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エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

結局は新規購入

2025-04-30 04:30:00 | 介護狂詩曲
 水曜は介護狂詩曲。今回は前々回(R7.4.16)、前回(R7.4.23)の続きです。
 椅子に座ろうとしては転ぶ母。仕方なく椅子を撤去し、ソファを使う事にしましたが、「生活の質」が大幅に低下してしまいました。仕方ありません。椅子を購入し直そう…と言うのが、前々回や前回の内容でした。
 これまでの母を見ていると、椅子に対して浅く座るので転んでしまっていました。だから、椅子に対して深く座る様にすれば転倒事故は防げます…が、それを母の注意力だけに頼るのは無理です。何か、母の注意力を高める工夫が必要です。
 そこで考えたのが、肘掛け椅子を使おう…と言う事です。肘掛け部分に手を添える様にすれば、少しは座面の位置を意識するだろうし、そうなれば転倒事故を防ぐ事に近づくと考えたからです。
 さっそく、ネットで肘掛け椅子を調べてみました。まぁ、需要があるらしく色々な種類が出てきます。値段もピンキリです。
 「これじゃ、選びようがないねぇ」と感じた妻と私。
 そこで、以前撤去した椅子の座面の高さを調べる事にしました。以前と同じ高さにした方が父や母は使いやすいでしょうし、その条件に合った椅子に絞れますから、選ぶ私たちも少しは楽になります。
 調べた結果、床から座面までの高さは約46cm。この条件に合う椅子を検索したので、先程よりは少し選択肢が狭まりました。更に、その中でも安めの椅子に絞っていったので、どんどん選択肢が狭まっていきます。
 最終的に、2脚で1万円を切る椅子を発見しました。父や母が気に入らなければ、また買い換える可能性がありますから、取り敢えずで考えるなら納得の商品です。直ぐ、ポチッとして注文しました。
 1週間後に届きました…が、この椅子、自分で組み立てなければなりません。妻と二人、30分程かけて椅子を組み立てたのでした。作業を見に来た父が、「いやぁ、済まないねぇ」と言っていましたが、「自分で組み立てるから安いんだから、気にしなくてイイよぉ」と答えておきました。…まぁ、そう言っても気にするでしょうが。
 完成して設置し直し数日が過ぎましたが、ソファで生活するよりは楽になった感じがします。母は、「前の椅子の方が良かった」と言ってますが、転倒事故を防ぐ為ですから、その言葉は聞き流しています。
 このまま、転倒事故が発生しないでいてくれると良いのですが…。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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若手に教える=自分が学ぶ

2025-04-29 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話です。今回は、若手と組んだ事で、私自身の学びが深まっているって話を。 
 私は、毎日の計画をノートに書いています。正確に言うと、毎日の計画を時間毎に立てて、ワープロソフトで打ち込み、印刷したプリントをノートに貼り付けています。そして、加除修正があれば赤ペンなどで書き込んでいます。
 もちろん、もう退職が見えてきたアラ還教員ですから、細かく書かなくても分かります。だから、言葉を省略したり、記号化した書き方をしたりして、メモ的に書いている事がほとんどです。
 ところで、令和7年度の私は、新卒臨時採用のAさん及び、新卒新採用4年目のBさんと学年を組んでいます。2人とも1年生は初めてなので、不安を感じさせない様に、私が行っている事(つまり、私の手の内)は全部見せていこう…と考えています。
 そこで、ノートに貼り付ける為のプリントを、2人もコピーして渡す事にしました。それを見てもらい、分からない部分を質問してもらえば、一つずつ説明するより時間が短縮される…と考えたからです。
 そうなると、言葉を省略したり、記号化したりする訳にはいきません。きちんとした言葉で、読めば分かる様に書く必要があります。…これが、なかなか良いのです。
 読めば分かる様に書く為には、これまでは大雑把に考えていた内容を、細かく筋道立てて文章化せねばなりません。その為、自分の中で、じっくり考え直してから計画を立てる様になりました。
 また、自分には分かっている事でも、自分以外の人間には分からない事が色々とあります。例えば、国語の音読のさせ方は、何通りかが頭の中に入っています。だから、自分だけのメモなら「音読させる」と書けば済みます。
 しかし、それをAさんやBさんが読んでも、具体的な読ませ方はイメージ出来ないでしょう。だから、ここはせめて、「様々な方法で音読させる」と書く必要があります。こう書けば、「様々な方法って、具体的には、どんな方法で読ませるんですか?」と質問しやすくなります。
 こうやって色々と計画を立てていると、如何に、普段の自分が大雑把な事しか考えていなかったか分かります。そんな訳で、若い人たちと学年を組んで、自分が勉強になっているなぁ…と感じている今日この頃です。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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教師は原罪を抱えて生きる

2025-04-28 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、若手に質問されて語った内容です。
 令和7年度の私は、3月に大学を卒業したばかりのAさんと、新卒新採用4年目のBさんの、二人の若者と学年を組んでいます。二人とも真面目で、頑張り屋で、「お気楽極楽」なオッサンとしては、「テキトーな事を言って、若者を惑わせない様にしなくちゃ」と日々反省させられます。
 そんな4月のある日、Aさんが私の学級にやってきました。何やら、相談事があるとの話です。内容自体は、まぁ、そんなに難しい事ではなかったのですが、その話の中で、「何か、自分の学級の子供たちに申し訳なくて…。エスせん先生が担任だったら、きっと色々な力を付けてあげられるでしょうから…」みたいな事を言っていたのです。
 その気持ちは分かります。初任の学校で私も、同じ様な事を感じていましたから。
 だから、「そう思う気持ちは、とっても尊いし大事にしてほしいと思うよ。そして、そう思うんだったら、これから真面目に努力して、自分の力量を上げていくしかないんだよね。時間がかかるから、気長に頑張ろうよ」と言いました。
 で、これで終わればカッコイイのですが、ここで余計な一言を言ってしまうのが私です(駄目ねぇ~)。
 「でもねぇ、頑張って力量を上げれば上げるほど、初任だった頃に担任していた子供たちへの申し訳なさが強まるのさ。だって例えば、初任の頃に担任していた学級を、今の私が担任したら、かなり面白い授業が出来ただろうし、凄い学級になったと思うんだ。でも、今更そんな事は出来る訳がなくて、その分、申し訳ない気持ちも強くなるんだよねぇ」
 そして、続けて話したのが題名にもある「教師は原罪を抱えて生きる」です。
 この言葉、二十代終盤の頃の私の頭に、ある日、ふっと思い浮かんできた言葉です。ここで言う「原罪」はキリスト教的なものではなく、「罪の意識」くらいの感じで考えてください。もちろん、先程の「」内に出てくる「初任だった頃に担任していた子供たちへの申し訳なさ」を指しています。
 その「原罪」を忘れない教員であれば、何歳になっても、力量を上げる努力をし続けるのではないでしょうか。何故なら、それしか「原罪」への償いをする方法がないからです(まぁ、正確には、どうやっても償いは出来ないのですが…)。
 そんな話をしている内に、Bさんもやってきて、再度、同じ話を繰り返す事になってしまいました。因みに、「教師は原罪を抱えて生きる」を聞いたBさん、「うゎ、何ですか、それ。ちょっと怖い」と言ってました。
 うん、そうだよね。それが普通の反応でしょう。二十代の私…何を考えていたんでしょうかね。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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札幌木鶏クラブ令和7年4月例会

2025-04-25 04:30:00 | 自分
 金曜は、月~木曜のテーマに入らない内容です。今回は、月に一度の札幌木鶏クラブの話です。
 『致知』4月号のテーマは「人間における運の研究」。このテーマについて、駅前のネストホテル札幌を会場に、4月17日の19時から感想の交流が始まりました。4月は皆さん忙しいらしく、参加者は僅か10名でしたが、その分、一人一人の話をじっくり聞く事が出来る感想交流となりました。
 最初に取り上げるのは、横田南嶺先生と鈴木秀子先生と數土文夫先生の鼎談記事「人間における運の研究」についてのK先生の言葉です。「數土先生はじめ、『日本は三流国家になってしまった』と言う方は多い。しかし、『では、一流国家って何処ですか?』と問うたら、答えられる方はいないのではないか。今でも日本は経済的に豊かであり、平和で戦争もしていない。私は素晴らしい国だと思う。戦争のない日本に生まれた事は、とても運が良かったと言えるだろう」と語っていました。
 この話を伺って、「確かに、その通り」と感じました。一流国家と言える国…じっくり考えてみても、あまり思い浮かびません。こう言う切り返しが出来るって、凄いなぁ…と感心しますし、こう言う切り返しが出来る様になりたいものです。
 次は、横澤利昌先生の記事「老舗企業の伝統と革新の歴史が教えるもの」に関わり、御実家の話をされたY先生。「実家は金物屋をしている。現在は四代目となったが、最近はホームセンターがあるので金物屋は儲からない。では、何で稼いでいるかと言うと…合鍵。メーカーの研修を受ける必要はあるが、特殊な技能なので一定の需要がある。例えば、差し押さえた家に入りたいので…と、裁判所から合鍵の依頼が来る。そう言う、様々な仕事でやっていけている」と語っていました。
 これまた、聞けば「成る程なぁ」ですが、その様な需要があるとは想像も出来ませんでした。他にも、家を改築販売する際には、鍵を全部取り替える必要があるそうで、合鍵関連の需要は結構ありそうです。いや、自分の知らない世界の話を聞く事が出来て、ちょっぴり世界が広がった感じがします。
 最後に紹介するのは、本編とは全く関係ないI先生の言葉から。司会のM先生から現役バリバリで働いていた頃の話を質問されて、海外に赴任された際の話をしたのです。「タンザニアやスーダンは貧しい国だけど、人の心は豊かだった。ケニアの首都ナイロビだと、人が凄くスレている。イギリスの植民地だった時代に、搾取され続けてスレてしまったのだろう。人間は育ちで素直になったりスレたりするが、これは国も同じだと感じる」と語っていました。
 これも「成る程~」な話です。単に海外旅行しただけでは分からない、その国に住んだ経験があるからこその話だと感じました。この話を聞けただけでも、木鶏クラブの4月例会に参加した甲斐があったと言うものです。
 以上、4月例会の報告は終了です。いや~、今回は「成る程」の連発で本当に勉強になりました。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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サクサク読めるスローライフ『じい様が行く』

2025-04-24 04:30:00 | ライトノベル
 木曜はラノベ愛語り。今回は気軽に読める作品を紹介します。
 今回紹介するのは、蛍石先生の『じい様が行く 「いのちだいじに」異世界ゆるり旅』です。元々は大きなサイズで販売されていましたが、最近、文庫本でも販売される様になってきています。
 物語は、まぁ、典型的な異世界転生物です。御年70歳以上(おそらく73歳)のセイタロウは、強盗に襲われそうな孫を助けようとして死んでしまいます…が、それは異世界の神様イスリールの手違いでした。お詫びに超絶チートを貰ったセイタロウは、「いのちだいじに」をモットーにして、異世界でスローライフを楽しみます…ってのが内容です。「死んで異世界に転生」とか、「超絶チートで無双」とか、いかにも典型的だなって感じがするでしょ?
 実は、この『じい様が行く』、かなり昔に読んだのですが、その時は面白いと感じませんでした。それで、読むのを中断していたのです。
 ただ最近、それについて色々と考えて、「もしかしたら自分の思い込みがあったかもしれないから、今度、再読してみよう」と思いました。それで読み直してみたら…結構、面白いじゃないですか。やはり、以前に読んだ時は、私の思い込みの影響が強かったみたいです。
 因みに、どんな思い込みかと言うと、「この話、『くまクマ熊ベアー』と似てるじゃん」と言うものです。『じい様が行く』を最初に読んだ頃、私は『くまクマ熊ベアー』にドップリはまっていました。その為、『くまクマ熊ベアー』と似ている部分が気になってしまい、面白く感じなかった様なのです。
 例えば、『じい様が行く』は、「移動→戦闘→まったり」が基本の流れです。そして、中でも「まったり」が長い。これ、『くまクマ熊ベアー』と基本的に同じです。また、料理に関する出来事が多いのも、『じい様が行く』と『くまクマ熊ベアー』の共通点です。まぁ、「まったり」を描く上で、もっとも簡単で説得力のあるのが料理ですから、これは仕方ない面もあるでしょうが…。
 こう言った似ている部分はありますが、今回の読み直しで私は、『くまクマ熊ベアー』との違いも強く感じました。これはきっと、ここまでに様々なラノベを読んできた事で、私の中の「ラノベ経験値」が高まったからだと思います。似た様な作品であっても、違いを感じ取れる様になってきたのでしょうね。
 最も大きい両作品の違いは、『じい様が行く』では商売に関する出来事が多いし、比較的、丁寧に描かれている事でしょう。
 『くまクマ熊ベアー』の主人公ユナは引き籠もりなので、商売などは必要最低限しかしません。他人に任せられるなら、どんどん任せてしまいます。その為、商売に関する出来事は多くありません。それが『じい様が行く』の主人公セイタロウは、元々商人だったので、異世界でも商売を行おうとしています。だから、様々な商売を行う場面が登場してきます。この辺りの違いは、それぞれの作品の味わいを変えており、どちらも面白く感じる要因となっています。
 文章は分かりやすく、読みやすく、サクサク読み進められます。そして、主人公がピンチになる事がないので安心して読めます。「まったり」系が好きな人なら、楽しめるのではないでしょうか。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ソファは使いにくい

2025-04-23 04:30:00 | 介護狂詩曲
 水曜は介護狂詩曲。今回は前回(R7.4.16)の続きで、母の転倒防止について。
 椅子に座ろうとしては転ぶので、とうとう椅子を撤去する事にした…と言うのが、前回の話でした。ソファもあるから、何とかなるだろう…と考えた訳です。
 ただ、ソファに座るとなると困った事が1つ。それは、テレビが見にくくなる事です。
 お年寄りの多くがそうである様に、私の父や母もテレビを視聴するのが大好き…と言うか、どっぷりテレビに依存した生活を送っています。そのため、テレビが見にくくなると「生活の質」が下がってしまう事になります。
 そこで、まずはソファの向きを変えてみました。テレビと正面で向き合える様、ソファを居間の角向き…つまり斜め向きにしてみます。「これならテレビが見やすい」と言うので、取り敢えず様子を見てもらう事にしました。
 しかし、何日かして実家に行くと、ソファが居間の窓側向き…つまり真っ直ぐな向きになっていました。どうやら、私の兄弟が訪問した時に修正してもらった様です。理由は、「部屋が勿体ないから」でした。斜めにソファを置くと、どうしてもデッドスペースが出来ます。父は、それが我慢できなかったらしいのです。
 まぁ、それならそれで構いません。そのまま、使い心地を見てもらう事にしました。
 数日使ってもらいましたが、父や母の評価は低いです。理由は、「使いにくい」から。
 これまでは、キッチンにくっついているカウンターを椅子に座って利用していたので、食事の準備などが手早く出来ていました。それが、ソファの場所まで運ばなくてはならないので、かなり手間がかかる様になったのです。
 また、これまで使っていた椅子に比べ、ソファの座面は10cmくらい低くなります。そのため、立ち上がるのに苦労する様になりました。補助の手すりを用意しましたが、それでもかなり大変そうです。
 実際に、立ち上がる様子や食事を運んでる様子を見ると、父や母は大変そうです。「これじゃ、ソファは駄目だな」と感じました。
 そこで妻と相談し、椅子を用意する事にしました。もちろん、これまで使っていた椅子を戻すのではありません。新しく、肘掛けのある椅子を購入しよう…と言う事です。
 続きを書くには、少々長くなりました。この続きは、また次回とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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「思います」禁止

2025-04-22 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、若手にダメ出しした話を。
 令和7年度の入学式は4月8日。その前日の7日、入学式当日の指導について模擬授業を行いました。これは、令和7年度に学年を組んでいるのが二十代の若手2人で、しかも、2人とも1年生の担任をする事が初めてだったからです。
 二十代の若手ですから、気になる部分は幾つもあります。中でも、特に気になったのが、「思います」の連発です。
 「クイズをしたいと思います」
 「ゲームをしたいと思います」
ついには、
 「入学式に参加したいと思います」
…まで登場しました。
 即、ダメ出ししました。
 「1年生だから、何を言っても大丈夫…とは思いますよ。
  でも、万が一、『俺、やりたくない』って言われたらどうするの?」
 荒れた地域だったり、問題を抱えた子だったりしたら、1年生でも「やりたくない」が出てくる可能性があります。「思います」と言うのであれば、その「やりたくない」が出た時の対応も考えなくてはなりません。
 しかし、普通、「思います」と言ってる教員は、「やりたくない」と言われる事を想定していません。だから、「やりたくない」と言われるとパニクってしまいます。…学級崩壊への第一歩です。
 ただし、「思います」が全部ダメ…とは、私も思っていません。
 例えば、「君のやった事を他の誰もが認めなかったとしても、俺だけは素晴らしいと思っている」と言う意味での「思います」は意味があります。他の評価に左右されない、自分だけが感じたり考えたりしている価値を伝えようとしているからです。
 しかし、先程の「クイズをしたいと思います」の「思います」には、その様な価値を伝達しようと言う意図はありません。強いて意図を考えるなら、「俺はクイズをしたいけど、みんなは賛成してくれるかなぁ。うん、きっと賛成してくれるよね」って感じになるのではないでしょうか。もっと明確に言えば、責任の所在を曖昧にして、何とな~く自分の意図する方向に流そうって感じです。
 こう言う「思います」はダメです。言っている教師に「隙」があるからです。
 まぁ、以上の様な話をして、若手2人には「今日から『思います』は禁止です」と宣言しました。2人とも、「え~、意識しないで言ってるから、ついつい言ってしまうかもしれな~い」と言ってました。
 うん、令和7年度の大きな課題って事で…頑張ろうや、若者たちよ!
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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組んで見えてきた若者の問題点

2025-04-21 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、教育現場の抱える問題について私なりの意見を述べるシリーズの第6弾です。もっとも今回は、問題点と言うよりは気付きと言った方が良いかもしれませんが…。

過去1(カコイチ)若い人たちと組んだ!
 令和7年度、私は希望通り1年生担任になりました。
 その1年生、入学受付の結果、人数が当初予定より多くなった為、学級数が増える事となりました。その為、急遽、臨時採用教員が配属される事となり、3月に大学を卒業したばかりの方(Aさん)と組む事となったのです。元々組む予定だった方(Bさん)も、新卒新採用4年目の方なので、20代2名、実質60代1名と言う、極端な年齢差のある学年となりました。
 当たり前ですが、Aさんは1年生を担任するのは初めてです。教育実習は6年生だったそうですから、1年生については全く何も知りません。
 Bさんも1年生は始めてです。実習も含め、これまで低学年の担任経験はありません。その為、「1年生担任で緊張します」と言っていました。

最初に指導した事は…
 そんな若者たちに最初に指導した事は…う~ん、コレを書くと叱られるかもしれませんが、正直に書きますね…「報・連・相(ホウレンソウ)」、特に「相談」の重要性です。
 「同じ事を何度も質問したり相談したりしたら、怒られるんじゃないかな」とか、「エスせん先生は今、忙しそうだから質問や相談はしない方がイイかな」とか、「こんな初歩的な事を質問したり相談したりしたら馬鹿にされるかな」とか…そうやって質問や相談しない事で発生するトラブルの方が、100倍以上危険で面倒臭い結果となります。
 はい、コレ、この通りに伝えました。
 そして、「100回同じ質問や相談をしても怒らない様に努力するし、どんなに忙しくても可能な限り対応するし(無理な時は「後でね」って言うけど)、初歩的な質問でも絶対に馬鹿にしないから、とにかく質問や相談をしてください」と御願いしました。もちろん、これは本気です。
 因みに、その後に伝えたのは以下の様な事です。
  1.1年生の担任としての1番の目標は、「学校のルールやマナーを
    理解させ、学習規律を身に付けさせる」事だけ。
    他が全く出来てなくても、この目標が達成されていれば問題なし。
  2.入学式翌日からの3日間の必須目標は、「下校コース毎の集団下校で
    トラブルを発生させない」事だけ。
    トラブルさえ起きなければ、他が何も出来てなくても全く問題なし。
 物凄く割り切った考え方で、きっと御批判もあると思います。
 でも、この位の割り切りをしないと、ついつい様々な事が気になってしまいます。そうすると、先程の目標を達成する事が難しくなってしまうのです。特に、若い方々には。
 実際、横で聞いていた担任外の教員から、「今の話、他の方々にも聞かせたかったなぁ」と言われました。「他の方々」は、主に若い方々を指している様ですから、この様な割り切った考え方も悪くない…と思っていただけたのではないでしょうか。

しかし…なかなか進まない
 これだけ割り切って話したのですから、この後は作業などがばんばん進んで…とは、なりませんでした。あっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、本当に必要な話に到達しない事があったからです。
 もちろん、これは私の進め方が悪い事が、何と言っても1番の原因です。もっともっと話し合う事を焦点化して進めていれば、おそらく、今回よりはスムーズに作業などが進んだ事でしょう。
 ただ、「何で進まないんだろう…」と考えていく内に、若い人たちの問題点も見えてきました。それは、「今、目の前の不安に囚われてしまい、先を見越して準備などを進める事が出来ない」と言う事です。
 例えば、1年生用の教科書を渡されると、それを見た若い人たちは、「え~、こんな文字の書かれてない頁ばかりの教科書で、どうやって授業するんだろう」と感じてしまいます。いや、もちろん、そう感じる事は悪い事ではありません…が、そこで感じた不安に囚われてしまうと大変です。「エスせん先生、これって、どうやって授業するんですか?」と質問してきたり、教師用指導書を読み始めたり…そんなの、入学式の次の週まで全く関係ありません。後回しにすべき案件なのですが、ついつい意識がそっちに向いてしまうのです。
 あるいは、何かの拍子に給食の話が出ると、「1年生の最初の給食って、どんな指導をしたらイイんだろう」と感じてしまいます。こうなると、先程と同じ状態になります。学年で打合せをしている時だと、ここで少し話が脱線してしまう訳です。そうやって心配している給食だって、実際は入学式の次の週までありません。後回しにして、入学式の翌日や翌々日に検討しても全く問題ない内容なのです。
 気持ちは分かるのですが、これに付き合っていると話が進まなくなってしまいます。
 それで、この事に気付いてからは、その手の不安から来る話が始まったら、「それは明日(明後日…)の話題にしましょう。その時に話し合っても、十分に間に合いますから」と言って打ち切る様に気を付けました。若い人たちには可哀想ですが、時間は有限の資源です。無駄に浪費する訳にはいきません。

因みに私の進め方は…
 では、どんな順番で私は話し合いや作業を進めたのか。参考までに、令和7年度の入学式までの作業などについて述べます。今回私は、概ね以下の順番で考えて進めました。
  ①入学受付後の学級名簿完成までは、教室の装飾関係の掲示物を中心に
   作る。
  ②学級名簿完成の後は、教室の名簿関係の掲示物を作る。
  ③上記の掲示物が両方とも完成したら、教室のレイアウトなどを
   確認する。
  ④入学式準備に登校した6年生と共に、教室のレイアウトを完成させる。
  ⑤入学式当日の流れなどを確認する。
  ⑥入学式翌日から3日間の集団下校の名簿を作る。
  ⑦上記名簿で不明の点があるか、学年全体で確認する。
 当たり前ですが、これは適当に考えている訳ではありません。
 入学受付が終わった後、各学級の名簿を完成させるのですが、それが完成するまでには時間がかかります。その時間を無駄にしない為にも、上記①を進める必要があります。そして、名簿が完成したら大至急で②を進めます。何故なら、①と②が両方とも終わらないと、③を進める事が出来ないからです。
 では、何故③を進める必要があるかと言うと、④の為…正確に言えば、入学式準備の為に、わざわざ春休み中にも関わらず登校してくれた6年生に、無駄な時間を使わせない為に必要なのです。掲示物の準備が終わり、きっちりレイアウトまで計画が立っていないと、「これ、どうなってるの?」とか「これ、どうするんだったっけ?」など右往左往する事になります。そうやって我々教師が右往左往していたら、6年生は何もする事が出来ず、ただ無駄に時間が過ぎてしまいます。これは避けなくてはなりません。
 そうやって無事に①から④まで終わったら、やっと入学式当日の事…つまり⑤を考える事が出来ます。
 しかし、その先も見据えていないと大変な事になります。何故なら、入学式翌日からの集団下校は極めて重要…前の章で書いた「入学式翌日からの3日間の必須目標」になる程に重要だからです。ここで落ちのない様にチェックし、下校先などに不明の点があるなら、入学式当日に来校した保護者に聞くなり、入学式後に電話するなりして、きっちり確認しておく必要があります。集団下校を成功させるところまで終わって初めて、「入学式」は完全終了したと言える…そう、私は考えています。

道を示して牽引するのが熟年(中堅)の役割
 長くなったので、まとめます。
 若い人たちは経験が無い(少ない)ので、先を見越して論理的・計画的に作業を進める事が難しいです。これは別に悪い事ではなく、その様な事実と傾向がある…と言うだけの話です。
 自分の感じた不安に囚われてしまいがちなので、そこで道を示し、「こちらに進もう!」と若い人たちを牽引するのは、我々熟年や中年(中堅?)世代の役割だと言えるでしょう。そう考えると、我々の責任は重大です。あ~、何か、ちょっと気が重くなってきた。w
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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アリの王国へ一歩前進

2025-04-18 04:30:00 | 自分
 金曜は、月~木曜のテーマに入らない内容です。今回は、かなり昔に書いた記事の続きです。
 令和5年9月3日に「アリの王国は出来るのか?」と言う記事を書きました。令和4年から挑戦している、クロヤマアリの女王アリを捕まえ、巣作りさせる活動の経過報告記事でした。
 令和4年の夏に始めた挑戦は、見事に失敗。翌令和5年の夏の挑戦も、最終的には失敗で終わりました。
 そして、3度目の挑戦となった令和6年の夏、巣立ったばかり(?)の女王アリを捕まえる事に成功しました。3度目の挑戦、開始です。
 過去2度の失敗から、今回は以下の様な方針で挑戦する事にしていました。
  ①飼育ケースは箱などで覆わず、常に見える様にしておく。
  ②餌はカビにくい固形ドッグフードを使う。
  ③出来るだけ毎日、給水する。
  ④カビが見えたら、ストレスを与えない範囲で掃除する。
  ⑤冬前の挑戦で失敗しても、春までは飼育を続ける。
 ①は、前回の記事でも書きましたが、見えないと世話を忘れてしまうので必須です。常に明るいのでストレスを与えるでしょうが、それで死ぬ様な女王アリなら、自然界でも早々に死ぬだろう…と、割り切る事にしました。
 ②は、ハムやチーズなど生餌を使うと、カビが発生しやすくなり、ストレス要因となる掃除が必要となり事から考えました。最近のドッグフードはタンパク質だけでなく、ビタミンの補給も考えて作られています。だから、ドッグフードだけでも、かなりバランスの良い餌となります。因みに、これは以前、コオロギの飼育をした時に確認済みです。
 ③は、昆虫飼育では当然の事です…が、ストレスを与える事を心配して、頻度を下げていて失敗しました。だから、今回は、ストレスを気にせず給水です。
 ④は、アリの為…と言うよりは、観察しやすくする為の行為です。ある意味、①と通じる話です。
 ⑤は、仮説に基づいています。
 冬前に卵を産んで、それを成虫にするのに失敗すると、しばらく女王アリは卵を産みません。2度目の挑戦の時は、それで諦めてしまい、世話が疎かになって女王アリを死なせていまいました。
 しかし、生き物…特に北海道の生き物は、春になると活動が活発化します。冬の間、諦めずに世話を続けていれば、春になって卵を産む可能性があります。それを信じて、試練の冬を乗り切ろう…って訳です。
 予想通り、3度目の挑戦でも、冬前の卵は成虫になりませんでした。何が気に入らなかったのか、女王アリは卵を食べてしまったのです。ストレス反応と考えられます。
 それでも、諦めずに世話を続けていたら…令和7年の2月末、卵を産んでいる事に気付きました。そのまま観察と世話を続けていると、何と幼虫になり、少しずつ大きくなっているではありませんか。
 この記事を書いている令和7年3月中旬、幼虫は蛹になってもおかしくない大きさまで成長しました。この調子で、アリの王国に向け、観察と世話を続けたいと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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人物像の深掘りが王道を破綻させる『雑用付与術師が自分の最強に気付くまで:2』

2025-04-17 04:30:00 | ライトノベル
 水曜はラノベ愛語り。今回は前回(R7.4.10)の作品の2巻目を紹介します。
 紹介する作品は、戸倉儚先生の『雑用付与術師が自分の最強に気付くまで~迷惑をかけないようにしてきましたが、追放されたので好きに生きることにしました~:2』です。内容は、「パーティを追放された主人公が、実はチート能力の持ち主で、どんどん無双して活躍する」…なのですが、2巻目は1巻目と雰囲気が違っています。
 1巻目は、ラノベに多い「追放+チート=無双」パターンで描かれていました。そして、主人公ヴィム・シュトラウスが驚異のチート付与術「傀儡師(ペプンシュピーラー)」を使って、強敵を撃破して終わると言う、王道な感じの展開で終わっています。
 普通のラノベだと、2巻目では主人公ヴィムが更に活躍して、どんどん名声や地位を高めていく…となります。この作品でも、基本的には同じパターンなのですが、徐々に王道パターンから外れていく…と言うか、ヴィムの中で王道パターンが破綻する展開となります。それは、「この世界における『迷宮』とは何なのか」と言う謎に迫っていく事が1つの理由であり、「主人公ヴィムとは何者なのか」と言う謎とも密接に関連しています。
 更に言えば、主人公ヴィムの人物像…対人スキル能力が低く、自己評価が低めで、どうしても根暗&卑屈になりがち…も、ヴィムの中で王道パターンを破綻させる事に繋がっていきます。もちろん、これは先程の「主人公ヴィムとは何者なのか」とも関わっていると考えられます(2巻目では明確にならないので、曖昧な押さえとなってしまい申し訳ありません)。
 この、主人公ヴィムの人物像について、私は分かる部分があります。対人スキル能力が低い事から、生きにくさを感じる事が私にもあるからです。
 今でも覚えているのが、何十年か前の中学校時代。学年で集まっている時、ちょっと空き時間が出来て、周囲の仲間との雑談が始まりました。私の横には隣の学級の男子がいて、仲間と楽しそうに話していたのですが、話している内容に少し間違いがあったのです。それを私は、「あ、それ間違ってるよ」と気軽に指摘してしまいました。その途端、その男子は真っ赤な顔になり、「うるせぇ! 黙れ、デブ!!! 」と怒鳴ってきたのです。もちろん、私は黙りました。
 後で冷静に考えたら、まぁ、相手が怒ったのは当たり前です。気分良く仲間と会話していたら、大した親しくもない隣の学級の男子が、自分の間違いを指摘してきたのですから。カッとなって、怒鳴りたくもなるでしょう。これは、どう考えても私が悪いです。
 ただ、自分について弁護させていただくなら、この辺りの「距離感」を掴むのが、どうも私は上手ではないのです。相手との距離を詰め過ぎたり、よそよそしくし過ぎたりしてしまう…対人スキル能力が低いのでしょう、きっと。
 この物語の主人公ヴィムも同じです。相手との「距離感」を掴むのが非常に下手くそで、その事を自覚もしています。だから、「今回の対応で、相手は不快にならないだろうか…」と常に悩んでいます。それなのに、1巻目で強敵を撃破した為、周囲はヴィムを英雄として接しようとします。その事が、ヴィムにとっては大きな負担となると気付かずに…。
 こう考えると、この2巻目は、主人公ヴィムの人物像を深掘りし、それにより人と人とが理解し合う事を難しさを描いているとも言えそうです。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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