄り掛かり体を預ける。
「コーナーポストの両サイドにあるロープをつかんでくれるかな。そうそう、それで両腕で体を持ち上げてみて。」
 自然と体操選手がやる吊り輪のような体勢になる。初めてロープを手で握ったがとても硬かった。どんなに力を入れても、ロープはビクともしない。俺はりんごだって、簡単に握りつぶせるのに、ロープって、こんなに硬かったのか。
「その状態で両足を上にあげて。そう、それを百回ね。」
 散々トレーニングしてきたあとなので、かなりきつい。五十回を越えた辺りでロープを握る握力すらなくなり、その場に崩れてしまった。
「あらー、そろそろ限界か?」
 大地さんは俺を気遣ってくれる。
ちょっとでいい、力を回復してくれ。俺は顔を両手で引っ叩いて気合いを入れる。大地さんが俺を見てくれている。何度も情けない姿を見せてしまったが、ここで終わる訳にはいかなかった。腹も酷い筋肉痛で苦しい。息もうまく出来ていない。ゆっくりと深呼吸をして何回か繰り返す。まず息を整えないと…。
また両手でロープを握り、やり始めた。一回やる事に腹や腕、足の筋肉が痙攣しそうになる。大量の汗が目に入り込んでくるので、目をつぶりながら無心にやった。何とか必死に終わらせて、へたり込んでしまう。
「まだ出来るか?」
「ハァ…、ハァ、ハァ、は…い…。」
 ぶっ倒れるまで、意地でも喰らいついてやる。自分の存在を少しでも大地さんに知ってもらいたかった。全身が動かなくなるまで、這いつくばってでもやってやる…。
「ブリッチやるぞ。うーん、時間は十五分でいいや。」
「はい。」
 後ろに反り返りながらブリッチをする。おでこをマットにつけて、足のつま先で人間橋を完成させる。首を出来る限り反らすようにすると、鼻もマットに触れる。いつもなら十五分程度のブリッチなんて軽いものだが、今までの疲労の蓄積が有り過ぎて、いつブリッチが崩れてもおかしくない。つま先立ちしている足が、プルプル震えだしてくる。
「よしラスト五分、僕が上に乗るぞ。」
 ブリッチをひたすら耐えるだけで、精一杯だった。声すら出ない。本当に大地さん、俺の上に乗るつもりなのか。確か、体重百二十キロはあったよな…。急に腹に重さが加わる。大地さんがひと言、言っておいてくれなかったら、すぐに潰れるところだった。とてつもない重さで、首が折れそうだ…。つま先立ちしていたブリッチが、完全にベタ足になる。早く時間よ、過ぎてくれと、願うばかりだ。
「よーし、時間だ。」
 大地さんの声と同時に、俺のしょぼいブリッチは潰れる。薄っすら目を開くと、大地さんは、俺を見て笑っていた。
「ちょっと休め。まだまだやる事あるから。」
 ここは恐ろしい地獄だった。自分から地獄に飛び込んだのだから、指示に従うしか道はない。この休憩のあとは、一体、どんな地獄が待っているのだろうか。体全体が、熱気を帯びていた。
今、水風呂に入れたらどんなに幸せだろう。心臓の鼓動はいつもの動きよりも、十倍以上、早く動いているような気がする。
「こうやってレスラーは鍛えられていくんだよ。レスラーは攻撃うんぬんよりも、まず何やられても、壊れない体を持たなくちゃいけないんだよ。だからいっぱいみんな、練習するんだよ。」
 壊れない体…。大地さんの言葉にとてつもない重みを感じる。今までやった事を苦しいじゃなく、すべてを当たり前のように、受け入れていかないといけないのだ。
「次は慣れるまで大変だけど、受身の練習だ。」
 色々な受身の取り方を教わるが、もう体力の限界だった。足が痙攣しだして、立っていられなくなる。足を何回叩いても痙攣は止まらなかった。大地さんが若手レスラーに何か命令している。そのレスラーは、俺の体を担ぎ上げてリングから降りた。
「初日でこれだけ出来れば、まあ、いい線、言ってるぞ。おまえの場合、ちょっと足が細いから、足の筋肉をつけないとな。だから、足にきちゃうんだよ。」

 風呂場に担ぎ込まれると、床に転がされる。その若手レスラーは、俺の足をマッサージし始めた。長い時間を掛けて揉みほぐし、次第に足の痙攣は治まっていく。
「これで大丈夫だろう。今日はお客さん扱いだから、風呂入って温まって来い。」
「いや、でも…」
「何だ、服も脱げないぐらい、疲れきってるのか?」
「そんな事はないです。」
「遠慮しないで入ってこい。出たら飯の仕度が終わっている頃だから、道場の隣の部屋へ来いよ。」
「何から何まで本当にすみません。」
 情けなかったが、限界までやったので悔いはなかった。
服を脱いで、風呂へ入ることにする。銭湯の半分ぐらいの広さの浴場はとても気持ち良く、汗を流していて気分がスッキリした。湯船に浸かって、体の疲れをゆっくりと癒す。気を張ってないと、そのまま眠ってしまいそうだった。

 風呂から出て道場の隣の部屋へ行くと、おいしそうな匂いが漂ってくる。
テーブルの真ん中にガスコンロの台が設置されていて、バカでかい鍋がグツグツ煮えていた。大きめの木の椅子が四方に置かれ、ヘラクレス大地さんと峰さんの二人が座っていた。夏川さんが俺に近づいてくる。
「おい、今日、おまえは客さんだから、飯も最初に喰わせてやる。腹減ったろう?頑張ったんだから、ガンガン喰ってけよ。ほら、そこの空いてるところ、座れよ。」
「すいません。」
 夏川さんに誘導され、椅子に座らせられる。
目の前のテーブルには、バカでかい鍋をはじめとして、色々な料理が並んであった。玉子焼き、ステーキ、とんかつ、野菜炒め、肉じゃが、ホウレン草のソテー、大根の煮物、鶏肉の唐揚げ、大根サラダ、何の魚か分からないがマリネのような物まで幅広く種類豊富だ。
いつもレスラーはこういうものを喰うのか。入り口のドアが急に開く。筋肉の鎧をまとったような大きな体をした大河さんが、部屋に入ってくる。全身汗だくで体が光を反射して光っていた。
「いやー、いい汗かいたー…。ちゃんこ鍋出来た?」
「ええ、用意してあります。どうぞお掛け下さい。」
 大河さんは、俺の右隣の椅子に腰掛けた。今までずっとトレーニングをしていたのか。恐ろしい体力だ。大河さんでこうなんだから伊達さんは一体どうなるんだろうか。近くで見ると、大河さんは本当に化け物のような体をしている。街を歩いていたら知らない人でも、きっと振り返るだろう。そのでかい体も、苦しい練習を耐え抜いた賜物なんだ。
「ほら、さっさと食べよう。」
「でも、俺なんかが、先にいただいていいのですか?」
「本来ならプロレスの世界は完全な縦社会だから、飯も風呂も上から順番にって決まっているんだが、今日はお客さん扱いだと言ったろ?」
 ヘラクレス大地さんが俺に声を掛けて、箸を手渡してくる。
「大地さんの心遣いに感謝しろよ。」
 峰さんはニヤリと笑いながら言ってくる。
「はい…。ありがとうございます。」
「まあまあ、硬っ苦しいことはいいよ。ほら、食べよう。」
「すいません…、いただきます。」
 夢のような光景だった。一人、体の小さいプロでもない俺が、左側にヘラクレス大地さん、真正面に峰さん、右側には大河健一郎さんが座って一緒に飯を食べている。現実のリアルな出来事なのに信じられなかった。
でかいどんぶりを二つ置かれる。片方はご飯が、山盛りで盛られていたが、もう一つは空のどんぶりだ。これは何をするのだろうか。
「ほら、その空のドンブリあるだろ?そこにこの味噌ダレを入れてだな…。ほら、ちゃんこ鍋から、具をすくってこう食べるんだよ。」
 大地さんはニコニコしながら勧めてくれた。ちゃんこ鍋を生まれて初めて食べてみる。めちゃくちゃうまかった。相撲取りと一緒で、ちゃんこ鍋がレスラーにとっても主食になるのだろう。
毎日あれだけトレーニングを積んで、こんなうまいものを食べまくる。体がでかくならない訳がない。
「どうだ、うまいだろ?」
 大地さんは無邪気な笑顔で、問いかけてくる。本当にこの人の笑顔は、人の良さそうな顔だ。性格が顔に滲み出ている。
「はい、こんなうまいもん、初めて食べました。」
「そうだろ、そうだろ。これがまたうまいんだよな。アチチ…。うん、うまい。」
合宿のトレーニングは地獄だったが、終われば非常に暖かい空気が俺を包んでくれる。今日、本当に来て良かった…。最上さんに感謝しないといけないな。あの人がいなかったら今頃、俺はどうなっていたのだろう。今日一日だけの体験入門というのが残念で仕方がない。もっともっとこの場所にいたかった。ここで強くなりたかった。この抜群にうまいこのちゃんこ鍋を毎日食べたかった。
「すいません、ご飯、お代わりもらってもいいですか…?」
「どんどん喰え。今日はお客さん扱いだから、特別、俺がよそってやるよ。」
 夏川さんがご飯をよそってくれる。夢のようだった。その夢のような一日も、もうすぐ終わりがやってくる。これから、どうやって生きていこうか…。
 満腹になるまで腹一杯飯を詰め込んだ。
帰り支度をして、大和プロレス合宿所の玄関に立つと、大地さんが見送ってくれる。優しい目で俺を見つめていた。こういう人になりたいなと素直に思う。でかくて強くて、それでいて優しくて、人間的に器がでかい。こうなりたかったが、俺にははっきりと無理なのが分かる。悔しいが、生まれ持った資質が完全に違うのだ。大地さんに比べたら俺などハナクソみたいなもんだ。でも、大地さんという人間に触れられて俺は本当に良かった。短い時間かもしれないが、今まで生きてきて、一番、濃密な時間を過ごせた。大地さんに感謝の意を込め、頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました…。」
「またさー…。」
「えっ?」
「あと一年、自分で頑張ってみて、体も細いから、体重も十キロから十五キロぐらい増やして、また、来年来てみれば?結構おまえ、センスあるから何か勿体ないんだよなー。」
 この俺にセンス…。それよりもまた来年来いという言葉が、俺の心に刻み込まれた。
プロレスにしがみついてきて良かった…。俺はひざまずき両手をついてお礼を言った。世間一般だと土下座というのだろうが、初めて自然とそうした行動に出てしまった。
「大地さん…、ありがとうございます…。」
 額を地面に擦りつける。今後の俺の在り方が、おぼろげながら見えたような気がする。
「おいおい、こんなとこでやめてくれよ。」
「俺、頑張ります…。」

また頭を下げて親方のところで、土方の仕事を出戻りで世話になることになったが、半分以上の人たちは俺を罵倒してきた。
みんな、俺に対してとても期待していた反動なのだろうが、今の俺にはその罵倒がグサリと突き刺さる。出戻りの状態で仕事をやっていくのは精神的にとても辛かった。
「おい、根性なし。どれだけみんな、おまえに期待してたと思っているんだよ。それを喧嘩でオジャンになっただと?ふざけんな。」
「俺なんか、近所に自慢しちゃったじゃねーかよ。期待した俺が馬鹿だったよ。」
「出戻りなんだから、とっとと働けよ。」
「すいません…。」
 謝る事しか、俺には出来なかった。これからとても辛い一年が始まりそうだ。また一年後に行くといっても、言い訳にしかとられないだろうと思い、ジッと我慢した。
大和プロレス入りが駄目になった事で、応援してくれたみんなに謝罪しに行った。とても惨めだった…。
俺の周りの人たちの意見は二通りに割れた。同情して励ましてくれたりする人間もいれば、馬鹿じゃねえのと、散々罵倒されたりもした。
確かに合宿の前に酒を飲みに行く行為は決して褒められたものじゃない。しかしあの時、俺はみんなが祝ってくれるという気持ちが嬉しくて断れなかった。あの大沢の事件があったから、そう言われるだけだと、俺は思っている。
たくさんの中傷や罵倒は、俺の心を荒ませていた。
確かに色々期待をさせてしまったが、やってもない奴に、グダグダとそこまで言われる筋合いはないと、割り切れるようになるまで時間がかかった。
いまだにしつこく言ってくる奴には、実際に俺の立場になった時に、そう言われて、それで納得出来るのかと言ってやった。酷い言い方をしているのは自覚している。しかし、そうしないと、精神的におかしくなりそうだった。
俺は自分で目指した事をやってきたんだ。何でそこまで言われなきゃなんねえんだと、はっきり言ってやった。
俺は間違っているのだろうか。どうなろうと俺の人生だ。開き直るしかなかった。
 自分の目標とは別に、俺自身の人間関係は、以前よりも開き直った分だけ、どんどん悪化していった。現在の境遇は自分にとって過酷過ぎた。
俺を励ましてくれる人に対しての感謝は持っていたが、誰も俺の気持ちなど理解出来る訳ないと常に思っていた。簡単にいうと、人をあまり信じられなくなってきた。
自然と、人とのふれあいは極力避け、自分自身の世界を形成する事が多くなった。心配して連絡をくれる人はいたが、その好意を素直に受け入れることが出来ないでいた。
俺に今、必要なのはトレーニングして強靭な体を作り上げる事だけだった。汗を流している時だけが、余計な事を考えずに済んだ。

世間では、「K・W・F」というリアルさを追求するというキャッチフレーズの団体がブレイクしていた。
俺は白い目でその団体を見ている。
試合を見てもまったく面白く感じなかったからだ。ロープに飛ばない。空中殺法もない。ほとんど打撃と関節技で、試合は形成されていた。会場の観層も変わっていて、静かに選手と選手の攻防を見守っているという表現が適していた。「K・W・F」の選手たちは、口々に自分たちのファイトスタイルこそ真剣勝負。新世界や大和はショーマンシップだと主張していた。
確かに関節をとった瞬間に、関節を極めて相手はタップして試合がすぐに終わる。最初見た時は、とても斬新に映り、すぐレンタルビデオに行って色々「K・W・F」のビデオを借りてきた。何度かその手の試合を見ていると、ビデオデッキのリモコンを常に持って早送りしながら見ている自分がいた。
俺にとって「K・W・F」の試合は技が決まる瞬間や、打撃でのK・Oシーン以外、どうでも良かった。いくら見ても、そこに伊達光利さんとヘラクレス大地さんがやったような感動は何も受けなかった。
大和プロレスは相変わらず激しい技と技のぶつかり合いを主体としたファイトスタイルで、会場の観客は熱気で包まれている。俺的にはやっぱりプロレスって、熱くなるもんだろうって思いがあった。
テレビに写る伊達さんは強く格好良かった。並みいる強敵を相手に、数々の防衛記録を築きあげ、不動のチャンピオンとしての地位をつかもうとしていた。
この人が「K・W・F」の選手を試合したらどうなるんだろうか。伊達さんは、関節技をとっても、あえて関節で試合を終わらせるような事はしない。
エルボーで相手を薙ぎ倒し、完璧なスリーカウントのフォールで試合を決めている。
一瞬の隙を盗んで勝つという勝ち方を合えてやらないといった感じだった。
よく受けの美学と言われるが、これだけ鍛え抜いてきたという自負が魅せる領域なんだと俺は思う。
誰もが凄いと分かるほどの技を喰らう。それでも起き上がってくる姿に、観客は興奮し感動を覚え、会場は熱気に包まれる。
相手の技を受けるから八百長だ。プロレスを否定する奴は、何故かムキになって、そう言う奴が多い。
みんな、体を鍛えて自分の体に納得した時、ドンと自分の胸を手で叩いて相手にパンチしてみなとか、腕をまくって筋肉を触ってみなとか、自然な感情でこのようになる経験はあると思う。
それは自分の体の強靭さをみんなに分かってほしいという感情の現われだと思う。少なくてもプロレスラーは、それよりも更に鍛えあげている。だとすれば、相手の技を受けてやり、自分の強靭さを見せたいという思いはもっと強くなって当然だと思う。
俺は強さの定義というものをよく考えるようになった。一人でいる時間が、極端に多くなったせいもあるだろう。誰の理解者もありえない孤独感…。しかし、その孤独感が俺の強さの源でもあると感じる。
俺が無茶してどうかなろうとも、心の底から悲しんでくれる人などいやしない。もし、いたとしても、時間が経てば忘れられていくに決まっている。いいようのない孤独感は、俺を精神的に強くさせてくれるような気がした。
勝負論だけを追及した場合、ゴングが鳴ったら、相手の鼻っ柱目掛けてパンチを叩き込めれば、それで試合は終わると思う。
ただ、そんな事を毎試合してて、果たして観客は納得いくのだろうか。
プロレスも他の格闘技も興行会社だ。客が集まらない試合をしてどうなるというのだろう。当然、やられた相手も、次に当たる時は、逆にもっと酷い事をやり返してやろうと、仕返しに来る事は目に見えて分かる。それがエスカレートすれば、そんなものは、ただの殺し合いに過ぎない。
プロレスは関節を極めにいかないとかよく言われるが、関節を極めて相手の骨を折ったり、靭帯を伸ばしたりすることが、そんなに正しい事なのだろうか。プロレス以外の格闘技で、うちは真剣勝負でやっていると強調するところが多いが、俺は疑問に感じることが多い。
何を基準に真剣勝負といえるのであろうか。関節を取って、すぐに相手がまいったと意思表示するから、真剣勝負なのだろうか。
簡単にいえば、極めるという行為は、相手の筋を伸ばしたり、骨を折っったりして、初めて極めたといえるのではないか。
実際に相手の骨をへし折るというのは、はっきりいうと後味が悪過ぎる。
以前、俺のトレーニング中に、絡んだ奴の骨をへし折った時の感覚は、まだ昨日の事のように覚えている。やり過ぎたと、今でも後悔していた。

 

 

9 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

8打突-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)合宿当日…。俺は一人で大和プロレスの合宿所へ向かう。以前、銀座にある事務所へ行ったのとは比較にならないよ...

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