
2016年3月16日(水)
昼食後、爆睡してしまった。
午後3時に目覚めた時、夜が明けたのか、昼寝の後なのか、その区別が付かなかった。
2時間も昼寝をした夜は、不眠症を知らない私でも、眠りに落ちるのが遅くなる。
それで遅くまでテレビを観て過ごした。
午後8時台は「ためしてガッテン」(総合テレビ)を観た。
4月からは、新しく「ガッテン」と名前を変えて、午後7時半からの開始になるという。
21年も続いた「ためしてガッテン」の名はなくなることになり、今日は「最終回」ということで、今年度の総集編のようなことをやっていた(好評だったものを再放送)。
「まみちゃん」というレギュラー出演者も今日で降板することになった。
他に目ぼしい番組の無い時、私もこの「ためしてガッテン」の番組をよく観た。
「食べ物が」テーマの時はあまり見なかったが、「健康」がテーマで、関心のある病気が取り上げられた時などは見忘れないようにした。しかし得た知識は殆ど頭の中から消えてしまっている。「健康に良い」と紹介されていたことも直ぐに忘れており、実行していない。
今日の総集編で再度紹介されたものを見ても、「ああそうだった」と、ようやく記憶が蘇る有様。
午後9時台は「爆買いしたのは私です」(BS3チャンネル)という番組を観た。
日本へ観光に来て大量の商品を買って帰る中国人。彼等が中国に帰ってからの「買い物の行方」を追う番組だった。爆買いした商品が一々紹介されていたが、日本人である私も初めて目にする商品が多かった。
中国人が「日本の商品がとても優れている」と口を揃えて言うのを見て、日本人として嬉しく思った。私自身はあまり買い物をしないのだが、「欲しい時には何時でも“優れた商品”を買える国に住んでいる幸せ」を、この番組を見て改めて思った。
中国では「安い物は信用できない」とみられているらしい。
中国には「他人を騙してでも儲けよう」というお国柄のようなものがあるようだ。そういったことと比較しても、日本が如何に暮らしやすい国であるかが良く分かる。
2016年3月17日(木)
“何もない”一日だった。
書くことが何もない。
無理に書けばつまらない記事になる。一瞬「ブログもそろそろ止めようかな」という気持ちに襲われる。
しかし、やはり「何か書いておこう」という気持ちになり、今日一日の出来ごとを思い出し、以下のことを書いた。
ゴミ出しの時、向かいのおばちゃんと出会い「朝はやはり寒いですね」と挨拶した事を覚えている。
ゴミ置き場では、カラスにゴミを荒らされないようにする防護ネットがなくなっていた。
先日、自発的にゴミの管理をしてくれているTさんが、「ネットが傷んできたので、これを機会にネットを被せるのはもう止めようと思う」と言っておられたのを思い出した。
幸い、今日はカラスがゴミを荒らしに来なかった。
午睡したらぐっしょり汗をかいていた。それ程今日は午後から暖かくなった。
「朝はやはり寒いですね」と挨拶した朝の寒さとは別の日の様な温かさとなった(最高気温は19℃)。
午睡後、ぼんやりした頭を活性化させる為、この前やりかけて解答に辿り着けなかった「SUDOKU(中級)」に再挑戦してみた。しかし“あともう少し!”という所でまたも失敗した。9個ある枠の最後の2個位まで漸く辿り着いた辺りで数が合わなくなってしまった。今度またやり直しだ。
「SUDOKU(超上級)もある」と聞いたが、どんなにか難しい事だろう。
「SUDOKU」に挑戦している最中に、“役”をしてくれている近所のYさんが訪ねて来た。
Yさん曰く、
「いい加減に“役”を降りたいのだけど、私の後を引き継いでくれる人がいない。それでまた続けなければならない。私はもうこれでこの“役”は5期目よ!」と不満を言っておられた。
Yさんは身体に特別悪いところが無くて元気だから良い。私は体力がなくてとても交代してあげられない。そのことをYさんも良くご存じだ(不満を聞いてあげて、Yさんはストレスを発散してくれたかな?)。
Yさんは、庭の梅の花が咲いているのを見て「“桃”が綺麗に咲いていますね」と言った。
我が家の梅は変っているので、間違える人が大勢いる。
2016年3月18日(金)
今朝、寝床の中で体温を計ってみた。最初は35.8℃と出た。もう一度計ってみたら36℃になった。36℃の大台に乗ってホッとした。
体重、血圧、それに体温まで毎日計り出せば、まるで病院に入院しているみたいだ。
病院では体重を毎日測ることはないから、病院以上の健康管理になっている。
病気の為に酸素濃度を測っている人がいるが、私はそこまでは行っていない。
午後から雨になるというので、お昼前、8日ぶりにウオーキングに出た。
先週の10日(木曜日)に足が酷く浮腫んで以来、ウオーキングは自重していた。
「果して歩けるだろうか?」、心配しながら歩き始めた。
やはり足が思うように動かず、歩き方もぎこちなかった。本殿に行きつくまでに2度休んだ。
帰りも2度休んだが、帰りの時は、足が痛みはしたものの、ぎこちなさはなくなっていた。
人間の身体は「本人が心配するほど“やわ”なものではないのか?」、それとも「壊れ出したら一気に悪くなってゆくのか?」、その辺りがまだはっきり分からない。
“壊れ出したらエライこと!”だ。
春景色が見られるかも知れないと思い、カメラを持参して家を出てきた。
春めいたものは特になかったが、何時も通る道で、何時も見ている“心にかかる歌碑”を写真に撮った。

(近江の琵琶湖の夕暮れの波の上に群がり飛んでいる千鳥よ。お前が鳴くと心もしおれるほどに、むかし都のあったころが思い出されてならない。)
柿本人麻呂といえば随分と遠い昔の人(飛鳥時代の歌人-7世紀後半~8世紀初)なのに、その“昔の人”が“更に昔”に想いを巡らせている。
私からすれば、柿本人麻呂が生きた時代を思い起こすことも困難なのに、彼は、彼の生きた時代の更にその一昔前のことを忍んでいる。
【・・・この歌は、壬申の乱(671年大海人皇子吉野行き、672年乱起こる。近江軍大敗、近江朝王領大友皇子自殺)によって大津宮は壊滅し、その後いくばくかの年を経て、人麻呂が、すっかり荒都と化した近江朝跡を訪ねた折りの深い感懐を詠んだものと思われる。・・・】
2016年3月19日(土)
朝、目が覚めたら雨の降る音が聞こえて来た。
しっかりした雨だ。雪に変るような“冬の雨”ではなくて、いかにも“春の雨”という感じがした。
ショパンの「雨だれ」の曲を思い出した。
スペインのマジョルカ島にある修道院を借りて「病気療養中の時に作った曲」だと聞いている。
雨音を聞きながら、“雨の降る情景を上手に表現した曲だなあ”と、布団の中で改めて思っていた。
【有る日、ショパンは滞在先の教会で一人作曲をしていた。一方サンドは外出していた。突然豪雨が降り出した、ショパンは激しい不安に襲われた。サンドの身に何かあったのではという妄想にとりつかれた。】
雨は好きではない。昼頃雨が上がるという予報だったので、「それまでの我慢」、と自分に言い聞かせながら寝床を離れた。
今朝の体温は35.6℃、35.7℃だった。昨日よりも低い。電気炬燵を切って寝ていたために寒さを感じていたが、その影響なのだろうか?
鶯がよく来る。私がピアノを弾き始めても逃げないで、“一緒に”鳴いている。
暫くして居なくなったかと思ったら、またやって来て鳴いている。
どうも私のピアノの音色が気に入っているようだ。
ピアノのレッスン。
今日学んだこと=左手の重要性
右手に比し、左手がやはり疎かになっている。
2016年3月20日(日)
体温、35.7℃、35.8℃。
春分の日(祭日)。
太陽が真東から昇り、真西に沈む日。
夜の長さと昼の長さが同じ日。
今日はまた寒くなった。
昼食後、爆睡してしまった。
午後3時に目覚めた時、夜が明けたのか、昼寝の後なのか、その区別が付かなかった。
2時間も昼寝をした夜は、不眠症を知らない私でも、眠りに落ちるのが遅くなる。
それで遅くまでテレビを観て過ごした。
午後8時台は「ためしてガッテン」(総合テレビ)を観た。
4月からは、新しく「ガッテン」と名前を変えて、午後7時半からの開始になるという。
21年も続いた「ためしてガッテン」の名はなくなることになり、今日は「最終回」ということで、今年度の総集編のようなことをやっていた(好評だったものを再放送)。
「まみちゃん」というレギュラー出演者も今日で降板することになった。
他に目ぼしい番組の無い時、私もこの「ためしてガッテン」の番組をよく観た。
「食べ物が」テーマの時はあまり見なかったが、「健康」がテーマで、関心のある病気が取り上げられた時などは見忘れないようにした。しかし得た知識は殆ど頭の中から消えてしまっている。「健康に良い」と紹介されていたことも直ぐに忘れており、実行していない。
今日の総集編で再度紹介されたものを見ても、「ああそうだった」と、ようやく記憶が蘇る有様。
午後9時台は「爆買いしたのは私です」(BS3チャンネル)という番組を観た。
日本へ観光に来て大量の商品を買って帰る中国人。彼等が中国に帰ってからの「買い物の行方」を追う番組だった。爆買いした商品が一々紹介されていたが、日本人である私も初めて目にする商品が多かった。
中国人が「日本の商品がとても優れている」と口を揃えて言うのを見て、日本人として嬉しく思った。私自身はあまり買い物をしないのだが、「欲しい時には何時でも“優れた商品”を買える国に住んでいる幸せ」を、この番組を見て改めて思った。
中国では「安い物は信用できない」とみられているらしい。
中国には「他人を騙してでも儲けよう」というお国柄のようなものがあるようだ。そういったことと比較しても、日本が如何に暮らしやすい国であるかが良く分かる。
2016年3月17日(木)
“何もない”一日だった。
書くことが何もない。
無理に書けばつまらない記事になる。一瞬「ブログもそろそろ止めようかな」という気持ちに襲われる。
しかし、やはり「何か書いておこう」という気持ちになり、今日一日の出来ごとを思い出し、以下のことを書いた。
ゴミ出しの時、向かいのおばちゃんと出会い「朝はやはり寒いですね」と挨拶した事を覚えている。
ゴミ置き場では、カラスにゴミを荒らされないようにする防護ネットがなくなっていた。
先日、自発的にゴミの管理をしてくれているTさんが、「ネットが傷んできたので、これを機会にネットを被せるのはもう止めようと思う」と言っておられたのを思い出した。
幸い、今日はカラスがゴミを荒らしに来なかった。
午睡したらぐっしょり汗をかいていた。それ程今日は午後から暖かくなった。
「朝はやはり寒いですね」と挨拶した朝の寒さとは別の日の様な温かさとなった(最高気温は19℃)。
午睡後、ぼんやりした頭を活性化させる為、この前やりかけて解答に辿り着けなかった「SUDOKU(中級)」に再挑戦してみた。しかし“あともう少し!”という所でまたも失敗した。9個ある枠の最後の2個位まで漸く辿り着いた辺りで数が合わなくなってしまった。今度またやり直しだ。
「SUDOKU(超上級)もある」と聞いたが、どんなにか難しい事だろう。
「SUDOKU」に挑戦している最中に、“役”をしてくれている近所のYさんが訪ねて来た。
Yさん曰く、
「いい加減に“役”を降りたいのだけど、私の後を引き継いでくれる人がいない。それでまた続けなければならない。私はもうこれでこの“役”は5期目よ!」と不満を言っておられた。
Yさんは身体に特別悪いところが無くて元気だから良い。私は体力がなくてとても交代してあげられない。そのことをYさんも良くご存じだ(不満を聞いてあげて、Yさんはストレスを発散してくれたかな?)。
Yさんは、庭の梅の花が咲いているのを見て「“桃”が綺麗に咲いていますね」と言った。
我が家の梅は変っているので、間違える人が大勢いる。
2016年3月18日(金)
今朝、寝床の中で体温を計ってみた。最初は35.8℃と出た。もう一度計ってみたら36℃になった。36℃の大台に乗ってホッとした。
体重、血圧、それに体温まで毎日計り出せば、まるで病院に入院しているみたいだ。
病院では体重を毎日測ることはないから、病院以上の健康管理になっている。
病気の為に酸素濃度を測っている人がいるが、私はそこまでは行っていない。
午後から雨になるというので、お昼前、8日ぶりにウオーキングに出た。
先週の10日(木曜日)に足が酷く浮腫んで以来、ウオーキングは自重していた。
「果して歩けるだろうか?」、心配しながら歩き始めた。
やはり足が思うように動かず、歩き方もぎこちなかった。本殿に行きつくまでに2度休んだ。
帰りも2度休んだが、帰りの時は、足が痛みはしたものの、ぎこちなさはなくなっていた。
人間の身体は「本人が心配するほど“やわ”なものではないのか?」、それとも「壊れ出したら一気に悪くなってゆくのか?」、その辺りがまだはっきり分からない。
“壊れ出したらエライこと!”だ。
春景色が見られるかも知れないと思い、カメラを持参して家を出てきた。
春めいたものは特になかったが、何時も通る道で、何時も見ている“心にかかる歌碑”を写真に撮った。

(近江の琵琶湖の夕暮れの波の上に群がり飛んでいる千鳥よ。お前が鳴くと心もしおれるほどに、むかし都のあったころが思い出されてならない。)
柿本人麻呂といえば随分と遠い昔の人(飛鳥時代の歌人-7世紀後半~8世紀初)なのに、その“昔の人”が“更に昔”に想いを巡らせている。
私からすれば、柿本人麻呂が生きた時代を思い起こすことも困難なのに、彼は、彼の生きた時代の更にその一昔前のことを忍んでいる。
【・・・この歌は、壬申の乱(671年大海人皇子吉野行き、672年乱起こる。近江軍大敗、近江朝王領大友皇子自殺)によって大津宮は壊滅し、その後いくばくかの年を経て、人麻呂が、すっかり荒都と化した近江朝跡を訪ねた折りの深い感懐を詠んだものと思われる。・・・】
2016年3月19日(土)
朝、目が覚めたら雨の降る音が聞こえて来た。
しっかりした雨だ。雪に変るような“冬の雨”ではなくて、いかにも“春の雨”という感じがした。
ショパンの「雨だれ」の曲を思い出した。
スペインのマジョルカ島にある修道院を借りて「病気療養中の時に作った曲」だと聞いている。
雨音を聞きながら、“雨の降る情景を上手に表現した曲だなあ”と、布団の中で改めて思っていた。
【有る日、ショパンは滞在先の教会で一人作曲をしていた。一方サンドは外出していた。突然豪雨が降り出した、ショパンは激しい不安に襲われた。サンドの身に何かあったのではという妄想にとりつかれた。】
雨は好きではない。昼頃雨が上がるという予報だったので、「それまでの我慢」、と自分に言い聞かせながら寝床を離れた。
今朝の体温は35.6℃、35.7℃だった。昨日よりも低い。電気炬燵を切って寝ていたために寒さを感じていたが、その影響なのだろうか?
鶯がよく来る。私がピアノを弾き始めても逃げないで、“一緒に”鳴いている。
暫くして居なくなったかと思ったら、またやって来て鳴いている。
どうも私のピアノの音色が気に入っているようだ。
ピアノのレッスン。
今日学んだこと=左手の重要性
右手に比し、左手がやはり疎かになっている。
2016年3月20日(日)
体温、35.7℃、35.8℃。
春分の日(祭日)。
太陽が真東から昇り、真西に沈む日。
夜の長さと昼の長さが同じ日。
今日はまた寒くなった。
2016年3月12日(土)
ピアノのレッスンがある日は朝から鬱陶しい。
「1週間しっかり練習が出来ていて万全の準備が整っている」、ということは先ずない。
1週間の間、かなり練習が出来たと思う週であっても、いざレッスンになると間違えてばかりいる。
ましてや練習が殆ど出来ていない日のレッスンは全く冴えない。
今日はそんな日だった。
自分自身が、練習不足であることっを充分弁えているから、「慎重に間違えないように弾こう」、とする。こんな意識が先行すると、単調な幼稚園児のような演奏になってしまう。そして不思議なことに、却って沢山間違える。挙句の果ては、途中で行き詰まってしまう。
先生曰く、
「間違えないで弾こうとすればするほど間違うものです。間違えても構わないから“良く音を聞いて音楽を楽しむようにして”弾いた方が良い。その方が却って間違わないものです。間違うのはプロも同じで、それは音楽とは違う問題。とにかく“楽しんで弾くように”心掛けた方が良い。」
私は、「成る程」、と思った。
コンクールで優劣が決まるのは“その辺り”なのだろうと思う。楽譜通りの間違わない演奏であっても、“音楽性のない杓子定規なもの”であっては少しも美しく聴こえなてこない。従って、当然のことながら聴く人に少しも感動を与えない。ピアノ演奏の競技会などでも、「多少間違えても感情豊かに演奏されている方が高得点を得られるに違いない」、そのように思った。
2016年3月13日(日)
今朝の部屋の温度は8℃。
昨日夕方に測った体重は64.2㎏。今朝の血圧は126-78、121-75、118-77。
ラッキーなことに、両方共に安定してきた。
足の浮腫みは大分解消されてきたように思う。
今日は日曜日。天気は下り坂。家でおとなしくのんびり過ごそうと思う。
無理してウオーキングなどに精を出すと、逆効果になって足が浮腫む原因になるようだ。
ピアノの練習やパソコンに向かう時、長時間一定の姿勢を続けるのも体に良い影響を及ぼさないように思う。これもまた足が浮腫む原因になっているように感じる。
NHKスペシャル「原発メルトダウン危機の88時間」(21:00~22:30)という番組を観た。
5年前の東北大震災の被害は3月11日だけではなかった。
地震が発生した時点から88時間というのは3月11日~15日にかけてのこととなる。
地震発生後1時間もしないうちに大津波が押し寄せ、福島原子力発電所を破壊した。
5年前の今日3月13日は、11日の地震、津波に見舞われた日以上に緊迫した日であったようだ。
『原子力発電所』を甘くみていたことが一挙に露呈されてしまった『88時間』となっていた。
多くの人の印象に残っている、原子力発電設備を冷却する為にヘリコプターが空から放水していた映像は、それから何日か後の事だったのだ。
2016年3月14日(月)
今朝の部屋の温度は10℃。
昨日夕方に測った体重は64.4㎏。今朝の血圧は123-79、120-71、121-77。
寒い雨の一日で、雨は夕方になってやっと止んだ。
雨が止んでから、K’s(ケーズ)電気店へ行き、新しい血圧計を買って来た。
店には色んな種類の血圧計が数多く並べられていた。多くの機能を持った血圧計もあったが、“Simple is best”ということで最低限の機能を備えている安価なものを選んだ。
夕刻、保険代理店をしているT君がやって来た。
民主党と維新の党の合併名は「民進党」ということになった(「革新民主党」というのも候補名になっていた)。
先日、台湾で政権を奪還した政党の名も「民進党」というのではなかっただろうか?
夜8時からのBSフジテレビ「プライムニュース」で、消費税を予定通り10%に上げるべきかどうか議論されていた。
財政赤字の事をも考慮して決定すべきことなのかどうか、等々議論されていたが、経済は本当に難しいと思う。
議論されている凡その事は分かるのだが、どういう考え方・やり方がベストなのかとても判断出来ない。
経済をリードするのは難しく、結局『やってみないと分からない』ということではないのか?
2016年3月15日(火)
体重は63.6㎏だった。体重が毎日こんなに変動するものであるとは!全く知らなかった。
最近、あらゆることに関して「この歳になっても知らない事が多い」とつくづく思う。
謙虚になる必要がある。
熊本のお土産「馬刺し」を頂いた。
「馬刺し」にも、赤身、霜降り等色々あるようだ。
霜降りの肉の方が、噛んだときに筋が残らなくて、味も良いように思った。
「霜降りの馬刺し」は、霜降りではあっても牛に比較して脂っこくなく、淡白な味で大変美味しいと思った。ヘルシーでもあるのではないだろうか?

今日は皇子山中学校で、3年生の生徒の卒業式があった。
2016年3月16日(水)
昨日の夕方からどんどん寒くなった。
今朝の部屋の温度は7℃。とても寒い。
梅の花が咲き始めた。


昨日もそうだったが、今日も、鶯が庭にやって来て、頻りに鳴いている。
ピアノのレッスンがある日は朝から鬱陶しい。
「1週間しっかり練習が出来ていて万全の準備が整っている」、ということは先ずない。
1週間の間、かなり練習が出来たと思う週であっても、いざレッスンになると間違えてばかりいる。
ましてや練習が殆ど出来ていない日のレッスンは全く冴えない。
今日はそんな日だった。
自分自身が、練習不足であることっを充分弁えているから、「慎重に間違えないように弾こう」、とする。こんな意識が先行すると、単調な幼稚園児のような演奏になってしまう。そして不思議なことに、却って沢山間違える。挙句の果ては、途中で行き詰まってしまう。
先生曰く、
「間違えないで弾こうとすればするほど間違うものです。間違えても構わないから“良く音を聞いて音楽を楽しむようにして”弾いた方が良い。その方が却って間違わないものです。間違うのはプロも同じで、それは音楽とは違う問題。とにかく“楽しんで弾くように”心掛けた方が良い。」
私は、「成る程」、と思った。
コンクールで優劣が決まるのは“その辺り”なのだろうと思う。楽譜通りの間違わない演奏であっても、“音楽性のない杓子定規なもの”であっては少しも美しく聴こえなてこない。従って、当然のことながら聴く人に少しも感動を与えない。ピアノ演奏の競技会などでも、「多少間違えても感情豊かに演奏されている方が高得点を得られるに違いない」、そのように思った。
2016年3月13日(日)
今朝の部屋の温度は8℃。
昨日夕方に測った体重は64.2㎏。今朝の血圧は126-78、121-75、118-77。
ラッキーなことに、両方共に安定してきた。
足の浮腫みは大分解消されてきたように思う。
今日は日曜日。天気は下り坂。家でおとなしくのんびり過ごそうと思う。
無理してウオーキングなどに精を出すと、逆効果になって足が浮腫む原因になるようだ。
ピアノの練習やパソコンに向かう時、長時間一定の姿勢を続けるのも体に良い影響を及ぼさないように思う。これもまた足が浮腫む原因になっているように感じる。
NHKスペシャル「原発メルトダウン危機の88時間」(21:00~22:30)という番組を観た。
5年前の東北大震災の被害は3月11日だけではなかった。
地震が発生した時点から88時間というのは3月11日~15日にかけてのこととなる。
地震発生後1時間もしないうちに大津波が押し寄せ、福島原子力発電所を破壊した。
5年前の今日3月13日は、11日の地震、津波に見舞われた日以上に緊迫した日であったようだ。
『原子力発電所』を甘くみていたことが一挙に露呈されてしまった『88時間』となっていた。
多くの人の印象に残っている、原子力発電設備を冷却する為にヘリコプターが空から放水していた映像は、それから何日か後の事だったのだ。
2016年3月14日(月)
今朝の部屋の温度は10℃。
昨日夕方に測った体重は64.4㎏。今朝の血圧は123-79、120-71、121-77。
寒い雨の一日で、雨は夕方になってやっと止んだ。
雨が止んでから、K’s(ケーズ)電気店へ行き、新しい血圧計を買って来た。
店には色んな種類の血圧計が数多く並べられていた。多くの機能を持った血圧計もあったが、“Simple is best”ということで最低限の機能を備えている安価なものを選んだ。
夕刻、保険代理店をしているT君がやって来た。
民主党と維新の党の合併名は「民進党」ということになった(「革新民主党」というのも候補名になっていた)。
先日、台湾で政権を奪還した政党の名も「民進党」というのではなかっただろうか?
夜8時からのBSフジテレビ「プライムニュース」で、消費税を予定通り10%に上げるべきかどうか議論されていた。
財政赤字の事をも考慮して決定すべきことなのかどうか、等々議論されていたが、経済は本当に難しいと思う。
議論されている凡その事は分かるのだが、どういう考え方・やり方がベストなのかとても判断出来ない。
経済をリードするのは難しく、結局『やってみないと分からない』ということではないのか?
2016年3月15日(火)
体重は63.6㎏だった。体重が毎日こんなに変動するものであるとは!全く知らなかった。
最近、あらゆることに関して「この歳になっても知らない事が多い」とつくづく思う。
謙虚になる必要がある。
熊本のお土産「馬刺し」を頂いた。
「馬刺し」にも、赤身、霜降り等色々あるようだ。
霜降りの肉の方が、噛んだときに筋が残らなくて、味も良いように思った。
「霜降りの馬刺し」は、霜降りではあっても牛に比較して脂っこくなく、淡白な味で大変美味しいと思った。ヘルシーでもあるのではないだろうか?

今日は皇子山中学校で、3年生の生徒の卒業式があった。
2016年3月16日(水)
昨日の夕方からどんどん寒くなった。
今朝の部屋の温度は7℃。とても寒い。
梅の花が咲き始めた。


昨日もそうだったが、今日も、鶯が庭にやって来て、頻りに鳴いている。
2016年3月8日(火)
ブログの新規投稿(NO.338)を終ってのお昼前、何気なしに「SUDOKU(数独)」(初級)を解き始めた(一昨日、昨日とピアノの練習を少しもやらなかったので「ピアノに向かわねば」と思いつつ・・・)。
直ぐに解けるとは思わなかったが、大体のことを知りたいと思ったからだ。
頭の中では解答への筋道は分かっているつもりだった。実際その筋道通りだったのだが、何しろ初めての挑戦なので短時間に終わりそうもなかった。
途中で止めてまたその気になった時にすれば良かったのに、一気に答えを出してしまいたくなった。
お昼御飯を食べた。
その後も続けた。テレビを観ながらでは集中できないのでテレビを消した。
その中、頭が痛くなり肩も凝り始めたがそれでもやり続けた。
午後4時過ぎに漸くにして答えを導いた。直感に頼ることなく理詰めでやり終えた。
正解表と照らし合わせたところOKだった。
初めてなので時間がかかってしまったが、「SUDOKU」も慣れればもっと速く答えをだせると思う。
やり終えたらすっかりくたびれていた。今日もピアノの練習は出来なかった。
考えてみれば、ピアノの場合、毎日少しでも練習しているとその積み重ねで少しずつ上手になる。練習が辛くても『先の(=上達する)楽しみ』というものがある。練習が辛いことを考えればこれは『趣味』とは言えないかもしれない。
「SUDOKU」の場合は一体何なのだろう?
頭を使い、ボケ防止には持って来いかも知れぬが、私には疲労が残るだけの「暇つぶし」に過ぎないように思われた。
しかし、「SUDOKU」も人によっては「本を買ってきてまでして打ち込む」(本も出版されている)に値する『趣味』となるものかもしれない。
『趣味』とは元来そういうものなのだろう。
「SUDOKU」は一人でもできる趣味。「一人で出来る趣味=孤独が好き」ということでもないだろうが・・・。
囲碁、将棋を『趣味』とする人が多いようだ(=孤独が嫌いな人?多分NO! ≠孤独が嫌い)。
こちらの『趣味』は、勝負事になり、勝ったり負けたりする。
私も、小さかった頃は(特に将棋の方を)やったものだった。しかし、負けた時は勿論のこと、勝った時も、負けた人の悔しい思いを忖度(そんたく)して、あまり良い気分にはなれない。
それで大人になって暇になっても、囲碁、将棋を積極的にやろうという気持ちにならない。ましてや『趣味』になることもない。
※私がやってみ「たSUDOKU」(初級)を掲載しておきます(毎日新聞に載っていたものです)。
興味のある方は挑戦してみて下さい。


夜遅く、「ガイアの夜明け」という普段あまり観ないテレビ番組を観た。
「(ファイアール)アクア」という「サンヨー」を引き継いだ会社が、「洗濯物が外から見える透明な洗濯機」の製造にチャレンジしていた。
“インパクトを与え、売れるに違いない”という発想からのようだ。
一言で言えば『仕事最前線』という感じの番組だったが、「いろんな世界があるのだ」と思った。
2016年3月9日(水)
ピアノの練習をした。三日間の休みの後なのに手指が痛む!
これまで“練習をやり過ぎて”指を痛めたか?
―これは考えられない。
そもそも打鍵の仕方が悪いのか(ガムシャラに“強く”打鍵している)?
―これは考えられる。
それとも、歳だから?
―これが一番当たっているように思われる。
2016年3月10日(木)
朝、ゴミ出しのために家の外へ出たら寒かった。また寒さが戻って来たようだ。
犬を散歩に連れに出るTさんに出会った。Tさんは自ら世話役を買って出て、ゴミ出しの日に何時も防護ネットを管理してくれている。そのTさんが「カラス防止ネットが傷んできた。煩わしいからもうネットは止めようかと思う」と言っていた。
御苦労さまでした。お陰で最近カラスの被害を免れて来たが、またカラスがやってくるようになるかな?
折角書き写して持ち帰った「SUDOKU」のパズル、もう一枚の「SUDOKU」(中級)に挑んでみた。初級を経ており2度目なので、解いていると前回よりも沢山“理屈”が頭に入って来る。すると、中級ではあるがやはり解答に至る過程がスピードアップしているのが自分でも分かる。しかし、先日のように一度にはやらないで、それこそ『趣味』にではなく、“暇つぶし”に少しずつ解いてみようと思う。
ウオーキング。往路、復路共に1度ずつ休んだ。

(近江神宮、楼門の階段下からの琵琶湖の眺め。載せてみれば樹間の琵琶湖はハッキリ見えず、寒桜?ばかりが浮き立っている。カメラマンの失敗。)
夕方、入浴後体重を測って驚いた。
昨日迄はずーっと64~65㎏台だったのに今日は66.6㎏になっていた。
僅か一日で1㎏以上増えるのは変だ!
右足が張って嫌な感じがしていた。足をよく視て驚いた。右足の膝から下の部分が異様に腫れていた。足の甲の部分も水が溜まったように盛り上がっている。こんなのは初めての経験になる。右足の浮腫の分だけ体重が増加したものと考えられる。気分は一気に灰色となる。
急遽、昨年末の手術の時に使った弾性ストッキングを履いて寝てみた
2016年3月11日(金)
一晩横になって目覚めても右足の浮腫(むく)みは変わらなかった。灰色気分が続く。
そして今朝、血圧が142-84、144-87、139-89と高く出たのでまた驚く。
この突然上がった高い数値も右足浮腫と関係しているのかもしれない。
一応、2週間ぶりに降圧剤を飲んでおいた。
近くの鍼灸治療院へ行った。
「70歳以上は月2回迄無料」という看板が治療院の前に出されていて、以前から「機会があれば何時か一度掛かってみよう」と思っていた。昨日、急に右足の浮腫が酷くなって、「丁度良い機会」だということで診療を受けてみたものだ。
機械道具類(温熱、電気刺激、バイブレーション)や、人の手を借りた治療で約30分間。
血行が良くなるのではないかと思った。
今日は東日本大震災から5年目の日。テレビでは、追悼番組が多かった。
数々の映像を観て、改めて「大変な災害だったなあ」と思った。
それと同時に、私のように70歳を越して年相応に身体に故障が起こり、その苦痛を訴えていることが小さな問題のように思えてきた。東日本大震災、それに続く大津波は降って沸いた“別次元の”大災害だった。
身体に何の故障もない、それこそ健康そのものの子供や若者達も一瞬にして命を奪われた。さぞ恐ろしかったことだろう。
運良く生き延びた人達も、多くの家族を一瞬にして失い、生活が一変してしまう悲惨な境遇に落ちた。『神も仏も有るものか』と思った人も多くいるに違いない。本当に気の毒だと思う。
テレビを観ていたら、『災害遺産』という言葉が出てきた。津波による甚大な被害の痕跡を後世に伝えようというものだ。
この大震災を後世に伝えるということは大変大事なことだと思う。ただ、それを『観光資源』にする動きが見えていて、その点に少しひっ掛かりを感じた(『災害遺産』と『観光資源』を区別するのは困難ではあるが)。
右足の浮腫み、少しマシになってきたように思う。体重は64.4㎏と減少。
2016年3月12日(土)
今朝の部屋の温度は7℃と冷え込んでいる。
この冬の寒さも、明日そして明後日頃までか?
そうであって欲しい。冬の終わりになって手の冷たさを非常に感じる。
右足の浮腫み少しマシになってきているのか?
今朝の血圧は122-77、122-76、109-73、106-73だった。
丁度今、庭の方から鶯の初鳴きの声が聞こえて来た。
慣れない頼りない鳴き声から推測して、まだ若い鶯のように思われる。
ブログの新規投稿(NO.338)を終ってのお昼前、何気なしに「SUDOKU(数独)」(初級)を解き始めた(一昨日、昨日とピアノの練習を少しもやらなかったので「ピアノに向かわねば」と思いつつ・・・)。
直ぐに解けるとは思わなかったが、大体のことを知りたいと思ったからだ。
頭の中では解答への筋道は分かっているつもりだった。実際その筋道通りだったのだが、何しろ初めての挑戦なので短時間に終わりそうもなかった。
途中で止めてまたその気になった時にすれば良かったのに、一気に答えを出してしまいたくなった。
お昼御飯を食べた。
その後も続けた。テレビを観ながらでは集中できないのでテレビを消した。
その中、頭が痛くなり肩も凝り始めたがそれでもやり続けた。
午後4時過ぎに漸くにして答えを導いた。直感に頼ることなく理詰めでやり終えた。
正解表と照らし合わせたところOKだった。
初めてなので時間がかかってしまったが、「SUDOKU」も慣れればもっと速く答えをだせると思う。
やり終えたらすっかりくたびれていた。今日もピアノの練習は出来なかった。
考えてみれば、ピアノの場合、毎日少しでも練習しているとその積み重ねで少しずつ上手になる。練習が辛くても『先の(=上達する)楽しみ』というものがある。練習が辛いことを考えればこれは『趣味』とは言えないかもしれない。
「SUDOKU」の場合は一体何なのだろう?
頭を使い、ボケ防止には持って来いかも知れぬが、私には疲労が残るだけの「暇つぶし」に過ぎないように思われた。
しかし、「SUDOKU」も人によっては「本を買ってきてまでして打ち込む」(本も出版されている)に値する『趣味』となるものかもしれない。
『趣味』とは元来そういうものなのだろう。
「SUDOKU」は一人でもできる趣味。「一人で出来る趣味=孤独が好き」ということでもないだろうが・・・。
囲碁、将棋を『趣味』とする人が多いようだ(=孤独が嫌いな人?多分NO! ≠孤独が嫌い)。
こちらの『趣味』は、勝負事になり、勝ったり負けたりする。
私も、小さかった頃は(特に将棋の方を)やったものだった。しかし、負けた時は勿論のこと、勝った時も、負けた人の悔しい思いを忖度(そんたく)して、あまり良い気分にはなれない。
それで大人になって暇になっても、囲碁、将棋を積極的にやろうという気持ちにならない。ましてや『趣味』になることもない。
※私がやってみ「たSUDOKU」(初級)を掲載しておきます(毎日新聞に載っていたものです)。
興味のある方は挑戦してみて下さい。


夜遅く、「ガイアの夜明け」という普段あまり観ないテレビ番組を観た。
「(ファイアール)アクア」という「サンヨー」を引き継いだ会社が、「洗濯物が外から見える透明な洗濯機」の製造にチャレンジしていた。
“インパクトを与え、売れるに違いない”という発想からのようだ。
一言で言えば『仕事最前線』という感じの番組だったが、「いろんな世界があるのだ」と思った。
2016年3月9日(水)
ピアノの練習をした。三日間の休みの後なのに手指が痛む!
これまで“練習をやり過ぎて”指を痛めたか?
―これは考えられない。
そもそも打鍵の仕方が悪いのか(ガムシャラに“強く”打鍵している)?
―これは考えられる。
それとも、歳だから?
―これが一番当たっているように思われる。
2016年3月10日(木)
朝、ゴミ出しのために家の外へ出たら寒かった。また寒さが戻って来たようだ。
犬を散歩に連れに出るTさんに出会った。Tさんは自ら世話役を買って出て、ゴミ出しの日に何時も防護ネットを管理してくれている。そのTさんが「カラス防止ネットが傷んできた。煩わしいからもうネットは止めようかと思う」と言っていた。
御苦労さまでした。お陰で最近カラスの被害を免れて来たが、またカラスがやってくるようになるかな?
折角書き写して持ち帰った「SUDOKU」のパズル、もう一枚の「SUDOKU」(中級)に挑んでみた。初級を経ており2度目なので、解いていると前回よりも沢山“理屈”が頭に入って来る。すると、中級ではあるがやはり解答に至る過程がスピードアップしているのが自分でも分かる。しかし、先日のように一度にはやらないで、それこそ『趣味』にではなく、“暇つぶし”に少しずつ解いてみようと思う。
ウオーキング。往路、復路共に1度ずつ休んだ。

(近江神宮、楼門の階段下からの琵琶湖の眺め。載せてみれば樹間の琵琶湖はハッキリ見えず、寒桜?ばかりが浮き立っている。カメラマンの失敗。)
夕方、入浴後体重を測って驚いた。
昨日迄はずーっと64~65㎏台だったのに今日は66.6㎏になっていた。
僅か一日で1㎏以上増えるのは変だ!
右足が張って嫌な感じがしていた。足をよく視て驚いた。右足の膝から下の部分が異様に腫れていた。足の甲の部分も水が溜まったように盛り上がっている。こんなのは初めての経験になる。右足の浮腫の分だけ体重が増加したものと考えられる。気分は一気に灰色となる。
急遽、昨年末の手術の時に使った弾性ストッキングを履いて寝てみた
2016年3月11日(金)
一晩横になって目覚めても右足の浮腫(むく)みは変わらなかった。灰色気分が続く。
そして今朝、血圧が142-84、144-87、139-89と高く出たのでまた驚く。
この突然上がった高い数値も右足浮腫と関係しているのかもしれない。
一応、2週間ぶりに降圧剤を飲んでおいた。
近くの鍼灸治療院へ行った。
「70歳以上は月2回迄無料」という看板が治療院の前に出されていて、以前から「機会があれば何時か一度掛かってみよう」と思っていた。昨日、急に右足の浮腫が酷くなって、「丁度良い機会」だということで診療を受けてみたものだ。
機械道具類(温熱、電気刺激、バイブレーション)や、人の手を借りた治療で約30分間。
血行が良くなるのではないかと思った。
今日は東日本大震災から5年目の日。テレビでは、追悼番組が多かった。
数々の映像を観て、改めて「大変な災害だったなあ」と思った。
それと同時に、私のように70歳を越して年相応に身体に故障が起こり、その苦痛を訴えていることが小さな問題のように思えてきた。東日本大震災、それに続く大津波は降って沸いた“別次元の”大災害だった。
身体に何の故障もない、それこそ健康そのものの子供や若者達も一瞬にして命を奪われた。さぞ恐ろしかったことだろう。
運良く生き延びた人達も、多くの家族を一瞬にして失い、生活が一変してしまう悲惨な境遇に落ちた。『神も仏も有るものか』と思った人も多くいるに違いない。本当に気の毒だと思う。
テレビを観ていたら、『災害遺産』という言葉が出てきた。津波による甚大な被害の痕跡を後世に伝えようというものだ。
この大震災を後世に伝えるということは大変大事なことだと思う。ただ、それを『観光資源』にする動きが見えていて、その点に少しひっ掛かりを感じた(『災害遺産』と『観光資源』を区別するのは困難ではあるが)。
右足の浮腫み、少しマシになってきたように思う。体重は64.4㎏と減少。
2016年3月12日(土)
今朝の部屋の温度は7℃と冷え込んでいる。
この冬の寒さも、明日そして明後日頃までか?
そうであって欲しい。冬の終わりになって手の冷たさを非常に感じる。
右足の浮腫み少しマシになってきているのか?
今朝の血圧は122-77、122-76、109-73、106-73だった。
丁度今、庭の方から鶯の初鳴きの声が聞こえて来た。
慣れない頼りない鳴き声から推測して、まだ若い鶯のように思われる。