昭和62年(1987)に発行されました「島崎城跡発掘調査報告書Ⅱ」の内容を抜萃して紹介します。
島崎城の調査について
島崎域は,中世に行方郡を支配し、戦国時代には有力国人領主として行方郡と鹿島郡最大の 勢力を保有した島崎氏歴代の居城である。島崎氏が今日、町指定史跡地の域にいつの時代に はじめて本拠を構えたかは詳らかでない。しかし室町中期(文明年間の島崎長国)から,天正19年(1591) 2月の島崎安定父子の滅亡までは, 確実に島崎氏の居城であったことは、記録,伝承もとより、第1次・第2次調査からも裏付けられている。
第1次調査では,予想外の数量に及ぶ出土遺物(室町・戦国期の遺物群)と遺構の検出をみた。さらに第2次調査では町指定史跡域の城郭としての現状遺構の測量調査。一曲輪土塁セクションを中世石塔群の集積敷遺構の検出にあった。この第1・第2次調査は、試掘調査と遺構確認として予備調査的色彩が強かったため、2年次(第3次調査)では、第1次調査トレンチの延長および第2次調査では検出を見た石塔群集積敷の性格を見極めることを目的として実施にあたった。
3年次(第4次調査)調査は,島崎域の特徴である砂岩層を振り込む堀が,どのような形態であったかを知るため,一曲輪外周空堀と馬出曲輪空堀にトレンチを設定。二曲輪にも試掘調査を実施し,今後の調査計画の資料を得ることにした。 ⇒次回は、一の曲輪の調査を掲載。
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