岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

17 打突

2019年07月18日 09時58分00秒 | 打突

 

 

16 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

家に帰ってから軽くトレーニングをこなしていると、弟が俺を呼んでいる。家の玄関まで行くと、背は俺より五センチ程小さいが妙に馬鹿でかい奴が立っていた。「龍さん。」「...

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 とうとう柔道の大会がやってきた。いい秘策を思いついた。絶対に今日は勝たないといけない。たー坊が迎えに来てくれて、地元の武道館まで送ってくれる。
「コンディション大丈夫ですか、龍さん。」
「ああ、問題ないよ。あっ…、そうそう。一つ質問があったんだ。」
「何ですか?」
「立ち関節は駄目でも、飛びつき腕ひしぎ逆十字とかはいいんでしょ?」
「うーん…、あんまり聞いた事ないですけど、多分いいんじゃないですか。」
「OKって事ね…。」
「あと、プロレスでいうバックドロップは、柔道だと裏投げになりますからいいですけど、持ち上げても頭から落とさないで下さいよ。危険ですから。」
「じゃー、その体勢でどうしろって言うんだよ。」
「持ち上げて、そのまま空中で静止した時点で龍さんの勝ちになりますから。」
「ふーん、よく分かんないけどそうするよ。」
 武道館に着き中に入ると、柔道着を来た奴らが結構いた。辺りを見回すと浅田道場主の馬鹿オヤジが、何人かと話をしている姿が目に入る。馬鹿オヤジを取り囲んでいる連中の顔をじっくり見て、脳みそにインプットしておく。プロの格闘技を舐めた連中どもめ…。絶対に思い知らせてやる。
試合形式はトーナメントで、以前出場したバイオレンス大会みたいな不公平な事はなく、ちゃんとくじを俺にも引かせてくれた。表を見ると運がいい事に、最初の相手はあの浅田道場の中の一人だった。

「龍さんと当たる佐藤って奴、結構、寝技得意なんで気をつけて下さい。」
 たー坊がボソッとアドバイスしてくる。俺はその佐藤とかいう奴を遠くから睨みつけてやる。テメーのところの可愛い生徒をぶっつぶしてやるよ…。
「たー坊、帯締めてくれないか?」
「もう、まだ覚えてないんですか。これをこうやって…」
 柔道着に着替え終わり、軽く体をアップする事にする。軽いストレッチから始め、マタ割りでペッタリと両脚を広げ地面につけると、俺のほうを注目する人間が多かった。柔道は確かに素人で何も分からねえが、今までの意地ってもんを見せてやる。
「呼んでますよ、龍さん。そろそろ出番です。」
「おしっ。」
 浅田道場の奴と別の道場の奴の試合が始まる。これが終われば、次は俺の試合だ。出来ればこの試合は浅田道場の奴に勝ってほしい。そうすれば俺と次に当たるから二人連続で思い知らせてやれる事が出来る。
結局、俺の願いが通じたのか浅田道場の奴が、終了間際に小内刈りを決めて技有りをとり、勝ち進む事になった。
ようやく俺の出番だ。対戦相手を睨みつけながら前に出る。相手の佐藤は何でこんな自分を睨んでくるんだろうという感じで不思議そうにしていた。
「君、ちゃんと礼をしなさい。」
 審判が注意してくるので、ひと睨みしてから軽く礼をする。
試合が始まる。
俺は右腕を気持ち前に出しながら近付いていく。
佐藤は様子を見ながら左手で、注意深く俺の右腕の道着を掴んでくる。馬鹿め、引っ掛かりやがった。
俺は右手で相手の左腕をしっかり掴み後頭部に左手を回すと、大きくジャンプした。
両脚で絡みつくように佐藤の体に巻付き、体重を下に傾ける。遠心力を利用してそのまま後ろに転がり、佐藤の得意な寝技に引きずり込んでやる。
相手の首の後ろにある右足首を左足首に絡ませ、変形腕ひしぎ逆十字を決める。本来なら人体を伸ばす技だが、俺の右腿の上に相手の肘を置いて下に捻じ曲げてやる。あとちょっと力を入れれば、骨が折れるぐらいまで力を入れる。
「おい、折りたくねえから、タップしろ。」
 佐藤は畳を必死に数回叩く。審判が慌てて試合を止めた。
奇襲戦法だったが、運良くうまくいって良かった。技を解いて立ち上がると、試合を見ていた見物人たちが大騒ぎして俺を見ている。手を振って歓声に答えていると、審判にちゃんと礼をしなさいと怒られた。
「すごいじゃないですか、龍さん。やりましたね。」
 たー坊が笑顔で駆け寄ってくる。最高に気持ち良かった。
たくさんの視線を感じる。とりあえず相手の土俵で勝てて本当にひと安心だ。周りを見回すと、浅田道場のオヤジがビックリした表情で俺を見ている。何で俺がこの大会にいるんだと、思っているのだろう。ザマーミロと、右手で首を掻っ切るポーズをしてやった。
「でも龍さん、次からもう奇襲で飛びつき腕ひしぎとかは通用しないですよ。」
「ああ、そのぐらい分かってる。浅田道場の奴だから博打してでも、絶対に勝ちたかっただけだ。でも俺が柔道で負けるのは別に恥じゃないし、次からはまともに行くよ。」

 少し休憩して、また俺の試合の番が来る。また次の相手も浅田道場の奴だ。さっきの試合を見た限り、足払いには注意した方がいいだろう。
「龍さんの次の相手は笠間って奴です。足癖が悪い奴なんで気をつけて下さい。」
「ああ、さっき試合見て感じたよ。じゃ、行って来るぜ。」
 笠間に馬鹿オヤジが耳元でアドバイスを送っている。こっちを見てニヤニヤしている笠間の面が気に食わない。
審判に注意されないよう、今度はちゃんと礼をして試合に望む。
「龍さん、足払いっすよ。」
 開始と共に笠間はガッチリ道着を掴んで、うるさい足払いを多様に仕掛けてくる。防戦一方なので攻撃を仕掛けようしたところ、うまい具合に足をすくわれ倒される。
「有効―っ。」
 危なかった…。もう少し慎重にならないと…。
ゆっくり深呼吸しながら立ち上がる。まともにやり合っても分が悪過ぎた。組み合っている内にバランスを崩され、足払いを掛けられる。
つい大和時代の癖で、反射的に背中から落ちて受身をとろうとしてしまう。そのあとですぐにこのままだと一本負けになると気づき、空中で強引に体を反転させた。
「グッ…。」
 鈍い音がして痛みが全身を駆け巡る。
強引によじって腹這いに落ちた時に、自分の肘が下敷きになり右のアバラをやってしまったようだ。
しばらくうつ伏せのまま、立てなかった。呼吸が出来ないで苦しい…。多分、アバラが折れただろう。改めて自分の右肘の威力を知った。
「おい、大丈夫かね?」
 倒れたままの俺に審判が声を掛けてくる。
いつまでもこうしてはいられない。
起きる際、帯をバラして立ち上がった。帯を結ぶふりして、息を整えようとする。
初めてアバラを折ったが、こんなに苦しいもんだとは思いもしなかった。
「おい、君っ。」
「う、うるせーな…。ぜ、全然、大丈夫っすよ…。」
 懸命に痩せ我慢して突っ張った。
フラフラしながらも笠間に近付く。すると笠間の顔に怯えが見えるのが分かった。俺の精神力にビビッている。
俺は組み付いた瞬間、右手で相手の頭を上から押さえつけ、左手を内側から差し込む。プロレスでいうダブルアームスープレックスの体勢に入ろうとする。
これなら投げても道着を掴まれて邪魔される事はない。
笠間は嫌がって片膝を地面につく。俺は右手を差し込んで強引に力技で左手とクラッチを組もうとした。力を入れる度に激痛が走る。しかし、そんな事でやめる訳にはいかない。これを逃したら俺に勝ち目はない。
あと三センチ…、あと二センチ…。アバラの激痛で目の前が真っ白になってくる。一瞬だけ息を吸い込み、クラッチを組む。
投げられまいと、しゃがみ込んでいる笠間をダブルアームの体勢で強引にぶっこ抜いた。相手を投げ抜いた感覚はあったが、一気に力が抜け、意識が朦朧としてくる。
「一本―っ。」
 審判の声で俺が勝ったのが分かる。アバラを押さえながらうずくまっていると、大歓声が聞こえてきた。あまりのうるささで、次第に意識がハッキリしてくる。気力を振り絞って、ようやく起き上がると、会場中の観客が、たくさんの拍手を送ってくれた。
フラフラ歩きながら会場の角に行き、壁にもたれ掛かる。もうそろそろ限界だが、アバラが折れただなんて、格好悪い事は口が裂けても言えない。
「龍さん―。変な落ち方しましたけど、大丈夫なんですか?」
 慌てて、たー坊が駆け寄ってくる。
後輩にみっともない姿を見せる訳には絶対にいかなかった。痩せ我慢しながら、笑顔を見せる。多分、誰もいなかったらあまりの痛さに泣いていただろう。出来れば、早いとこ家に帰りたい…。
「全然、問題ない。どうだ見たか、たー坊…。」
「凄かったです。みんな、びっくりしてましたよ。」
「へっ、浅田道場の奴相手に、プロレス技で勝ってやったぜ…。」
「でも龍さん…。実はさっきやったダブルアームスープレックスの体勢って柔道や相撲だと、五輪砕きという反則なんですよ。だから本来なら反則負けなんですけど、審判もびっくりして、つい一本って言ったんだと思いますよ。」
「反則負けでも何でもいいよ…。プロレス技のダブルアームスープレックスで、ブン投げられたんだから、それだけで満足してるよ…。」
 喋るのも辛くなってくるが、弱音だけは吐けない。
さっきの審判が俺の顔を見ながら近付いてきた。たー坊が言ったように試合の裁定を覆しにきたのだろうか…。
別に反則負けになっても何でもどうでもよかった。
体中の痛みとは反対に、精神的にはスッキリして非常に気持ち良かった。審判が話し掛けてくる。
「私、長い間、柔道に携わってきましたが、決まり手がダブルアームスープレックスなんて、生まれて初めて見ました。いいもん見せてもらいました。」
「いえいえ、どういたしまして…。」
 無理して笑顔を作るが、痛みが現実を思い出させてくる。勝ったから、まだ次の試合あるんだよな…、そう思うと、泣けてくる。
試合時間が来るまで、座って壁に寄り掛かって待つ事にした。痛みはどんどん増してくる一方だった。
「時間ですよ、龍さん。」
「あ、ああ…。分かった。」
 立ち上がる際でもひと苦労だ。たー坊とかが見ている前で無様なマネは出来ない。気合いを入れて一気に立ち上がる。
開始位置まで行くと、痛みで対戦相手の顔ですらぼやけてくる。試合開始と共に組み付き、相手の耳元でみんなに聞こえないように囁く。
「おい、寝技に入れ。勝ちをくれてやるから…。」
 勝手に言うだけ言って、もつれ込んで倒れる。もちろんその際にも激痛が、体中を走り回る。
相手が押さえ込みに入ってくれたので、抵抗するふりだけして大人しく時間が経つのを待つ事にした。
「一本、それまで。」
 押さえ込みの時間が、一時間ぐらいに感じた。長い地獄の時間だった。
でも、これでようやく病院に行ける…。押さえ込みの際、アバラの上に相手が乗っていたので激痛はさらに悪化していた。
たー坊が残念そうな顔で声を掛けてくる。
「残念でしたね…。寝技の外し方とかもちゃんと教えとけばよかったですよ。」
 とりあえず柔道着を脱いで、私服に着替える。それだけでも泣きそうなぐらい痛かったが、みんなのいる手前、平然としているように頑張った。あとは帰るだけだ…。
「龍さん、お腹減ったでしょ?これから飯喰いに行きましょうよ。」
「そ…、そうだな…。ど、どこへ行くんだ?」
「うーん、そうですねー…。ゆっくり話せるところがいいですよね。」
 この時ばかりは、たー坊が鬼に見えた…。まだ、本当の地獄はこれからだったのだ…。

 二時間ばかり、たー坊と飯に行き、ようやく開放されて病院に駆け込んだ。
「痛い、痛いっ。早く何とかして下さいよー。」
「とりあえずレントゲン撮らないと、二階のレントゲン室に行って下さい。」
 クソ…、痛みを堪えてようやく病院に来たというのに医者の先生は意地悪だった。
レントゲンなんか撮らなくても、絶対にアバラは折れていると確信があった。自分の体だから自分が一番よく分かっているのに…。
渋々レントゲン室に向かい写真を撮る準備をする。
始めは立った状態だからまだ良かった。ベッドの上に寝て撮ると言われた時は、ピンと背筋を真っ直ぐ伸ばす事が出来ないので、めちゃくちゃごねた。
「あんた、プロのレントゲン師だろ?立った状態で何とか撮ってくれよ。」
「しかしですね…。」
「能書きはいいんだよ。早く終わりにしろよっ!」
「はぁ…、じゃあ、そのままいきますよー。」
 ようやくレントゲンも撮り終わり、診察が始まる。今日は日曜日なので先生以外、若い看護婦がいない。婦長さんだけなのがまだ俺にとってまだ救いだった。先生はのんびりとレントゲンの写真を眺めている。素人の俺が見たってアバラの骨が折れているのが分かるのに、何、呑気にしてやがんだ、ちくしょう…。
「うーん、綺麗に一本折れてますねー。」
「だからー、それは分かってんですよ。早いとこ、この痛みとって下さいよ。」
「じゃ、坐薬ですな。」
「坐薬って…。ケツから入れるあの…。」
 先生はニヤニヤしながら頷く。血液が一気に上昇してくる。
「冗談じゃないですよ。それ以外にも痛み止めの注射とか色々あんでしょう!」
「いやいや、坐薬が一番。」
 先生は笑ったまま首を左右に振っている。俺はとことん嫌がった。
「ほーら、でかい図体して駄々こねないの。早くお尻出しなさい。」
 婦長さんが俺のパンツを強引にめくり、尻を叩いてくる。あまりの恥ずかしさに俺は、目をしっかりとつぶった。ケツから何かがヌルッと入ってくる感がして、酷く嫌な気分になってくる。坐薬を入れ終わり、婦長さんはまた尻を叩いてくる。
「はい、一丁上がりー。」
「とりあえず坐薬を五粒ほど出しときましょう。」
「いりませんよ、そんなもん。一人でどうやって入れんですか?」
「サラダ油か何かをちょこっとぬってやれば、自然にスルッと入りますから。」
「サラダ油?」
「普段口の中に入れている物が、何でケツから入れちゃ駄目なの?」
 確かに正論かもしれないが…。
「あと、コルセット出しときますから。ま、約全治一ヶ月ですな。」
「一ヶ月ですか…。」
「もちろん、出来る限り安静にですよ。」
コルセットをアバラのところに巻くと、結構楽になった。しかし家に帰ってもそれ以上痛みが引く様子もなく先生を恨めしくも思った。イライラしながら三十分もしない内に、さっきまでの痛みが急に嘘のように治まってしまった。ちょっとだけ坐薬の素晴らしさが理解出来て、あの先生に感謝した。
痛みが引いたところで、今日の試合の報告を仲のいい知り合い関係に、電話で連絡する事にした。
最上さんや月吉さんは、試合が終わったあとじゃなく、何で初めから言わないんだと怒っていた。
整体の先生には、何とか先生の技術で早く治して下さいとお願いしたが、骨折してるものまでは無理だと断られてしまった。まあ当たり前か…。
新宿の店にも連絡をしてみる。声で責任者の横山さんだと分かる。
「あ、横山さんですか?神威です。」
「柔道の試合だったんでしょ。結果どうだったの?」
「もちろん勝ちましたよ。でも試合中にアバラ折ってしまいまして…。」
「アバラ?」
「ええ、超痛かったですけど、坐薬入れたら一気に楽になりました。コルセットも巻いてるし、問題ないですよ。一ヶ月ほどで直りますし…。」
 何故か横山さんからの返事がなく、しばし沈黙の時間が流れる。一体どうしたんだろう。
「もしもしー横山さん、今日はお店忙しいんですか?」
「自分さー…。」
「はい、何でしょう?」
「自分はこの店で働いてる訳だよね?」
「ええ、もちろんそうですよ。」
「そんなアバラ折れてコルセットまで巻いて、仕事になると思ってるの?」
 全然そんな事まで考えていなかったので、頭を強く殴られたようなショックを受けた。確かにこの体でどうやって仕事しようというのだろう…。横山さんの言う通りだった。
「すいません…。ちょっと考えが浅はかでした…。」
「悪いけど、店は自分の為にやってる訳じゃないし、自分が怪我しようが何をしようがいつも二十四時間動いているだよね。」
「は、はぁ…。」
「他に人を雇うから、今日で悪いけど上がってよ。」
 新宿に行ってから初めて働いた店…。そのまま現在まで頑張ってきて四年以上の月日が経っていた。それがいきなり今日でクビになろうとしている。目の前が真っ白になっていた。
何だかんだいって、俺は新宿歌舞伎町が好きになっていた…。ある意味、大和プロレスを駄目になってから、この店に来て救ってもらったようなものだった。ただ毎日、何も考えず仕事してきたが、気づけば、自分の新宿での居場所でもあったのだ。
「よ、横山さん…。」
「ほんとは俺だってこんな事、言いたくないけどさ、責任者って立場上仕方がないんだよ。それとも一ヶ月も仕事休んでさー、他の従業員がまったく休みとれないのって自分、我慢出来るの?」
 角川に小島…。今キツイ言い方をしているが、横山さんだってみんな誰も休みとれなくても、俺を責めてくる奴はいないだろう。でも、俺自身、申し訳なくて我慢出来ない…。ゲーム屋だって客商売だから、俺が無理して仕事出ると言っても、コルセット巻いたままじゃ、仕事になる訳がない。今さらながら後悔した。
「迷惑お掛けして、本当すいませんでした…。今までお世話になりました…。」
「ごめんね、みんなには俺のほうから、うまく言っておくようにする…。」
 横山さんだって辛いんだ…。
長い間、ずっと一緒にやってきたんだ。俺が責任者だったとしても、きっと同じ判断になっただろう。
「たまには連絡しますよ。本当にすいませんでした…。」
 電話を切って、天井を見上げる…。
ジャズバーでの浅田道場の一件から、まさかこんな風になるとは思ってもみなかった。自分でやりたいようにやってきたのだ。そういう犠牲があっても当たり前の事を俺はやってきたんだ…。
あれだけ散々鍛えてきた右肘。一度壊れた左肘。まさか自分のエルボーでアバラを折るだなんて考えもしなかったが、すべてが今まで自分とやってきた事とリンクしているような気がする。
あの時、ジャズバーに、飲みにさえ行かなかったら…。
文句を言ったあと、柔道の試合に出るなんて言わなければ…。
すべて自分が蒔いた種だった。何のせいにしてもどうにもならない。せめて自分のした行為だけは、プライドを持とう。
 今日一日で俺は仕事を失い、アバラを折り、その分のプライドだけが残った。

 金は多少なら貯めてあったので、贅沢をしなければ問題はない。しかし、完全にアバラが直るまで、仕事も探せずトレーニングも駄目…。辛い一ヶ月になりそうだった。
勝手に背負った格闘家のプライドの代償は、本当に高くついた。 でもここ最近ずっと突っ走ってきて忙しかったので、一ヶ月間、ゆっくり出来ると思えば少しは気も休まる。
 そんな俺にタイミング良く、高校時代の担任の先生から電話があった。
「神威、元気でやってるかー。」
 先生とは俺が新宿に行く前以来だから、少なくても四年以上連絡をとってなかった。
「お久しぶりです。今日はどうしたんですか?」
「うちの子供が、生まれたんだよ。一応、おまえにも報告しておこうと思ってな。」
「それはおめでとうございます。男の子ですか?」
「女の子だよ。真由美って言うんだ。」
 先生のとこ、また女の子だったんだ。娘のゆかりちゃんもあれからだから、だいぶ大きくなっただろうな。
「へー、それはおめでとうございます。俺、無職になったばかりで暇してるんで、近い内、顔出しに行きますよ。先生の都合いい日にでも。」
 いい機会だ、土方の親方や石井たちにも連絡してみよう。その日は電話を掛けまくった。懐かしさが込み上げてきた。みんな、俺の体を心配気遣ってくれた。
強さを目指してここまでやってきたが、一体、俺に何が残ったのだろう。今までやってきた事は正しかったのだろうか…。
現実問題として二十七歳にして無職…、そして何も残っていなかった。
 右手を前に伸ばし親指を突き出してみる。
打突…。人を突き刺す事を目的とした卑怯な殺人技…。ある意味、打突はナイフと一緒だった。
これを人間相手に使うという事は、ナイフで人を刺せるという事と同じだ。
強さを追求して行きついた先は、結局、この打突だったのだ。
しかしそれをまだ一度も使えない俺は、何なのだろう…。
言いようのない虚脱感があった。出来れば、プロレスを目指した頃に戻りたかった。あの頃は、毎日が楽しかった。
 すべてを投げ出したくなってくるが、今の俺には何もなかった。

ぼんやりテレビを見ていると新世界プロレスと「T1」がルールで揉めている様子が、放送されていた。「T1」の方はまた外人選手を出してくる様子だ。
はっきり言って日本人しか出せない新世界は、俺の目から見ても不利だった。
ルール問題で必死に食い下がる新世界に対して、「T1」の日本人選手が横から偉そうに口を挟んできていた。
「こっちは真剣勝負でやってきてんだからよー、おまえらと一緒にすんじゃねえ。」
 名前も知らない「T1」の日本人選手が言った台詞に、怒りを覚えてくる。
自分らは試合に出もしないで、外人の陰に隠れて言いたい放題。
いつからキックボクサーは、そんなに偉そうな事を言えるようになったのだろう。全身に力を入れると、アバラから痛みを感じるがそんな事どうでもよくなった。
テレビにはさっきの発言をした日本人がアップで映されてした
今、こいつは自分らだけ真剣勝負していんだからと、確かに言ったんだよな…。絶対に許せなかった。こんな奴がテレビに取り上げられ、調子をこいている。本当に腐った嫌な世の中になったもんだ。
ヘラクレス大地さんに、結局、何の恩も返せなかったな…。
今まで自分がしてきた事を後悔したくない。これまでに出会って、たくさんのいい人間関係を築き上げる事が出来た。自分でやりたいように生きてこれた。
今の状態も、全然、悩む事などなかったのだ。またやりたい事が見つかったのだ。
俺はテレビに写っている奴の顔を睨みつけた。

 俺には自由な時間がいっぱいある。
色々考えられる時間もあるし、何でも出来る。自分の目的がはっきりした。
あと、三日経てばそれを実行に移すだけだ。それまでにお世話になった人のところに、挨拶しておこう…。
 外に出て、月吉さんのゲームセンターに行く。
アバラが折れたままなので、一歩一歩歩く度に痛みが走る。でも、三日後の事を考えれば、へっちゃらだった。
月吉さんは忙しそうに店内を回っていた。俺の姿に気づくと、笑顔で近寄ってくる。
「あれ、歩き回って体、大丈夫なの?」
「問題ないです。あの、月吉さん…。」
「ん、どうしたの?」
「ありがとうございました。」
「何が?」
「とりあえず、そう言いたかっただけです。」
 月吉さんは不思議そうな顔をしていた。この人はいつも俺に対して優しく接してくれた。それでどれだけ救われてきただろう。
もっと話したかったが、店が忙しそうなので帰る事にする。

そのまま今度は、たー坊の家を訪ねる事にした。
「あ、龍さん。この間の試合でアバラ折ってたんですか?」
「誰に聞いたんだ、そんな事…。まあ、大丈夫だよ。問題ない。」
「あの試合格好良かったですよ。もし龍さんが本格的に柔道やったら、すごい強くなるって、俺、断言出来ますよ。バランスも力もあるし、いいと思いますよ。」
「無理だって、この間で柔道の奥深さや大変さをちょっとは理解したつもりだしね。」
「うーん、何かもったいないなー…。あっ、それと自分も今度、総合の試合に出る事にしましたから。」
「たー坊も?」
「前からやってみたかったんですよ。もちろん親には内緒でですけどね。」
 こいつも来るのか…。俺の分まで頑張ってほしかった。
右手に気持ちを込めて、俺の今までのすべてを手渡すつもりで、たー坊の肩をポンっと叩く。
「そっか、頑張れよ。たー坊、ありがとうな。」
「また、連絡しますねー。」
 俺は後ろ向きのまま、手を上げて答えた。

あと今日は整体の先生のところへ行っておこう。
階段を登るたびに、激痛が走る。ひと苦労だ。
「あーあー、大丈夫ですか、神威さん。痛々しい格好ですね。」
「めちゃくちゃ痛いです…。先生、何とかして下さい。」
「折れた骨までは、いくら何でも無茶ですって。」
 確かにそんな芸当が出来るのは、いても神様ぐらいだろう。
「先生には、はっきり言っておく事にしますね。」
「え、何がです?」
「三日後の「T1」ジャパン後楽園ホール大会に行き、ある選手をやりに行きます。」
「誰をですか?」
「名前分かんないですけど、髪の毛を汚い色の茶髪にしてて、タラコ唇の変な奴です。」
「だって…、神威さん…。」
「自分で試合もしてもないくせに、プロレスを馬鹿にしたんです。自分らだけが真剣勝負だなんて、舐めた事、抜かしたんです。別に俺はレスラーでも何でもないですけど、自分のチンケな格闘人生の終止符を打つには、いい潮時かなと感じました。」
「駄目ですよ。向こうに、何人いると思ってるんですか。」
「あいつがテレビで吐いた言葉通り、真剣勝負ってもんを教えてやりますよ。」
「どうやってやるつもりですか?」
「これしか俺には、ないじゃないですか。」
 右親指を突き出して、打突の握りをした。
あのタラコ唇のボケ野郎が言った真剣勝負ってもんが、どんなもんか分からせてやる。プロレスだって、空手だって、ボクシングだって、柔道だって、格闘技すべてが、個々に真剣に取り組んでいるんだ。
それを自分らは他流試合もせず外人に任せ、自分たちだけ真剣勝負とは何様のつもりだ。
真剣勝負…。俺の概念では人の命を奪う。もしくは、本当に戦闘不能にさせる。それが本来の真剣勝負じゃないのだろうか。
確かに「T1」は打撃主体だから、派手なKOシーンがある。
スピリットにしても、すぐに勝負を決めにいくだけの事だ。凄惨だ残酷だと言われながら、今まで誰も試合で死んだ奴はいない。
たいした違いがないのに、何故、いつもプロレスだけが、こうまで中傷され、攻撃を受けなければいけないんだろう。プロレスが、キックボクサーの日本人風情に舐められた。レスラーたちが、誰も行動しないなら、俺が場違いなのを承知でやってやる。

 「T1」後楽園興行まであと二日…。
俺は最上さんの家に遊び行く事にした。最上さんの奥さんの有子さんと麗一君が、玄関まで出迎えてくれる。
「最上さんは…。」
「仕事の打ち合わせで急に呼ばれちゃってね。じきに帰ってくると思うけど。」
 有子さんの入れてくれたコーヒーを飲みながら、雑談して時間をつぶした。最上さんにもひと言、ちゃんと言っておかなければいけない。
「龍君、今度は柔道やってアバラ折ったんだって?」
「やっぱ、聞いてますよね。ちょいとムカつく連中がいたもんでして…。」
「前の試合の時もそうだけど、いつか龍君が、どうにかなっちゃいそうで怖いなー。」
 少なくても明後日にはどうなるかすぐ分かりますよ…。そう言いたい衝動を必死に抑える。
文字通り真剣勝負に行くから、最後になるかもしれない。
だから俺の親しい人たちには、ちゃんと挨拶をしておきたかった。
「最上さんみたいに結婚して子供までいたら、勝手な事してちゃ駄目だけど、俺の場合、独り者ですからね。まあ、そこが一番の俺の強みでもありますけど。」
「いい子見つけて、龍君もそろそろ落ち着けばいいのに…。」
 今まで俺と関係があった女の顔を次々と浮かんでくる。
さおりに清美、坂尾さん…。
「俺みたいな奴は、独りでいるのがいいんですよ。」
「うーん、難し過ぎて、私からはこれ以上何も言えないけど、ただもう少し龍君は笑っててもいいと思うよ。何かいつもピリピリしてるでしょ?」
 そういえば、心の底から笑った事なんて、いつ以来だろう。
俺はいつも何かに腹を立てていたような気がする。
社会に出てからずっと足掻いてもがいて彷徨い続けている。
一生懸命努力してるつもりが、いつも結果が出ずにイライラしていた。
多分、俺の居場所がないからなのだろう。
プロレスラーを目指し成り損ねて、いまだにプロレスにすがっているだけ…。
満たされない、やり切れない想いが、常に同居していた。
本来、人間は何かをする事によって、何かしらの見返りを求めるものだ。見返りに見合うものを俺は受け取っていない。自分のせいではあるけれど、その感情を他にぶつけるものがなく、常に精神が不安定なままだった。
でも、それも、もうちょっとではっきりする。
「そうですよね…。俺って、いつもピリピリしてますよね。」
「何があったのか知らないけどさー、もうちょっと笑顔で頑張ろうよ。」
「笑うのって、昔から苦手なんですよ。」
 有子さんと話していると、ちょうど最上さんが帰ってきた。何だか様子がおかしい。よく見ると、所々に怪我を負っていた。
「一体、どうしたんですか?」
「まいったよ、駅から家に帰る途中、変なガキどもにオヤジ狩りだって…。ひでーよな、俺まだ三十前だぜ、イテテテ…。」
「そいつら、どの辺にいるんですか?」
「まだその辺だよ。赤い帽子被った奴がリーダー格で六人組。みんな右耳に三日月のピアスをしていた。そういや神威がうちに来てんだから、携帯に連絡すれば良かったな…。」
 最後まで話を聞き終わらずに、俺は外へ飛び出した。
コルセットをつけているとはいえ、痛みがどんどん増してくる。そんな痛みなど、構わずに探し回った。
駅の方向へ向かう途中に、最上さんが言っていたらしき、グループがいた。
アバラがズキズキしているが俺は全力で走り、赤い帽子をかぶった奴の背中に飛び膝を突き立てた。相手はすごい勢いで前のめりにぶっ飛んだ。
唖然としている他の連中に飛び掛り、鼻、目掛けて、渾身のパンチを叩き込む。
三人殴ったところで、横っ腹に蹴りを入れられた。
「グワーッ。」
 蹴られた瞬間、嫌な音がした。すごい激痛が走っている。アバラが、また折れたのが分かった。
左手でアバラの上をギュッと押さえて立ち上がる。残りあと二人…。
「いきなり何なんだ、テメーは?」
 胸倉を捕まれたので、その腕をとって捻じ曲げる。何の躊躇もなく腕をへし折った。
その光景を見た最後の一人は、仲間をほったらかして一目散に逃げてしまった。
激痛で追いかける事も出来ない。意識が朦朧としてきて倒れたかったが、警察が来るといけない。気力を振り絞って、近くの漫画喫茶に入る事にした。
リクライニングの席を頼んで個室に入る。
ポケットから坐薬を取り出す。体を捻っただけで激痛が走るが、堪えながらケツに坐薬を入れた。呼吸するのも苦しかったが、しばらくすると痛みがとれてきた。
右手を見ると血だらけだった。そのまま意識を失うように寝てしまった。

 夢を見た。
夢の中でもアバラは痛かった。
当たりは薄暗く幻想的な場所にいる。どこだろうここは…。
キョロキョロ見渡すと、かなり遠くにぼんやり人影が立っている。
誰だろう…。
俺は痛みを堪えながら、人影に向かって歩いていく。
徐々に近づくと、その人影は、あの大地さんだった。何で、ここに大地さんが…。
「だ、大地さん…。」
 思わず痛みを忘れて、駆け出した。
感動で目から涙があふれ、視界が滲んでくる。
目を擦りながら駆け寄ると、大地さんも向こうから、こっちに向かって走ってくる。
「あれ…。」
 大地さんの顔が怒っている。
走ってくるんじゃなくて、すごい勢いで、俺に向かって突進しているんだ。
大地さんの突き出した膝が、当たったと思った瞬間、俺は吹っ飛ばされた。
「起きて下さい。」
 女の声が聞こえる。誰か俺の事を心配してくれていんだろうか。
「起きて下さーい。」
 静かに目を開けると、見た事のない女が、俺を起こしていた。誰だったっけ…。
「入店してから、もう十二時間以上経ってますので、一度、ご清算していただきたいのですが…。」
 そうだ漫画喫茶に来て、すぐに寝てしまったんだっけ。俺は財布から金を出して多めに払う。まだ頭がぼんやりしている。
「悪いけど、もうしばらく好きに寝かせといてくれ。」
 さっきの夢は、一体、何の意味があったのだろうか。俺は、再び深い眠りに入った。

 

 

18 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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