「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

島崎城跡発掘調査報告書」島崎城の構造―小括

2021-07-20 18:26:22 | 発掘調査

昭和62年(1987)に発行されました「島崎城跡発掘調査報告書」の内容を抜萃して紹介します。

  1. 島崎城の構造

    小 括

     島崎城は標高28~30mの行方台地の南先端部に位置し,中世・戦国期の丘城の典型である空 堀・土塁を幾重にもめぐらす構造である。 城郭域は、大きく内城・中城・外城の各地区に分けられる。内城は,1曲輪・東西の1曲輪を含めた空堀〈4〉に区画された南側台地上で、近世でいう本丸・二の丸に相当する。内城域には,馬出を用いた優れた虎口防禦の築城遺構と大井戸が含まれる。内城域と中城域の中間は 空堀〈4〉と物見台さらに空堀〈5〉からなる緩衝地帯があり,大手口方向の谷間にある腰曲 輪・古屋曲輪も,緩衝地帯に入る。中城域は皿曲輪および越前曲輪等からなり、空堀〈5〉, 堀〈7〉によって区画される。近世でいう三の丸に相当する。

    表1.主要曲輪の占有面積一覧

           東西m  南北m 平面プラン   面 積       立 地

    I曲輪      60    70     三角形    2728m    台地先端

    馬出曲輪    33    30    方 形     687㎡   台地稜線上の平

    東Ⅱ曲輪  20~35    75      瓢箪形   2328㎡   台地稜線上の削平

    西Ⅱ曲輪    35    50      四辺形    1639㎡    技台地先端

    水の手曲輪    42  35       四辺形    1032㎡     台地裁部

    越前曲輪    50    35      方 形    1584㎡     谷間麓

    古屋曲輪    55    35      方 形    1800㎡     谷間蕾

    Ⅲ曲輪     185    35      長方形    7083㎡     台地上平場

     

     大手口である島崎城の正面出入口は、地名にうい門にあたり,大手道は、越前曲輪から坊主屋敷の平場を経由したとみられる。空堀<5>の東出口にある地名・金井柵は「搦手柵」が訛ったものと伝わり,この方面が地形・城の占地からみても搦手方面であったことがわかる。

     外城域は、古宿の台地にあって,外曲輪・大構に相当する。外曲輪といっても空堀と土塁が幾重にもめぐり,集落を区画していたと考えられる。外城の西には出城が構えられ、物見の機能を果していた。

     城の麓には根小屋集落がテラス状にまわり,さらに西に古宿・宿が発達し,城下集落を形成した。城下集落は砂州上に発展し,当時,霞ヶ浦入江に面して新宿にあたる市場をもった芝宿が発生,永正年間ころに長国寺が芝宿に成立,町場の中心となった。

     以上のように,島崎城は保存状況が良好なうえに、中世の城と村落・町場の状況を今日までも伝える地域史研究ばかりでなく、学術上貴重な遺跡標本といえる。⇒島崎城の構造「終了」

     

     


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