飯田市 南信濃地区 底稲
廃屋のトタン屋根に、ブリキで作られたものが・・・ 洋風建築の屋根によく付けられる “立ち物” と言われるものなのだろうか?
最後の住人がここを去ったのは、昭和51年だったそうだ。
あちこちに当時の生活品が転がっている
ゴミと言えば、ただのゴミなのだろうが、当時の生活を垣間見られる気がする。
子どもの青い靴が片方だけ・・・
ネットでの記述に、この集落にも幾人もの子供達が居り、子供達は麓の学校まで、片道2時間の道程を、毎日歩いて通っていた・・・とあった。
子ども達も大変な生活をしていたのだろう!
ホーローのヤカン、年代物だ!
今ではなかなか見られなくなった鋳物の御釜
不二家のネクター缶ジュース、懐かしい! FUJIYAのロゴは変わっていないんですね
コカコーラのデザイン、変わっていない様で、変わってるんですね。
車のフロントガラスも転がっている
ネットには、廃車が幾台も放置されたままの写真があったが、ここ最近に放置車両が撤去された様だ
重機と思われるキャタの走行跡が、集落内のあちこちにあったが、廃車の撤去作業の跡なのかもしれない。
バイクのバックミラーも落ちていた。
底稲の記事も少々くどくなってしまったようです
次はおまけ・・・を!
あまりにも道がキレイに整備されていたというのはただビックリです。まともに走れない状態だったんで。
それから廃墟に歩いて行った時は、なぜか人の気配が感じて、ちょっと怖くなり底稲を後にしました。
続き楽しみにしてます。
情報ありがとうございました、おかげさまで遠山郷の新たな側面を垣間見られた気がします、この集落跡も歴史のひとつなんでしょうね。
かなり気合を入れて走り出したのですが、林道の状況にはちょっと拍子抜けでした、そのうえ日曜と言う事もあって材木の切り出し作業もお休みで、おかげで快調に底稲までたどり着く事が出来ました。