岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 15(ピアノが弾けたら編)

2024年08月08日 01時22分05秒 | 闇シリーズ

2024/08/08 thu

前回の章

 

闇 14(風俗嬢に捧げた絵画編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

2024/08/06tue1新宿フォルテッシモ-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)新宿クレッシェンド第4弾新宿フォルテッシモ普通にサラリーマンをやっていたら、喧嘩が強...

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1 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

新宿クレッシェンド第4弾新宿フォルテッシモ普通にサラリーマンをやっていたら、喧嘩が強いだとかそんな事とはまったく無縁だろう。もちろん俺のいる歌舞伎町だってそうだ...

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自衛隊時代の同期である富田

久しぶりの再会は楽しかったものの、彼の家族関係を杞憂する

家族間の上下関係は分からない

ただ初対面の俺の前で、自分の旦那を枕で滅多打ちするか?

富田も富田である

激昂する訳でもなく、ひたすら無抵抗で嵐が過ぎ去るのを待つ感じ

あまりにも惨めに思い、あと時はキャバクラを奢ってやった

仕事帰りの小江戸号で考えていると、携帯電話の着信が入る

ちょうど考えていた富田から

「おー、岩上。今度いつ休みなの?」

「今仕事帰りで今日は休みだよ」

「それなら今日会おうぜ、俺が川越行くからさ」

あれから一ヶ月ほど経つ

給料でも入ったから、お返しにご馳走するつもりなのだろう

夕方に会う約束をして俺は寝た

同じ釜の飯を食い、共に泣き、共に笑ったあの頃

18歳の時に3ヶ月間

たったそれだけの期間なのに、とても濃密な時を過ごしてきたんだ、俺たちは……

目覚めるとちょうどいい頃合い

俺はシャワーを浴びて着替えを済ませる

駅に向かい富田と合流した

「お腹は?」

「腹は減ってないからさ…、この間のキャバクラ行こうよ」

前回の派手な遊び方をして一発でハマったのか

俺も悪い事を教えてしまったのかもな

ミサキのいるキャバクラへ入る

俺はいつものようにミサキを指名

「この間で誰か気に入った子いたの?」

「あ、店員さん。あそこで暇そうに座ってる子、全部付けてよ」

早い時間なので待機席には暇を持て余したキャバ嬢が4名いる

「それとさ、フルーツの盛り合わせも」

「かしこまりました」

スタッフが一礼して下がったのを見てから声を掛けた

「おい、富田。オマエ金大丈夫なの?」

「え、何で?」

富田はキョトンとしている

「こんな飲み方したら会計10万20万簡単にいくぞ?」

「岩上持ってんでしょ?」

その言葉に俺は持っていたグラスの酒を富田の顔へぶっ掛けた

「ふざんけんじゃねえよ! このクズ野郎」

ミサキのいる店で無銭飲食する訳にもいかず、俺はスタッフを呼び富田が金を持っていない事を説明した上で、まだ来ていないフルーツの盛り合わせはキャンセル、席に付いていない女たちもキャンセルし、その状態で会計を済ませる

「何怒ってんだよ、岩上」

俺はテーブルを蹴飛ばして富田にぶつけた

「ミサキ悪い…。今日はもう帰るわ……」

あれから12年経ちこんなクソ野郎になっていたとは……

何とも言えない虚無感

馬鹿につける薬は本当に無いんだなと悟る

この一件を境に俺は富田との縁を切った

 

シャブに手を出し10日で3割のトザンに借りて店をクビになった久保田

チャンプの原が林と同じ、〇〇連合で部屋住みになったと教えてくれる

正式な組員かどうかは分からない

ただ小間使いの下っ端をしているようだ

シャブは本当に人間を壊す

絶対にやってはいけないものだ

系列のプロの時の同僚、大川からは頻繁に連絡があった

元ホストで甘い顔立ちをした大川は、辞めて数年経つのに未だ連絡してくる

ワールドワンでの日々が忙しく、彼が辞めてから一度も会う時間を作っていなかった

何だかんだ5年くらい経つのか

チャンプの久保田のように急にあんな風になる場合だってある

妙に懐く大川とたまに会うのも、いい気晴らしになるかもしれない

俺は次の休みを伝え、彼と久しぶりの再会の約束をした

 

元ヤクザ者の番頭である佐々木さんは本当に変わっているけど、いい人だ

俺が深夜食事休憩で歌舞伎町を歩いていると、海老通りの真ん中辺りで、一人の大男のシルエットが見えた

周りには小さく動く動物が何匹も飛び跳ねている

近付くと「ほれほれ」と野良猫たちに餌を与えている佐々木さんだった

「何をやってんですか」

笑いながら声を掛ける

「おお、岩上君。ほら見て。ワイだと頭撫でさせてくれる」

確かここ5年間一度も休みを取らず、働きっ放しという事を言っていた

佐々木さんにとって唯一心が和む時間なのだろう

ある日ワールドワンに猫の缶詰を30缶以上袋に持って現れた佐々木さん

「岩上君、悪いんだけどさ、ワイ法事で四国へ行かなきゃいけなくなったんだ。だからあそこにいる猫たちに、これいない間あげてくれる?」

俺も動物は嫌いじゃないので、喜んで引き受ける

家に帰った時、親父の妹であるおばさんが居間にいたので、その話をしてみた

「野良猫に餌だけ与えて無責任な人だね」

確かに正論かもしれないが、人には状況というものがある

佐々木さんは少なくとも5年間毎日ずっと無償で猫たちに餌をあげ続けているのだ

どれだけ大変な事か伝えたが、おばさんはずっと否定していた

昔からだけど、この人とは永久に分かり合える事は無いのだろうと感じる

 

川越でパクられた風俗嬢のマドカ

何度か連絡しても通じず、ある日解約したのか繋がる事すら無くなる

これで何の接点も無くなってしまった

無性に淋しい

ミサキにはちゃんと伝え、許可を得た上で色々な女を適当に口説き、見境なく抱いた

部屋に戻っては我に返り、やるせない気持ちになる

あれほど望んだ格闘技への熱も冷めていた

何の目的意識も無いまま新宿へ行き、金を稼いでは競馬と酒に使う日々

親父の事を遊び人だとずっと否定していたが、今の俺も似たようなものだ

このまま年を取り、何の成長も無いまま生きていくのだろうか

色々考えてみたが、明確な答えは出ない

俺はまた休みになると外で彷徨い、適度に女を口説く

 

◯◯連合の元チャンプの従業員の林

彼はシャブとルイヴィトンの偽物を売って成り上がり、組内では一番の稼ぎ頭になっていた

その林が覚醒剤所持で捕まったらしい

それから生意気だった林の弟も、新宿から姿を消した

因果報応とはよくいったものである

少しして久保田は組の金を盗んで飛んだ

そんな情報を聞いた

近かった存在が様々な事を起こしたところで、俺たちの日常は変わらない

新宿へ働きに行き、毎日INとOUTの繰り返し

もう絵を描いてプレゼントする相手もいない

ヤクザ同士の情報網は警察以上だと聞いた

今頃どこで何をしているのか

久保田の身を案ずるも、何一つできない自分が歯痒い

 

まだ見た事も無いお袋の娘

最近では気になる事も無くなった

おそらく俺が妹として勝手に見立てたミサキの存在のおかげだろう

同世代の同級生たちよりも、俺は裏稼業のゲーム屋で多くの金をもらっていた

30歳で月に50万

キチンと登記した会社では無いので、税金も取られる事もなく稼いだ金はすべて自分のもの

給料のほとんどは競馬、そしてミサキのいるキャバクラで大半使っていた

家の隣のトンカツひろむへ一緒に行った時、ミサキはいい加減競馬を辞めたらと言ってくる

「だって今までかなり金をJRAに取られているんだぜ」

「やり過ぎなのよ。土日になると、ほとんどのレースやっちゃうんでしょ」

「よし、分かったよ。大きいレース以外やらない。G1はまだ先だしね」

「じゃあもしやったら私に乾燥機付き自動洗濯機を買う事」

俺にデメリットとしかない無茶苦茶な条件を言うミサキ

「だってやらないんでしょ? それならいいじゃない」

ミサキに言われるとどうも弱い

俺は渋々その条件を受けた

 

プロの元従業員である大川と5年ぶりの再会

久しぶりに会った彼は、重度のシャブ中になっていた

「岩上さんにほんと良くしてもらったんで」

「俺は特に何もしてないでしょ」

「いやー、ほんと感謝してんですよ、色々。だから岩上さんにはいい物あげたいなって」

シャブ中のいい物なんて、シャブでしかない

大川が出したものは案の定シャブだった

「いらないよ、そんなの。俺は興味無いし」

「これセックスの時使うと最高ですよ」

少しだけ興味が沸く

「大切な女には使えないですけど、適当な奴でやってみればいいじゃないですか」

そう言って大川は結構な量の入ったビニール袋を渡してきた

 

適当な女……

川越へ戻ると川越駅西口の飲み屋街へ向かう

今まで入った事のない場末のスナックへ入り、こっそりシャブを見せながらホテルへ誘うとドン引きされた

当たり前か……

俺は大人しく家に帰ろうとしたが、隣のトンカツひろむが営業しているので顔を出す

「岡部さん、シャブ中になった元部下からこれもらったんですが……」

岡部さんはシャブを見るなり「智一郎、馬鹿野郎! オマエそれ、100gはあるぞ! そんなの見つかったらヤバいぞ」と怒鳴られ、慌てて部屋に置いて戻る

「あの量だと相当な値段になるぞ」

「まあ使うつもりも無いし、アイツから連絡あったら返しますよ」

俺と岡部さんの会話などまったく気にならない感じで、カウンター席の奥に一人のいい女が飲んでいた

気になりつつ飲んでいると、他の客もバタバタ入ってくる

「智一郎、悪い。奥へ席詰めてもらえる」

自然な形で女の横へ座る

「隣すみませんね」と声を掛けると、女はジッと俺の顔を見てきた

「すっぽかされちゃった……」

「はい?」

「すっぽかされちゃったの……」

「えー! こんなお姉さんみたいないい女を? 馬鹿だな、その男は」

「一緒に飲んで」

棚からぼたもちとは、こういう事を指すのだろう

俺は彼女を元気付けつつ酒を勧めた

 

次第に呂律が回らなくなる女

「大丈夫?」

「横になりたい」

この頃まだ飲酒運転はそこまでうるさい時代ではなかった

家に連れて行く訳にもいかず、俺は車に乗せ、嫌がらなければホテルへと思い発進させる

途中信号で停まると、女が俺の腕にもたれ掛かってきた

顔を近付けると嫌がる素振りもないので優しくキスをする

ホテルまで我慢できなくなり、車通りの少ない道へ行き、路肩に寄せて停めた

服の中へ手を入れ弄っても小さな声を出しながらあがらわない

頭の中は性欲で一杯になった

車よりホテルでゆっくり抱きたい

俺は再び発進させ、信号に捕まりブレーキを踏む

待つ間、女へ顔を近付けようとすると、凄い勢いで突き飛ばされた

「え、どうしたの?」

また近付こうとすると、女は必死に抵抗する

さっきまでメロメロだったのに、何故?

何を話し掛けても小刻みに女は震えていた

この豹変ぶりから15分ほど時間が過ぎる

「ねえ、急にどうしたの?」

優しく声を出しゆっくり顔を寄せると三度突き飛ばされた

「おい、さっきからいきなり何なんだよ? 俺が何かした?」

そこで女はようやく俺の目を見る

「まだ分からないの?」

「え?」

「さっきからあなたと同じ目をした髪の長い女の人が、ずっとあなたの後ろから私を睨んでいるの!」

その瞬間酔いが一気に醒めた

背中に冷たいものが走る

女が指定した場所まで送ると、部屋に戻りマスターベーションをして寝た

 

大きなレースまで競馬をやらない

もしこの約束を破ったら、ミサキに乾燥機付き自動洗濯機を買う

土曜日の競馬新聞を見ている内にウズウズしてきた

ひょっとしてこれ、馬連1点で簡単に取れるんじゃないの?

1点買いだから、最低10万は賭けたい

今の手持ちは約15万

ミサキの欲しがる洗濯機は約13万したっけ……

普通の洗濯機…、乾燥機付きでなければ5万程度で買える

アイツに交渉してみるか

俺は状況を説明し、ミサキを説得してみた

「あのね…、私は買ってもらうなら約束通り乾燥機付きのを買ってもらう。普通のとかそういう風に誤魔化すなら、私は何もいらない。だって私との約束なんてそんなもの程度って事なんでしょ?」

ミサキの言葉で我に返る

確かに誤魔化そうとしているのは俺だよな……

自分の卑しい考えを恥じる

「ミサキ、ごめんよ…。やっぱり競馬我慢する。気を悪くさせてすまないな……」

「別に気なんて悪くしてないよ。それより今度休みいつ? 美味しいものご馳走してもらうから」

妹代わりのミサキ

この子の存在に俺は随分と救われている

 

 

新宿セレナーデ 1 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

新宿クレッシェンド第5弾新宿セレナーデ2009年2月17日~2009年2月21日原稿用紙605枚最も古い用法でありながらこんにち口語に残っている「セレナーデ」は...

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たまには違うキャバクラでも行くか

マドカがいなくなり寂しい

ミサキの存在に助けられてはいるが、彼女とかとは違う

フラリとたまたま入った店

「いらっしゃいませ、本日本当にいい子が入ったんですよ」

飲み屋の店員の常套句

期待しないでソファへ座る

「失礼します」

チラッと顔を見た瞬間、身体が硬直した

「由美です…、よろしくお願いします」

ドストライクの好み

清楚な振る舞い

ミサキ以外の飲み屋の女を今まで少し見下して眺めていた

由美を見て、そんなものがすべて吹っ飛んだ

年齢は20歳で俺より10歳年下

ショートカットより少し伸びた茶色い髪の毛の先は癖なのか跳ねている

左目の下に大きなホクロ

「そんなジーッと見ないで下さい……」

「名前聞いていい?」

「由美です」

「いや、それは源氏名でしょ? 迷惑じゃなかったら本名を聞いておきたい。あ、俺は岩上智一郎」

「春美です…、品川春美と言います」

無我夢中で口説き出した

これまでの人生すべて賭けてもいいくらいの覚悟で必死に話す

「すみません、そろそろお時間となりますが……」

店のボーイが割り込んで来たので、財布から札を取り出し「延長に決まってるだろ」と放り投げた

黙ったままの春美

「ん、どうかしたの?」

「岩上さん…、お金を投げるは良くないです……」

「ご、ごめんね。気を付けます……」

彼女の言う事を素直に受け取り、心から詫びる俺

春美の誕生日は明後日と聞いたので、迷惑じゃなければお祝いをしたいと伝えた

俺の申し出を快く受けてくれた春美

「どこか行きたいところは?」

「先程話していた岩上さんが以前働いていた浅草ビューホテル…。迷惑じゃなければそのラウンジへ行ってみたいです」

「もちろん! 喜んで!」

帰り道ウキウキしながら帰る

春美とのデートの確約

しかも彼女の誕生日という

俺はビューホテルのベルヴェデールへ電話をして、出た先輩の林に状況を伝えると、快く予約を受けてくれる

1日挟むが、待ち遠しくて溜まらなかった

 

春美とのデートの前にもう一つ関門がある

俺はワールドワンに出勤すると、山下の前へ行く

「山ちゃんさ…、悪いんだけど明日の休み代わってくれない?」

「えー、無理すよー。俺、予定入れてますし……」

「頼むよ! 明日ね、俺の一番大切な女の子の誕生日でさー。どうしても祝ってあげたいの!」

「無理すよ、無理すよー」

中々譲らない山下

「俺さ、オマエが困った時金だっていつも貸してるだろ? 飯行ったって酒飲む時だっていつも奢ってるだろ? な? 頼むよ!」

「えー、でも……」

「分かった! タダとは言わないから」

強引に一万円札を山下に握らせる

「俺だって用事あったんすよ」と言いながら札をポケットへしまう山下を見て、落ちたと確信する

「ありがとう。また、旨い店連れてくからさ」

アッサリといかないまでも山下は籠絡した

また仕事中、俺は絵を描き始める

春美は茨城県

海のある県だ

海無し県ばかりいる俺は、頭の中でイメージしそれを絵にしてみた

 

春美とのデート当日がやってきた

少しでも長く居たかったので昼間から会う事にしている

東武東上線川越市駅で待ち合わせ、池袋駅乗換、山手線鶯谷駅で下車

俺にとっても久しぶりの浅草

タクシーでワンメーターほどなので、まずは浅草寺へ向かう

茨城県から大学で出てきた彼女

どこへ連れて行っても楽しそうに喜んでくれる

本当ならビューホテル近くにある緑寿司の焼き穴子を食べさせたかったが、こんな昼間ではまだ営業しておらず、仕方なく浅草寺近くの店に来たのである

仲見世通り近くにある寿司屋へ入り、好きなものを注文するよう促す

「な、並でいいです」

控えめな春美

しかし今日は彼女の誕生日なのだ

「板さん、すみません。並でなく特上でお願いします!」

俺は寿司屋へ行ってもマグロの赤身しか食べられない

どうせならいいネタを春美には食べてほしい

唯一食べられる赤身

これは小学生時代、当時生きていたおばあちゃんの付き添いで千代田区の病院まで行った頃の話まで戻る

帰り道寿司屋へ寄るのが習慣だったおばあちゃん

お袋の料理は家族間の仲が悪かったせいもあり、簡素な料理ばかりで魚など食べた事が無かった

「マグロなら美味しいから食べられるよ、ほら食べてみな」

唯一食べられる赤身はおばあちゃんの影響が大きい

ベルヴェデールの酒している人数分の寿司をお土産用で頼んでおく

「これ…、喜んでくれるか分からないけど……」

透明のカッティングシートに包んだ俺の絵を目の前に置く

「えー、これ岩上さんが描いたんですか? 凄い!」

目頭が熱くなるのを必死に堪え、本当に魂込めてまた絵を描いて本当に良かったと思える

夕方くらいになったので、俺たちはビューホテルへ向かった

 

最上階28階のスカイラウンジ、ベルヴェデール

オープンまで一時間ほど間があった

しかしこの階には会員制のメンバーズBARセントクリスティーナもある

そこの責任者小沢とは働いている時仲良くさせてもらった

俺はセントクリスティーナの扉を開く

「おぉっ! 誰かと思ったら岩上じゃねえかよ」

このホテルを辞めた以来だから結構な月日が流れているにも関わらず、すぐ俺を認識してくれた小沢には感謝である

お土産の寿司を渡し、ベルヴェデールのオープン時間までここで飲ませてもらう事にした

「寿司かー、ホテルの安月給じゃ中々行けねえからな。おい、オマエ随分可愛い子連れてるじゃねえかよ」

まったくホテルマンらしくない小沢の言動

それでも面倒見が良くこの人懐っこい性格がいい方向へ彼を導いている

「うわー、本当に高い! 凄く綺麗な景色です」

外を眺め感心する春美

「今日この子の誕生日なんですよ」

「何だってー! じゃあお祝いにカクテル小沢スペシャルを作ろうじゃないか」

「ありがとうございます。あとですね…、下の中華の唐紅の車海老のエビチリを彼女に食べさせてあげたくて……」

「おーおー、それも任せろ! 俺が何とかしたらー。ちょっと待ってろ」

そう言うとその場からダッシュで向かう

春美は終始楽しそうに笑っていた

 

澄ました表情で出迎える先輩の林

「何澄ましちゃってんですかー」

俺が突っ込むと他の客に見えないようケツを叩いてくる

「席は浅草側、池袋側どっちがいい?」

セントクリスティーナだと浅草側の景色だったので、池袋側を選択

春美はしきりに感心している

「すべてのベクトルは君の誕生日を祝う為に……」

少しキザっぽく言うと春美は頬を赤らめた

テーブルには俺の好きなスコッチウイスキーのグレンリベット12年のボトルが置かれ、春美には好みを聞き、カクテルを注文

「本当に今日はありがとうございます、岩上さん……」

「君のその笑顔が俺にとって最高の報酬だ」

「忘れられない日になりそうです……」

人生至福の時って、こういう事を言うのだろう

俺はいいペースでストレートで酒を飲む

時折見せる春美の寂しそうな横顔

とあるフレーズが頭の中で流れる

何だっけ、この曲……

そうだ、ファイナルファンタジーⅩの挿入歌ザナルカンドだ

うん、春美にはザナルカンドがよく似合う

でも何故寂しそうな顔をするのだろうか

尋ねると彼女には兄がいて、とても厳しい人らしい

生活苦からキャバクラの仕事をしてしまったが、兄から厳しい言われ方をされ悩んでいた

「春美のお兄さんが言っている事は、君を大事に想うからこそ至極真っ当な意見で、それはとても正しい思う。でもね…、不謹慎な言い方になってしまうけど、俺はそうじゃなきゃ君と出逢えなかった。そして今もこうやって祝えていない。だからとても感謝している」

できる限り丁重に言葉を選びながら口を開いた

「春美、俺は君の事がとても好きだ。すべてを投げ出しても君が欲しい」

真っ赤な顔で俯きながら春美は小声で「私はそんな簡単に落ちません…」と言う

お互い色々な話をした

俺は正直にお袋の虐待に遭った事、全日本プロレス時代を伝える

一つだけ今の裏稼業であるゲーム屋だけは言えなかった

とても真面目な春美

それを明かして変に思われるのが怖かったのだ

 

浅草ビューホテルを出て、少し先にある緑寿司へ行く

「もうお腹一杯ですよー……」

そう言う春美に対し、ここの寿司の焼き穴子を一貫だけでも食べさせたかったのだ

実際口にした彼女は大絶賛

俺はそれを見て満足気に微笑む

楽しい時間は過ぎるのが本当に早い

そろそろ帰りの電車へ乗らないと間に合わなくなる

酒は強いはずの俺

何故か目の焦点がボヤケている

春美に対しては紳士的に接していたかった

新宿駅で一度降り、歌舞伎町を通過して西武新宿駅へ

途中にあったゲームセンターでプリントクラブを発見した

せっかくの初デートだし一緒に撮りたいと強請ってみる

「いいですよ」

俺は春美とプリクラを一緒に撮った

酔いがどんどん回る

俺って本当に幸せだー……

 

目を開けると電車の中

俺は春美に膝枕されたまま寝ていた

起き上がろうとすると、春美は優しく頭の上に手を乗せ「まだ寝ていて下さい」と口を開いた

まだ酔いが回っている

俺は再び目を閉じた

心地良い感触を覚えながら夢を見た気がする

ハッキリ覚えていない

気が付けば新所沢駅

不覚にも酔って春美の前で寝てしまったのか……

「ごめん、終電無くなっちゃったね。タクシーで送るよ」

春美は何故か返事をせず、心無しか顔を背けている

ほとんど会話も無いままタクシーは川越へ到着した

「私…、そんな軽くありません……。今日はありがとうございました……」

彼女は下を向いたまま蚊の鳴くような声で言う

「え、俺何か君にしたのか?」

春美を乗せたままタクシーは発進する

何か大変失礼な真似をしてしまったのでは……

 

暗い気分のまま新宿へ向かう

何度連絡しても春美は電話に出てくれない

メールをしても返信は無い

途中までいい感じだったはず

いくら俺が酔っていたとはいえ、あそこまで態度が急変するのか

理由を…、俺が一体彼女へ何をしたのか知りたかった

自然と頭の中にザナルカンドの曲が聞こえてくる

あの曲はまるで春美の為に作られたようなものだ

仕事をしていてもどこか上の空

原因はすべて春美の事でウジウジしている俺

三門に無理言って今日の休みを代わってもらう

休みの従業員をわざわざ店に出させて、俺は休む…、最低だ

情けない俺

小江戸号の中でタバコを吸いながら吐き出した煙を眺める内に電車は川越へ到着した

家へ帰る途中、すぐ近所にあるマンションのところを通り掛かる

その一階にある空き店鋪は、こんな真夜中だというのに明かりがついていた

自然とガラス越しの中の状況に目がいく

中には三人ぐらい人がいて、慌ただしく掃除やら、荷物の整理をしていた

どうやら、近い内、ここで何かしらの店をオープンする準備をしているようだ

しかし何の店だろう?

外の看板を見た

『くっきぃず』

くっきぃず音楽院(川越市の音楽教室)

それだけしか看板には書いていなかった

俺は気になりだすと止まらない

どうせ近所なんだし、挨拶がてら聞いてみよう

ドアを開けて中へ入った
中は十畳ほどの広さで壁は清潔感あふれる白

壁に沿って茶色の大きな棚があり、本がぎっしり詰まっていた

奥にグランドピアノが置いてある

しかしまだ引越しの片付けが終わっていないのか、目の前で三人の従業員らしき人が、たくさんのダンボール箱をゴソゴソと漁っていた

誰一人、俺が入ってきた事に気付かないほど集中している

しばらく様子を見ていたが、声を掛ける事にした

「すみませーん」

俺の声に、三人の動きはピタッと止まる

パーマの掛かった40代ぐらいのメガネを掛けた女性

同じくメガネを掛けた20代半ばの男性

またまたメガネをかけた高校生ぐらいの女の子

親子同士だろうか。みんなメガネである

「はい、何でしょうか?」

40代の女性が、不思議そうな顔で掛けてくるくる

「自分、すぐそこの近所の岩上なんですけど、たまたま目の前通り掛かったんです。何のお店ができるのかなと思いまして」

「そうですか。よろしくお願いします。ここで楽譜屋のお店をやるんです」

「え、楽譜を売るお店ですか?」

そんなんで商売が成り立つのだろうか?

「ええ、そうです。他には、ピアノのレッスンもしていますけどね」

ピアノか…、春美に弾いてやれたら、格好いいと思われるだろうか

「すごいですね。自分、まったく音楽関係には疎いもんでして」

棚に詰まっているのは本でなく楽譜なのか

俺は一つ一つ手にとって眺めてみる

ベートーベン、ブラームス、ショパン

小学校時代、音楽の時間で聞いた事のある音楽家の楽譜も多数あった

「楽譜って、主にクラシック系を置いてるんですか?」

「ええ。でも、別のジャンルも取り寄せられますよ」

ゲームの楽譜なんてあるのだろうか……

いや、初対面でこんな事聞くのは失礼だ

しかもこんな真夜中に来ているし……

とりあえず何か買って帰ろう

俺は棚から、適当に一冊取り出した

「これ、良かったら、買ってもいいですか?」

俺が偶然、手に取ったのは『マーラー』と書いてあった

「いいんですか? こんなバタバタしている状態なのに…。何だか気を使っていただいて申し訳ないです」

「いえいえ、その内自分が欲しいものをお願いするかもしれませんから」

代金を払い、店をあとにする

買った楽譜はまったく興味ないものだ

いきつけのJAZZ BARの客にプレゼントすれば、誰かしら喜んでくれるだろう

 

部屋で、ファイナルファンタジーⅩのオープニング曲であるザナルカンドを聴く

何度繰り返し聴いたか、分からないぐらいだ

それでも飽きがまったくこない


さっきの『くっきぃず』

確かピアノも教えているとか言っていたよな……

曲のイメージと春美が被る

目をつぶると、下をうつむいた春美の寂しげな顔が思い浮かぶ

曲と春美の共通点は、少し悲しげで陰りのある部分

それでいて優しく人を癒す

新宿歌舞伎町の裏稼業でしか、顔を利かせる事のできない自分

何かしら悲しみを背負って生きているような表情

俺が何とかしたかった

しかしこんな俺に何ができる?

色々考えてみた

バーテンダー時代のスキルを活かし、カクテルを目の前で作ってあげる

そしたら喜んでくれるだろうか?

おいしい料理を一緒に食べる

楽しく会話しながら、同じ時を共有する

それでデートのあと不可解な避けられ方をされたまま

最悪連絡が来ないなら春美の働くキャバクラへ行き、一度訳を聞けばいい

まずは非礼を詫び、彼女の為に生きたかった

俺にしかできない事……

何かないか?

ん…、待てよ……

30を過ぎた俺が、初めてピアノを始める

まあ幼少期のピアノを入れたら初めてではないが……

でもまともにやってなかったんだから初挑戦には変わらない

そして彼女の為に一曲でいいから弾けるように挑戦して、ザナルカンドを完成させ聴かせる

そうすれば、ビックリしつつも喜んでくれるんじゃないか……

こんな俺がピアノを弾けたら……

春美に感動を与えられるんじゃないだろうか?

無謀と思いつつも、何かしらの行動を示したかった

まず『くっきぃず』に行ってみよう

行って頼んでみよう

俺がピアノを…、いや、ザナルカンドを弾けるようにしてくれるかどうか……

プレステーション2の電源を入れ、ファイナルファンタジーⅩのオープニングを眺める

果たしてこの曲を俺は弾けるのだろうか?

何か彼女の為にしてやりたかった

今日は早く寝て、早速明日にでも相談に行ってみよう

 

続き ↓

 

闇 16(ザナルカンド編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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闇(1〜11まで)総集編その1 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

2024/08/02fry始めは簡単にあらすじ書くようにやったつもりが、次第に熱が入ってしまったなあ(笑)まだ作品…、小説とは呼べないけど、今後のいい弾みになる気がする思...

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