「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

講演会のご案内「江戸時代の霞ケ浦周辺の村落」~玉藻塾第1回講演

2024-09-27 10:36:47 | シンポジウム
講演会のご案内
「江戸時代の霞ケ浦周辺の村落~玉藻塾第1回講演

講師紹介 法政大学名誉教授・博士(歴史学)   根崎光男氏
1954年玉造町出身 1972年麻生高校卒業 1977年法政大学卒業
NHK「ブラタモリ」「あさイチ」「歴史ヒストリア」「所さん事件ですよ」出演

■日時 令和6年10月5日(日)  午後1時30分~3時30分
■場所 行方市麻生公民館大ホール
     行方市麻生1221  ☎0299-72-1573
■入場料 無料です。  当日、直接会場へお越しください。





【舌状台地を切裂く巨大空堀の数々】島崎城【空から攻める山城】ドローン空撮 YouTube

2024-08-28 16:40:58 | 城跡

【舌状台地を切裂く巨大空堀の数々】島崎城
【空から攻める山城】ドローン空撮
堀切凡夫Neo2
茨城県潮来市にあります島崎城。 舌状台地をズタズタに切り刻んだその土木量の凄さには鳥肌が立ちます。 あわせて、その城跡を見やすく、毎月、毎日のように整備を続けてくださっている保存会の皆様に感謝です。 茨城にはまだまだ素晴らしい城跡が多数ありますが、ここも間違いなくその一城だと思います。

「発掘された行方郡南部の城館と島崎氏」pdf版

2024-08-22 17:29:49 | 歴史
日本考古学協会会員の間宮正光先生が潮来市郷土史研究会発行の「ふるさと潮来」第37号に寄稿されました「発掘された行方郡南部の城館と島崎氏」PDF版掲載記事を紹介します。



なお、冊子「ふるさと潮来」第37号は、潮来市永山のショッビングセンター「ラ・ラ・ルー」内の大地堂書店にて販売しております。
また、潮来市立図書館には、「ふるさと潮来」全巻が所蔵されています。

牛堀中学校一年5名が夏休みの探究活動として、島崎城跡を訪問しました。

2024-07-30 14:54:40 | ボランティア活動
7月29日午前10時から、牛堀中学校の総合的な学習の時間として「私たちの潮来市」のテーマをもとに、一年生5名の生徒が「島崎城跡」について調べる学習を実施しました。
生徒たちの質問内容としては、
①島崎城跡を守る会の創設日、②なぜ守る会を作ったのか
③守る会は、現在何名ほどいるのか、また、どのような活動を行っているのか
④島崎城の面積(昔と今)、⑤島崎城の当時の戦力はどのくらいだったか、
⑤島崎城の殿様はどんな人だったか、⑥近くの「お投げの松」について。
中学生の島崎城についての興味が、どのような点にあるのか、参考になりました。
【城跡見学風景】





鹿嶋吉田神社祭礼「延方ふれあい参道まつり」が開催されます。

2024-07-25 15:21:33 | 歴史
 7月28日(日)、潮来市内の鹿嶋吉田神社の祭礼が昨年に引き続き開催されます。まつりの名称を「延方ふれあい参道まつり」として、延方相撲をはじめとして、各種イベントを開催します。
◆案内チラシ参照して下さい。
◆昨年の延方相撲の画像


 鹿嶋吉田神社との関係につきましては、島崎氏由来記によりますと、宝永12年、神輿修造時の棟札に「応永廿癸巳嶋崎彦四郎殿夫婦二テ先年之神輿朽損ル故修造ス」と見える。潮来町史はこの彦四郎について、九代満幹の二男で、上杉兄禅秀の乱で兄大炊介重幹(太郎安定)とともに、鎌倉公方足利持氏に味方して、駿河国佐原で応永23年に討死した次郎重時と比定している。
「潮来と鹿島香取(大正7年発行)」には、吉田神社の神輿に嶋崎安定彦四郎夫婦寄進の棟札あり、安定は国幹の弟、嶋崎城主にして大炊介と称す。応永年中の人しなりとある。潮来町史の棟札写真には安定の名前は見えず。町史の比定が妥当か。
 また、鹿嶋吉田神社由緒によると
鹿嶋明神は古代より吉高村の産土様であったが応永二十年(1413)島崎彦四郎公が御神輿を造営寄進された折り、此の時の御輿に大同元年(806)刻まれておった由、その后水戸義公(黄門様)の時代に村落合併事業があり、元禄九年洲崎村の産土諏訪神社(元延小敷地、現在日産営業所)を理由あってその祭神を変え現在の新宮地へ合わせ祀った。
下って明治十年(1877)制度改革され鹿島吉田神社と公称さらに制度改まり昭和二十一年宗教法人令に基づき神社本庁に届出。
更にまた昭和二十七年宗教法人法により神社本庁及び登記所へ登録登記された。(以上、由緒書より一部抜粋)