「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

「水郷潮来あやめまつり」が開催中です。

2022-05-23 18:33:52 | 歴史
島崎城跡のある潮来市の「あやめまつり」が三年振りに開催されました。
【期間】5月20日~6月19日 【会場】水郷潮来あやめ園
特に「嫁入り舟」の運行が人気を博しております。あやめまつりの観光のついでに島崎城跡の見学は如何でしょうか? お待ちしております。
あやめ園会場よりクルマで約10分で島崎城跡に行くことができます。
【嫁入り舟の運航】期間中の水曜日・11時 期間中の土・日曜日・11時&14時
【宵の嫁入り舟運航】期間中の土曜日・19時30分

過去の嫁入り舟とあやめ園の画像を紹介します。








大興山長国寺の「島崎左衛門尉の碑銘」の紹介

2022-05-15 18:46:45 | 歴史
箕輪徳次郎氏著「嶋﨑盛衰記」に記載されている長国寺の「嶋﨑左衛門尉」の碑銘についての記載がありましたので紹介します。









7.嶋﨑長国墓碑々文
故左衛門尉嶋﨑君之墓
君諱長国姓平出自桓武帝六世孫繁盛食封常陸拝大掾子孫世々襲任因稱大掾氏支庶蔓延千常陸之地繁盛六世之胤日宗幹邑千行方郡元歴元年属源軍逆襲平氏於屋嶋先登殊戦損命有四男長日小高太郎次日嶋﨑二郎次日麻生三郎次日玉造四郎呼稱行方四頭二郎諱長幹以其居嶋崎為氏即是君之始祖也従茲嶋﨑家漸強大井呑隣邑歴数世矣至大炊助安定時防衛源師持民於應永之難頗有功焉君安定嗣也蔭父餘烈華氏門其為人也朴直廉剛歸心佛乗文明中嘗創一字禅寺旦因名字命之號長國寺永正十二年夏六月十一日嬰疾卒即葬於此矣天正十九年會佐竹義宣驅掠常陸恣滅行方諸平當是時也君之五世日某父子遭斯残害某孫吉晴幼孩為従者救扶避難潜匿多賀郡繇是門哀不振終編民伍而継至今弗絶定幹亦出干其氏統一旦詣長國寺慨然感君之所自出焉将以為之新建其碑乃憑人請以予言刻石旦誶日凡人升沈有命興時互相乗除吾家今雖卑微若有後之子孫感斯碑以立志興家者豈可掩祖先之美平此吾之志也子復感其志以書來由   時寶永四年亥秋七月某日
 裔孫嶋﨑忠次左衛門定幹建
後学毅斎清水良世誌

大興山長国寺に島崎左衛門尉の碑銘あり。此の碑は義幹討死の砌、義幹が供の者落ち失せ、其の近在に居住して島崎の子孫と称し、此の碑を建てたるものなるべし。
 此の碑は忠次左衛門と言う者これを建つるの由、何人なるを知らず。然れども有縁の者にはあるべきも、正統の子孫には非らず。正統と申すは本多家に奉仕の岡田金之進の子孫のほかなるべし。疑はしく紛らはしき碑文なりと雖も、全体の文面誠実にしては、某孫吉晴従者に救い助けられしと言うよりして、多賀郡に潜みし者の子孫也と言える文言紛らわし。然れども先祖の美名を輝かせんと建てたるものなれば、島崎全家中の者ども強いて咎むることにあらずと覚ゆ。 
碑は上戸芝宿長国寺墓地東北の隅にあり。其の碑面表の方に
『故左衛門尉島崎君之墓』とあり、裏の方には
君諱(きみのいみな)長国(ながくに)。姓(せいは)平(たいら)。出自桓武帝(かんむていのそん)六(しげもり)世孫(より)繁盛(いず)。
重盛(しげもり)食封(ひたちを)常陸(しょくほうし)。拝大掾(だいじょうを)氏(はいし)子孫世々(しそんよよに)襲(にんを)任(つぐ)。
因称大掾氏(よってだいじょうしをしょうし)。支庶(ししょ)蔓延干(ひたちのちに)常陸之地(まんえんす)。
重盛六(しげもりろく)世(せい)胤(いん)日宗(むねもと)幹(という)。邑(なめ)吊(がた)干(に)行方(ゆうす)。元暦(げんりゃく)元年(がんねん)
属源軍(げんぐんにぞくし)邀撃(へいしを)平氏於(やしまに)屋島先(げきせん)登殊戦損(とうしゅせんしていのちを)命(そかなう)。
有(よん)四男(なんあり)長日(ちょうを)小(おだか)高太郎(たろうといい)次(つぎを)日(しまざき)島崎(じろえ)二郎(という)次(つぎを)日(あそう)麻生(さぷろう)三郎(という)次(つぎを)日玉造四郎(たまつくりしろうという)。呼称(なめかた)行方(よんとうと)四頭(となえよぶ)。
二郎諱(じろういみな)長幹以(ながもと)其(その)居(しまざきに)島崎(おるをもって)為(うじ)氏(となす)。
即是(すなわちこれ)君之始祖也(きみのしそなり)。従玆(これより)島崎家漸(しまざきけようやく)強大(きょうだい)。
廕父餘烈(えんぶのよれつは)華氏門(しもんをおかし)。其為人也(そのひととなり)。朴直(ぼくちょく)簾(れん)剛(ごう)。
帰心仏乗(こころをぶつじょうにきす)。文明中(ぶんめいちゅう)嘗創一宇禅寺(かっていちうのぜんじを)旦因名字(そうしかつみょうじによって)命之号(これになづけて)長国寺(ちょうこくじとごうす)。永(えい)正(しょう)十二年夏六月
嬰疾卒(やまいにかかりそつす)。即葬於此矣(すなわちここにほうむる)。天正十九年佐竹義宣
劫掠常陸悉滅(ひたちことごとくこうりゃくしてなめかた)行方(しょへいをほろぼす)諸平(にかいすまさに)当此時也(このときにあたるなり)。
君之五(きみのご)世(せいを)日(ぼう)某(という)。父子遭斯(ふしこのざんが)残害(いにあう)。某孫吉晴幼孩(ぼうのまごよしはるようがい)。
為(じゅう)従者(しゃのために)救扶(きゅうふされ)避難(なんをさけ)潜(ひそかに)匿(たがぐん)多賀郡(にかくる)。
従是門哀(これよりもんおとろえて)不振(ふるわず)。終編氏伍(ついにしごにへんす)。而(しかして)継嗣(けいしして)至今弗絶(いまにいたるもたえず)。
定幹(さだもとまた)亦(へいしょり)出平(いでその)其(しとう)氏(なり)統(とう)。一旦(いったん)詣(ちょうこ)長国寺(くじにもうで)慨然(がぜん)
感君之所自出焉(きみのみずからいづるところにかんず)。将以(まさにもって)為之(これがために)新建(あらたにその)其(ひをたて)碑(んとす)。
乃憑人(すなわちひとによりて)請弔言(ちょうごんをこい)刻石(いしにこくして)誶(つげて)日(いはく)。凡人之(およそひとの)浮沈(ふちんめいときと)
有命与時互相(ともにありてたがいに)乗除(あいじょうじょす)。吾家(わがいえ)令雖卑微(ひびすといえども)若(もしの)有後(のちの)子孫(しそん)
感斯碑以(このひにかんじもって)立志(こころざしをたて)興家(いえをおこすもの)者(あらば)豈可掩(あにそせんのびを)祖先之美(おうべけんや)
此吾之志也(これわれのこころざしなり)。予復感其志以(われまたそのこころざしをかんじ)書(もってらい)来由(ゆをしょす)。
宝永四丁威年秋某日(一七〇七)
裔孫島崎忠次左衛門定幹建   後学毅清水良世誌
(裔孫及び後学の二行を「新編常陸国誌」より補足す。)箕輪徳次郎
長国寺碑銘右の通りなるも、此の碑文系図の巻とは符号せざる所あり。もとより此の碑文、用うるに足らずと雖も、いま長国寺に残れるを以て此所に記すなり(前島写本より)
『註』此の碑文後段の部分を削り消したる者ありて、いまその後文分明ならず。前島写本に謂えるが如く、島崎氏系図と一致せざる記載の箇所が土地の者の忌避に触れたるものなるべし。(箕輪徳次郎)


「香澄の里民話」を会員と地元小学生に配布しました。

2022-05-02 18:54:43 | 歴史
創作童話「香澄の里民話」を島崎城跡を守る会会員と牛堀小学校の生徒さん(220人)に配布しました。「香澄の里民話」には、島崎城はじめ大膳池・権現山と地元を題材とした民話になっており、この民話を通じて子供たちの郷土愛を育んでいただくことを願っております。
なお、「香澄の里民話」は「御城印」を取り扱っている潮来市内の「フラワーショップやまぐち」にて一冊500円で販売しております。また、「島崎城慕情」のCD・DVDも同じく500円にて販売中です。この収益金は、島崎城跡を守る会の活動費に充てております。
※フラワーショップやまぐち ☎0299-64-5765 潮来市牛堀70