「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

「島崎盛衰記」の伝える世界

2020-08-31 19:28:01 | 歴史

図説「鹿行の歴史」に掲載されている島崎家に関する記事を紹介します。

「嶋崎盛衰記」の伝える世界

 鹿行地方の中世史を語るとき、島崎氏は抜きにできない大きな存在でありながら、伝承に重きを置いた後世の記録によらなければ、歴代すら不明な点が多いのが最大の難点である。しかし、それは守護や郡地頭の系譜を引く戦国大名と違い、郡地頭や村落領主の系譜を引く地方の旧家に共通する事柄でもある。

 幸い島崎氏については、「嶋崎盛衰記」をはじめ「行方軍記」「鹿嶋治乱記(ちらんき)」「東国闘戦見聞私記」などの近世にまとめられた戦記物に、その活躍のようすが記されているので参考になる。ほかの史料とあわせる考察する方法で、約400年に及ぶ島崎氏の足跡をたどってみよう。

 常陸平氏の祖は、国(くに)香(か)の孫維(これ)幹(もと)が常陸大掾となり、多気に本拠を置いたことに始まる。そして四代目吉田清幹の子忠幹が行方郡を、成幹が鹿島郡を譲られ分立する。さらに、鎌倉時代に、行方忠幹の孫たちが、為幹は小高に、高幹は島崎に、家幹は麻生に、幹政は玉造にと分立し、行方(なめかた)四頭(よんとう)と称されるようになる。

 島崎氏初代の高幹は、正治二年(1200)(建久二年(1191)とも)に島崎城を本拠とする島崎氏の基礎を築き、承久三年(1221)十二月三日に五三歳で没したと伝えられる。承久の乱に北条氏に属し、宇治巻島の合戦で子息晴幹が討死にしたことと符合する没年である。また、「鹿嶋大使役」(安得虎子)を乾元元年(1302)に五代時幹が、延文三年(1356)に七代高直が、至徳三年(1386)に九代満幹が務めている。鹿島大使役は鹿島神宮の大祭を鎌倉時代以降、勅使に代わって常陸大掾氏の一族である七郡地頭が代々巡役とし、経費負担も含めて戦国時代まで続けられた。

 七代高直は、南北朝の争乱に佐竹貞義に従い足利氏に属し、戦功により本領を安堵され、八代氏幹は足利尊氏より、九代満幹は鎌倉公方足利氏満より各一字を拝領したと伝えられる。また、10代重幹は上杉禅秀の乱に、鎌倉公方足利持氏に従い、弟重時が駿河で討死しており、11代成幹は鎌倉(古河)公方足利茂氏より一字拝領したと伝えられる。13代長国は、文明二年(1470)に島崎氏の菩提寺となる長国寺を創建し、永正十二年(1515)六月十二日に六十五歳で没し、島崎氏中興の英王ともいわれている。

 戦国時代の島崎氏は同族の他氏をも圧倒し、行方地方を代表する国人領主に成長する。十四代忠幹は、大永二年(1522)に永山城を攻略し、十五代利幹は、同四年に鹿島氏の内紛に介入し義幹追放の一翼を担い、天文五年(1536)には玉造宗幹と合戦に及んでいる。十六代氏幹は、永禄五年(1562)に小田氏治と長者原で戦い、元亀元年(1570)には烟田城攻めに加わり。天正九年(1581)には江戸重通に従い鹿島で合戦をしている。十七代儀幹(安定)は、同十二年に麻生城を攻略し、同十七年には小高城を攻めるという動向を伝えている。(平田満男)

引用 

図説「鹿行の歴史」郷土出版社発行


島崎氏・島崎城関連の資料書籍の紹介

2020-08-14 09:51:02 | 歴史

潮来市立図書館には「島崎氏・島崎城関連の資料図書」が蔵書されております。

城跡見学とともに、潮来市立図書館にて資料図書を併せて読んでいただくと、より一層興味が沸いてくると思われます。ここに、その一部を紹介します。

牛堀町の昔ばなし

「島崎城落城物語」のタイトルで、島崎の殿様と長男徳一丸が、太田の佐竹氏にどのように討たれたのが書かれています。◆明間正編  ◆筑波書林 出版

牛堀町(パンフレット)

中世に支配していた島崎氏が居城としていた頃として、島崎城の説明があります。島崎氏十三代の長国が長国寺を建てたことや、夜越川の由来についても簡潔に書かれています。

◆茨城県商工会連合会 編  ◆茨城県商工会連合会 出版

 茨城の城館1(ふるさと文庫)

島崎城が竜巻城との一名があったことや島崎氏が佐竹氏にどのように滅ぼされたのか、滅ぼされた後に残った奥方、娘、家臣などのその後などが書かれています。

◆サンケイ新聞社 編  ◆筑波書房 出版

 図説 鹿行の歴史

島崎城跡の写真あり。空から見た島崎城跡写真あり。島崎氏系図あり。島崎氏の家系図あり。島崎氏の歴史の中に、島崎城の名が出てきます。また、島崎城が築城された時期や島崎城で出土した陶磁器の写真があります。

◆植田敏雄 監修  ◆郷土出版社出版

 郷土うしぼり

島崎氏の起こりから滅亡までの歴史が詳細に書かれています。

◆明間正 監修  ◆牛堀町教育委員会 出版

 牛堀の文化 第3号

「牛堀町の城」として島崎城の歴史、島崎城歴代城主、島崎氏領土、島崎氏の動員兵力などが書かれています。

◆牛堀町郷土文化研究会 編  ◆牛堀町郷土文化研究会出版

 島崎盛衰記 行方軍記後世編

島崎城に関する写真が多数掲載。島崎城についての文章は、古文のため読むのには難しいですが。要塞や堀あと、お投げの松などの、島崎城に関する写真が多数あります。

◆箕輪徳次郎著  ◆箕輪徳次郎出版

 図説中世城郭事典1 

北海道、東北、関東

築城の時期が書かれています。島崎城について本を書くとき、この本を見る人が多いようです。島崎城図あり。 ◆村田修三編  ◆新人物往来社 出版

水郷の民俗

島崎城主に仕えた茂木家や刀鍛冶であった兼平家に代々伝わる、やっていけない行事について書かれています。 ◆水郷民俗研究会 編  ◆水郷民俗研究会 出版

 ふるさと牛堀

島崎城の構造やいつの時代に作られたものなのか書かれています。カラーイラストが分かりやすく、築城の時期が書かれています。

◆ふるさと牛堀刊行委員会 編 ◆牛堀町 出版

 島崎城址

沿革として島崎氏の歴史や島崎家略図が書かれています。島崎氏に関連する遺跡写真が多数あります。 ◆牛堀町文化財保護委員会編    

 図説 茨城の城郭

島崎氏が滅ぼされ廃城になったいきさつや、島崎城の西30mほどのところに西の出城といわれ独立台地が、北方1㎞ほどのところには外郭堀遺構が残っており、長大な防衛ラインが形成されていることなどが書かれています。

◆茨城城郭研究会編  ◆国書刊行会版

 鹿行の文化財

「牛堀町研修会について」の項目で、島崎城の発掘調査で分かったことが書かれています。島崎城の周りの地名の由来や島崎城の堀が迷路になっていたこと、島崎城が大火に遭っていたこと、出土した陶器などの説明あり。

◆鹿行文化財保護連絡協議会  

 牛堀の遺跡

島崎城跡の所在地が番地で書かれています。

◆牛堀町教育委員会 編

 島崎城2

第3次・第4次発掘調査概要

島崎城の発掘調査報告書です。出土遺跡・鉄・銅製品・銅銭などの写真があります。

◆島崎城発掘調査団 編 ◆牛堀町教育委員会 出版

 

※潮来市立図書館の資料を引用しました。

潮来市立図書館   住所 潮来市牛堀289  電話 0299-80-3311