「WINDの午後日記」

無事に筋腫の手術も終わりました。これからの「人生の午後」をのんびりつづります。

2017年 脳動脈瘤経過観察。「前兆」について質問。

2017-06-22 12:11:33 | 脳動脈瘤
実に久しぶりの更新となってしまいました。
おかげ様で特に問題もなく元気に暮らしています。

先週、脳動脈瘤の年一回の経過観察行ってきました。
MRI検査の結果、今回も2.6ミリで、サイズも形もまったく変わりありませんでした!


(以前の画像です)


次回の検査は来年の6月。
いまのこところ、このペースで問題なさそうです。

そういうわけで、主治医の先生とお話しするチャンスは、一年に一回。
せっかくの機会ですから、以前から知りたかったことを、質問しました。

知りたかったのは、
「脳動脈瘤が破裂する前に前兆の症状があるといわれているが、頭痛やめまいなどどれもありふれた症状。何か特徴はあるのだろうか?」ということです。

前兆の症状としては、以下のようなものがあげられます。
(検索したネット上の記事から抜き書き(&寄せ集め)させていただきました)
●頭痛 めまい
 「違和感のある頭痛やめまい」「軽い頭痛が続く」
●血圧の乱高下
●吐き気
●視覚の異常
 「一部が見えにくい」「物が二重に見える」「視界が暗くなる」「片方だけ目が開かない」
●首や肩の凝りや痛み。

いずれも、「違和感がある」とか、「いつもと違う」、「いままで体験したことがない」ということが前提です。
が……

どうですか皆さま?!
こんな症状、更年期世代の女性だったら、
いつだって体のどこかに起きていませんか。私の場合だけですかね??

朝起きたら今まで感じたことのない頭痛だったり、
首から後頭部にかけて痛みがあって枕が当たるだけでも痛くて眠れなかったり、
体験したことのないひどいめまいに数日間悩まされたり、
頭が外から強く圧迫される感じでボーッとしたり、
いままで見えていたものが、老眼やかすみ目で、全然見えなかったり。
血圧を自分で測ってみると、そのたびに全然違って、乱高下ですよ、もう(*_*)

そもそも更年期症状そのものが「体験したことのない」とか、「違和感がある」症状のオンパレードなわけですからね。

そして、これらの症状がどの程度の強さなのか。
違和感があるとはどの程度なのか。
なんだかはっきりしないし、
数時間前にこの前兆がある人から、「思い返してみれば数週間前にこんなことがあった」という人までいる。
これらの症状は、マイナー・リーク(少量出血)によるものと、神経の圧迫によるものがあるようで、それによってもひとくくりで語るのはむつかしいのかもしれません。

ともかくもうなにが前兆なのか、さっぱり判断がつきませんし、
心配しだしたら、きりがありません。
仮にそんなことを心配していちいち病院に駆け込んでも、
なんだか病院で「またですか」と嫌な顔をされそうな気がする(^^;)

多分先生に質問して解決するようなことではないのですが、
何か目安となるような指針がほしい、ということで、
先生に尋ねてみたわけです。「何かこれといった特徴はあるのですか」と。
 
先生のお話では、
これらの前兆の症状がでるのは1~2割程度の人だそうで、まったく前兆に気づかない人も多いとのことでした。
「ゼロではないので全く気にしなくてよいとは言えませんが、前兆が出ない人も多くいるので、気にし過ぎる必要はないと思います」とのことでした。
そして、前兆の頭痛の特徴としては、前兆であったとしても、じわじわくるのではなく突然で、何時何分からと始まりがはっきりわかるケースが多いとのことでした。

先生の患者さんの中には、
いろいろな症状が心配になって、頻繁に病院に来てそのたびに検査する方もいるそうで、
「でもそういう方の場合、検査して問題なくてもそれで安心が得られるわけではなく、だんだん余計に不安がつのっていくので、そういう場合には手術を薦めることもあります」とのことでした。
こういう話をされるとき、先生は「神経質で困った患者だ」というニュアンスではなく、人間はそいういものです、という感じでおっしゃったので、なんだかちょっとほっとしました。

そして、「いずれにしても、絶対大丈夫とはいえないので、心配なときは、気軽に病院に行ってみてよいのですよ、CTを撮ればすぐわかるのですから」と。

私としては、「前兆の場合も、はじまりのはっきりした突然の頭痛のケースが多い」というのはとても線引きしやすくなってすっきりしました。
というのは、最近頻繁に頭痛があるんです。
それも、毎回ちょっと今までと違う、という頭痛でして、いろんなバリエーションで手を変え品を変えという感じで襲ってくる。
それをいちいち気にしていると、もうきりがなく……

ということで、自分の中ではこんな風に整理しました。

酷い頭痛(激痛)だったら、もちろんまよわず救急車。
そこまで激痛ではないけども、始まりが何時何分とわかる頭痛の場合は病院に電話してみよう。
めまいの場合は耳鼻科に、目の見え方がおかしい場合場は眼科にすぐに行ってみよう。(そこで脳動脈瘤があることを話せば、必要に応じて脳神経外科にいくように言われるだろう)

ただし、朝起きたら頭が痛かったとか、だんだん痛くなってきた、
頭が圧迫された感じでもやーっと頭が重苦しい、といった頭痛と、
継続するめまいや、首や肩が痛いというのは、今のところあまり気にしすぎない。

※ここで私が排除したものも、くも膜下出血の前兆として記載されている記事もたくさんありますのでご注意くださいませ。あくまでも私の場合です。私の場合、ほぼ毎日このどれかの状態になってしまうので。

ともかく、こんな風に線引きしたらちょっとすっきり。
もちろんいままで50年以上つきあってきた体なので、これはさすがにちょっと変?という違和感を感じたら、きっと本能の赴くままに、行動すると思いますが。

先生も繰り返し言っておられましたが、頭の中のことだから絶対大丈夫ということはできません。
心配になったらその都度病院に行くことは間違ってはいないことと思います。
でも、一度しかない人生を、その心配に多くのエネルギーを割くのは、ちょっと残念な気もします。
もともと能力の多い人ならともかく、私のように容量の少ない人間は、そんなことを気にしていたら生産性が落ちまくり、ほぼないに等しくなってしまう(笑)。
自分の中の線引きをすることで、生きている時間をより有意義にしたい、今日一日一生懸命に生きよう、ということなのでした。

ところで、
「くも膜下出血の前兆となる症状」って、言葉自体がなんだか長くて、もやもやして、検索してもドンピシャじゃない感じが非常にまどろっこしく、
ネットでいろいろみているうちに、前兆となる少量の出血を英語で「マイナー・リーク」ということがわかりました。
「マイナー・リーク」つまり日本語にすると「軽い漏れ」……。
前兆の症状は、少量の出血によるものだけではないと思いますが、これで検索もしやすくなりましたし、
自分の中で、こう呼び名ができたので、ちょっとすっきりしました。

名前がついたことで、脳内の「引き出し」にもしまいやすくなりました。


※私の感想を記録しているので、全然医学的な内容ではありません。ご容赦くださいませ。

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不安について考えてみた (2)

2016-09-21 15:47:30 | 不安について
(「不安」について書いている前回記事の続きです。 前回の記事はこちらです)

不安になると、激しく動悸がするものですが、
前回書いたように、当時の私の場合は、別の理由により先に激しい動悸などの症状があり、
それを脳が不安と認識してしまった、というのが当てはまるような気がします。
動悸が収まらない限りこの不安も収まらないという感じでした。

ところで、動悸ってなにが辛いの?と、体験のない方は、おそらく、思われることでしょう。
恋だって、ドキドキするわよ。と。
まったくですね(笑)
私も自分が体験するまではそうでした。
「求○」の「動悸・息切れに……」というCMをみるたびに、そう思っていました。。

冒険やバンジージャンプなど、わざわざ体験したくてするドキドキと、不安のドキドキとどう違うのかと問われるとこれまた説明しづらいですが。

何かに襲われる瞬間に恐怖で胸がぎゅっときしむような感じや、
とんでもないことをしでかしてしまいざっと血が引くような焦りが、
一瞬ではなく、ずーーーーっと続いているという状況、あるいは
「ここを出せ! 早く動け!!」と胸の内側をこぶしで激しく叩かれながら怒鳴られているような感じ…
どれも充分に説明はできていませんが、
ともかく身体的にこんな状況が何日も何カ月も、場合によっては何年も続く状態……

私の場合は、かなり激しい動悸が三年つづきました。ほぼ一日中。
夜布団にはいっても心臓がバクバクして息苦しくて眠れず、気を紛らわせようと何度も何度も寝返りをうち、なにかとんでもなく迷惑なことを知らずにしでかしてしまったのではというような不安や、こんなことはしていられないというような焦燥感が絶え間なくやってきて、体がびりびりと痛む。
「異常事態だ、なんとか事態を改善しろ」という私の脳が発するサインが、ガンガンと鐘をならし、こんなことしている場合ではないとがなり立てている感じ。

じっとしていられないのでジタバタともがき、そうして長い時間の後ようやく眠りに落ちるのですが、
朝目覚めた瞬間から、こんなことをしている場合ではないともう激しく動悸がしてるのです。
常に体がこわばって緊張しているせいか、内臓が地面に引きずり込まれそうな倦怠感に襲われていて、
それでエネルギーを使い果たしてしまうので、何かを楽しいとか、うれしいとか思う余力はなく
ともかく不安で不安でたまらなくて、いてもらってもいられない感じで……。
ああ、語彙が不足していますね(笑)。
もっとうまく表現できる方法があればよいのですが、私の日本語力では無理でした。

ともかく、目先のこと、身の回りのこと、あるいはもっと先のこと、いろんなことが不安で、
それは、取るに足らないことだったり、実際に起きもしないことを不安に感じているというバカらしさもわかっている。
でも、止まらない。
当時仕事でちょっとうまくいってなかったせいもあり自己評価も低下気味でしたから、そういうのもまた焦燥感にひどく拍車をかけていたことの一因だと思いますし、
父のことで死が常に近くにあったせいで、自分や家族やペットの老いや死が身近にせまってきているように思え、いたたまれなくなってきているというのもありました。

それはさらに細かいところまでエスカレートして、例えば
ペットが窓から逃げてしまったらどうしよう、知らないうちに洗濯機に入ったらどうしよう、冷凍庫に入っていたららどうしよう、電子レンジに入ったらどうしよう、(あとのほうは可能性としてはほぼあり得ません!)
たとえその一つの不安をとりのぞいても、脳は次々と不安を探し出してくるのです。身体症状にみあうような不安の原因を常に脳がサーチしている状態。

そして、いったんこういう酷い不安状況になったときに、
もっと大変な人がいる、とか、
○○さんの方が大変だ、とか、
そんなことで大げさだ、などという意見は、たしかに正論には違いないのですが、
決して今、現に起きている身体症状を止めることはできないのです。
それを止めることができない以上は、連動して起きる不安もとどまることがないのです。

どうやらこれは、「不安神経症」と言われていたものだったようです。
現在の正式名称は、この不安がある程度の長さずーっと続くのが「全般性不安障害」で、 (私の場合はこちらですね)
これとは違って、短い時間に極端にひどくでるのが「パニック障害」といわれるもののようです。

診療内科で薬を出してもらうことを薦めているサイトもありますが、
私は、そもそも薬をやめたことが最初のきっかけになっていましたから
絶対に薬を飲んで治すことはしたくなかった。
一旦それで症状をおさえても、再びその薬をやめるときにかえって悪化するのは間違いないと思ったので。

せっかく五合目まで登ったのに、また一合目からやり直すようなものですものね。
とはいえ、これはあくまでも私の意地というか、こだわりで
もしこれをお読みの方で同様の症状がある場合には、素直にお薬に頼った方が良い場合もあるかとは思いますが。

そうして私の場合、意外なことに現実的な危機がある場合の方が少し不安が収まっていたのです。
たとえば、子宮全摘の手術方針がきまって、いよいよ手術を受ける緊張の中にいるときや
脳動脈瘤がみつかったとき、そういう時はむしろとりとめのない不安は薄められて、
より「現実的な」不安の中で比較的落ち着いていました。

もしかしたら、そういった「わかりやすい」危機の場合はむしろできることが限られているために、
脳は、この状況を脱する方法を探れ、という警報を大々的にならさなくてもよかったのかもしれません。

           ***

この件をこうやって長々と書き留めようと思ったのは、
私の場合、きっかけは長年飲んでいた薬を飲むのをやめたことでしたが、
自律神経の不調ということが発端なのであれば、
たとえばホルモンのバランスが崩れたときや、
他の化学物質にさらされたときや、
あるいは、幾重にも重なるストレスの影響があったとき、
また似たような症状が出る可能性があるのではないかと思うからです。
そのときに慌てないように、絶望しないように、自分で治していけるように。

佐野洋子さんのエッセイに、自律神経の不調の辛さを書いたものがありました。
がんの治療も経験されたのですが、それよりも、こちらの方がつらかったと。
私の分際で、軽々しくそれをわかるとはいえませんが、
しかし、確かに自律神経の不調をなめてはいけないと思っています。

まあ、そんな中、夫にはずいぶんと助けられましたけども。なぜなら無関心なので(笑)
私のしんどさを、「ふーん。」とパソコン画面をみながら聞き流しているので、
普通なら腹がたつところですが、当時そのエネルギーも失っていました。
これを面と向かって「自分の方が会社で大変だ」とか、「その程度で大げさな」とか正論で非難されていたら、やばかったかも。
うちの夫は、「気にしない人」で、どうしたらそこまで気にしない人になれるのか。むしろ不思議です。

私がこんなに不安でぐるぐるしていたことも、多分知らないでしょう。言ってはいるけれど別に理解はしてません。否定もしません。
聞いてるけども、聞いてない。ほかのことを考えている。
人に無関心なだけではなく、割と自分の状況にも無関心。
自分が否定されるような場にでても全然平気。お偉いさんに会おうが、海外で場違いな場に参加しなければいけないときでも全然ひけ目感じてない。

あまりにいさぎよ過ぎて、かえってこの無頓着さがうらやましい。
むしろ見習いたいです(笑)

          ***

ともかく時は流れ、今は多少心配性という程度まで治っていると思います。
リアルな人間関係では自分のこうした不安を話したことはありませんが、
ブログでその都度いろんな気持ちを吐き出させてもらったのもよかったかもしれないと思います。

仕事も細々ながら以前よりは順調にできているし、体調もずいぶんコントロールできるようになってきました。
うまくいくときも、いかないときもあるけれども、それはそれ。
うまくいかないときは、もちろん自分の能力不足を感じて果てしなく落ち込みますけども、
まあ、それはそれ、です。

ここまで来るのに、ほぼ五年かかりましたね。

のど元過ぎると熱さを忘れがちなもので、あのころの状況はよく覚えているようで、あまりよく覚えていません
冷静に考えれば、今はあの頃よりもはるかに良くなって楽に暮らしているのに、そのことの感謝も忘れがち。

でも今もほんの少しだけ不安の症状は出るときがあります。
今はなんとか常識的な判断で乗り切れているけれども、
それでもまたいつあのひどい「不安」に襲われることになるのかもしれない。
「あいつ」(「不安」のことです!)は、もう理屈もなにもまったく通じないやつなんです(^^;)。
ただでさえ、更年期や老年期は不安に襲われやすい。
なので忘れないように、つらつらとしつこくかいてみました。

未来の私へのメッセージ。

もしまた不安発作に襲われた場合には
そういうとき、人に話して救われることはあまりないし、薬も、あまり信用できません。

不安になったら、まず目の前にあるできることをする、
目の前のできることを一生懸命して、できないことはしない。あたりまえですが。
そして、自律神経によさそうなこと、
体を動かしたり、日光にあたったり、
湯船につかったり、早寝早起き、掃除をする。
体によさそうなものを作ってきちんと食べる。
手を動かす。物を作る。
自分に小さいOKをたくさん出す。

まあ、しんどい時は、こういうこと自体をする気力が衰えているので
実行するのはそれほどたやすくはないですが、気持ちとしてはこういったものをめざす、という感じで。
そして、呼吸に集中する。呼吸を深くする。
複雑なことや、自己評価をあげるための「壮大」なとりくみではなく、
むしろ簡単にできる目の前の単純な作業に焦点をあわせる。

結局のところ、完全に幸福で不安のない状態なんてないのだから、そこを目指しても仕方ない。
どれだけ目の前に集中できるか。
自分ができるのはその程度なのだろうな、と思ったりします。

「進化心理学」の考えによると、
人間は、生存にとってなにか不都合な状況に置かれたとき、「警報」として不安な気持ちを感じるという仮説があります。
それは熊が襲ってきそうなので防御の必要があるということかもしれないし、
感染症で死ぬのをなんとか防ぐ工夫をしなければ、ということなのかもしれない
集団から疎外される事態(原始人にとってそれはすなわち死を意味するので)をなんとか改善しなくてはならない、ということかもしれない。
ともかく不安は、「取り除くべき不都合な状況がある」ことを知らせて、
「早く状況を把握しろ」、「原因を突き止めろ」、「こんなことしている場合ではない、改善しろ!」という「警報」の役割をしている、というのです。

居ても立っても居られない、という感じは、つまりこういうことなのでしょうね。
もし不安を感じることがなければ、おそらく人間ははるか昔に死滅していたのだろうと思います。
不安を感じ取り、それに応じて何かしなければならないと焦り、
そうして実際に改善して生き延びることができた人々のみ子孫をのこすことができた。
我々はその子孫、ということなのだと思います。

もし現実的ではない不毛な不安のグルグルに襲われたら、
それはきっと遠い先祖である古代人からの「しっかり行き抜け」というメッセージなんだと思うことにすればいいんです。
自分が無能であっても、役立たずであって、取るに足らない存在であっても、なにか大きな失敗していても、そんなことはどうでもよいのです。
不安は、「今、適応にとって不都合な状況が起きている」かも、と脳が教えてくれているだけです。
この「かも」が大事。絶対じゃないのです。

現に生存しているのだから、多少不都合でもそれでいいのです。
なので、とりとめのない不安に襲われたときは「ああ、また先祖からメッセージが届いちゃったよ」と、
そうおもったまま、その感情はただ抱え込んでおくだけでよいのです。きっと。
今はともかく目の前のことをする。それだけです。

             ***

もしまたとりとめない不安に襲われたときには、こんな感じで対応していく(予定)!
長期的な視野はもちろん大事だけれども、ひどい不安の最中には自分の処理能力自体が落ちている。
そんな時はあれこもこれもと手を広げずに、とりあえず目の前に集中。その方が症状が長引かないと思います。

また少しずつ書き加えるかもしれませんが、
いったんここでおしまいにします。

こんな長文ブログになりまして失礼いたしました。
おつきあいくださった方、もしいらしたら、ありがとうございました。


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不安について考えてみた (1)

2016-09-21 12:12:17 | 不安について
更年期の症状の一覧に、よく「不安」とありますが、あれはいったい何なのか。
不安について存分に語れるほどの知識も人生経験も持ち合わせていないのですが、
このとらえどころのないものの正体について、
今後の自分のためにも、思いついたこと、体験したことをつらつらと書き留めておこうかと思い立ちました。

やたら長文で、そしてほぼ独り言のような内容です。ご容赦ください<(_ _)>

            ***

まず自分と不安とのかかわりについて記録しておこうかと思います。
しばらく前のことになるのですが、数年にわたってひどい不安症状に悩まされていたことがありました。

きっかけは、自律神経系の症状の改善のために出されていた薬をやめたことでした。
それまで10年ほどにわたって病院で出された薬を言われるままに飲んでいたのですが、
それほど強いものではないようでしたので、あまり気に留めていませんでした。
肩こりとか、寝つきが悪いとか、そんな症状によく出されるわりと一般的な薬です。
ただ、2011年の震災で薬の供給が一旦途絶えたので、それをきっかけにその薬についていろいろと調べた結果、
副作用が多く、長く飲み続けるとやめるときにかえって症状が悪化する薬だということが分かり、
これは今のうちにやめた方がよいのでは、と思ったのです。

そのときにネットを検索していて気になったのは、
この薬を減らすときに「不安などの離脱症状が出やすい」という記述。
離脱症状をおこさないために一気に減らさないように、との注意事項が方々で記載されていましたが、
今思えばこの時点で私はまだ「不安」とは何かをよくわかっていなかったのです。

決して突然にやめたわけではありません。
ネットのたくさんの記事を読み、医者にも相談して、
本当に少しずつ、すこしずつ、
薬が減ってきたことを体に気付かせないように、錠剤を小さく割ったりけずったりして、
一年かけて徐々に減らしたのですが。

しかし、見事にでました、離脱症状!!
これは予想を超えてすさまじいものでした。
そういう症状が出やすい体質だったのかもしれません。
うまく説明できないのですが、よく乗り切れたと思います。

おそらく人間は一つのストレスならば回復できるのですが、
しかし、立て続けに襲ってくるストレスが許容量をこえると、回復できなくなるのです。
このときは、薬をやめたことに加え、いくつかのストレスが重なりました。
そういう意味ではもっとも悪いタイミングで減薬をしてしまったのだと思います。

人間の脳の原始的な部分は、身体に感じるストレス、たとえば、暑い、寒い、人密集しすぎ、人いなさすぎ、痛い、電流刺激などなどを、ストレスと感じるわけです。
いままで脳に供給され続けていた物質がはいってこなくなった、というのもそういう広い意味での「ストレス」なわけです。
我慢したとか、他の人は平気だったとか、もっと大変な人がいるとかは、この際関係ありません。
脳の真ん中の原始的な部分の反応です。自分の意志ではコントロールできません。

本来それを、脳のもっと高度で人間らしい部分が「まあまあ」となだめたりするわけですが、
あまりに多くのストレスがかさなると、この「まあまあ」という働きが足りなくなってしまうわけです。
おおざっぱすぎる説明ですが(^^;)

この時期、そもそも薬をやめたきっかけになった震災がありました。
うちは古い団地の高層階だったのでその後の余震のたびに、かなりひどくゆれ、地震酔いがひどく、
もちろん日本中にもっと大変な状況の人はたくさんいて、それに比べたら何でもないことです。
ですが、それが心理的につらいかどうかという問題ではなく、明らかに身体には影響がでていました。
原始的な意味でのストレスはかかっていたと思います。

おそらく、この揺れのせいで、かわいがっていたペットが食欲を失い衰弱し、やがて亡くなってしまいました。
そして日々多くの情報が飛び交いました。
放射能のこと、水のこと、食べ物への影響、経済のこと…、
不安を感じるニュースを刻々と受け取り続け
同時に、このころから仕事の面でいくつかのトラブルが重なり、
長いこと仕事をさせてもらっていたお客様との取引が終了することになってしまいました。
今まで心を通わせて長く付き合いのあった人たちと、こうして縁が切れてしまうのは、自分にとってはとても悲しいことでした。

            ***

あわせて、この時期脳梗塞で体の自由を失った父の病状はどんどん悪化していきました。
一つ一つ機能を失い、いつ亡くなってもおかしくないような状態となり
自分は、生と死と、どちらに焦点をあてればよいのかよくわからなくなっていました。
最終的に介護は五年に及びました。
発症して二年くらいまでは、きっと改善すると思って懸命に介護をしていましたが、
回復しないことは目に見えており、
だんだん「死」というものがじわじわと日常にはいりこんできて
どちらの方向に向かって努力すればいいのかわからないことになっていきました。

最初私は、一時間ほどの距離のある実家に、週に数回通って介護を手伝っていました。
一方、父の病状の悪化にともない介護している母のストレスがたまり、やがて攻撃の矛先が私にむきはじめました。
母は、私が全力で母を支えて当然だと考えていました。
「わたしと○○(私の名)は一心同体でしょ、○○込みの介護でしょ」とたびたび言っていました。
もともと自宅介護は無理だという周囲の反対をおしきってどうしても自宅で父を看たいと強固に主張したのは母なのですが、母親のなかで、姉、私、妹のそれぞれの役割分担ができていて、
姉は遠方にいて、上京したときに精一杯もてなしてあげたい対象、いわば「長男」のような役割、
妹はみそっかすで面白おかしく、ときどき気まぐれにふらっとごはんを食べにくる「道化」のような役割、
そして私は、愚痴をきいて、母をなぐさめる、一心同体で母の気持ちを理解し、常に母と同じような気持ちで行動する「カウンセラー」兼「女友達」としての役割……

なので、三人の娘の中で、私が母と一緒になって24時間介護するのが当然だと思っていたのでしょう。
私としてはなんとか精いっぱいやったつもりでしたが、
母としては、思う通りにいかないことがあってストレスも重なり次第に怒りを感じはじめたようでした。
遠方の姉は、年二回ほど上京するのですが、次第に母に同調して、私を「近くに住んでいるのに、母を充分に助けてない」と非難するようになりました。

当時は身体的にも経済的にも、これ以上するのは無理な状態でした。
それでもそういった非難をされることで、罪悪感が日々募っていきました、

さらにこの時期、昔の知人が連絡をとってきて、
今おもえば、その当時、その知人自身がつらい状況に追い込まれていたようで、
そこで、そういう自分を正当化するために、誰かを攻撃して意見をぶつけずにはいられなかったようでした。
たまたま、そこに私がいたというだけで。
そういう状況が二年ほど続きました。

私の中では、今も多少のわだかまりはありますが、
母もその知人も、まったくその件について頓着してないのですよ(^^;)
その後も陽気に声をかけてきたりしますんで。

ですので、本当にたまたまそこに私がいたというだけなのだな、と思います。

            ***

ともかくいろんなことがあり、いくつかのことで心理的に追い込まれていました。

自分は何の役にも立っていない、それが改善する見込みもない、
母と姉にはなじられ、父の介護はこのままどこまでも続く、
知人には私の在り方を攻撃され、
仕事も満足にできていない。
こうして年を取っていく……。

が、今振り返ってみれば、すべて「言い訳」です。
つまり、たくさんの事象が私の周りにあり、いろんな人がいろんな感想を述べる。
それは当然のことなのですが、
そのなかから私は取捨選択してこういうふうな事柄を選んで認識し、反応していたわけなのです。
アレルギーと同じですね。
何かの物質を一旦許容量以上に摂取してしまうと、
本来無害であったような物質もすべて攻撃とみなして、過剰反応してしまうという感じです。

ともかく体調不良はますます進み、そしてこのころからあらゆることが不安になってきました。
いてもたってもいられない、としか表現できないのです。
焦燥感や、罪悪感も含んでいたと思いますが、
ともかく、ここで初めて「不安」というものの存在をはっきりと意識しました。
何冊か本を読んでわかったことは、
そもそも、人間は不安な事象があるから不安なのではないのです。

何らかのきっかけで、あたかも不安な状態にあるような身体症状がまず出る。
それを脳が「不安」だと認知する、という順序らしいです。
心臓がバクバクしてくる、体中がこわばっている、
血圧もあがって、喉の奥に何か詰まっているような感じ。
これ、リアルになにか詰まっている感じがしました。(別名「ヒステリー球」ともいわれるそうです。失礼な(笑))

こういうのは、主に自分の意志ではコントロールしにくい自律神経の働きです。
原始的な社会に於いて、戦ったり逃げたりするのに有利な、異常事態の時に生存しやすくするための身体反応です。
私の場合は、まず今まで飲んでいた薬の成分が入ってこなくなったことで、
脳がこれを異常事態と察知してこういう症状がおきた。
簡単には収まらずに、心理的に不安を感じるようになる。
自分がこの状況を「不安」と繰り返し認識するようになり、
そこにさらにストレスがかさなって、次第に身体症状も心理状況もエスカレートしていった。
そういう感じです。

こうして実際に自分の身におきてみると、不安症状というのは予想よりもはるかにしんどいものでした。

(長くなりますので、ここで一旦切ります)



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脳動脈瘤 経過観察(二年半)

2016-07-14 09:58:42 | 脳動脈瘤
久しぶりの更新、忘れないようにメモ。

脳動脈瘤の経過観察
6/22 順天堂にてMRI
6/29 そしてその結果を伺いにいっていました。

結果、問題なしでした。画像を比較してみせていただきましたが、
肉眼で見る限りまったく変化なしの2.6ミリ。
ということで、次回12月に予約のためにのみ通院して、来年6月ごろまたRMI撮ります。

ちなみに、先日奥歯をインプラントにしましたが、これもMRI撮影には特に問題なし、

ふうぅ(^^;)。

最初に発見されたときは、これはひどい頭痛が原因で、(その時の様子はこちら
これで二年半無事にすごすことができました。

最初はすぐにでも破裂するのかとびくびくしてましたが、だんだんこの状態に慣れてきて、
今はさほど心配もしなくなりました。

でも先日新田恵利さんが、脳動脈瘤が急に大きくなったので手術をしたとか、
最近の週刊誌ではやりの「してはいけない手術」特集などでもよくとりあげられてたりとか、
話題にはたびたび上るので、手術するにしてもしないにしても、関心は持ち続けていなくてはですね。

とまあ油断はできないわけなんですが、
先生にはいつも癒されます。

そうだよね、心配してもしょうがないよね、という気分にしていただきます。

今回先生に言っていただいたことは、
「小さいものが急に大きくなることは確かにあります。でも、僕の実感だと、大体この程度の二~三ミリの大きさで数年とまっていた人で、急に大きくなる人は一割くらいで、あとの9割りの人は問題ないですよ。まあ仮に大きくなってきたら、そのときは手術すればいいんですから。手術しましょう。コイルでね」

こういうのを、さらりと軽く(消して悪い意味じゃなくて)おっしゃるわけです。
そして、おだやかに、ははは、と笑うんですよ。先生は。
そのお顔というか声をきいていると、ま、そんなに深刻なことじゃないな、という感じになります。

文字にすると、このタイミングでなぜ笑うのか伝わりにくい状況かとはおもいますが、
この先生の場合はそれが全く自然で、
不思議なことです。文字にしてみるとまったく伝わらないけれども。
この先生の声は、なにかよい周波数を出しているに違いない(笑)


子宮摘出手術の時の四谷の病院では「うちにはその技術がありますから」という先生の自信に満ちた言葉で救われましたし、
今回も(この先生はコイル塞栓術の方の専門の先生でもあります)この先生にこういっていただけたことでたぶん大丈夫だと思えてきました。

もちろん危険のある手術なわけだし、
一年に一回の検査で、急に大きくなったときを的確に捉えられるのかもわからない、
でもまあ統計的に、この程度の検査で大丈夫(な人がほとんど)でしょうということなら、ね、きっと大丈夫。
大したこともないのに家族に対して大げさに騒ぐこともないよね。
とりあえず多少の不安な気持ちは自分の中にとどめておこうか、という感じで
家族には「全然問題なかった」のひとことで報告すませました。

それと同時に、自分としては、万が一急に倒れても困らないように。
普段から身の回りの片づけをしておこうとは思っているのです。
だって発見されたらいやな日記とか、手紙とか、いろいろありますもの(^^;)

私のストレス解消法は、「くだらない本を読む」です。くだらないは、もちろん、愛情をこめてなんですが。
他人にあんまり知られたくないな(笑)。
その辺の片づけは、いずれにしても着々とすすめようっと。




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筋腫、脳動脈瘤、その後の状況など…

2016-01-30 12:26:35 | つれづれ日記
しばらく更新していませんでしたので、
メモ的に、現在の状況など。

だんだん何のブログかわからない状況になってきましたが、
こちらのブログで継続的に書いてきたことは、
1)そもそものこのブログを始めたきっかけである子宮筋腫(子宮全摘)。
2)脳動脈瘤(経過観察)
3)父を見送った母が近所に越してきたので、高齢の親とのかかわりで思うことあれこれ
4)人生の半分が過ぎ、自分の「人生の午後」をどう過ごすかという、そんな日々のとりとめのないこと

カテゴリー分けをきちんとしてないので、これらが混在しておりますが。
最近、筋腫の件と、脳動脈瘤の件で、それぞれコメントをくださった方がいらして、こんな拙いブログに目を通して下さった方がいらしたことに感謝するとともに、自分がのど元過ぎてしまって忘れかけていることも、今まさにそのさなかにいらっしゃる方の辛さを改めて思い、少しその後の経緯などをメモしておこうかとおもいました。

前回、ちょっと文体を変えてみる、なとど息まいておりましたが、
以前の件から継続している内容ですので、あっという間に元の文体にもどっております(笑)


まずは【子宮筋腫】の件ですが
子宮全摘したのが三年前の10月ですから二年半経ちました。
私の場合は腹腔鏡手術ではありましたが、もともと筋腫が18センチとかなり大きく、子宮を取りだすために、下腹部を横に9センチほど切っています。
その部分はまだ少し赤みは残っていて、ほんの少し隆起しています。時々少し痒いときもあります。
もっとも、術後の検診では傷の治りは特に問題ないとのことでしたし、それほど目立つわけでもないし、もともとちょっとした皮膚刺激でじんましんやかぶれなどが出やすい体質なので、隆起した皮膚が下着と擦れたことなどの理由なのかも。
別に困るというほどのことは全くありません。

手術前に内臓が筋腫に圧迫されていたことによって起きていた諸症状は解決しました。
便秘、頻尿、腰痛、胃が圧迫されたことによる食欲不振、腹部圧迫感(座っているのが苦しいほどでした)、血流が悪くなっていることによる腿のしびれ 等など。

それから、子宮摘出すると更年期が早まったり不定愁訴のような症状がでるという意見があり、手術前にはそれも「いやだなー」と思うことの一つでした。
医学的には卵巣が残っていれば問題ないと言われていますが、血流が減るのでやはり卵巣機能が低下して影響がある、全員ではないが1~2割の人は閉経が早まる、などという記事もあり、これらは素人にはどうにも判断のつかないところです。
追跡調査もあまりされてないようなので。

去年あたりから少しずつそういう症状(めまい、頭痛、体温調整がおかしい感じ)が出始め、昨年の婦人科での検査では、まだホルモン量はそれほど減ってないとのことでしたが、継続して基礎体温を測った感じでは、半年ほど前から高温・低温の波がなくなってきたので、どうやら閉経したのでは、という感じです。

平均よりも二年ほど早いようで、これがもっと若ければ苦悩(?!)するところですが、どちらにしても一~二年の違いなので、まあ、いいか。これからを楽しく元気にすれば、という感じになっております。早めに生活習慣などの軌道修正ができるので、却って「人生の午後」へのソフトランディングができてよいかも、と思ったり。
結局手術によって早まったのかどうかは、永遠のナゾです。ナゾって大げさですが(笑)。証明できないですからね。

年齢的に仕方ないことなので、他の病気が隠れてないか定期的に健康診断をしつつ当面は漢方で対処です。
閉経が遅い方がいつまでも若々しくいられるようなイメージがありますが、
(アンチエイジングばやりの昨今では、それってわりと心の中では重大問題ですよね(^_^;))
でも最近、「以前よりも今の方が元気ではつらつとしている」と言ってもらうことが二度ほどあったので、まあ気の持ちようで若々しく暮らすこともできるのかもしれません。
肌の状態なんかはむしろ手術前より今の方がましになったかもですし、以前よりは疲れにくいです。理由はわかりませんが、食生活改善の影響と、内臓の圧迫が取り除かれ諸症状が無くなったことが理由かもしれません。
いずれにしても一年ほど続いた不定愁訴もなんだか峠を越した(というよりコントロールの方法が分かってきた)のでは??と勝手に思っています。

さてもう一方の【脳動脈瘤】ですが
こちらは2.6ミリの脳動脈瘤が発見されてから二年たち、半年ごとの経過観察でMRIを撮ってきましたが、その間まったくサイズは変わらず。
次からは、問診を半年に一回で、MRIは1年に一回にしましょう、ということになりました。
先生によると、「脳動脈瘤は大きくなるときは一日で大きくなるので、どの頻度で検査すれば絶対大丈夫とは言えないけれども、このサイズで数年大きくならなければ、経験的に1年に一回程度のMRIで大丈夫」と言われました。
あまり心配しても仕方ないので、その頻度で経過観察をして行きます。
次回は二月までに行く予定です。

祖母がくも膜下出血で40年ほど前に亡くなっているのですが、遺伝性のある病気なのでその時の様子を母に詳しく聞くと、最初に頭痛がひどかったので近所の医者に行き、大したことないと一旦帰され、数日後今後は身動きできないほどの痛みに襲われそのまま入院し、ひと月後に亡くなったとのことでした。

最初に前触れのような痛みが起き、数時間から数日後に本格的な出血に至る、という典型的な経緯をたどったわけですが、今の自分ならこの時点で救急車を呼ばなくてはならないと事前にわかっているだけラッキーなことです。

現在めまいに付随して後頭部に軽い頭痛があるのですが、くも膜下出血の頭痛とは全然違うゆるーい痛みなので、多分年齢的な自律神経の不調によるものでは??と思っています。

そんな感じで日々過ごしています。
このところ少し仕事が忙しくなり、そのさなかにめまいが起きると本当に途方にくれます。ストレスも一因らしいので、そのあたりも上手にコントロールできるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

とりとめありませんが、今日はこの辺で…。

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